第一話
新シリーズです。よろしくお願いいたします。
誤字脱字等、ご容赦ください。
「……よし、朝はひとまずこれまでだ。随分と腕がよくなってきたな、エクス」
「ありがとう、父さん」
惑星ガレオンの中にある、大陸アステル。さらにその中、海際の小さな王国ミシェス。さらにその中にある町、エリーテ。エクスはその町で生まれた青年だった。父であるゴルトは町の警備隊に属しており、彼は日ごろ父から身を守るための訓練を受けている。
「……もう、まだ朝だっていうのに、そんなに汗をかいて。朝ご飯の用意はできてるから、先に汗を流してらっしゃい」
家の庭で訓練している二人に、声をかける者がいる。エクスの母であり、ゴルトの妻であるアリアだ。彼女は汗だくになっている二人を、呆れながらもほほえましく見つめていた。二人はすぐさま鍛練用の木剣を片付け、家の裏にある井戸へと向かった。
「いや、すまない。つい熱が入ってしまってな」
「……もう、そんな時期ですものね」
父の言葉に対し、母は言葉を濁らせる。……惑星ガレオンには、魔王という存在がいる。その名を、グラッジ。ミシェスよりはるか北、「大雪原」に突如として現れ、すでに惑星の三割が魔王の支配下となっている。その上、魔王はさらなる支配域の拡大を目論んでおり、忠実なしもべである「魔物」を世界にあふれさせた。
「……魔王が現れて、今年で十年。海を越えた先にあるアーロッドはすでに攻め落とされたとも聞く。もはや一刻の猶予もない」
「でも、私まだ納得してないわ。エクスまで行かなきゃいけないだなんて……」
そこで、世界各国での緊急会議が行われた。その結果、それぞれの国から勇猛な若者を戦士として送り出し、魔王を討伐してもらおうということになった。もともと戦いを生業としていた者たちは、自分の住む場所を守りきるので精一杯だった。その証拠に、ゴルドの身体にはいたるところに魔物からつけられた傷が残っている。彼はそれを「名誉の負傷」だと言ってはばからなかったが、彼は自分が傷を増やすたび、アリアが涙を流していることを知らない。
「……母さん。俺、絶対帰ってくるからさ。それも、父さんよりも怪我をしないで。だから、そんな顔をするのはやめてほしい」
「……無理よ。自分の息子が命の危機にさらされるっていうのに、黙って待っているだけだなんて」
もともとエクスは父の影響を受け、勇敢な性格をしていた。警備隊に交じり、魔物を切り伏せたことも一度や二度ではない。……それを、ミシェス国王が見逃すはずもなかった。
――――――
「忠勇なる武を誇るゴルトの息子、エクスよ。お前に、魔王討伐を命ずる。……父にも劣らぬと見えるそなたの武勇で、世界を救ってほしい」
「……拝命いたしました。必ずや、このエクスが両親の名に懸けて、魔王を討伐してみせましょう」
――――――
断ることなど、できるはずもなかった。断れば王国に対する忠誠、ひいては世界の平和に対してつばを吐きかけたことと変わらない。……魔王のしもべだと罵られても不思議ではないのだ。エクスは自分の両親がそのような目に合うことなど耐えられなかった。……だから彼は、旅立つことを選んだ。
「……母さんの心配はもっともだよ。だけど、いずれ王様からの命令で旅立つ時は来るんだ。それが早まっただけなんだよ」
「でも……」
「母さんは、俺を信じてくれないの?」
「そういう訳じゃないの。……魔物と戦うなんて、何が起きるかわからないのよ。噂じゃ、人の言葉を使う奴もいるって聞くのよ。もしエクスが騙されたりしたらと思うと……。エクス、父さんに似てお人よしだから」
エクスの旅立ちは今週末に決まっていた。一刻も早い魔王討伐が求められた結果だ。……そのせいで、母親であるアリアの心の整理に要する時間が足りていない。そのため、家族が三人そろえば、彼女はすぐにエクスの旅立ちに対する不安を零した。
「……母さん。エクスなら大丈夫さ。何といっても、俺と君の子供だからね。きっと無事に帰ってくる」
「……そうね。親である私たちが信じないと、駄目よね」
