第五話
前回のあらすじ
オーガキングとエクスたちの戦いは佳境を迎えていた。魔導に覚醒したエクスがキングを追い詰め、ついに奴に恐怖を味わわせることに成功する。しかし、その土壇場でキングは部下に頼ることを選び、エクスたちは一転窮地に追い込まれてしまう。オーガたちに囲まれたエクスたちは絶体絶命かと思われたが、そこにギルメンの街の生き残りが助太刀として現れた。
エクスとフィオナの二人は助太刀の助けを借りて窮地を脱し、ついにオーガキングの首に刃を突き立てる。こうして、ギルメンの街の平和は取り戻された。
その翌日、エクスは王都を目指してギルメンを出た。フィオナという新たな旅の道連れを得て。
「この部屋にもいないな」
「こっちもいないわ」
エクスとフィオナの二人が宿屋の二階に消えた何かの影を見た後のこと。二人はその何かを探して宿屋の中を探し回っていた。部屋のドアを開けて中を確かめるが、それらしき影が見えない。残るは二階奥の一部屋のみ。
「……窓から逃げた、とかじゃなければここにいるはずだけど……」
「俺が先に入ろう。もしかしたら敵意があるかも知れない」
ドアノブに手をかけ、身体でゆっくりとドアを押して部屋へと立ち入るエクス。右手にはすでに剣が握られており、戦う体勢は整っていた。
「……来るな!」
フィオナが持っていたランタンの明かりがわずかに部屋の中へ差し込んだ瞬間、部屋の中から拒絶の声が聞こえて来た。どうやら若い男らしいその声の主は、部屋の隅でエクスたちに向けて剣を向けていた。
「待ってくれ!俺たちは敵じゃない!ただ旅をしているだけだ」
「……に、人間か?」
部屋の隅でおびえたように剣を向けていた男は、エクスの呼びかけに予想外の反応を見せる。彼はゆっくりと剣を下ろし、二人へと近づいた。
「……ほ、本当に人間なのか?」
「ああ。俺はエクス」
「私はフィオナ」
「……そ、そうか」
部屋にいた男はその場に崩れ落ちた。どうやら凄まじいストレス環境の中にいたようで、ひどく疲弊していた。エクスはその男を担ぎ上げ、一階の食堂へと連れて行く。もぬけの殻になっていても、調理場はまだ使える状態だった。火をおこし、鍋を火にかける。そうしているうち、椅子に座らせておいた男が目を覚ました。
「……ここは、一階か」
「もう起きたの?体は大丈夫?見たところ怪我はしていないようだけれど……」
「……ああ。久しぶりに人間に会えたからか、気が抜けてしまったみたいだ。迷惑をかけてすまない」
「気にしないで。……それより、何があったか教えてくれない?あなたの名前も含めて」
エクスが料理を作っている間、フィオナが目を覚ました男から一体何があったのかを聞き出そうとしていた。男はテーブルに肘をつき、頭を抱えて大きくため息をつく。
「俺の名前はガイター。闘技場で生計を立てている。……事の発端は一か月前だ。ここからさらに南に行ったところに、グラード山があるんだが、そこに知らない男が住み着いた。奴は医者を名乗ってな、街の連中に薬を作ってくれたんだ。……この街には闘技場があるせいで、怪我をする連中は後を絶たない。ここにはもともと医者はいるが、医者は多いに越したことはないって、みんなで歓迎したんだ。……でも、それが間違いだった」
「ということは、その医者が何か?」
「奴は二週間前、とある仕事を街にいる剣闘士全員に向けて依頼してきた。その内容は、希少な薬品の材料の採集。……あらゆる傷を一瞬で癒せる薬を作るために必要な材料らしいんだが……。奴は洞穴竜の角を要求してきた」
「……聞いたことがあるわ。人が決して立ち入ることがないであろう洞穴の最奥に潜んでいると言われている、竜の角。それを削って粉末薬にすれば傷口を一瞬でふさぐ妙薬になり、煎じて飲めばあらゆる病魔を払いのける飲み薬になると。……でも、それは昔の話じゃなかったかしら。その価値に取り憑かれた狩猟者たちが乱獲して、洞穴竜は姿を消したはず」
「あの医者は、洞穴竜を見つけたと言っていた。そして、竜の角を手に入れて来た者には莫大な報酬を支払うとも。……俺らみたいな剣闘士には、一生かかっても手に入れられない額だ。その金があれば、人生があと七回あっても遊んで暮らせるほどだった。当然、街の腕自慢はその洞穴に向かったさ。でも……」
