1.
オルディアの神が祀られしその大聖堂には神聖さと荘厳さを兼ね備える装飾が為されている。日々を生きる事に迷い、惑い、怖れ、怯え、そんな人々の目にもこの大聖堂は常に光り輝くだろう。
「オルディア様よ、我らが道を示し給え!」
「「「オルディア様よ、我らが道を示し給え」」」
大聖堂の前には列を為し人々が祈りを捧げていた。いつだってその門戸は開かれているのだが、だからこそ多くの人がこの場所を訪れ全ての人が中へ入る事など出来はしない。誰もが内に秘めた悩みを聞き届けて欲しいとこの場を訪れるのだが、どうやら牧師に会う事すら難しいようだ。
尤もここに来ている人々はその事など承知の上でここに訪れているのだが。
そんなことは分かっていたのだが、それでも思わずにはいられない。
「彼らがここへ来る意味はあるのだろうか」
自らの望みを叶える事など出来るわけでは無い、それなのにこんな場所に集まってどうなるというのか。
「見ろ、聖騎士様だ」
男はオルディア教が有する異常へ相対する為の戦力だ。オルディア教の紋章が付いた鎧で全身を固め、その姿はかの宗教が持つ力を周囲に示す旗印でもある。それにも関わらず彼には信仰の何たるかは理解できていないのか、共に祈る事など無くただ悠然と列を為す人々の横を通り抜ける。
「聖騎士様、どうか我らに平穏をお授けください」
人々が自分を信仰の対象のように祈る姿を見つめるが、かの聖騎士は立ち止まることなく教会の中へ向かう。つまり彼には、人々の痛みが理解できなかった。
大聖堂内部は今日も輝きを放っている。陽光が色とりどりのガラスに色付けられその場をまるで別世界のように、悩み無き楽園世界のように見せかける。普段から出入りする牧師や聖騎士はそれがまやかしに過ぎないと理解はしていた。しかしこのような光景を見た信徒はほんの僅かな時間、俗世の憂を忘れその心を祈りの世界へと誘われるのだ。
聖騎士はそのような場を淡々と進みある一室の戸を僅かに開け中を覗く。そこには多くの信徒が思い思いに手を組み神に祈りを捧げる。秩序と平等を冠する神、オルディアの神像が奥に祀られていた。静謐なるその様子を見た彼はどうやら目的の人物がいなかったのだろう、そっと扉を閉じる。
「いかがですか、皆さんの様子は?」
唐突にかけられた声に聖騎士は振り向いた。そこには彼をこの場に呼び寄せた者が。
「アラド教皇様。既にいらしていたのですね」
その者こそはオルディア教において神に次ぐ地位を持つと言われる教皇だ。彼は苦々しい表情を浮かべて口を開く。
「神の前には私もただの迷える子羊に過ぎません。アラド牧師と呼んで頂いて構いませんよ」
「オルディア様の御教えを世に広めた者をただの牧師と同じには語る事は難しい。何より、あなたを教皇と呼ぶことに決めた牧師たちが許しはしないだろう」
アラド教皇はその言葉を聞いて諦めるように額を抑え溜息をつく。
「まあ、いいでしょう。ひとまずあなたに頼みがあります。ついて来てください」
二人が向かったのは教会の奥、人目につかぬ地下室だ。表向きの煌びやかな様子と異なり、壁を作る事もされておらず土に覆われたその場はまるで人々が家を手にする前、洞穴に暮らしていた頃を思い出しそうになる。
僅かな蝋燭の灯りの下で二人は向かい合い、元々置かれている椅子の汚れを払って座る。聖騎士の鎧が音を立てるがそれは分厚い土の層に吸収されてどこに届くこともなかった。
先に声を上げたのは聖騎士の方だった。
「自分を呼んだという事は異常が起こったという事なのでしょう」
教皇はその言葉にただ頷く。
「どちらで?」
「カルゴーネを知っていますか? 少し前に石炭鉱山が見つかったという話がある村なのですが」
「いえ、知らぬ場所です」
石炭と言えばおよそ十数年前から様々な物に使う燃料としての価値が認められ需要がどんどん上がっている黒い石だ。一度火が点けば長い間燃え続け、火力も高く安定しているという。聖騎士の彼は知らぬことだが、彼の腰に刺してある剣も石炭の火力を利用して作られたものだという。