ゴルトの言葉でようやく落ち着いたアリアは、食べ終わった皿を重ねて流し台へと持っていく。口では納得したように見えたが、その背中は今すぐにでも砕けそうなほど脆く見えた。エクスはそれを見て見ぬふりをして、椅子から立ち上がる。
「それじゃ、俺は仕事に行ってくるよ」
両親からの「いってらっしゃい」の声を受け、エクスは使い慣れた剣を片手に家を出た。
彼の仕事は魔物の討伐である。とはいっても、町には警備隊もいる。大抵の魔物は彼らが倒してしまうため、町内やその近辺では仕事にありつけない。……そのため彼は、町から少し離れた街道などで狩りを行っている。魔物がはびこっているからと言って、行商人たちが仕事をしなくてよくなるわけではない。町に品物を届けてくれる行商人の安全を確保するためにも、彼はこの街道の安全を守っていた。
「……今日は何もいないか」
何もいなければ、危険を冒して戦う必要もない。だが、魔物の肉や皮、角などは食料や衣服の材料になる。エクスは普段それらを店に売ることで金銭を得ているのだ。……魔物がいなければ稼ぎもないという、少々厄介な仕事を生業にしていた。
「……れか、て、れ……」
「ん?なんだ?」
街道を歩いていると、どこからともなく人の声のようなものが聞こえてくる。声の方向は、街道の近くにある森の方からだった。エクスはその場から走り出し、急いで声の方へと向かう。
「誰か、助けてくれ!」
そこにいたのは行商人だった。二頭の馬を連れ、それらに荷物を積んだ馬車を引かせていたようだ。そして、その荷物は今、狼のような見た目の魔物に漁られている。
「魔狼の幼体か。……腹を空かせて、馬車を襲ったな」
エクスは茂みから様子を窺っていた。……どうやら行商人が襲われているわけではないようだ。馬車が襲われ、横転した際に投げ出され怪我をしてしまったのだろう。馬たちは魔狼に怯え、その場から動かずにいた。
「……幼体ぐらいなら、俺でもどうにかできるはずだ。……せええやっ!」
エクスは茂みから飛び出し、魔狼の横側から切りかかる。彼の声に反応した魔狼たちはとっさに振り向くが、振り下ろされた剣を避ける時間は残っていなかった。魔物は叫び声をあげる間もなく、身体を両断され、地面に躯を転がした。
「さあ来い!俺が相手だ!」
エクスは剣を振るって血を払い、彼を睨みつける狼たちに切っ先を向ける。狼は残り三体。奴らはじりじりと距離を詰めながら横に広がり、エクスの視界の外へと向かおうとする。彼は一歩ずつゆっくりと下がり、狼を視界から逃さないよう気を払う。視界から外せば、飛び掛かってくる。
「ん?」
その時、エクスの左足に何かが触れた。……倒された馬車の破片だった。エクスはそれに気を取られ、一瞬だけ警戒を解いてしまう。狼たちはその瞬間を逃さなかった。二体が両脇から一斉にとびかかる。
「このっ!」
エクスは握っていた剣を水平に振りぬき、右側からとびかかってきた狼を口から真っ二つに切り裂いた。だが、もう一体がエクスの左腕にかみつく。
「グッ!……離せ!」
剣の柄頭で狼の頭部をやたらに殴りつける。それが運よく狼の目に当たり、情けない声をあげて左腕から離れた。だが、狼の攻撃はまだ終わらない。残りの一体が正面からとびかかってきたのだ。仲間の奮闘でエクスの体力が奪われている今が好機だと、野生の勘で悟ったのだろう。だが、エクスはこの程度でやられるような男ではない。
「お前は、後だ!……やってくれたな!」
とびかかってきた狼に渾身の蹴りを放った。それは奴の腹に直撃し、威嚇していた時からは考えられないような情けない声をあげて地面を転がる。エクスはその隙に、片眼をつぶされ呻いていた狼目掛けて剣を振り下ろした。……残りは一体。だが、その一体は仲間がすべてやられたせいか、それともエクスの蹴りで負けを悟ったのか、飛び掛かっては来ずに森の奥へと逃げて行った。
「……どうにか、なったな……。はあ……」
エクスは地面に剣を突き立て、それを支えに片膝をつき大きく息を吐く。負傷は噛まれた左腕のみ。それほど出血はひどくないが、一気に緊張感から解放されたせいで、立てなくなるほど脱力してしまったのだ。
「……だ、大丈夫ですか?」
「はい、少し怪我しただけで。……あなたこそ、怪我の方は?」