「誰一人として帰ってこなかった、ということか」
フィオナとガイターが話しているところに、エクスが鍋をもって現れた。ふたを開けると湯気と共に食欲をそそる匂いが周囲に広がっていく。エクスが作ったのは簡単な肉の煮込み料理だったが、ガイターにとってはそれで十分だったようだ。食器を手渡すと、彼はすぐさま鍋に食らいついた。
「……街にほとんど人がいない理由は分かった。じゃあなんでガイターはあんなに何かを警戒していたんだ?」
「街の連中が半分ぐらい消えた頃からだ。街の外に妙な人影を見るようになった。よく見ると、竜の角を取りに行くために出て行った奴らだってわかった。でも、もうまともじゃなくなってた。眼は虚ろ、口からはよだれを垂らしていてな。こっちが何を聞いても何も答えねえ。それどころかこっちを敵だと決めつけて剣を振るってくるんだ。何かの病気かとも思って街の医者にも相談したが、わからずじまい。山に住み着いた医者に聞きに行った奴もいたが、そいつもすぐに同じような化け物になって戻ってきたよ」
「何かに取り憑かれた、とかか?」
「……もしそうなら、死霊だろうな。だが、そんな眉唾な話を信じるほど、俺は馬鹿じゃねえ。……あの医者が諸悪の根源に違いない」
「竜の角の話を始めたのもそいつだし、そう考えるのが自然でしょうね」
この街で何が起きているのかが明らかになってきたころ、ガイターは食器をテーブルに叩きつけるようにして置き、二人に向かって頭を下げた。
「頼む!あの医者を調べるの、協力してくれないか⁉……この問題は俺一人じゃどうにもできない。見たところ二人は旅の途中なんだろう?こんなご時世に旅なんて、よっぽどの腕自慢じゃないとできないはずだ。なあ、頼むよ!……御礼は、必ず用意するからよ」
頭を下げるガイターを前に、エクスとフィオナの二人は互いに顔を合わせうなずき合う。もはや答えは決まっていた。エクスは「頭をあげてくれ」と口を開く。
「ここまで話を聞いておいて今さら知らないフリなんてできる訳ないだろ。俺たちでいいなら、協力するよ」
「そうね。ここで逃げ出そうものならみんなに嗤われちゃうもの」
「礼を言うぞ。……さて早速だが、これからどうするか」
「どうするといってもな。この事態を引き起こした張本人はすでに分かりきっている。直接奴に聞くのが一番だろう」
「さっきまで話してた内容忘れたの?そう言ってその医者のもとに向かった奴が何人も化け物になって戻ってきたんでしょ?もう少し慎重に動くべきじゃない?」
事件の解決を急ごうとするエクスと、現状を踏まえた行動をすべきだとたしなめるフィオナ。そこへガイターも自分の意見を述べようと口を開こうとしたとき、宿屋の外から何かの物音が聞こえた。
「……シッ」
エクスは左の人差し指を唇に当て、二人に静かにするようジェスチャーを送りつつ、テーブルに立てかけていた剣を手に取る。他の二人も外からの物音に気付いていたようで、ガイターも剣を構え、フィオナはゆっくりとあとずさりしながら手に魔力を込め始めていた。外から聞こえて来た物音は、小石が地面を転がるような音だった。それから少しして、誰かがこちらに向かって歩いてくるような音も聞こえてくる。誰かが歩いている途中に小石を蹴飛ばしたのだろう。
「……駄目だ。暗くて見えないな」
エクスは身をかがめながら窓の外を覗いたが、外はすでに夜の闇に包まれており何も見えなかった。今日は月どころか星すらない夜のせいで、もとより暗く静かな街は余計にそう見える。それでもじっと目を凝らしていると、ついに夜の闇が揺らめいた。何者かが歩いている。それが夜の闇をかき乱し、揺らぎを生み出していた。
「誰か近づいてくるな」
「……あれは、オルザ?」
「知り合い?」
「……同期の剣闘士さ。でも、あの様子は……」
近づいてきた人物の様子は、誰がどう見てもまともではなかった。全く安定していない歩幅とふらついている体。寝たまま歩いているとすら思えるほどの不安定な足取りではあったが、彼は確実に三人がいる宿屋へと近づいてきていた。