何はともあれ、大きく需要のある石炭の鉱山が見つかったカルゴーネは多くの富を得る、はずだった。
「そのカルゴーネでは今、多くの異常が発生しているとの話を聞き及んでいます。それが事実なのだとすればオルディア教を信仰する我々にとって捨て置ける問題ではありません」
「それで自分が呼ばれた、と」
聖騎士はすっ、と立ち上がりそのまま踵を返す。
「どちらへ?」
「無論、カルゴーネへ。急ぎその場へ向かい異常の解決を」
「……話が早くて良いと言いたいところですが、まだ話は終わっていないのですよ」
聖騎士はその場で立ち止まり続きを催促するように教皇の顔を見つめる。それに対する教皇の反応は、描くまでも無いだろう。
「従騎士を一人付けます。彼はまだ若い見習いですが気の利く良い人材ですので協力して事に当たってください」
「では、そのように」
「それと、現地に別の協力者が一人おります」
「騎士ですか?」
「いえ、この話を伝えてくれた一般人です。本人曰く、異常の研究を行っているとのことですが、詳細は分かりません」
「そのような者に協力を仰ぐのは気が引けますが」
「危険が過ぎると判断したならば適当に言い包めて異常から遠ざけてください。とはいえ同封してあった資料を見るに研究者としての腕は良さそうです。協力しても良いと思いますよ」
教皇はにこやかな笑みで共に異常と戦う者の存在を喜ぶ。。
「話は、以上で?」
しかし聖騎士はそんなことは気にする様子もなくそう言い放った。
「あなたは本当に……、まあそうです。話は以上で終わりですから、もう行っても構いませんよ」
疲れた様子の教皇に見送られ聖騎士が歩き出す。彼の足取りは強く、一直線に続いて行く。
従騎士、つまりは見習いの騎士であるが、彼らは大聖堂の裏手にある修練上で剣の腕を磨き、いずれは聖騎士になるのを夢見ている。そんな彼らにとって正式な聖騎士の任務に付いて行くことが出来ると言うのは栄誉な事であった。
ここにいる従騎士、クレアにとってもそれは例外ではない。今、彼の周りには共に切磋琢磨して来た仲間たちが集まりこれから向かう任務に付いて根掘り葉掘り聞き出そうとしているところだ。
「聖騎士様の任務に付いて行けるんだろ? いいよなぁ、俺なんて一年も先に従騎士になったのに」
「クレアは要領良いもんな。時々教会に来た人たちの告解を聴いたりしてたし。そういうのを牧師様たちが見てたって事じゃねえの?」
「何にせよ羨ましいぜ。どんな任務に行くんだ?」
クレアは既にその身に従騎士が身に纏う軽めの鎧を身に付け彼らの言葉を一言一句漏らさず聞き続けている。彼は自身を褒め称え、羨望の目を向ける彼らの様子にどこか満足気に鼻を鳴らした。
「まあ、僕ぐらいになるとやっぱり才気みたいなのが周囲に漏れちゃうんだろうね! もしかしてこの任務が終わる頃には聖騎士への昇格だって夢じゃないかも、ってね」
「おいおい、そんな重要な任務に行くのか?」
「みんなも聞いてるんじゃない? 最近あった異常については」
「まあ、そりゃなぁ」
彼を囲む従騎士達は自然と最近噂になっている異常をそれぞれに思い出し始める。
「一番近くだと東の森で獣の異常があったって聞いたぜ。普通の成獣の倍もある熊が出たとか」
皆の視線がクレアに集まるが彼はまるで先を促すようにただ頷くだけで何も言わない。
東の森の異常は成程危険なものではあるが、それを解決したとて聖騎士への昇格などまずあり得ないだろう。何せ随分とありふれた異常なのだから。
「じゃああれは? 聖都であった異常は? いきなり地面が大きく揺れて建物が崩れたってやつ」
「その異常はもう解決したって話じゃなかったか?」
「あれ、そうだっけ」
クレアは呆れたように肩を竦める。
この大聖堂から見て西に存在する聖都では確かにそのような異常が見られたものだが、既に多くの聖騎士が現場へと赴き解決された後だ。今更誰かがそこへ向かう理由などありはしない。
「じゃ、じゃあ、もしかして、カルゴーネの?」
