38.幸せに溺れる
トウマは尋常小学校の二年生へと編入することになった。初めて学校に通うトウマだが、ミノルとショウタによって勉強を教えられていたので、他の児童に遅れることもなく授業についていけている。学校内でたった一人の鬼だが、卒業生のショウタが中央病院の医師であると知っている児童も多く、仲間外れにされるようなこともない。同年代の子どもたちと共に学び、共に遊ぶ。それはトウマが今まで経験したことがないほど楽しいことだった。
家に帰ると、トウマはミノルやミホの手伝いをして過ごす。
「ミノル、トウマ君、買い物へ行こうか? ショウタさんの好きなものを買いたいの」
ショウタは大食らいである。好物となると凄まじい量を食らい尽くす。ミホ一人では持つことができないので、力持ちのトウマが同行してくれると助かっている。
「トウマ君。大丈夫? 重たくない?」
食材で一杯になった袋を背負うトウマを心配そうに見るミホ。調子に乗って買いすぎたとミホは反省していた。
「平気だよ。僕は鬼だから」
トウマが誇らしそうに笑う。
大きな鍋を運んだり、庭石を動かしたりと、ここではトウマの力が活かされていた。ミホやミノルに頼られるのがとても嬉しいとトウマは感じている。
鬼とはいえまだ七歳のトウマは、重労働に従事する人ほどの力はなく、土木工事の現場では大して役に立てない。それが悔しいと思っていたのだった。でも、ショウタの家に来て、子どもらしい楽しみと、鬼として頼られる喜びを知った。
それでも、トウマは寂しいと感じる。父には週に一回短い時間だけだが会うことができる。ただ、遠く離れた地にいる母に会えるのはいつになるのかはわからない。
『母さんに会いたい』
縁側に座ったトウマは、ミノルに教えてもらった東の方向をぼんやりと眺めてしまうのだった。
トウマの父親が所属する土木会社は、雪の降る冬の間だけ温暖な南の地で仕事を請け負い、五月頃には地元に帰る。例年は父親だけで出稼ぎに行くのだが、今年は母親が身重のため、四歳の妹と一緒に実家に帰すことになった。ただ、大食らいのトウマも預けるのが忍びなく、父は一緒に連れてきたのだった。
こんなにも長い期間母親から離れたことがなかったトウマは、やはり心細くて仕方がなかった。
初詣の神社へ刀を持ち出し、幼いトウマ相手に刃傷事件を起こした若者の父親は、トウマの父親が破壊した器物の損害賠償とトウマの入院費用を支払った。そのおかげで、若者たちとトウマの父親の量刑が軽減されることになる。
事件から半年ほど経った頃、正式な裁判を経て、トウマの父親に懲役二年が科せられると決定した。ただし、大食の鬼を刑務所へ収監すると経費が掛かり過ぎるということで、強制労働として右足首に枷をつけられたまま公共工事の現場で二年間働くことで罪をあがなう。給金は鬼の相場の三分の一程度になるが、全額を身重の妻に送金できるので、妻も何とか子どもを産み育てることができるだろう。
父親の刑が確定してトウマはほっとした。そして、ショウタやセイスケに心から感謝した。もし、あの時ショウタが来てくれなかったら、トウマも父親もこの世にいなかったのではないだろうか。そうなると、母は無事に子を産めるかどうかわからない。
「今年の夏休み、皆でトウマの家まで行ってみないか?」
盆の代替え休暇中に新婚旅行を兼ねて、東北地方へ行くのも悪くないとショウタは思い、夕食の席で皆を誘ってみる。
「それは楽しみだな」
ミノルが早速同意した。
「でも、僕の家はあんまり広くなくて、皆を泊めることができないと思う」
トウマの父の給金は一般労働者より高いくらいだ。家はそこそこの広さはある。それでも、ショウタが住むこの家に比べるとかなり狭い。四歳の妹がいるし、新たに子どもが産まれて、それほど余裕があるとトウマには思えない。
「心配はいらない。近くの温泉で宿をとるから。旅行ついでに新しい兄弟に会いに行かないか。お母さんにも会いたいだろう?」
「うん」
トウマは嬉しそうに頷いた。父の懲役が終わるまで家へ帰ることができないと覚悟していた。それが、夏に母や妹、それに生まれた弟か妹に会えるかもしれない。トウマにとってこれほどの喜びはない。
「本当に楽しみね」
ミホもまた楽しみにしていた。
その夜、ショウタはミホに謝った。
「ごめん。新婚旅行なのに、家族旅行みたいになった。それに、勝手に決めてしまって」
「いいえ、皆と一緒に旅行できるのはとても嬉しいわ。思い出を一杯作りましょう。赤ちゃん、可愛いでしょうね。今から楽しみ」
トウマの弟なら鬼の赤ちゃん、トウマの妹なら人の赤ちゃん。どちらだったとしても可愛いに違いないとミホは思う。
「そ、そうだな」
なぜか、ショウタの顔が見る見る赤く変わっていく。
「わ、私たちの赤ちゃんの話ではなくて…… でも、ショウタさんの子どもなら絶対に可愛いと思うけれど」
ミホも一緒に頬を染める。
「ミホ、俺と結婚してくれてありがとう。俺は本当に幸せだ」
「それを言うなら、私の方よ。ショウタさんと結婚できて、これ以上の幸せはないと思うの」
ショウタがそっとミホを抱きしめる。もう十分ミホに溺れてしまっていた。




