01-02:次元境界線防衛機構(ディバイダー)
刀を発現させてから振り抜くまでの所作に、無駄な動きは一切含まれていない。
紗香の一太刀は、O-disの『核』を正確に斬り落としていた。
「《像断》。ご苦労様です」
『ふわぁ、おつかれぇ』
斬り払ったO-disの消滅を確認し、紗香は《像断》を労う。
仕事を終えた《像断》は、欠伸をするようにその機能を停止させていく。
瞬く間に日本刀を模した高位次元力精製炉は刃を失い、紗香の手には柄だけが握り締められていた。
「さすが……」
凛が思わず、感嘆の声を漏らす。
戦いを初めてから終わるまで。紗香の一連の動きには、どこか気品があった。
絵になると言った方が正しいのだろうか。兎に角、美しい。
黒く長い髪は揺れ、切れ長の整った顔立ちはどこかアンニュイな雰囲気を醸し出している。
この一瞬を切り取って、絵画として描き上げても成立をするに違いない。凛は、そんな気がしていた。
ただ、凛がそんな事を考えていられるのも今だけの話だ。
間も無く自由落下を終え、彼女の足は再び大地を踏みしめる。
「紗香ちゃん、ありがとう」
紗香と目線の高さが合った瞬間、何が起きるかは予測済みだ。
少しでも硬い空気を誤魔化すように、彼女は引き攣った笑顔を作り出した。
「凛……」
少しだけ驚いた反応を見せる紗香だが、次の瞬間にはジッと物言いたげな視線へと変わる。
予想通りの反応だと、凛の顔は益々引き攣っていた。
「毎回、毎回。貴女はいつも……!
何度言えば解かるのですか? 一人で先走って行動するなとあれほど――」
(あー……。始まった……)
キリッとした格好いい声も自分への説教だと思うと、途端に聞きたくなくなる。
つらつらと並べられていく怒りの言葉に、凛はうんざりとした表情を浮かべる。
尤も、それを紗香に見られようなものなら語気が強くなるので見られないように注意をしながらだが。
『凛、懲りないよね』
「うるさいな」
《忘音》も呆れているようで、頭の中で小さな声が聞こえる。
予期せぬ方向から飛んできた紗香への援護に口を尖らせる凛だったが、間の悪い事にその様子を紗香に見られてしまった。
「凛? ちゃんと聞いているのですか?
貴女は私と組んでいるのですから、足並みを揃える必要があると何度も――」
もう、耳にタコが出来るぐらい聞いた言葉。けれど、いくらくどくても紗香はその度に言い続ける。
当然だ。凛が彼女の言いつけを守るなんて、殆どないのだから。
彼女は初根市で裂空現象が起きれば、直ぐに一人で駆け付けてしまう。
他の全ては頭から消え去り、裂けた空へと走り始める。
そうしなくてはいけないと、強い焦燥感に駆られながら。
「でも、あたしが先に到着したから被害が少なかったんだよ。間違ってないと思う」
目を泳がせながらも、凛は反論をする。
指示に従っていない点は負い目に感じつつも、現場へ急行する点については譲らない。
「あたしは……。間違ってないよ」
いや、譲れない。だって、あかりとはずっとそうしてきたから。
《忘音》を使えば、誰よりも速く着く。そうした方が、傷付く人は減る。
間違っているはずがないと、凛は己に言い聞かせるように絞り出していた。
『あーあ……』
凛がはっきりと紗香に言い放つ一方で、《忘音》は声を漏らした。
どうしてわざわざ、紗香の神経を逆なでしてしまうのか。
間違いなくお説教が長引いてしまう。一緒に聞く自分の身になって欲しいと、呆れていた。
「いくら正当化しようとも、貴女の言い分は結果論に過ぎません! 大体、貴方は――」
「結果論でも、誰も傷付かないのが一番正しいに決まってるじゃん!」
案の定というべきか。凛を見る紗香の視線が、一段と厳しいものへと変わる。
それでも凛は譲らない。熱を持った言葉が、互いの口から放たれる。
振り上げた拳を下げられる程頭は冷えていないし、そこまで大人でもない。
互いの主張がぶつかり合い、引き下がれなくなろうとした瞬間。
二人のインカムに、女性の声が流れる。
「はーい、ストップ。これ以上のケンカはお姉さんが許しませんよー」
「佐和さん……」「まどかさん」
声の主の名を、二人が同時に呟く。
通信士の佐和の、どこか余裕のある声に二人は落ち着きを取り戻そうとしていた。
「凛ちゃんは被害が広がらないように、《忘音》を使って現場へ急いだ。
紗香ちゃんは出足が遅れたけれど、凛ちゃんのおかげで討伐に専念できた。