「え、まさか、そんな……」
「あそこはたくさんの異常が発生してるんでしょ? そんな場所に私たち従騎士が行く事なんて……」
彼らは口々にそんなはずは無いと声を上げるが、ちらりとクレアの方を見て、彼がにやりと微笑むのを見て確信する。
「え~! 本当にカルゴーネなのか!?」
「そう、無数の異常が起こっていて今最も危険な場所とも言われてるあの町だよ」
「す、凄いじゃん! 本当に、大出世じゃん!」
「ははは、出世はまだだよ。これを解決した後は分からないけどね」
彼は笑みを浮かべて天井を、或いはその向こうに広がっている空を見上げる。そこに見えているのは単なる荘厳な装飾や美しく澄み渡った空では無く、聖騎士が身に付けるオルディア教の紋様が入った鎧なのかもしれない。
ざわつく見習いの騎士達は期待の星となった友に声を掛けエールを送る。そんな彼らの喧騒を打ち破ったのは、バタン、と開かれた扉の音だった。
「あ、聖騎士様」
扉を開けたのは聖騎士だ。夢にまで見た鎧を身に付けるその姿は彼らの憧れであり、それを目の前にし思わず生唾を呑む。
「どうやら迎えが来たみたいだ」
しかしクレアは気後れすることなく立ち上がり近くに置いてあった荷物を背負って彼の元へ向かう。
「聖騎士様。この度カルゴーネでの任務に同行を命じられましたクレアでございます」
深々とお辞儀をした彼に対し聖騎士はただ一言、
「そうか」
とだけ言ってクレアを見つめる。その値踏みするような視線にどのような意図が込められているのか、クレアは自身の言葉にろくな返事も無いままにそのような態度を見せられ頭を下げたまま唇を曲げる。それに気付いたのかどうかは分からなかったが、やがて聖騎士は咳払いを一つして自らの名を告げる。
「自分は教皇様より聖騎士に任ぜられている、ゼノだ」
その名を聞いた瞬間、部屋の空気が一変する。先程まで聖騎士に向けられていた羨望の眼差しは消え呼吸音すら聞こえぬ程に静まり返ったかのようだ。潮が引くように一斉に彼らはその場から後ずさり明らかにその聖騎士から距離を取る。クレアも当然、それを理解しているし、なぜそうなったのかも理解していた。
「準備は出来ているか?」
「え、あ、はい」
「では行くとしよう」
しかし考える事すらも許さぬ程に迅速にゼノは話を進めそのまま歩き出した。クレアは幾つも言いたいことがあったし出来る事ならこの場を逃げ出したいとすら思っていたが、今更それは叶わない。任務を請け負ったにも関わらず逃げ出したとなれば彼が今後聖騎士へなる事は出来ないだろうから。
クレアは冷や汗が伝うのを感じながら後ろを、同じ従騎士の仲間たちの方を振り返る。これまで共に過ごして来た友人たちの同情の視線を感じたが、しかし何らかの助け舟を出そうとする者など居はしない。
頼むから早く行ってくれ。
言外にそんな言葉が発せられているのを感じ取りクレアは黙って歩き出す。そうして彼が部屋を出て、扉を閉め、更には足音までが消えた後、残った者達はようやく緊張の糸が切れたかのように大きく息を吐いた。
「いやぁ、まさかねぇ……」
「だな。クレアも可哀想に」
今や一足先に聖騎士と共に任務に出た友を羨む者など一人もいない。
「まさか虐殺騎士様と一緒とはねぇ……」
聖騎士の中でも異端とされる『虐殺騎士』、そんな者と任務に行きたい者など誰もいないのだから。
大聖堂の廊下を歩くクレアの足取りは重い。目の前を歩くゼノは確かに高名な聖騎士でその実力と実績は疑いようも無いものだ。しかし多くの者から忌避される存在でもある。
「……あの」
しかしクレアは意を決して声を掛けた。たとえ相手がかの有名な虐殺騎士であろうと話をしてみなければ人間とは分からない。そのはずだ。
「ぜ、ゼノ様は、その、なぜこの度の任務に就かれたので?」
「アラド教皇様より直々の指名があったからだ」
「で、では、なぜ私がこの度の任務に加えられたのかは?」
「それは自分の関与する部分ではない」
「あ、そうですか……」
