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お姉様の代わりに十五回お見合いに出た妹ですが、十六人目だけが私の名前を呼びました  作者: 月雅


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第7話「三十日目の朝」

窓の外で鳴る鐘の音を数えて、セリーヌは今日が何日目かを数えた。


違う。セリーヌではない。私だ。私は鐘の音を数えていた。


六つ。朝の六時。見合いの日から数えて、今日で三十日目だった。


報告書の提出期限。


目が覚めたとき、最初に思ったのはその数字だった。宿舎の小さな窓から朝の光が差し込んでいる。机の上には書箱と、オスカーがくれた本が並んでいる。いつもと同じ朝のはずだった。けれど今日は、空気の温度が違って感じられた。


身支度を整えて宿舎を出た。図書館の裏庭を通り、正面の階段を上がる。職員の何人かとすれ違い、軽く会釈を交わした。数週間前にはぎこちなかったその所作も、今は自然に身体が動いた。


書庫に向かおうとしたとき、マルタが廊下の角から顔を出した。


「リゼット、館長が呼んでるよ。館長室」


マルタの声はいつも通りだった。けれど目が笑っていなかった。


館長室の扉を開けると、オスカーが机に向かっていた。


机の上が片づいていた。いつもは書類と本が積み上がっているあの机が、今日はほとんど何もない。中央に一枚の紙が置かれているだけだった。


「リゼット嬢、座ってください」


オスカーの声は穏やかだった。けれど、いつもの講義調ではなかった。言葉が短い。余計な補足がない。


私は来客用の椅子に腰を下ろした。オスカーは机の向こう側に座ったまま、少しの間、沈黙した。


「今日で三十日です」


「……はい」


「報告書を書きました」


オスカーは机の上の紙に目を落とした。便箋ではなかった。公式の書式だった。王家の記録官府に提出するための、縁談結果報告書。


「真実を書きました」


その一言で、空気が変わった。


「名鑑に記載されたセリーヌ・クレールヴォー嬢ではなく、妹のリゼット・クレールヴォー嬢が見合いに出席していたこと。身元保証書は家長の印つきで提出されていたこと。見合いの席で本人が名乗り、経緯を説明したこと。すべて、事実の通りに」


指先が冷たくなった。


わかっていた。この日が来ることは、わかっていた。閉架書庫で読んだ外交記録の内容が頭の中で組み上がる。報告書が提出されれば、レストル王家の記録官府が照合を行う。保証書の印と名鑑の照合は書面で完結する。事実認定は即日から数日。通知と弁明の猶予が十四日。


「お姉様が……家が」


声が震えた。


オスカーは私の顔を見ていた。あの見合いの席と同じ、静かで正確な目だった。けれどその奥に、今まで見たことのないものがあった。


「リゼット嬢。報告書に嘘を書くことはできます。何も異常はなかったと記載し、提出すれば、この件は表に出ない。あなたのお姉上も、お父上も、今まで通りでいられる」


「……」


「けれど、それはあなたが犠牲になる形を続けるということです。十五回の代役が、なかったことになる。あなたが姉の名前で座った席が、あなたの名前ごと消える。それで誰も救われない」