「いえ、戦ってくれたあなたに比べればこんなもの……。どうも、助けていただきありがとうございます」
エクスの背後から魔狼に襲われていた行商人が声をかけて来た。彼は右腕をおさえ脂汗を流しながらも、何とか営業用の笑顔を作ろうと口角をひくつかせている。エクスは残った力を何とか振り絞って立ち上がると、地面に突き刺していた剣を引き抜いて鞘にしまった。
「荷物は、どうしましょう」
「……諦めます。命さえ助かれば十分です。……それに、馬たちも生き残ってくれましたし」
行商人は怪我をしていない方の腕で馬の首あたりをなでる。先ほどまでおびえ切って微塵も動こうとしなかった馬たちは、心配そうに飼い主である行商人に体を摺り寄せていた。
「ひとまず、町に行きましょう。近くにエリーテという町があります」
「……わかりました」
「エクス!どうしたんだ、その怪我は⁉それに、その人は一体?」
町に戻ったエクスは、見張りに立っていた町の警備隊の一人に声をかけられた。ともに仕事をこなしたこともあるため、顔見知りである。
「この人は行商の人なんだ。近くの森で魔狼の幼体に襲われていた所を、何とか」
「そうか。……ひとまず、診療所に。エクス、お前もだ。……その左腕、痛むんだろう?」
「わかってるよ。……それじゃ、行きましょうか」
エクスが行商人を命懸けで助けたという話は、瞬く間に町中に広まった。もともと、それほど大きくもない町だ。当然である。……診療所で手当てを受けたエクスのもとに、両親が飛んでくるのも時間の問題だった。
「エクス!」
「エクス、大丈夫か⁉」
「母さん、父さん……。俺は大丈夫だよ」
エクスの言葉も聞かず、アリアはエクスの身体を抱き寄せる。そして包帯が巻かれた左腕を悲しそうに、そして優しくなでるのだった。
「……良かった、そこまでひどい怪我じゃなかったのね」
「だから言ったじゃないか。俺たちの息子はそれほど柔じゃないって。母さんはもう少しエクスを信じてやると良い」
アリアはゴルトからの言葉に「そうね、もう少し、考え直してみるわ」と返す。その反応から、彼女が考えを改めることはそれほど期待できないと察したゴルトは、エクスの頭に手を伸ばした。そして。
「よくやったな、エクス」
そう言って彼の頭を撫でた。エクスはただ「うん」とだけ零し、黙ってそれを受け入れていた。
「エクス君のおかげで何とかなりましたけど、魔狼ですよ。……この時期に、街道まで出てくるはずないんですが」
診療所の外では、エクスから情報を聞いた警備隊の者達が輪を作って話し合っていた。その中には、エクスの父であるゴルトの姿もある。
「エクスの話では、魔狼たちは行商人の積荷を漁っていたらしい。……ちょうど、干し肉とチーズを積んでいたそうだ」
「魔狼たちは腹をすかせた結果、馬車を襲ったと。……今は馬の月だ。さっきも言われた通り、この時期に森から出てくるなどあり得ん」
太陽が熱く大地を照らす馬の月。森は草木が生い茂り、野生の草食動物がよく増える。魔狼たちはそれを食料として狩るため、森の外に出てくることなどありえないと言っても差支えない。だというのに。
「四体も。それに、親の姿はなかったようで」
「……森で何かが起きているとみるべきだな。どこぞの大きな魔物が近くの森に移り住んだか」
「それで、魔狼たちは縄張り争いに負けた、と」
警備隊の面々は唸り声をあげる。ゴルトの話が真実であるかどうかはまだわからないが、その可能性がある以上調べなくてはならない。……そしてそれは、命にも関わるほどの危険な行為でもある。だからこそ彼らは唸り声をあげているのだ。
「お前たち。それでも町を守る警備隊か」
「うっ……」
「実際の被害として、町に品物を運びに来てくれた行商人が襲われている。それを見過ごすようでは、何のために剣を取ったのやらだ」
「……わかりました。ただ、今日はやめておきましょう。エクス君の話では、一体逃げて行ったそうじゃないですか。もし森の中に親がいるのなら、相当気が立っているはずです。いるかもしれない大きな魔物に加えて、成体の魔狼も相手にするのはさすがに……」
「……いいだろう。相手がわからない以上、それなりの用意が必要というものだ」