成程、ゼノの返答は簡潔で非常にわかりやすい。だがそれだけだ。言うなれば彼が行っているのは言語を通じた情報の伝達であり、人と人とが互いを理解し分かり合おうとするコミュニケーションの類とは思えない。
思わずクレアは頭を抱える。この先カルゴーネでの任務がどれだけ続くかは分からないが、その間ずっと恐ろしい噂が付いて回るその上に付き合いにくいこの人物と一緒に居なければならないというのだ。或いはこれはオルディア様が自身に与えた試練なのだろうかと考えて歩いていると、大聖堂の入り口付近に一人の人物が立っているのが見える。
「……っ! アラド教皇様!」
クレアは姿を見るなり思わず跪いて首を垂れた。教皇はその様子を見て頭を抱えるばかりだ。
「そのように跪く必要はありませんよ。私も所詮は単なる牧師に過ぎません」
「い、いえ。教皇様ともあろう御方がそのような……」
「クレア、だったな。我々は急ぎカルゴーネへ向かわねばならない。たとえ教皇様が目の前に居られようと、今は急ぐべき時だ」
ゼノは跪くクレアを置いて歩き出し、教皇の脇を抜けてそのまま外へと出て行った。クレアはその態度に呆気にとられその背を見つめる事しか出来ない。
「ゼノは」
クレアの傍に立っていた教皇が口を開く。
「彼は悪い人ではありません。そのような人間が聖騎士になれるはずもありませんしね」
「それは、その通りですが……」
「しかし無理に彼のやり方に付き合う必要はありません。あなたにはあなたの出来る事をやって欲しいのです」
教皇の手がクレアの肩に置かれる。
「あなたがこの任務に選ばれたのはあなたが優秀だからです。期待していますよ」
そう告げると教皇は一礼してその場を去って行く。彼はオルディア教における最高指導者とも呼ぶべき存在だ、その仕事の忙しさたるや凄まじいものだろう。
そんな教皇がわざわざ時間を割いて自分に激励を送ってくれた、その事実にクレアは心臓が沸き立つのを感じている。
「教皇様が、僕に、期待を……」
今にも狂喜乱舞して叫び出したい気持ちをぐっとこらえ、彼は鼻息荒く駆け出した。
「虐殺騎士が一緒だろうと構うもんか、僕はここで成果を上げて教皇様に認めてもらうんだ!」
自身の輝ける未来へ向けて彼は走り出す。
この先に待つ多くの苦難を彼はまだ知らない。
カルゴーネは大聖堂から徒歩で三日ほどだろうか。以前はカルゴーネからもオルディア教の信徒が歩いて教会を訪ねて来たものだが、今はそうして訪れる者もいない。かの村には教会もあるし日々の暮らしも辛くそうそう遠出をする余裕は無いのだろう。
クレアは外の流れゆく景色を見ながら、徒歩で通うこの道は彼らにとって苦痛だったのかそれとも希望だったのかと思いを馳せる。
「馬車に乗ったのは初めてですが、これは快適ですね」
「我々の任務には迅速な移動が求められる。故に一部の聖騎士には常に馬車が帯同している」
「それは知ってますよ。信徒の寄付金から御者への給料が支払われているんですよね」
「そうだ」
オルディア教の紋章を付けた馬車には聖騎士が乗っている。それが町を通りかかるだけで人々がまるで救いの神が舞い降りたかのように祈りを捧げる姿が見られるはずだ。
「僕も馬車から降りて来た聖騎士を見て彼らのようになりたいと思った口なんですよ」
「そうか」
「ゼノ様はどうして聖騎士になろうと?」
「偶然だ、教皇様の言葉を借りれば向いていたという事だろう」
「あ~、成程……」
クレアは馬車に乗ってからというもの精力的にゼノに様々な話題を振ってみたのだが、その返事はごく簡潔なもので終わり話が広がる気配は無い。流石は虐殺騎士、話題の方も虐殺してしまうのか、などと皮肉じみた事を考えてみても口に出す勇気はない。
虐殺騎士、そう、彼は虐殺騎士なのだから。
「……ゼノ様は」
言いかけて少し、考える。これから先どれだけかかるか分からない任務の中で、相手の考えがまるで知れないというのは恐ろしい事だ。つまり、クレアは、尋ねようとしている。
なぜあなたは虐殺騎士になったのか、と。
