6話:死肉漁り
閉店後、誰も帰らなかった。
梶が暖簾を下ろそうとした時、真鍋が「少しいいか」と言った。黒崎も立ち上がらなかった。榊はすでに来ていた。いつ来たのか、梶は気づかなかった。気づかないうちに来て、いつの間にか座っている。榊という男はそういう来方をする。
常連客の一人―蓮―が遅れて入ってきた。落ちぶれたと本人が言うシェフで、かつては名の通った店を持っていた男だ。今は何をしているのか、梶もよく知らない。ただ、酒を飲みに来る時間だけは一定していた。
もう一人の常連客―藤堂―が最後に入ってきた。何をしているのか誰も正確には知らない、しかし金に困っている様子が一度もない男だった。無口で、目立たない。しかし、彼が言葉を発すると、全員が聞いた。それが習慣になっていた。
梶は暖簾を下ろした。
「揃ったな」と真鍋が言った。
「俺が呼んだわけじゃない」梶は言った。
「俺たちが来ただけだ」黒崎が答えた。その声は低く、感情の乗らない声だった。来た理由を説明しているわけでも、言い訳しているわけでもなかった。ただ、事実を言っていた。
六人がカウンターと小上がりに分かれて座った。梶は黙って酒を出した。頼まれてもいないのに燗をつけて、全員の前に置いた。誰も礼を言わなかった。それが赤ちょうちんのやり方だった。
真鍋がノートパソコンを開いた。
「鷹宮の過去案件を調べた」
スクリーンを全員に向ける。地図と、いくつかの店名が並んでいた。地図にはこの一帯が映っていた。赤い印がいくつかついている。全て、この数年で閉店した店だった。梶には見覚えのある店名もあった。
「ここ三年で、この一帯で閉店した飲食店が七件ある。そのうち六件に、共通点がある」真鍋は一件ずつ指した。「グルメ系の動画やSNSで批判的な投稿が出る。客足が落ちる。その後、鷹宮の会社が接触して買収する。買収後に効率化して、数ヶ月後に別の会社に高値で転売する。同じパターンが、六件全てで確認できた」
黒崎が低い声で言った。「死肉漁りだ」
その言葉は正確だった。弱ったものを安値で買って、高く売る。それ自体は珍しいビジネスではない。しかし、弱らせることから始めているとすれば、話は違う。黒崎が言葉を選んだのかどうか、梶にはわからなかった。ただ、その言葉は正確だった。
「そうだ」真鍋は頷いた。「店が弱ったところを安値で買って、形だけ整えて高く売る。それが鷹宮のビジネスモデルだ。問題は、弱らせているのが自分たちだとすれば、という部分だ」
「証明できるのか」榊が聞いた。
「今の段階では状況証拠だけだ。直接の因果関係は証明できていない。炎上と接触のタイミングが一致しているというだけでは、法的には動けない」
榊は頷いた。「では動けない」
「わかってる」真鍋は言った。「だから話している。どう動けば証明できるかを考えるために。一人で抱えていても仕方がない問題だから」
しばらく誰も言わなかった。
蓮が徳利を手に取り、自分の猪口に注いだ。それから梶の前に置いてある空の猪口にも注いだ。梶は受け取り、一口飲んだ。普段は客に出す側の梶が、酒を受け取った。今夜は少し違う夜だと、その動作が示していた。
「俺に聞いてくれ」蓮が言った。「鷹宮が再生した店を、俺は何件か行ったことがある。シェフとして、同業者として。食い物の話なら、俺の方が詳しい」
「どうだった」黒崎が聞く。
「見た目はいい。写真映えする。客が喜んで写真を撮っている。ただ」蓮は少し間を置いた。「厨房を覗いたら、冷凍パックとタイマーだった。出てくる料理は均一で、品質は一定だ。それはそれで悪くない。ただ、二度行きたいとは思わなかった。一度行けば十分、という感じだ」
「それを数字で言えるか」真鍋が聞く。
「言えない。感覚の話だから」
「だからやられる」真鍋は静かに言った。「感覚は数字に負ける。それが鷹宮の武器だ。数字にできないものを、存在しないものとして扱う。そうすれば、常に数字を持っている側が正しくなる。言い返せない理由は、そこにある」
藤堂がずっと黙っていた。全員がその沈黙に気づいていた。藤堂が口を開くことは少ない。しかし開いた時には、何かが変わることが多かった。空気が変わる、と言った方が正確かもしれない。今夜も、全員がその沈黙を待っていた。
「私が若い頃も、こういう手を使った」
全員が藤堂を見た。
「合法だった。だから誰も止められなかった。私を止めた人間は一人もいなかった。合法である以上、止める理由がなかった」藤堂は酒を飲んだ。一口飲んで、少し間を置いた。
「止められなかった側の人間が、今ここにいる。それが今夜、私がここにいる理由だ」
その言葉には、告白に近い何かがあった。懺悔とも違う。ただ、事実を言っていた。誰も責めなかった。責める立場にある人間がここにいるかどうか、梶にはわからなかった。そもそも責めることが目的の夜ではなかった。
梶は黙って、全員の猪口に酒を注いだ。
誰も何も言わなかった。ただ酒が進んだ。藤堂の顔に、何かを思い出したような影が差したまま、その夜は更けていった。梶はその間も、全員の猪口が空になるたびに、黙って酒を注いだ。注ぎながら、全員の顔を順番に見た。何も言わなかった。ただ、それだけで十分だった。