「でも、報告書が出れば——」


「お姉上の縁談は止まるでしょう。お父上の社交上の信用にも影響が出る。それは事実です」


オスカーは目を逸らさなかった。


「それでも、記録に嘘を残すことは——私には、できません」


私は膝の上で手を握りしめた。


姉を守れる。この報告書を止めれば、姉を守れる。父の顔も立つ。家は今まで通りだ。私が黙って、ここから静かにいなくなれば——


それは、十七回目の代役だ。見合いの席ではなく、報告書の上で、また姉の身代わりになる。


オスカーの言葉が頭の中で繰り返された。「あなたが犠牲になる形では、誰も救われない」。


救われない。本当に、救われないのだろうか。姉は救われる。父は救われる。私だけが——


私だけが、消える。


「……止めません」


自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。


「報告書を、止めません」


オスカーの手が、机の上でかすかに動いた。報告書の端を指先で押さえた。


「……よろしいのですか」


「よくは、ないです」


声がかすれた。


「お姉様のことを考えると、よくはないです。でも——もう、代わりにはなれません」


言い切った。言い切ってしまった。


姉の顔が浮かんだ。「リゼットならできるでしょう?」と笑う姉の顔。父の書斎の逆光。保証書の赤黒い印。六年間、十五回、姉の名前で座った椅子。


もう、あの椅子には戻れない。戻りたくない。それが身勝手であっても。


オスカーは小さく頷いた。報告書を丁寧に折り、封筒に入れた。封蝋を溶かし、図書館長の印を押した。その所作は静かで、正確だった。


午後、フーゴが館長室に来た。


「報告書、預かりますよ」


フーゴはいつもの軽い口調で封筒を受け取った。外交書記官の書簡筒に収める。


「今日の外交便に載せます。レストル王家の記録官府に届くまで、七日から十日というところですね」


フーゴは封筒を筒に入れながら、ちらりと私を見た。


「出してしまいましたよ」


穏やかな声だった。穏やかだけれど、その言葉の重さを知っている声だった。


「届いたら、記録官府が保証書の印と名鑑を照合します。まあ、それはそれとして——リゼット嬢、何かあったら言ってくださいね」


フーゴは軽く手を上げて館長室を出ていった。


七日から十日。その後、照合と事実認定。通知と弁明の猶予が十四日。数字が頭の中で並んだ。父はまだ、リゼットの不在を「遊学」として処理しているはずだ。報告書が届いたとき、あの人はどう動くのだろう。


封蝋を押したオスカーの手を思い出した。あの手は、余白に私の名前を書いて消していた手と同じだ。その同じ手が、今度は報告書に封をした。真実を書いた報告書に。


オスカーはまだ、見合いの前に名鑑を三日間読んでいたことを私に話していない。あの正確さの理由を、まだ明かしていない。この人が隠しているものが何なのか、私にはまだわからない。


夕刻、私は図書館の屋上にいた。


普段は来ない場所だった。書庫の奥の細い階段を上がると、石造りの屋上に出る。柵は低く、風が強い。遠くにヴェルディーク王国の街並みが見えた。その向こう、地平線の先にレストル王国がある。


報告書は今、外交便の中にある。馬車か馬か、どちらかに揺られて国境を越え、七日から十日でレストルの記録官府に届く。届いたら、もう止められない。


足音が聞こえた。


振り返ると、マルタが階段を上がってきた。息を少し切らせている。


「こんなとこにいたの」


マルタは私の隣に来て、柵に肘をついた。何も聞かなかった。報告書のことも、私がここにいる理由も。ただ黙って隣に立ち、同じ方角を見ていた。


風が吹いた。亜麻色の髪が顔にかかった。


「マルタさん」


「ん」


「……ありがとうございます」


「何が」


「何がって言われると、うまく言えないんですけど」


マルタは鼻を鳴らした。


「礼なんかいらないよ。あたしは立ってるだけだから」


それだけだった。マルタはそれ以上何も言わず、ただ隣に立っていた。


風が止んだ。遠くで鐘が鳴った。夕刻の鐘。図書館が閉まる時間だ。


鐘が鳴り終わると、静けさが残った。朝の鐘とは違う種類の静けさだった。何かが動き出した後の、取り消しのきかない静けさ。


報告書はもう、この建物の中にはない。あの封筒は今夜のうちに国境に向かう便に載る。届いた先で何が起きるか、私にはわかっている。わかっていて、止めなかった。


マルタが柵から肘を離した。


「降りよ。食堂、閉まるよ」


「……はい」


階段を降りながら、レストルの方角をもう一度だけ見た。


父がどう動くか。姉がどうなるか。家がどうなるか。それは七日から十日の先にある。今の私にはどうすることもできない。できないことを選んだのは、私自身だ。


屋上の扉を閉めた。


鐘の音はもう聞こえなかった。けれどその残響は、階段を降りる足の裏に、まだ微かに振動していた。

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