しかし。
「……好きな食べ物とかはありますか? こう見えても僕は料理が得意でして」
それを尋ねるのは諦めた。それは知らずとも任務をこなす事ぐらいは出来るという自信の表れもあるのだが、理由のほとんどは兜の向こうでゼノがどんな表情をしているのかまるで分からないからなのだろう。クレアには未だ一目見る事すら出来ていないその顔には、きっと悪鬼羅刹の如く恐ろしい表情を見せているのだろうとただただ妄想を膨らませるのであった。
カルゴーネ近郊、木々が生い茂るその場所を馬車が走る。
「あれは……」
その姿を見て思わずそう呟く者が一人。立ち上がった彼女の姿は馬車の中からもすぐに見つける事が出来るだろう。
「ゼノ様、前方に人が」
「人?」
ゼノはその姿を確認すると御者に指示して馬車を停める。ここはカルゴーネの町からは少し離れており、見ての通り周辺にはもはや何らの資源もなくこんな場所に身を置く人間など普通は居ない。であれば彼女は、何らかの目的があってこの場にいたはずだ。
馬車が停まったのを確認すると彼女はそれに走り寄り声を掛ける。
「やあやあ、あんたらカルゴーネに派遣されたオルディア教の騎士だろう?」
御者はその女に見覚えなど無く判断を仰ぐようにゼノ達の方を見た。
「どうしましょう?」
クレアは横にいるはずのゼノにそう尋ねたが、既にその姿は馬車の中から消えていた。彼は既に外に出てこんな場所に居る不審な女の前に姿を現していたのである。
「おぉ、本物の聖騎士だ」
彼女は目の前に現れた聖騎士を見て思わず口を開けて驚きを見せたが、それと同時に好奇心に駆られるがままその全身を観察している。しかしゼノは鎧の上から突き刺さる視線を無視して、
「まずは聞かせてもらおう。貴殿は何者だ?」
敢えて少し威圧するように彼女が何者なのかを尋ねた。その意図が伝わったのだろう、彼女は居住まいを正すと咳払いをして素直に答える。
「私はロサ。話を聞き及んでいるかは分からないけれど、私は教会にカルゴーネの異常についてその解決を求めて手紙を送った者だよ」
ゼノはその言葉を聞き教皇の言葉を思い出す。曰く、現地の協力者がいるという事だったが、彼女がそうなのだろうと。異常の研究を行っているという話ではあったが、成程確かに彼女の服装は少なくとも炭鉱夫の類や農耕に従事する者では無いことを示している。彼女が羽織るくたびれたコートとその裏に隠されている様々な器具はおよそそれらの人間には相応しくない物なのだから。
「ゼノ様、いつの間に外に出たんですか」
クレアが後ろからようやく追い付く。その時、彼はロサの表情がどこか驚いたように引き攣るのを見逃さなかった。
「……どうかされましたか?」
「え? ああ、いや。まさか騎士様が二人も来るとは思ってなくてね」
「僕は従騎士です。正式にはまだ騎士ではありませんよ」
「ああ、そうなのかい」
クレアは少し視線を泳がせるロサに不信感を覚えていたが、隣に立つゼノがこれ以上の追及をする様子が無いのを見て黙って後ろに控える。自身の立場では決定権などあるはずも無いと、徒に会話を引き延ばすのは得策でないと考えたのだ。
虐殺騎士を前に我を通す事など貫けるはずも無い、クレアが自ら一歩引いたことで自然と視線はゼノの方へと集まって行く。
「……ひとまず、馬車へ。道すがら詳しく話を聞くとしよう」
こうして三人目の仲間を加えて馬車は走り出す。
人数が増えて重たいのか先程までよりも少しペースが落ちているようだったが、幸いにもそれは話しやすい環境が出来たとも言えるだろう。揺れの酷い車内では落ち着いて会話など出来はしないのだから。
車内でのロサは落ち着きなく視線を動かし首から提げたレンズ越しに騎士の鎧や内装を観察している。その様子から読み取れるのは好奇心が旺盛だという事ぐらいだろうか。肩にかかるぐらいの髪はまるで整えられておらず、来ているコートもお洒落というよりは薄汚れて単にたくさん物が入るという理由で選んでいそうだ。
