スフィーラ=セイフティ
翌日の昼食後のことだった。俺とアンリは気を緩めて歓談していた。そこに唐突にノックが響く。
「どうぞ!」
私が元気よく応じると、勢いよくドアが開かれる。寮長だった。
「ウィナー、それからアンリ。君たち宛に電話だ。ルシア=ヴァルヴェルデという方からだ」
その知らせを聞いて跳ね起きるように立ち上がる。何事だろう。私たちは案内されるがまま寮の電話に向かう。
電話機と呼ばれたものは全く見慣れないものだった。私の知ってる電話機といえばせいぜいで黒電話までだ。だが、そこにあったのは、木箱に大きなベルひとつ備えられている。さらにコードが2本伸びていて、その先にイヤーマフのようなものがついていた。困った、使い方が分からない。
困惑する私に気がつき、アンリが電話を取る。その使い方はというと、イヤーマフのようなものの片方を耳に当て、もう片方に向かって喋るというものだった。
「アンリだ。ああ、ウィナーはちょっと手が離せなくてね。……そうか! アポイントメントはいつだ? 来週月曜の十三時からだな。伝えておくよ。ありがとう」
そう言ってアンリは受話器を置く。話の内容は分かった。顧問弁護士兼監査役が見たかったということだろう。顔合わせの日程も決まったようだ。
「ということだウィナー。これでようやく企業としての体裁が整う。忙しくなるぞ〜!」
そう声を上げるアンリはどこか高揚しているようだった。私もはやる気持ちが抑えきれない。
その日の晩は、まだ顔合わせもしてないというのに酒盛りをしてしまった。翌日はとくにこれといって予定もなかったので問題はなかったが。
* * *
そして来る月曜日、アンリと共に事前に聞いてた住所に行くと、ルシアが待っていた。私は気さくに声をかける。
「やあルシア。人財探しとアポイントメントありがとう」
「いえ、当然のことです。約束の時間までもう少しありますから、待ちましょう」
彼女は姿勢も表情も崩さず答えた。凛としている、とはこのことを指すのだろう。いい意味で緊張感を保っていた。そんなルシアにつられたのか、飄々としていたアンリも表情が引き締まる。私も気を引き締めた。社会人としては当然のことだが、やはり約束の時間の少し前に到着することは意味のあることだとしみじみ感じた。
時間にして数分だったと感じられる。ルシアは懐中時計を取り出し、確認した。
「時間ですね。行きましょう」
そう言ってルシアはドアに近づき、ノックする。ドアが開き、現れたのは、人の良さそうな笑みを浮かべるふくよかな中年女性だった。
「いらっしゃい、ミス=ヴァルヴェルデ! それからミスター=クリアウォーターとミスター=ルフェーヴル!」
女性が両手を差し出すので、三人順々に握手を交わした。そしてようやくルシアが紹介する。
「ウィナー、それからアンリ。こちら、ミセス=スフィーラ=セイフティ。帝立ピンカーブリッジ大学法学部第五十三期卒業生。今は食品を扱う企業を専門に顧問弁護士や監査役を務めています」
「詳しい話は中で。さあ行きましょう!」
そう言ってスフィーラさんは招き入れる。私たちはそれに従って、建物の中へと入った。
「私のミッションは、美味しいものを、安全に、より多くの人に届けることなんだ」
スフィーラさんは4杯のコーヒーを淹れながら話す。
「だからこそ敢えて訊きたい。法務部長がいるのは素晴らしい。だが肝心の食品衛生管理者はいるのかい?」
「もちろんいます。医学部保健福祉学科栄養学コース所属のエミリア=サースタモイネン。彼女は……」
「サースタモイネン! スノレヴィガス公領チェルバナートのサースタモイネンかい!?」
スフィーラさんはエミリアの姓に強く反応した。その様に驚きつつも、私は頷く。スフィーラさんはコーヒーを私たちに配り、自分もカップを傾けてしみじみと言った。
「チェルバナートは、ここからリドルワースで乗り換えて丸一日の旅だ。でもそれだけの時間とお金をかけるだけの価値が、サースタモイネンのレストランにはある。レストランリトルベンシンといってな、スノレヴィガス料理を専門にしたレストランだ」
「ミセス=セイフティはそちらのレストランともお取引を?」
アンリが尋ねると、スフィーラさんは手を横に振った。
「まさかまさか。お付き合いしたいのは山々だけどね、流石に遠いよ。常連にさえなれない」
スフィーラさんは笑みを浮かべて答えるが、眼差しは寂しそうだった。私が元いた世界のようにインターネットが発展していれば、彼女は取引ができたのかもしれない。でもそれは今この世界では叶わぬことだ。
スフィーラさんは優しい笑みを崩さず問いかけた。
「それで、ミスター=クリアウォーター。あなたが社長だと聞いてるが、正しいかい?」
「はい、そうです」
「結構。私は食品を扱う企業を専門としている。あなたがたは、食品とどのように関わるビジネスを展開するんだい?」
「簡単に言うと、駅で「駅弁」という弁当を売ります。従来駅敷地内で手に入る昼食といえば、ノベラーロのような、決して栄養バランスに配慮されているわけでもなければ旅情を感じさせるわけでもない軽食が主体です。しかし本来食事とは、そして旅行とは、楽しいものであるはずです。我々は、地元の名物を詰め、かつ栄養バランスにも配慮した弁当を駅で売ることで、お客様に食事と旅行の楽しさを提供したいと考えています」
スフィーラさんは何度も頷きながらプレゼンを聞いてくださった。プレゼンを終えると、スフィーラさんは問いかけた。
「なるほど、面白いビジネスを考え出したもんだ。でもそのためには、各地の風土、名産、名物をきちんと把握しておく必要がある、フットワーク軽くね。その覚悟はあるのかい?」
「それは、地理学を専攻している私の仕事と考えています」
私はスフィーラさんの目を真っ直ぐ見て答えた。スフィーラさんは頷き、言った。
「いいだろう。顧問弁護士兼監査役として、あなた方の企業に貢献しよう。後日契約の書類を送る。社長と法務部長、どちらに送ればいいかい?」
「法務部長である私にお願いします」
私が口を開くより先にルシアが答えた。契約については私より法律に詳しいルシアに任せる方がいいだろうーーそう考えた私は何も言わなかった。
「それじゃ、今日はこんなところかね」
スフィーラさんが立ち上がるので、我々も荷物をまとめて立ち上がる。そして最後に握手を交わした。
スフィーラさんは言った。
「君たちのビジネスが成功することを祈ってるよ。これからよろしく」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
一言言葉を交わし、私たちは弁護士事務所を辞す。スフィーラさんはドアを閉め、姿を消した。私は改めてルシアに感謝した。
「ありがとうルシア、いい弁護士を紹介してくれて」
「いえ、私の仕事はこれからです」
ルシアは謙虚にもそう答える。そしてこう釘を刺す。
「ですが、我々の事業の成功は、ウィナー、アンリーーあなた方と、マラートヴィチの活躍次第です。頑張りましょう」
「そうだな。私たちも努力するよ」
「では」
そう短く別れを告げてルシアは去っていった。私とアンリも寮へと戻る。かくして、株式会社駅弁商会の創立メンバーが揃った。