「……どう見ても話ができるような状態じゃないな。ガイター、覚悟を決めてくれ」
「大丈夫だ。もう何回も、こいつらの相手はしてきたからな」
そう言う彼の顔には、少しばかりの後悔が浮かんでいた。エクスたちが姿を現した時、彼がなぜそれほど恐れていたかの理由が理解できた時、宿屋の扉の前で足音が止まった。
「……止まった?」
「いえ、これは……。離れて!」
フィオナがそう叫んだ瞬間、宿屋の扉が吹き飛んだ。彼女の声でその場から離れていた二人は、かろうじて飛んできた扉を避けることができた。
「……が、いた……」
「オルザ……」
オルザと呼ばれた男は、今すぐにでも倒れこみそうなほどふらついているが、その眼だけはしっかりとエクスたちを見ていた。
「がいた。がいた!がいた‼」
「……クソッ!」
オルザが右手に握っていた剣を振り上げた。それに応えるようにガイターは剣を振り下ろす。……ガイターが放った剣戟の方が速かった。オルザは腕を振り上げた姿勢のまま床に倒れこんだ。
「が。い……た……」
「済まねえ。今の俺じゃ、お前を止める方法はこれしか思いつかねえんだ」
床に倒れた男は静かになった。まるでもともと生きてすらいなかったかのように。……ガイターは剣を鞘にしまい、後ろにいる二人の方へ振り返った。
「頼む。……これ以上、我慢できねえ。こんな、弄ばれたような姿で死ぬなんて、あんまりだ。……こいつが何をしたって言うんだよ」
「……その医者のもとに行こう。このままだと、この街の人以外にも被害が広がるかもしれない。フィオナもそれでいいな?」
「ええ。さすがに、気分のいいものじゃないわ」
三人はオルザの遺体を丁重に弔い、グラードの街を出た。その医者が住み着いた山というのは街からもその姿がよく見えていた。深い緑に包まれた自然豊かな山。それがグラード山である。山へと近づいていくと、ほんのわずかに小さな明かりが山の中腹に灯っているのが見えた。
「あれか?」
「ああ。あそこに住んでるのが例の医者。名をカルメン」
「そのカルメンってやつはどこから来たの?」
「わからない。いつの間にか流れ着いていたみたいでな。……今考えれば、どこから来たのかもわからねえ怪しい奴を信用したのが間違いだった。街の医者の手が足りねえからって碌に怪しみもしなかった……」
「厳しいことを言うようだが、今さら後悔したところで街の連中が無事に帰ってくるわけじゃないだろ?……後悔している暇があるなら、今やるべきことを考えよう」
「今やるべきこと……。カルメンを問い詰めて、事態の真相を暴く」
ガイターの決意も新たに、彼らはグラード山へと足を踏み入れた。彼らの道の先を照らしていたランタンの光は、森の中ではあまりにも頼りなかった。しかし、それでも彼らは歩みを止めない。彼らが抱いている覚悟が歩みを止めさせなかったからだ。
「……ついた。ここだ」
山の中腹、深い森が少しだけ開けたところに、カルメンの家があった。草木も眠る深夜だというのに、奴の家からは明かりが漏れている。薬の研究で寝食を忘れているのか、それともまた別の理由があるのか。ここまで来た三人は、カルメンが待ち受けているのではないかと考えてしまうほど、不気味に見えた。
「カルメン!いるんだろう?」
ガイターが扉を叩いた。しかし、中から反応は帰ってこない。今度はエクスが扉を叩く。やはり反応は何もない。しびれを切らした彼らは扉を開けようとしたものの、鍵がかかっている。
「……下がって。私が壊すわ」
エクスとガイターが扉から離れた瞬間、扉が炸裂した。フィオナが風の魔法で扉を破壊したのだ。多少立ち上った土煙を払い、三人は家の中へと押し入る。
「人の気配がしないな」
「もしかしたら本当に誰もいないのか?」
カルメンが住んでいるという家はこじんまりとしたものだった。寝室と台所。そして薬品を保管している棚と、診察室らしき小部屋。街の小さな診療所と呼ぶにふさわしい内装であった。
「ここにいないのなら、カルメンはどこにいるんだ?」
「ねえ。他に何か心当たりはないの?」
「……わからねえ。ここで怪我を見てくれる時以外、奴がどこにいるかは知らねえんだ」
「なら、ここで帰りを待ってみるか?」