その事実は、どれだけ喧嘩しても揺るがないでしょう?」
「それは、そうですけど……」
勝手な行動を取った凛の肩を持っている件には若干不服だが、間違ってはいない。
複雑な表情を見せながらも、紗香は小さく頷いた。
一方の佐和も、この言い方では紗香に不満が残る事は気付いている。
だから、ここは自分がお互いの考えを代弁する事で場を収めようと考えていた。
「勿論、私だって相談も何もなしに凛ちゃんが動いたのは良くないと思う。
凛ちゃんは現場へ急行するだけじゃなくて、何をするかをきちんと伝えないと」
「……ごめんなさい」
ぐうの音も出ず、凛は謝罪の言葉を口にした。
佐和の言う通りだ。自分が急いだのは、被害を拡大させない為だ。
O-disの気を引くだとか、避難者を誘導するだとか言っておけば、紗香もここまで怒っていなかったかもしれない。
「どうして佐和さんの時はこんなに素直なんですか」
『言い方だろうね』
自分も同じ事を伝えているつもりなのに、彼女は反発をする。
腑に落ちないという表情を見せる紗香に、《像断》は呆れていた。
「凛ちゃんは昔のクセが抜けていないのかもしれないけれど、今はもうウチの一員なんだから。
報・連・相はしっかりしないとね?」
「はい……。ごめんなさい」
佐和の言う『ウチ』とは、彼女達が所属する対O-dis組織を示している。
正式名称、次元境界線防衛機構。O-disの討伐を目的とした、民間企業だ。
凛は高校へ上がると同時に、次元境界線防衛機構へ所属をしていた。
その為、本来なら紗香は上席に当たる。
説教だけで済ませようとしているのは、彼女なりの優しさなのだが凛に知る由はない。
「ま、今日のところは被害者もいないみたいだし。これで万事解決ってことで。
報告は紗香ちゃんに貰うから、凛ちゃんは帰っていいよ」
「佐和さん!?」
そこまでは許可していないと、紗香が声を上げる。
いくらなんでも甘やかしすぎではないかと訝しむものの、反応を読んでいたのか佐和の反応はどこ吹く風だ。
「まあまあ、明日から新学期なんでしょ? なら、少しでも疲れを取らないとね。
先輩になるんだから、くたびれた顔は見せられないでしょ」
「私も明日から新学期なんですが……」
凛と同じ初根ヶ丘高校に通っているのだから、自分の春休みも同じ期間だ。
その理屈はおかしいのではないかと、紗香は眉間に皺を寄せる。
「紗香ちゃんはしっかりしてるから。それに、凛ちゃんだけに報告しろって言ってもついてくるでしょ?
だったら、もう紗香ちゃんにしてもらった方がいいかなって」
「確かに、そうですけれど……」
佐和の指摘は間違っていない。凛だけに報告を任せると、内容に不安が残る。
気になって仕方がないので、自分はついていくだろう。
ならばせめて、凛だけは休ませてやりたいという優しさなのだろうか。
それはそれで、甘すぎる様な気がして仕方ないのだが。
紗香の中では、佐和の言葉は消化しきれていない。
けれど、ここで言い争いをしたところで結果は変わらないだろう。
なら、言う通りに進めた方がいいかもしれない。
佐和本人に意図を聞く意味でも。
「……解りました、報告は私がしておきます。
凛は、帰って休んでください。また明日、学校で」
先刻まで怒っていた影響で、紗香はどう表情を取り繕えばいいか分からない。
怒らないように。甘やかさないように。けれど、剣呑な雰囲気にならないように。
そう意識した結果、彼女はややぶっきらぼうな言葉を凛へと投げかける。
「うん。ありがと、紗香ちゃん。それと、ごめんね」
「いえ……」
軽い挨拶を交わすと、鈴の音が鳴る。凛の姿はあっという間に消え、残るのは柄となった《像断》を握り締める紗香のみ。
彼女が放った「ごめんね」が何に対してなのかは、訊けなかった。
「じゃ、紗香ちゃんは支部へおいで」
凛が居なくなると同時に、インカムから声が聞こえる。
なんとなくだが、声のトーンから佐和が手招きをしているように思えた。
そこで漸く紗香は、佐和の意図に気が付いた。
恐らく、彼女は自分と二人で話したかったのだ。
「分かりました」
回りくどい手段を採ってまで、自分と話したいもの。
心当たりはひとつ。状況から察するに、凛の事だろう。
紗香は会話の内容を想像しながら、支部へと歩み始める。
次元境界線防衛機構初根市第三支部。
ここが彼女の、現在の居場所。この国を護り続けていた誇りを守る、砦。