第一話
中学時代、天才と謳われた友野絆侍。そして、その幼馴染である萩野直史。
二人は切磋琢磨する良き相棒でありながら、昏い感情を抱いていた。
中学卒業と同時に剣道を辞めてしまった絆侍。道を違った高校一年生の春。
それから二年の歳月が過ぎ、受験生の絆侍は茹だるような暑さの中、
受験勉強に明け暮れていた。
インターハイ優勝。
それを聞いて素直に喜べるほど、俺は出来た人間じゃなかった。
優勝したのは、幼馴染の萩野直史。
かつて俺の隣で剣を振っていた男だ。
もしあの日、剣道を辞めていなかったら。
今も俺は、あの白熱灯の下に立たされていたのだろうか。
――そう考えると、少しだけ息が詰まった。
蝉の声がじんじんと鳴り響く。俺の家は無駄にデカい日本家屋で、誰に見せるわけでもないのに広い日本庭園がある。年に数回、庭師が松の大木を剪定し、月に数回枯山水の落ち葉を取り除いたりしている。
太陽光で陽炎が浮かぶ石の川など見ているだけで暑い。詫び寂びも情緒もへったくれもない。全て滝のような汗に流されてオシマイだ。
そんな川で水を汲めるはずもなく、俺は庭の隅にある灼熱の蛇口を捻りながら桶に水を溜め、足を浸して軒下で寝転んでいた。視界に広がる青空には入道雲が浮かんでいる。何故そんな中途半端な大きさなのか。どうせ空を覆いつくせるポテンシャルがあるのなら、太陽ごと隠してくれ。大きさだけなら、俺の家と庭で十分だ。
文机に置いたラジオの声が、扇風機の生ぬるい風に乗って運ばれてくる。
「本日の〇〇市の最高気温は観測史上過去最高の──」
その言葉だけで耳が焼けてしまう。
砂漠で息絶えた遭難者のような俺を励ますように、いつ購入したかわからない扇風機が首を振っている。サイコロのように大きなボタンを押すと、ガコンと乱暴な音が鳴った。
急な突風に見舞われて、参考書が捲り上がり、ペンは畳の上を転がっていく。
歩く距離が増えた。愚か者だ。
突然だが、俺は将来の夢を堂々と宣言できる人間は羨ましいと思う。夢を実現できる力でも親の財力でもない。声高らかに宣言しても否定されない環境だ。
俺は自分でいうのもアレだが、成績優秀な超絶優等生だ。小学生の頃から通知表はずっとオール5。剣道では全中優勝まで成し遂げた。
親の望みは剣道を続けることだった。中学を最後に剣道部を辞めて、軽音部に入った時、親は泣いていた。幼馴染には怒鳴られた。
親は反抗期に突入した俺に望みをかけることもなくなった。何でもできたせいで、何にも執着ができなかった。
高校最後の夏。志望校欄には、とりあえず偏差値の高い大学を書いた。
俺は数えきれないほどの分岐点に立つ迷子になっていた。
桶の水はあっという間にぬるま湯になっていた。そろそろ風呂の温度を超える。
肌に張り付くような汗と、部屋の蒸し暑さで稽古の日々を思い起こさせた。
ファッキンホット夏。
こんなことで体力を消耗している場合ではない。
世の中の馬鹿どもが遊んでいる間に、差をつけてやる。
気持ちを切り替えて勉強を再開した俺を妨げようと、一人の足音が迫っていた。長年この家に住んでいれば、渡り廊下の軋み具合で歩き方の癖がわかる。全くもって望んでいない来訪者に、内心うんざりしながら顔を上げた。
「絆侍、ちょっといいか」
その確認は何のためなのか。俺の意思など関係なしにずかずかと部屋に入りこんできたのは、四つ歳の離れた兄だった。
両親の期待に応え続け、何でもそつなくこなす。俺にとって目の上のタンコブそのもの。俺の反抗的な態度を気にも留めない。それどころか扇風機の前に腰を下ろして、風を独占し始めた。流石に腹が立ったので、元に戻した。
「今日の試合結果、もう聞いたか?」
「……何が」
わかっていても言葉にしたくないものがある。
俺の家は剣道場だ。夏、大会、と言えば一つしかない。
誰の結果かなんて、聞くまでもない。
「別に興味ないし。俺と関係ある?ソレ」
「……」
兄貴は苦虫を噛み潰したような顔をした。そんな顔を俺に向けるなら、話題を振らないでほしい。最初から俺が嫌がるとわかっていたはずだ。
「直史の、決勝だったんだぞ」
直史。
俺のことを憎んでいる、かつての相棒。