「……いえ。一つ、思いついた場所があるわ。……洞穴竜の巣よ。カルメンが街のみんなをそこに誘導したんでしょ?なら、奴もそこにいる可能性が高いわ」
「なるほど、あり得ねえ話じゃねえ。……洞穴竜の巣は近くにあるってカルメンが言ってた。行ってみる価値はあるぜ」
フィオナの機転により、三人は山の中腹より少し上にあるという洞穴竜の巣を目指すことになった。暗い森の中を進んでいくと、森の景色に異変が現れ始める。
「……これは、渇いた血か?」
エクスは木に付着していた赤黒い何かの跡を指さした。飛沫が飛び散って着いたような跡は、ここで何かが起きていたということを示している。さらに歩みを進めると、何者かの衣服の切れ端が木の枝に張り付いているのも見つけられた。
「……どうやら当たりみたいだな。この先で何かが起きてる」
「その何かってのは……」
「あまり考えない方がいいかもね」
その後も彼らは、道の途中に転がる何かしらの痕跡を頼りに歩き続けた。獣道にすらなっていない雑草が生え茂った道に転がっているものは、洞穴竜の巣に近づくにつれて物々しくなっていく。衣服の切れ端から、衣服そのもの。誰かの血痕から、切り落とされた腕。……この先で起きていることは、尋常ではないことが嫌というほど理解できる。
「……ここだ。ここが、カルメンが言っていた竜の巣だ」
「素人目線じゃよくわからないが、随分と深そうな洞穴だな。……中で何か起きたとしても、ここからじゃわからないな」
「……行きましょうか」
三人は意を決し、洞穴の中へと足を踏み入れた。その途端、まるで彼らを拒絶するように洞穴の中から冷たい風が吹きつける。彼らは軽く身を震わせたものの、足を止めようとはしなかった。
「ずいぶんと、人の手が入ってるな」
洞穴の壁には火がついていないものの、等間隔でたいまつが埋め込まれていた。他にも地面を削って歩きやすく段差が作られていたり、壁に鎖を埋め込んで手すりのようにしている箇所もあった。
「洞穴竜の噂が流れたからだろうな。中に入る奴が多いから、奥まで行き来しやすいように整備したんだろう。……それにしてはかなり丁寧な仕事ぶりだが」
「……もしかすると、悪意かもしれないわね。洞穴の奥まで来てもらわないと困るから、丁寧に道案内をしてるのかもしれないわ」
「仮にそうだとして。それをわざわざやったのはカルメンだよな。……一体奥で何をしてるんだ?」
「……碌なことじゃないのは確実だろうな」
一行は洞穴の途中で少し足を休めたのち、洞穴の奥へとさらに歩みを進める。彼らが洞穴へと足を踏み入れてからどれほど経っただろうか。周囲の空気が一段と冷えるようになったころ、洞穴の奥から何かの声が聞こえて来た。
「……この音は?」
地面を揺らすように響く低い声。この音を聞いただけで身が震えてしまう。人の物とは思えない声。
「……洞穴竜の声か?」
「洞穴竜の声なんて聴いたことないけど……。確かにそれらしいかも……」
何かの咆哮は洞穴の奥から聞こえてくる。絶え間なく吠え続けていることから、誰かが洞穴竜と戦っているのかもしれない。
「カルメンか?しびれを切らして自分で竜の角を取りに来たんじゃねえだろうな」
「……とにかく。この先に何かがいるのだけは間違いない。気を引き締めて行こう」
それから少しして、一行はついに洞穴の最奥へとたどり着いた。入り口のように開いた横穴の先は闇が広がっており、これより先の空間がどれほど広いか全く想像がつかない。ただ、洞穴竜の物と思しき咆哮は絶え間なくこの横穴から響いている。
「……覚悟はいいな。俺が先に中に入るぞ」
エクスの言葉に二人が頷く。エクスはランタンを正面に掲げながら横穴をくぐった。真っ先にランタンを突き出し、空間を照らす。……そこには広い空間があった。奥には岩肌から染み出したであろう水が集まってできた滝があり、滝つぼにはきれいな水が溜まっている。しかしそれ以上に目を引いたのは、いくつか積まれた木箱と、さらに洞穴の奥へと進むために用意された扉だった。
「誰かがここに住んでるのか?」
「まさかそんなわけないだろ。ここまで来るのでさえそこそこ苦労したんだ。こんなところに居を構える奴なんている訳……」