彼女の姿から読み取れるのは自身の研究に熱中するが故に身だしなみなどまるで気にしないタイプの人間らしい、そのぐらいの事だろう。少なくともこの場においてクレアはそう判断し、一向にロサから話を聞こうとしないゼノに代わり口を開く。
「そろそろ話をお聞きしてもよろしいですか?」
「ん~、ああ、そうだね。すまないすまない」
彼は自分から話をしようとしないロサを少々威圧するように強めの語気で語り掛けると、その意を読んだのか彼女も居住まいを正し咳払いを一つした。
「私がカルゴーネに来たのは偶然でね、異常の噂を聞いてやってきただけさ。ただまあ、どうにも個人で扱うには少々異常の数が多過ぎる。それで村長と話をしてオルディア教の聖騎士様に来てもらえないかと頼み込んだわけだ」
「なぜあのような場所にいたのですか?」
「それは単純。聖騎士様が通るとしたらあの辺りだろうと思って張っていただけさ。ここまでなら日帰りでも来れる距離だしね」
既にカルゴーネまでは程近い距離にあり、確かに徒歩でも無理なくその日の内に行って帰れることだろう。クレアが警戒を解くことは無いが、ひとまず話には納得する。
「とりあえず、カルゴーネの現状について話そうか」
そしてロサはようやく本題に入るようにそう言った。
カルゴーネに炭鉱が見つかったのはつい最近の事だ。それまでは大した特産物もなく人々は自身の生きる糧を得る為に痩せた畑を耕す日々を送っていた。彼らは何事もなければその日々を続け大した面白味も無いままに、しかし平穏と安寧の中で一生を終えて行くはずだったのだろう。
しかしある日、一人の若者が声を上げる。
「山を、掘ろう」
彼は少々夢見がちな青年だった。その日もたまたま町を訪れた旅人から聞いた話を鵜吞みにしてそんなことを言い出したのである。曰く、
「何でも遠くの町じゃ山から金を掘り当てて一夜で大金持ちになったって話だ。幸いこの周りにもたくさんの山がある。金銀宝石を掘り当てれば一攫千金だぞ!」
とのことだ。周囲の人はそんな彼の話を信じたりはしない。いや遠くの町ではそんな事が実際にあったのかもしれないが、それが自分達にも同じように起こるなどと思いはしないものだ。
ではかの青年の行う穴掘りに誰も手を貸さなかったのかと言えば、それがそうでもない。
「確か向こうの山で粘土が取れたろ。一つそこを掘ってみたらどうだ? 金や銀なんざ出ねえだろうが、粘土を取って来てくれりゃ色んなもんが作れらぁよ」
要するに何か出る事など期待はしないが、確実にあると分かっているものを取るついでにもう少しぐらいなら穴を深く掘ってみても良い。ただそれだけの話である。そして体力に自信のある者達がシャベルを担いで山に分け入り、粘土層を超えて掘り進め。
「何だこの黒い石?」
石炭を発見したのだった。
そこからはあれよあれよという間に話が進んでいく。どこから話が漏れたのか隣町の有力者が炭鉱の存在に勘付きどうにか利益を貪ろうと人を遣り、たまたま村を訪れていた行商人も自分の利益を確保しようと交渉の席に付き、当然ながら村の人々も自分たちが掘り当てた炭鉱を他人に渡すまいと必死である。
今や炭鉱は三者が己の利益を手に入れようと手を伸ばす宝の山となっているのだ。
ロサがそこまで語ったところでクレアは思わず感心する。
「よくそんなこと調べましたね。カルゴーネが最近炭鉱が見つかったというのは聞いていましたけれど、そんな事情を抱えているのは知りませんでしたよ」
「それはまあ、村長に少し話を聞かせてもらっただけさ」
「ああ、そういうことで」
これで村の炭鉱を巡る人々の動きに関してはよく理解できたと言っていいだろう。しかしクレアは肘をついて掌で額を覆い眉を顰める。
「それで、今の話には異常に関しては何も出て来ていませんが」
聖騎士とはあくまで異常を解消する為に存在するものだ。究極的な話、炭鉱を巡る争いに関して彼らは何の関係も無いのである。クレアが自分たちに関係の無い話を聞かせれて少し呆れるのも仕方ないが、ロサは話はこれからと言わんばかりに指を振って下を鳴らす。
