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「よせ!!」
ヨトゥン・エトランゼの声が闇に響いた。しかし、それはいつも見る夢の中でいつも叫びだしたくなる場面でいつものようにヨトゥンの口から同じ台詞が発されたにすぎなかった。
儀式のように、慣例のように、因習のように、呪いのようにそれは再度繰り返された。
むろん現実はすでに完結している。夢幻はその影をなぞっているに過ぎない。
ヨトゥンの声を待たず、仇敵レイスーン・ザムザが馬上にて狂刃を振り上げた。
愛馬トリアドの馬体が大きく傾ぐ。はち切れんばかりに発達した四足は辺り一帯に咲き乱れる彼岸花の毒によって軽傷を負っている。毒花の背丈は小人の身長ほどにも達しようとしていた。
「×××・××××!」
ヨトゥンが声にならない声で人の名前を発音した。
その時、レイスーンが駆け抜けざま人馬一体の動作で獲物を振り抜いた。
一瞬で顔のない女の首より上が胴体との連結を失った。傷口は凍り付こうとしている。
血塗れの刃の冴えは触れたものを凍てつかせるほどに高等な氷結の魔法術式で強化された蒼虎偃月刀のそれである。
ヨトゥンにはレイスーンの振り上げた刃の瞬きを他の何よりも痛烈に感じ取ることが出来た。その切れ味を思うと痛みを感じるほどに。
かの人の命を刈り取る刃は美しかった。美しかった。美しかった。
ふいに涙が流れた。大きく飛沫した返り血と頬を伝う涙が顔の表面で画材のように混ざり合う。
若き日の己を見るヨトゥンの心を抉るように追憶が立ち顕れた。そして、それは夢の中で蜃気楼の如くに儚くも虚ろな像を結び続けたのだった。
過去に囚われる愚かなヨトゥンは何を目にしようとも気づくことがないだろう。今ヨトゥンが見ているものこそが真理の階を上るための鍵に違いないのだ。
ヨトゥンは夢の暗示から何も感じ取ることなく学ぶこともなく初めて目にする人の死に魅せられ、意味をなさぬ壊れた唄を歌っていた。
紅の華が咲いた。真っ白の荒野に。夜明けと暁を待たず。蒼い眼の死神があの人を彼方に攫って行ってしまった。
ヨトゥンにかかった呪いを象徴するようにその場にいる誰もこの真実から逃れることは出来ない。
相克の烙印を押されたものが正対する御印に選ばれた者を滅ぼさんとする覚悟と反骨心を持ってヨトゥンは現実から目を背け、微睡の中で再度瞠目した。
しかし……。気がかりなことがある。
どうしてだろう。ヨトゥンには思い出せなかった。
なぜ、こんなにも悲しいのか。ヨトゥンが受けた数多の呪いの中でこれが最も残酷な部分だった。
夢から醒めたヨトゥンは起き抜けに血を流さんほどの力で歯噛みした。
全身の力を込め、地面に額を打ち付けた。何度も何度も。痛み、衝撃、後悔を引き金に蘇るものがあるならと懺悔の思いに浸るのは常の事だ。
しかし、どうにもならなかった。また記憶を失っていたのだ。
そのことだけは何より確実に認めることが出来た。
最初に消えたのは大切な人の名前の最初の一字だった。
次に眠った時は、あの人の右目の色を忘れた。次から次に愛しいあの人を特徴づけるものが失われていくのに、ヨトゥンは眠ることを拒むことが出来なかった。
もう顔も思い出せない。今となっては運命と呼ぶしかないあの人に名はなく、あの人を結ぶ像は無と有を組み合わせたズタ袋の案山子のような見てくれにとって代わろうとしていた。