「だが、これは……」
積まれた木箱の中身は、つややかとした果物だった。こんなものをわざわざ洞穴の奥まで運ぶとは考えづらいが、事実として彼らの目の前に存在している。
「……この先に行くしかないよな」
エクスは古ぼけた木の扉に手をかけた。扉は何の抵抗もなくすんなりと開き、人一人が身をかがめてようやく通れる程度の穴の姿を現した。エクスが先頭に立ち、それにガイターとフィオナが続いていく。彼らが一歩進むごとに、ずっと聞こえていた獣らしい咆哮が近づいていく。
「……何か明るいぞ」
小さな穴をゆっくり進んでいると、掲げているランタンとは別の明かりが差し込んできた。この先に何かがあるのは間違いない。エクスはランタンの明かりを消し、後ろを歩く二人に合図を送る。
「誰かがいるかもしれない。気をつけろよ」
三人が小さな穴から這い出ると、そこもまた広い空間になっていた。だが、普通の洞穴の景色ではない。壁に掛けられたたいまつが照らしていたのは、巨大な檻であった。そして、檻の前に一人、誰かが立っている。ガイターはその人物に見覚えがあったようで、その後ろ姿を見た途端に駆けだした。
「カルメン!」
「……何事かと思えば。お前はグラードにいた剣闘士の一人か。後ろの二人には見覚えがないが、些末なことか」
「お前、ここで何をしてるんだ⁉街の連中に何かしたのもお前なのか⁉」
「……俺から何かをしたわけではない。あいつらから頼んできたのだよ」
「な、何を?」
「剣闘士というのは随分と大変な仕事だそうだな。勝てなければ稼ぎはなし、勝手に勝敗を賭け事にされたあげくに撒ければ罵詈雑言の嵐。生傷は絶えず治療のための出費もかさむ。最悪の場合は四肢のいずれを欠損し、剣闘士としての人生を敗北で終える。……頼れるものがあれば藁でもすがるだろうな」
「何が言いたい⁉」
「……『身体強化薬』。あいつらはそれを作ってほしいと俺に頼んできた。そして俺はそれに応えたのだよ。『洞穴竜の角があればそれは作れる』とな」
カルメンは悪びれもせずに素直に答えた。ガイターは両手を固く握って震わせている。
「なら、あいつらのあの変貌具合は何だ⁉どう見てもまともじゃなかったぞ!アレが身体強化の果てだとでも⁉」
「……そうか。姿を消していたと思ったら街に帰っていたのか。理性が掻き消えた結果、帰省本能でも働いたか。……あれは失敗作だ。俺としても身体強化薬の製作は未知の領域。古くから残された資料しか手掛かりがない。失敗するのも仕方のないことだと思わないか。それに、誰一人として洞穴竜の角を持ってくることはなかった。比較的多く生息している飛竜の角で代用しようとしたのも失敗した原因だろうが、これも仕方のないことだ」
「人の命がかかっているんだぞ⁉仕方のないことで済むか!」
「……実験に失敗はつきものだ。それに、奴らは失敗する可能性を知ったうえで薬を飲んだぞ。すべて合意の上だった。……まだ何か文句があるか?」
「な、何?すべてを知ったうえで、薬を?自我を失うかもしれないと知ってなお?」
「ああ。俺は薬を渡すときにすべてを話した。俺としても未知の領域だと、失敗する可能性の方が高いと。……失敗した場合、死ぬことになるかもしれないと。奴らはそれでも飲んだ。これでもなお、俺を責めるのか?」
ガイターは喉を詰まらせた。間違いなく、目の前にいる男は彼の友人を死に追いやった張本人ではある。だが、彼が直接手を下したわけでもなければ、友人たちが騙されていたという訳でもない。すべてが合意の上で行われていた実験が「ただ失敗しただけ」だったのだ。言葉を失ったガイターに代わり、エクスが一歩前に出る。
「……話を変えよう。その檻は何だ?さっきから聞こえてくる獣のような声はそこから聞こえてきているように思えるが」
「こいつは、数ある実験体の中でもっともすぐれた個体だ。多少自我を失ったものの、全身の筋組織が肥大化し、人とは思えぬ力を手に入れた。こいつは飛竜の角ではなく、それよりは珍しい湖竜の角を持ってきた。そこが違いを生み出す原因だったのだろう。今は麻酔で無理やり脱力させているが、唸り声だけは抑えることが出来ん」
「お前、人の命を何だと……」