「それは勿論、これから話すところさ。時系列で追った方が話が掴みやすいかと思ってね」
「……つまり、異常が起こり始めたのは炭鉱を巡る争いが始まってから、という事ですか?」
「ご明察」
「成程、ではどのような異常が」
その内容を尋ねようとしたところで、馬車が大きく揺れて動きを停める。
「何事だ?」
動きを停止した馬車の中でゼノが素早く立ち上がり御者に尋ねた。
「ぜ、前方に、巨大な蛇が!」
「蛇? そんなもので一々停めなくても」
クレアは呆れた様子で深々と溜息をつきながら前方の小窓から臆病な御者が恐れる蛇とはどのようなものかを覗き込み。
「え……?」
そして我が目を疑う。思わず目を擦りもう一度、真っ直ぐに、それを見た。
前方、薄暗い樹々の隙間でその目が光る。獲物を狙い舌なめずりをするように長い舌を出し入れしながらじっと馬車を見つめている。一般的な蛇の大きさは胴回りが片手で軽く掴めてしまうほどである事は周知の事実だ、稀に巨大なものであっても両の手を使えば捕まえられるだろう。しかし彼が見つめる、或いは彼を見つめているその蛇は人間を丸呑みに出来そうなほど巨大で捕まえるなど以ての外だ。
「あ……、うぅ」
クレアはこの日初めて蛇に睨まれた蛙とはこういう気分なのかと理解する。理解したところでどうこう出来るわけでも無いが。
そんな恐ろしく巨大な蛇の前に聖騎士が姿を現す。
「ゼノ様!?」
一歩毎に静かな雑木林の中に鎧の音が響く。ゼノは巨大な蛇を前にしても何ら普段と変わらぬ様子で歩みを進める。剣を抜き、正面から蛇を見据え、対峙する。
静寂が周囲を包む。彼らは互いに視線を逸らす事も無く何かの合図を待っているかのようにじっとしていた。それを見つめているクレアやロサはそれだけで息が詰まりそうで荒い呼吸をしていたが、ゼノはまるで怯む様子もなく剣を蛇に向けていた。
不意に、強く風が吹く。
木々のざわめきと共に木の葉が舞い散り、瞬間、蛇が動きを見せた。その巨大な尻尾を大きくしならせて一本の木を打ったのだ。
「うわっ!」
「ひっ!?」
爆発音とさえ思われかねない音に馬車の中で二人が声を上げている中、ゼノは冷静に自分に向けて倒れて来る木を見つめている。彼がそれを防ごうとしているかのように腕を掲げた瞬間。
「危ない!」
クレアは別の方向から来る蛇の尻尾の存在に気付いた。木を薙ぎ倒すような一撃だ、いくら鎧を付けているとはいえまともに受ければ中身がどうなるかはわからない。接触するその瞬間、直後に起こるであろう恐ろしい結末を想像して彼は思わず目を閉じた。
ビチャッ。
液体が飛び散る音を馬車にいる者は聞いただろう。そして先程倒れ込んでいた木が地面に落ちる。振動が全ての終わりを告げるように彼らの元に届いた。
「……ゼノ様は?」
クレアは恐る恐る外を見た。何せ見る前から想像はついている。先程の液体は恐らくは血なのだろう、あまりの威力に上半身と下半身が分かれそこから飛び散った血がこちらに届いたのだ。想像するだけで恐ろしいその光景を今彼はその目に。
収める事は出来ない。
「え?」
そこに見えたのは尻尾の先を失い逃げて行く蛇の姿と返り血に塗れながらも両の足で立っている聖騎士の姿だ。
「……すご」
驚きの余りに言葉も出なくなったのか彼はただただ呆然とその姿を見つめる。まるで神が舞い降りた瞬間でも見たかのように。
「虐殺騎士ともなればあんなのも追い払えるのか……」
その横でロサが敬意と恐怖が混ざったような表情でぽつりと呟く。
そんな二人の様子を知ってか知らずかゼノは相変わらずいつもと変わらぬ様子で、剣の返り血を拭い鞘に納め、何事も無かったかのように邪魔な木をどかし始める。
「あ、手伝わないと」
クレアはその様子を見てようやく正気に戻ったようで外に飛び出るとゼノを手伝い始めた。
巨大な蛇という異常をどうにか追い払った彼らであったが、未だ目的の地であるカルゴーネに辿り着いてもいない。この地で未だ見ぬ数々の異常が彼らを待っている。




