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お姉様の代わりに十五回お見合いに出た妹ですが、十六人目だけが私の名前を呼びました  作者: 月雅


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第4話「並べ替えた棚」

「……これ、全部間違っている」


朝の書庫で、私は名鑑資料の棚の前に立ち尽くしていた。


図書館に来て数日が経っていた。マルタに言われた通り、一般書庫の資料整理から仕事を始めた。初日に気づいた名鑑写しの配列の乱れは氷山の一角だった。名鑑資料の棚全体が、何年もかけて少しずつずれていた。


索引冊子の並び順。改訂版と旧版の混在。家名の変更が反映されていない写しの放置。各国の名鑑が発行年ではなく受入日順に並んでいる区画。


見合いの準備で十五回分の名鑑を暗記してきた私の目には、そのすべてが見えた。


けれど、口に出すべきかどうか迷った。初日に一箇所指摘しただけでマルタが驚いていた。これ以上でしゃばれば、臨時補佐の分際で何様のつもりだと思われるかもしれない。


黙っていよう、と思った。迷惑をかけないように、言われた仕事だけを——


目の前の棚で、ヴェルディーク王国の名鑑索引が、レストル王国の索引の間に挟まっていた。このまま誰かが引けば、間違った国の索引を参照することになる。


指が勝手に動いた。


索引を正しい位置に戻し、ついでに隣の冊子も確認した。やはりずれていた。直した。その隣も。気がつくと、棚の端から端まで目を走らせていた。


「……何してるの」


振り返ると、マルタが腕を組んで立っていた。


「す、すみません。名鑑資料の配列を確認していたら、いくつか不備があったので——」


「いくつか?」


マルタは棚に近づき、私が並べ替えた箇所を見た。それから、まだ手をつけていない箇所を見た。


「ここは?」


「ここは……改訂版の受入処理が済んでいるのに旧版が撤去されていません。両方残すなら区別の付箋が必要ですけど、ありません」


「こっちは?」


「家名変更の反映漏れです。三年前にブラウンシュヴァイク家がベルク家に改称していますけど、索引の見出しが旧家名のままです」


マルタは黙って棚を見つめた。それから、ゆっくりと私に向き直った。


「あんた、これ全部頭に入ってるの? 各国の家名変更の時期まで?」


「……全部ではないですけど、レストル王国と、ヴェルディーク王国と、あと近隣の数カ国は」


「数カ国」


マルタは目を見開いた。台帳を持ったまま、片手で自分の額を押さえた。


「ちょっと待ちな。あんた、到着初日に改訂版と旧版の逆置きを見つけて、今日は配列の全体不備を洗い出して、しかも三年前の家名変更まで覚えてるって? それ、何で?」


「……見合いの、準備で」


「見合いの準備で貴族名鑑を丸暗記する人間がいるんだ」


マルタの声には呆れと感嘆が半々に混じっていた。台帳を棚の端に置き、私の隣に立った。


「いいよ。全部直しな。あたしが確認するから、あんたが指示を出して」


「え——私がですか?」


「あたしよりあんたの方が名鑑に詳しいんだから当然でしょ。遠慮してる暇があったら手を動かしな」


迷う余地がなかった。マルタに促されるまま、棚の端から順に不備を洗い出し、正しい配列を指示していった。マルタは驚くほど手が速かった。私が一つ指示を出す間に、三冊を動かしている。