こうして、診療所前で行われた緊急会議は幕を閉じた。いくら渋ろうとも、彼らも町を守るための戦士であることに違いはない。皆覚悟を決め、準備のために帰路に着く。そんな彼らの唯一の誤算と言えば、彼らの話をエクスが効いてしまっていたことぐらいだろう。
翌日。町の中は朝から物々しい雰囲気に包まれていた。警備隊の中でも選りすぐりの者達が集まり、武器を手に取っている。その表情は真剣そのもので、見送る立場の者達も手に汗を握っていた。
「あなた、気を付けてね」
「もちろん。怪我しないように頑張るよ」
「……ごめん父さん、俺がもっとうまくやってれば」
「そんなことを言うな、エクス。お前は勇気を振り絞って人の命を助けたんだ。誇ることはあれど、悔やむことなど一つもない」
見送りに来た妻と息子と言葉を交わし、ゴルトとその他大勢の警備隊は町を出て行った。皆、警備隊の様子が気になるものの、自分の仕事もある。見送りに集まった者は自然と散らばっていった。
「私たちも帰りましょうか。エクスは安静にしていなきゃ」
「これぐらいの傷なら大したことないんだけどな……」
「駄目よ。ちゃんと治ってないのに動かしたりしたら、傷口が広がるかもしれないわ」
「……わかったよ」
エクスは町の出入り口に名残惜しそうに視線を向けたが、母親の監視の前では不用意なことなどできなかった。諦めて母親の言うとおりに家まで戻った。……一方、町の外では。
「街道は静かですな。魔物の気配は感じられない」
「……『サーチ』にも引っ掛かりません。周りに魔物はいないでしょう」
警備隊の一人は木の杖を空に掲げながらそう言った。杖の先端からは光の筋が空に向かって放たれ、町一つを包み込むほど大きい傘となり、彼らを包んでいる。彼が使っているのは周りの様子を探る魔法、「サーチ」である。精度は使用者の魔力によるが、彼は警備隊の中でも一、二を争う魔導士である。
「……やはり、エクスの言うとおり森の方だな」
警備隊の隊長であるゴルトは、息子の言葉を信じて森へと歩みを進める。街道から少し外れた森の入り口には昨日魔狼に襲われて壊れた馬車の破片がまだ転がっている。
「荷物は漁られていないな。エクスに邪魔されて懲りたのか」
「……隊長。います」
杖を掲げていた隊員がそう口にした。彼の目は森の入り口の奥、日も差し込まない暗闇を見つめていた。ゴルトも続いて入り口を覗くと、暗闇の中で何かが光った。それは警備隊を見て、森の中へと消えて行った。
「……あの目は、魔狼だ。まさかまた森から出ようとしていたのか……?もしそうなら、あまり猶予はないぞ」
「突入しますか?」
「うむ。全員、最大限の警戒を。……『サーチ』は切らさないようにな」
「了解」
警備隊の面々は改めて武器を握り直し、森の中へと足を踏み入れた。……彼らが森へと消えて行った後、ある人物がその後を追うように森へと入っていった。
「気配はどうだ?」
「感じます。……おそらく、様子を窺っているのかと。二時の方向に一体、八時の方にも一体。二時の方は魔狼の幼体のようです」
「……ここで一度片付けておくか」
警備隊が森の中を進んでからどれほど経ったか。警備隊は暗い森の中で足を止めた。「サーチ」を行っている者以外の全員が武器を構え、術者を守るように円陣を組む。陰に潜む魔物は、彼らの敵意を感じ取ったのか、唸り声をあげて威嚇し始めた。
「……来るぞ」
ゴルトが見ていた方角から、人一人程度なら丸呑みできるほど大きい狼が出て来た。これが魔狼の成体である。奴は大きな口を限界まで開き、一口でゴルトを飲み込もうとしている。だが。
「この程度、恐れはしない!」
ゴルトが突き出した槍が、狼の上あごを貫いた。奴は痛みに暴れるが、警備隊の者達が足や胴体を槍で突き、無理やり取り押さえる。母親の惨劇を前に、幼体の魔狼も飛び出すが、体格は親に劣る。あっさりと取り押さえられ、躯と化した。
「……手ごたえがなさすぎるな。それにこの傷、今俺たちがつけたものではない……。やはり、魔狼よりも強い何かがいる」
