第37章 千楓の限界
連載再開、2話目です。
ここから少しずつ――
止まっていた時間が、また動き出します。
今回の主役は千楓。
彼女がどこまで投げられるのか、そして――
「なぜそこまで投げようとするのか」。
ぜひ最後まで見届けてください。
なんだ……9回まで投げれたじゃん、千楓。
不思議な感覚だ。
こんなにも疲れているのに、マウンドに上がると少し元気になる。
あと何イニング投げられるか分からないけど、この気持ちは失くしたくない。
投げるのは好きだ。
嫌な記憶も全部……好きな思い出に塗り替えてくれる。
空を見上げて呟く。
「今日は晴れてよかった。」
「千楓ー! 待たせたな!」
相棒がやっと準備してキャッチャーボックスに座った。
あたしは投球練習なのに思いっきり投げ込む。
さて、10回目はどうかな?
⸻
葛城学園女子野球部の存続を賭けた試合も、とうとうここまで来た。
延長10回表。
先頭打者の7番打者が打席に入り、千楓と向かい合ってバントの構えをする。
千楓はセットポジションに入って顔だけ二塁を見て、投球動作を始める。
ストライク、ボールに関わらず、7番打者は何度もバットを引いては見逃す。
そのたびに千楓は投げて、ダッシュして、息を吐く。
「くっ……はぁ、はぁ……」
ざっ! しゅっ! カッ!
追い込んでからはバスターを繰り返し、何球も粘られる。
顔を伝う汗が滝みたいに頬を流れ落ちていく。
指先まで湿ってきた感覚に、千楓は慌ててポケットに手を入れ、そのままハンカチで指先を拭う。
ロジンを指先にすり込みながら、軽く握っては開く。
……何か、いつもと違う。
掌の中に、微かな違和感があった。
「この回だけでも……」
ほんのちょっとの違和感を消し飛ばすように、ふっ!と指に吹きかける。
セットポジションに入り、捕手のミットを目掛けて力一杯投げる。
ざっ! しゅっ!
だが、投球は狙ったところよりも真ん中寄りに行ってしまった。
カキーン!!
7番打者はその球を逃さず、投手の頭上を高く越える大飛球を放つ。
打球を中堅手が追いかける。
千楓はそれを見れなかった。
マウンドで膝に手を付いて俯いたまま歯を食いしばる。
(もうだめだったかな……)
「「「おおお〜!!!」」」
大歓声。
「戻れ、戻れ〜!!」
慌てた男性たちの声が聞こえたので振り向くと、中堅手がグラブでボールを持ってこちらに見せていた。
「ナイスキャッチー!!」
「ワンナウト、ワンナウト!」
ボールが遊撃手経由で戻る。
タイムをかけて梓がマウンドに駆け寄ってきた。
「助かったな、千楓」
「ごめん、今みてなかったんだ。何があったの?」
「おいおい、あんなファインプレーを見てなかったのか。センターが後ろ向きで飛ぶように捕ったんだ」
「そうだったんだ、それはすごいね」
「千楓、本当に大丈夫か?」
チームを救ってくれたファインプレーを他人事のように聞く千楓に、梓は不安を覚える。
「ごめん……この回だけでも投げさせて」
「わかってるさ。キミは本当に引かないからな」
⸻
千楓がまたロジンを塗っていると、球場の放送が流れる。
「レッドアイアンズ、選手の交代をお知らせします。8番……に代わりまして日向」
背はそこまで高くはないが、横幅が広く、素振りの音が鋭い。
ブボォン! ブボォン!
「代打か……また力強そうなバッターだね」
代打・日向が放つ異様な雰囲気に圧倒されそうになる。
普段の千楓なら呑まれはしない。だが今は――9回以上投げ続けた疲労が、その威圧を倍にも感じさせた。
鼓動が速くなり、息も荒くなる。
持っていたロジンが手から離れない。
「千楓……?」
その様子を見た梓が声を掛けようとすると――
ズドン!!
球場内に爆音が響きわたる。
「ま、また?」
「な、何の音?」
ざわつく観客。
ズドン!!
「ふふふ……あははは!」
「どうしたんだ、千楓!」
「梓……あたしのボール、まだ受けてくれる?」
「キミが投げられるなら、私は何度でも受けるさ」
「後ろのみんなも守ってくれるよね」
「当たり前だ」
「ベンチのみんなも応援してくれるよね」
「もちろんだ」
「うん、大丈夫。投げられる」
「千楓……わかった。最後まで受けるよ、私も後悔はしたくない」
千楓の言葉を聞いて、梓も静かに決意する。
「ありがと、梓」
梓がポジションに戻ると、千楓は手をグーパーと開いたり閉じたりする。
(よしっ!)
日向が左打席に立ち、構える。
千楓はプレートに右足をつけ、少し間を置く。
(いーち、にーい、さーん、しーい、ごぉーお!)
ざっ! しゅっ! カキーン!
チェンジアップを引っ張られ、鋭い打球が一塁側ベンチに飛び込む。
「うお!」
「危なっ!」
二球目、内角低め――ボール。
三球目、外角ストレート――少し甘い。
カーン! グシャッ!
ファールゾーンに転がる。
「ファール!!」
三塁塁審が両手を挙げてコール。
「おっつけてあの打球って……怖いね〜」
にやりと笑いながら新しいボールをもらう。
どう攻めるか――。
四球目、外にボール。
五球目、チェンジアップを内角に。
ファール、場外。
「ふぅ」
そして――
パーン!
「ストライーク! スリー!! バッターアウト!」
日向のバットは空を切り、千楓のボールがミットに突き刺さる。
「……ふぅ」
落ち着かせるように息を吐く。
日向は悔しそうにベンチへ戻る。
監督・芦屋が呟く。
「もったいないな……」
マウンド上。
千楓はぐるん、ぐるんと右腕を回す。
9番打者が打席に立って向かい合う
さて…この打者で終わりにしてサヨナラにしてもらおう
帽子のツバを直し、梓のサインを覗く。
身体中がしんどい。
右肩と腕は、もう感覚がない。
左足を上げ、全力で腕を振る――
パーン!
「ボール!フォア!」
「あれ?」
一球もストライクゾーンに入らずに四球を出しちゃった
まずいなぁ、気を引き締めないと…そう思った瞬間
ぐらっ。
「えっ?」
「千楓!!」
「千楓先輩!!」
どさっ。
(あれ……空が見える)
少し傾いた空の向こうに、
青が、にじんでいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第37章「千楓の限界」でした。
タイトルの通り、
この章は“限界”を描いていますが――
同時に、「それでも投げたい」という衝動の話でもあります。
好きだからこそ、止まれない。
止まれないからこそ、壊れていく。
スポーツをやっていた人なら、
どこかで覚えのある感覚かもしれません。
そしてラスト。
あの瞬間が、この先の展開に大きく関わってきます。
次回、物語は大きく動きます。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。
次回も日曜日の21時に投稿します