昼過ぎに、館長室の扉が開いた。


「失礼する。マルタ、午後の閲覧申請の件で——」


オスカーが書庫に入ってきて、棚の前で作業する私たちを見た。足が止まった。


「これは」


「名鑑資料の総点検。リゼットが不備を全部洗い出してくれてるんだよ」


マルタが台帳を片手に振りながら言った。オスカーは棚を見渡し、それから私を見た。あの見合いの席と同じ、何かを確かめようとする目だった。


「リゼット嬢、これはあなたが?」


「はい……すみません、指示された仕事ではないのですけど、気になってしまって」


「謝ることではありません」


オスカーは棚に近づき、並べ替えられた索引の列を指でなぞった。


「正確です。発行年順、国別配列の統一、改訂版と旧版の区分も合っている。これは相当の知識がなければできない作業です」


「見合いの準備で覚えただけですので……」


「十五回分の準備、ですか」


その言葉に、私は一瞬だけ息を詰めた。オスカーはそれ以上触れなかった。ただ小さく頷いて、「助かります。引き続きお願いします」と言い、館長室に戻っていった。


マルタが私の肩をぽんと叩いた。


「褒められたじゃない。あの人が作業の途中で口を挟むなんて珍しいんだよ」


「……そうなんですか」


「普段は閉館するまで館長室から出てこないからね。よっぽど気になったんでしょ」


夕刻、作業を終えて書庫を出ようとしたとき、廊下で聞き慣れない声がした。


「やあ、これはこれは。噂の臨時補佐さんですか」


振り向くと、亜麻色の髪をした若い男性が立っていた。柔らかな笑顔。仕立ての良い外套。腰に下げた書簡筒には外交部の紋章がついていた。


「フーゴ・ブランケンブルク。外交書記官です。館長とは学生時代からの付き合いでして」


「リゼット・クレールヴォーです。……はじめまして、ブランケンブルク様」


私は慌てて姿勢を正し、頭を下げた。フーゴは片手を軽く上げて「堅くならなくて大丈夫ですよ」と笑った。


「今日はオスカーに用があって来たんですが——ちょうどいい。リゼット嬢もご一緒に聞いていただいた方がいいかもしれません」


フーゴに案内されて館長室に入ると、オスカーは机に向かっていた。フーゴを見て、かすかに目を細めた。


「フーゴ。何の用だ」


「まあまあ。縁談報告書の処理状況を確認しに来ただけですよ。外交書記官として、ね」


フーゴは軽い口調で椅子に腰を下ろした。オスカーとは対等な態度だった。学友というのは本当らしい。


「報告書の提出期限は見合い日から三十日以内です。オスカー、あと何日か把握していますか」


「把握している」


オスカーは短く答えた。フーゴは頷き、それからちらりと私を見た。


「まあ、それはそれとして。期限内に出してもらえれば、こちらで外交便に載せますので」


報告書。三十日以内。


あの見合いの日から数えて、もう十日以上が過ぎている。残りの日数を頭の中で数えた。あと二十日を切っているはずだ。


オスカーはフーゴにいくつかの書類を渡し、事務的なやり取りを交わした。私はその間、椅子に座ったまま黙っていた。報告書にオスカーが何を書くのか、聞きたかった。聞けなかった。


フーゴが立ち上がり、「では、期限を忘れないでくださいね」と軽く手を振って出ていった後、オスカーは机の上の書類を揃えながら、ふと思い出したように言った。


「リゼット嬢。書庫の整理をしていたら、こちらが出てきまして」


差し出されたのは一冊の本だった。革装丁の、小ぶりな書籍。表紙に『両国間外交儀礼概説』と刻印されている。


「名鑑の配列に詳しい方なら、外交儀礼の体系にもご興味があるのではないかと思いまして。もしよろしければ」


私は本を受け取った。古いが状態の良い革表紙。書庫の奥に埋もれていたにしては、埃がついていなかった。


「……ありがとうございます。お借りしてもよろしいですか」


「どうぞ。返却の期限はありませんので」


オスカーはそう言って、何事もなかったように書類に目を戻した。


廊下に出て、マルタとすれ違った。マルタは私の手元の本を一瞥し、それからオスカーの館長室の方を見て、小さく首を傾げた。


「何それ、館長にもらったの?」


「はい。書庫の整理で出てきたそうで——」


「嘘つけ。あの本、昨日あたし宛の発注書に載ってたやつだよ。外部の古書商から取り寄せたんだ」


マルタはあっさりとそう言って、台帳を抱え直した。


「まあいいけどね。あの人なりの感謝の仕方なんでしょ」


マルタは廊下の奥へ歩いていった。


私は手の中の本を見下ろした。書庫から出てきた、のではない。わざわざ外部から取り寄せた本を、「出てきた」と嘘をついて渡した。


この人は、嘘が下手だ。


見合いの席で感じたあの印象が、また浮かんだ。けれど今度は、怖さではなく、くすぐったい不思議さが胸の中に広がっていた。


名鑑を丸暗記している人間が外交儀礼に興味があると推測して、わざわざ古書商から取り寄せて、嘘をついて渡す。その回りくどさが、おかしかった。


宿舎に戻り、机の上に本を置いた。書箱の隣に並べると、私物がひとつ増えたような気がした。借りものの部屋に、借りものではないものが。


窓の外で日が暮れていた。報告書の期限まで、あと二十日を切っている。オスカーがあの報告書に何を書くのか、まだ聞けていない。


けれど今日、私が並べ替えた棚を見て「正確です」と言ったあの人の目は、見合いの席で嘘を見抜いたときと同じ目だった。何かを正確に、確かめようとする目。


あの目が、今度は嘘ではなく本当のものを見ていた。


それがどういう意味なのか、まだわからなかった。

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