魔狼の母親の躯には、ゴルト達がつけたものではない大きな傷がついていた。脇腹を切り裂かれるようにつけられた傷は、大きな爪を持つ者の仕業のように見える。だが、彼が知っている限りでは、この森にそんな大きな爪を持つ者はいないはずである。
「……全員、警戒は緩めるなよ。奥にまずいのがいるぞ」
ゴルトがそうつぶやいて、森の奥の暗闇を睨みつけた時。鼓膜が破れてしまうほどの咆哮が響いた。咆哮は風圧すら生み出し、木の葉や草木を揺らす。警備隊全員が武器を構え、ゴルトが見ている方向に向いた。森の中にわずかな揺れが走る。それは次第に強く、そして揺れる感覚も狭まっていく。
「……来る!」
その瞬間、いくつかの木が薙ぎ倒された。薙ぎ倒したのは、長い腕。その先は手ではなく、三本のかぎ爪のみ。そして、その腕の持ち主が光の差し込む場に出てくる。大きな足、長い腕、一頭身の丸い体の半分以上は口、残りは大きな鼻になっていた。眼はゴマ粒ほどの大きさで、おそらく何も見えてはいない。そして全身に黒い体毛が生えている。咆哮をあげる度に見える口の中は、鋭い歯が何百本も生え揃っており、血で赤くつややかに染まっていた。
「なんだ、こいつは……」
「こんな化け物、見たことないぞ……」
武器を持つ手が震える。いともたやすく木を薙ぎ倒したあの腕が自分たち目掛けて振るわれたら。そう想像するだけで、手どころ体も震えてしまう。
「こいつが、森に流れ込んできた魔物ってところか。……見た限り、随分と大食いそうだな。魔狼たちが外に出てまで餌を探していたのも頷ける」
だが、ゴルトは怯まなかった。目の前にいる化け物を冷静に分析し、短く息を吐いて武器を構えなおしている。
「まさか、戦うつもりなんですか⁉」
「当たり前だ。こんな奴、放っておけるわけがない。もし森から出て町に向かってくるようなことがあってみろ。あの腕に一撃で外壁を破壊されるぞ!」
ゴルトの声を聞いた化け物はまたもや咆哮をあげた。そして、右腕を鞭のようにしならせて振るう。三本の鋭いかぎ爪はゴルトではなく、その背後にいた弱気な警備隊員を狙っていた。
「うわっ!」
警備隊員の断末魔の後に響いたのは、肉が裂ける音でも血が噴き出す音でもなかった。鉄がぶつかるような音。ゴルトが振り返ると、そこには。
「エクス!お前、なんでここに⁉」
「ごめん父さん。俺、どうしても我慢できなくて、母さんには何も言わないでついてきたんだ」
両手で剣を握りしめ、化け物の爪攻撃を受け止めるエクスがいた。弱気な警備隊員は驚きのあまり腰を抜かしたようで、草の上に尻もちをついている。
「……説教は後だ。まずはこいつをどうにかするぞ!」
「もちろん!……ふん!」
エクスは両腕に力を籠め、受け止めていた化け物の腕を押しのける。思わぬ反撃に驚いた化け物は動きを止めた。ゴルトはその隙を逃さず、化け物の右腕に槍を突き立てる。
「喰らえ!……固え!骨か⁉」
槍の穂先は化け物の腕に刺さったが、それはわずかであった。だが、それは化け物にとっては痛烈な一撃となった。今まで以上に大きい咆哮をあげ、右腕を振るって刺さった槍を振り落とす。ゴマ粒ほどの大きさしかない目はそれほど変化していないが、鼻息は非常に荒くなり鼻の孔も興奮で大きく膨らんでいる。化け物はゴルトとエクスの二人を狙って、それぞれの腕を鞭のようにしならせて振り下ろす。二人はそれぞれ別の方向に地面を転がって腕の攻撃を避けた。
「この、化け物め!」
「いい加減、おとなしくしろ!」
ゴルトは槍を突き立て、エクスは剣を腕に突き刺して地面に縫い付ける。化け物は痛みに耐えかねて叫ぶが、二人は決して手を緩めない。さらに、警備隊の仲間たちもエクスたちに加わり、化け物の身体にも槍を突き刺していく。四方八方から槍を突き刺しつ告げられた化け物は、全身から血を垂れ流した。だが、まだ弱った気配すら見せない。一度大きく跳躍し、腕を押さえつけていた者達を力尽くで振り払う。そして血だらけになった両腕をまっすぐに伸ばし、その場で回り始める回転攻撃を放った。固い腕と鋭い爪。そのどちらかに警備隊やエクスは弾き飛ばされ、化け物を拘束から解放してしまう。
「まだやる気か⁉」