「言葉が伝わらんな。何度も言ったはずだ、すべては合意の上であったと。俺は命を弄んでいるわけではないのだ。頼み込んできた奴らが、自らの命を軽視していただけにすぎん。何故俺が責められる。何だ、失敗は悪だとでもいうつもりか?……傲慢だな」
「過程はどうあれ、お前は数多の人々の命を奪ったことに変わりはない。その責から逃れるつもりか?」
「しつこいぞ!」
エクスからの追及に、ついにカルメンが声を荒らげた。両の拳を固く握りしめ、息も荒くなっている。
「実験に失敗はつきものだと、何度言えばわかる⁉」
「だからと言って失敗の責任から逃れていいとはならない!お前は実験が失敗した責任を負う必要がある!……逃げるなよ」
エクスは剣を抜いた。殺す気はないが、捕らえて衛兵に引き渡すつもりではあった。
「おとなしくしろ。お前は裁きを受けるんだ」
「断る!俺が何をした⁉ただ薬を作って飲ませただけだろうが⁉それが何の罪になる⁉……調子に乗るなよ偽善者気取りが。忘れたか?ここには、人の道を外れてまで力を求めた戦士がいるんだ。……そう簡単に捕まってたまるか!」
カルメンはそう叫ぶと、洞穴の奥にあった檻の扉を開け放ち、檻の中へと飛び込んだ。
「……唸り声の主が出てくるか」
カルメンが檻の奥へと消えてからわずかの後、地面を揺るがす咆哮と共に檻自体が破壊された。舞い上がる土煙の中から、人の三倍ほどある体躯の化け物が姿を現した。かろうじて人の形を保ってはいるが、人間だったころの面影はどこにもない。仮面を貼り付けたような無機質な顔がたいまつの明かりに照らされていた。おそらく利き腕であろう右腕はまるで丸太のように肥大化しており、あんなもので殴りつけられればひとたまりもないと一瞬で想像がついた。左腕や両足は右腕ほどとはいかないが肥大化しており、生半可な切り傷では痛みを与えることすら難しく思える。まさに筋肉の塊。暴力の化身と称するにふさわしい姿をしていた。
「勝利を!」
化け物がエクスの姿をとらえ、駆け出した。彼の頭の中では、これも闘技場での一幕だということにでもなっているのだろうか。かろうじて聞き取れた言葉はガイターにとっては聞きなじみのある言葉、剣闘士が試合開始時に行う宣言であった。
「来るか⁉」
エクスは剣を構え突進してくる化け物を正面から見据える。しかし、化け物の拳がエクスに届くことはなかった。彼はバランスを崩して転んだのだ。あまりにも大きくなった右腕が体の重心をずらしていた。その上、麻酔明けでまともな思考能力を失った状態の彼では、バランスを取りながら走ることは難しかったのだ。エクスはその隙を逃さなかった。
「悪く思うなよ!」
転んで倒れ伏す化け物の首を目掛け、剣の切っ先を突き立てるエクス。首回りも当然肥大化しているが、鎧などで守られているわけではない。全力で突き刺せば刃は通るはず。だが。
「ガアア!」
化け物が両手で地面をたたきながら飛び上がるように立ち上がった。エクスはその時に生まれた衝撃波に突き飛ばされてしまう。
「……クソッ。間に合わなかった!」
化け物はさらに高らかに咆哮し、ガイターとフィオナにも狙いを定める。右腕で一度地面を殴り、大穴を作り出していた。「これからお前たちもこうなる」とでも言いたいのだろうか。
「不味いわね。このままじゃ……」
化け物が地面を殴った影響だろうか、天井からぱらぱらと小石が降ってくる。
「こいつに潰される前に、落石でぺちゃんこになっちゃうかも知れないわ」
「どうする、一度洞穴から出るか?」
「……いや、ここで片づける。麻酔明けの奴がふらついている今だけが好機だ。奴が外に出たあとに完全に覚醒すれば、俺たちじゃ手に負えなくなるどころの話じゃないだろう」
ただの拳の一撃で岩に大穴を開けられる怪力があれば、深い洞穴の奥底からでも地上に出るのはたやすいだろう。その後、荒れ狂う暴力の化身がどこに行き何を成すのか、想像には難くない。これ以上罪のない人々の犠牲を増やさぬために、三人はそれぞれの武器を向かってくる化け物へと向けた。
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