ヤコブ=ローゼンタール
寮の部屋に戻ったのは私の方が先だった。アンリはきっと良い税理士兼会計参与を探すために東奔西走してくれていることだろう。であるならば先に夕食を済ますのは申し訳ない。私はアンリを待つことにした。
果たしてアンリは夕方の7時ごろに帰ってきた。その顔に浮かぶ笑みから、私の期待は高まる。彼は上機嫌で言った。
「よさそうな税理士さんとアポイントメントがとれたよ」
「本当か!? どんな税理士さんなんだ?」
「名前はヤコブ=ローゼンタールさん。魚じゃなくて釣竿を与えるタイプと言えばいいのかな。決算と確定申告を除いて、基本的には関与してこない。でもその代わり顧問料は安い。それから、会計と節税、補助金助成金のノウハウを教えてくれる。安いといっても相談すれば回答してくれるから、そこは安心してくれていい」
アンリの説明を聞いて私は考える。会計のことは正直私には分からない。心配なのはその税理士の会計参与としての関与が希薄なものとなり、アンリ含め経理部の業務に支障が出ること、そして我が社の会計書類の信頼性が損なわれることだ。だから私は確認することにした。
「なあアンリ。安いのはいいが、その人は会計参与としての働きが期待できる人なのかい? 我が社の会計業務が行き詰まったり、会計書類の信頼性が損なわれたりしたら、それこそ何のための税理士だということになる」
「そこは安心してくれ。ヤコブさんは学生のスタートアップを専門に扱ってきたんだ。少なくとも実績は信頼できるし、人柄も会って判断すればいい」
「分かった。アポイントメントはいつだ?」
「三日後だ。八月十三日の午後二時」
私は手帳にメモした。そしてその手帳をしまいアンリを誘う。
「ありがとう。さて、夕食にしないか?」
「そうだな。重要な商談をしてきたからお腹ぺこぺこだ。今日はオマール海老の海将風でも食べたいな」
おおよそ学生の口から出るとは思われない食材の名に仰天した。
「待て待て、学生が気軽に食えるもんじゃないだろ、オマール海老は」
「そうか? レストランどころかスーパーにも売ってるぜ? ……ああそうか、君は異世界の、日本国から来たんだったな」
そこまで言われてようやく私は察する。この世界の、少なくともこの国では、オマール海老はよく獲れるのだろう。
案内されてたどり着いた店は、通りに面して活況を呈する、いかにも大衆食堂だという雰囲気の店だった。
注文してまもなく料理が運ばれてくる。それを見て拍子抜けした。立派なオマール海老の姿はどこへやら、代わりにグラタン皿になみなみに盛られたクリームソースが湯気を立てていた。
アンリは迷わずスプーンで料理をすくい、口に運んだ。そして表情を綻ばせる。私も騙されたと思って料理を一口口に含む。
熱い!ーーそれが第一印象だった。はふっ、はふっと口の中で冷ましながら味わう。その様子を見てアンリは笑った。
「おいおい、そんなに慌てて食うもんじゃねぇって」
口の中で転がしているうちにようやく冷めてきた。するとオマール海老の旨みと香りを味わう余裕が出てくる。その芳醇さは銀座で食べたオマール海老と遜色ない。それをミルキーなクリームソースが優しく包みこんでいる。そしてこの粒々とした食感は米だろうか。なるほど、これは私の知る言葉で言うとドリアだ。
我々はこうして手頃で贅沢な夕餉を楽しんだ。
* * *
あくる日の昼食後アンリに案内されて辿り着いたのは、キャンパスの南門からほど近い小綺麗な税理士事務所だった。アンリはドアノッカーでノックする。やがてどたどたと足音が響き、そしてドアは開けられた。
顔を覗かせたのは我々より一回り年上だろうというーーそれでも生前の私よりは若いわけだがーー男性だった。彼はにこやかな笑みを浮かべている。彼が口を開くより先に、アンリは丁寧に挨拶する。
「お時間いただきありがとうございます、ヤコブ=ローゼンタールさん。私は株式会社駅弁商会副社長のアンリ=ルフェーヴル。こちらは社長のウィナー=クリアウォーターです」
「ウィナーです。よろしくお願いします、ヤコブさん」