だが、化け物はもう向かってはこなかった。エクスを一度睨みつけたかと思うと、背を向けて森の奥へと逃げて行った。エクスは後を追おうとしたが、父親に止められてしまう。
「これ以上は駄目だ。……母さんには何も言ってないんだろう?これ以上遅くなると、母さんの怒りも収まらないだろう」
「……わかったよ、父さん」
エクスは剣を鞘に納め、森の入り口へと道を戻っていった。ゴルトは地面に倒れていた警備隊の隊員を起こし、落としていた自分の槍を拾い上げる。
「まさか、追いかけるんですか?」
ゴルトの神妙な表情に、化け物の後を追うつもりなのかと慄く隊員たち。だが、ゴルトはその言葉に対して首を横に振った。
「手負いの獣を追うのは禁物というものだ。それに、もう戦えるほど体力も残っていないだろう?」
「……確かに。まだ手が痺れてます」
「そうだろう。……帰るぞ。とどめを刺せなかったのは残念だが、あれほどの怪我を負えば奴もここから出て行くだろうしな」
ゴルトに急かされ、警備隊員は入り口への道を戻る。彼は遅れる者がないように最後尾に立った。……森を出る直前、彼は振り返る。もう、森はいつものように静かだった。
「エクス!一体どういうつもりなの⁉」
ゴルト達が町に戻ると、彼らを真っ先に迎えたのは無事に戻ってきた彼らをねぎらう声ではなかった。エクスを叱る母親の声だった。
「……その、自分が逃がした魔狼がどうしても気になって……」
「警備隊の人達に任せるって言ったじゃない⁉まだ怪我も治ってないのに……。どうしてそんな、無茶ばかりするの?」
「まあまあ、アリアさん。エクス君は俺たちの危ないところを助けてくれたんですよ。そんな叱らないであげてください」
「あなたたちもあなたたちよ!エクスはまだ未成年なのよ⁉なんで成年してるあんたたちが自分より年下に守られてるの⁉警備隊としての自覚は⁉」
心配性が高じて、仲裁に入った警備隊員すら叱りだすアリア。他の隊員がゴルトに「止めなくていいんですか」と聞いたが、彼は「巻き込まれるのは御免だ」と肩をすくめた。……それから五分後。
「……あなたが旅に出たあと、無茶をしても私が止めることはできないの。……だから目の届く今だけは、無茶しないって約束して」
「わかったよ。後少ししかないけど、その間は絶対に無茶しないよ」
エクスとアリアの約束で、何とかこの場は収まりを見せた。巻き込まれるのを恐れていたゴルトは大きくため息をつき「やっと終わったか」とつぶやく。だが。
「……あなた。話があります」
「ん?」
「なんで、エクスをすぐに帰さなかったのか。ちゃんと、私が納得する、説明をしてもらいますからね」
この日、ゴルトは人生で最も遅い時間に床に就くことになった。
一週間後。エクス旅立ちの日。町の出入り口には大勢が集まっていた。その集まりの中心にいるのはエクスである。
「……生きて帰ってきてね」
アリアはそれ以上何も言わなかった。これ以上口を開けば、「行ってほしくない」と零してしまう。そんな水を差すような行為を、できるはずもなかった。エクスは母親からの言葉に力強く頷く。
「エクス。……頑張って来いよ。帰ってくるの、待ってるからな」
ゴルトもまた、それほど多くはしゃべらなかった。昨晩寝る前に言いたいことを考えていたはずなのに、旅立ちの装いをしたエクスを前にして、それらをすべて忘れてしまったのだ。唯一口をついて出た言葉が、それだった。
「……父さん、母さん。俺、絶対帰ってくるよ」
昨晩切った黒く短い髪は見る人のほとんどに爽やかな印象を与えることだろう。普段からきている麻の服の上には、エクスの両親が用意した防具がつけられていた。胸当て、腰当て、小手に脛当て。そのいずれもが軽く固い素材で、エクスの動きを邪魔しない。「けがをしないでほしい」という思いが込められた、エクスだけの鎧だ。そして彼の武器である剣は、背中に背負った鞘にしまわれている。
「……行ってきます!」
エクスは羽織った外套をはためかせ、町民に背中を向けて町を出て行った。彼は一度も振り返らない。自分の背中を見て泣き崩れる母親など、見たくないからだろう。
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