我々が挨拶するとヤコブさんは朗らかに右手を差し出した。私、次いでアンリがその手を取ると、ヤコブさんは笑顔を崩さずに招き入れた。
「ヤコブだ。会えて嬉しいよ。さ、中に入って話そう」
「「失礼します」」
税理士事務所に入るのは前世含めこれが初めてだ。その好奇心から、ついつい周りにキョロキョロ目がいってしまう。印象深いのはファイルの多さだ。
「書類が多いと感じるだろう? どんな企業でも遡って10会計年度分は書類を残しておかなきゃならんという法律があってね。一階にあるのは現存する企業だがもちろんほんの一握りだ。二階にもあるし、三階には解散した企業もある」
その説明を聞いて安心した。少なくとも彼は税理士兼会計参与として信頼できそうだ。
応接間に通され、コーヒーを出される。アンリは一口啜って言った。
「ホーバーですね。渋みとコクが強く香り高い。良いコーヒーを使ってらっしゃる」
「流石飲食系で起業しようというだけのことはある」
ヤコブさんは口元こそ緩ませていたが、眼光は鋭かった。そして彼は手を組み、身を乗り出して尋ねた。
「ビジネスの話に移ろう。まずクリアウォーター社長、あなた方のビジネスの新規性と価値について説明してほしい」
「新規性はランチボックスに画一的なものを詰めて販売するのではなく、その土地ならではのものを詰めて販売することです。我々のビジネスの価値は、旅客に気軽に名物を楽しんでいただけること、そして駅弁がその土地への呼び水となることです」
商談は前世で何度も経験しているし、駅弁の魅力は私が一番よく分かっている。おかげで社外の人に対しても全く緊張しなかった。
私の説明を聞いたヤコブさんは、しかし、眼光の鋭いまま質問を重ねた。
「なるほど興味深い。人は集まっているか?」
「はい。まず私が社長、アンリが副社長兼経理部長、それから営業部長、法務部長、食品衛生責任者が集まっています」
「ということはあとは資金と料理の提供者が集まればいつでもビジネスが始められるわけだな?」
「はい」
私の返事を聞いてようやくヤコブさんは笑顔になった。
「いいだろう。御社に顧問税理士兼会計参与として関わろう。契約は月次契約と年次契約どちらにする? ちなみに通算で見ると年次契約の方が安いが、会計年度の途中で解散した場合は月次契約の方が有利になる場合もある」
「年次契約でお願いします」
私が考えるより先にアンリが答えた。ヤコブさんは私に向き直り確認した。
「いいんだな?」
「経理のことは経理部長であるアンリに任せます」
私はまじろぎもせず答えた。それを受けてヤコブさんは引き出しから二枚の紙を取り出した。
「契約書だ。私のサインはしてある。あとは君たちが内容を確認してサインしてくれたまえ」
私とアンリは一枚ずつ受け取り、中身を確認する。すると気になる項目があった。アンリも同じところを気にして、ヤコブさんに問いかけた。
「あの、初年度は顧問料の代わりに全株式の1パーセントを申し受けるというのは?」
「君たちはどうせまだ資金も集まってないだろう? そんな状況で多額の顧問料を払うのは痛手となるだろうと思ってね。とはいえ私もビジネスとして関与する以上タダではできない。そこで株式を譲り受けるのが双方痛みがなくていいんじゃないかと思ってね。私なりの気遣いだと思ってくれたまえ」
足元を見られているというのが不快だった。私はアンリに耳打ちして確認する。
「なあ、この国ではインサイダー取引は合法なのか?」
「合法だよ。それに、全株式の1パーセントを持っていかれるのは痛いが、初年度顧問料をキャッシュで払わなくて済むのは大きい。呑むのがいいんじゃないかな」
「分かった」
私は二枚の契約書にサインし、一枚をヤコブさんに返した。
「それでは、これからよろしく、クリアウォーター社長、ルフェーヴル副社長」
ヤコブさんは満面の笑みで右手を差し出した。私は面持ち固くその手を握り返す。それはアンリも同じだった。
我々は足取り重くヤコブさんの税理士事務所を後にした。




