01-03:二人の少女に必要なもの
自動ドアが開き、無機質な空間が視界へと広がる。
自分しかいない空間に靴の音を響かせながら、紗香は指令室の扉を開けた。
「安達紗香。ただいま戻りました」
「おかえり、紗香ちゃん」
紗香の帰還を出迎えるように、佐和が椅子をくるりと回す。
肩まで真っ直ぐに伸びた髪が遠心力に振られている。
凛辺りが行えば子供っぽい所作に見えるだろうが……。
どういう訳か、佐和のそれは妙な色気を感じさせる。
「何か飲む?」
「いえ、お構いなく」
佐和の厚意に遠慮をしながら、紗香は空いている椅子へと腰掛ける。
普段は誰も座らないので、実質的に紗香の指定席となっている場所だ。
次元境界線防衛機構、初根市第三支部。
凛や紗香が所属するこの支部の人員は四人と、非常に少ない。
まず、戦闘に赴く適合者が紗香と凛しかいない。
これでもまだマシだ。凛が来るまでは、紗香一人だったのだから。
通信士は佐和一人で運用している。
適合者や他支部との連携、避難経路の確保、O-disの情報収集。ついでに、自分と凛の仲裁まで。
これらを全て彼女が担っているのだから、紗香は頭が上がらない。
「凛ちゃんは、相変わらずだったね」
「ええ」
紗香の語気は、まだ僅かに荒い。
怒りが収まっていないのだと、佐和は苦笑いをする。
「まあ、仕方ないよね。あかりちゃんがあんなことになったんだから」
「それは……。そうかもしれませんけど」
「あの後は、本当に酷かったからね」
解っている。丁度一年前に、凛はあかりを失った。
凛はあれから、初根市内の至る所で鈴の音を鳴らしている。
探しているのだ。唯一の行方不明者である、天間あかりを。
紗香は必死にあかりを捜索する彼女と、何度も遭遇をした。
目は虚ろで、自分の身体が悲鳴を上げる。《忘音》がいくら止めても、凛は無視し続けていた。
そんなボロボロの彼女を、紗香は見ていられなかった。
次元境界線防衛機構に入れば、事件の記録も見られる。
自分や佐和だって、捜索の協力が出来る。そう言って、彼女へ手を差し出した。
凛は逡巡の後、紗香の手を取った。
「実際、入隊してからはマシになったと思うよ。
まあ、裂空現象を見るなり飛んでいくのは変わってないけど」
あの頃に比べると、凛の精神は幾分か落ち着いているように見える。
あくまで表面上は、だが。
裂空現象を見るなり飛んでいくのは、きっと彼女なりの誓いと後悔だ。
あかりを巻き込んでまで、O-disに立ち向かっていた。
組織に属したからと言って、手を抜く訳にはいかない。
一人でも。ひとつでも。O-disの脅威から、皆を守らなくてはならない。
きっと彼女の原動力は、あかりとの日々が根底に存在している。
「正直、私は考え無しに飛び込んでいくのは看過できません。せめて私と合流後に、現場へ向かうべきです。
一年前のように凛の手に負えないO-disが現れた時。凛に何があってからでは、遅いのですから……」
何度も、凛に伝えている事だ。けれど、彼女はいつも愛想笑いで誤魔化す。
自分はまだ彼女に信頼されていないのではないだろうかと、紗香の気が沈むのも無理はない。
「私もそれとなく伝えてはみたけど、気乗りはしていないみたいだったわよねぇ。
解決策が無いわけじゃ、ないんだけど」
「あるんですか!?」
佐和は机の上に肘を乗せ、じいっと紗香の顔を見つめる。
どんな妙案なのだろうと期待する彼女へ、佐和は意地悪っぽい笑みを浮かべた。
「紗香ちゃんが、凛ちゃんともっと仲良くなればいいのよ。
そうね、それこそ親友って胸を張って言えるぐらいに」
期待したものと乖離した答えに、紗香の眉間に縦皺が刻まれる。
彼女が言葉を失っていると、《像断》の声が頭に響いた。
『紗香には難しいんじゃない? いっつも怒ってるし』
「なっ……!」
突かれたくないところだったのか、紗香の顔が一瞬にして紅潮する。
《像断》の声が聞こえない佐和も、彼女の様子から会話の内容を察していた。
「仕方ないよね、慣れてないもん。
でもね、きっと今の凛ちゃんには受け入れてあげる方が大切だよ」
恐らく、今の凛は恐れている。
親友だけではなく、他の人まで失う可能性を。
万が一が起きても、自分だけなら。強い自己責任が、独りで駆ける理由なのではないかと。
だから、信じてもらわなくてはいけない。
自分達は味方で、決していなくなったりしないと。
凛に一番必要なものは、安心だ。
そして、願わくば。
幼少期より修行ばかりで同年代の友人を作る余裕が無かった紗香と、本当の友達になってあげて欲しい。
お節介かもしれないが、女の子は笑っている方が何倍も素敵なのだからそうして欲しい。
「凛ちゃんも悪いとこはあるけど、怒り過ぎるのもほどほどにしてあげなよ」
「佐和さんまで……」
悪戯っぽい笑みを浮かべる佐和に、紗香は眉を下げる。
怒りっぽいのは悪いと思ってはいるが、馴れ合うだけでは危険を孕んでいる。
どういう塩梅が求められているのだろうかと頭を悩ませていると、新たな足音の接近を耳が捉えた。
「紗香」
「お父様……!」
「支部長、お戻りになられたのですか」
紗香と佐和は声の主を確認すると立ち上がり、姿勢を正す。
彼の名は安達謙吾。紗香の父であり、次元境界線防衛機構初根市第三支部の支部長を務める。
初根市第三支部最後の一人であり、人員が切迫している理由でもあった。
初めて空が裂けた、あの日。
謙吾はO-disとの戦いに赴くも、まるで歯が立たなかった。
時代の影響か、不本意ながらその様は世界中に晒される事となる。
何も知らない人からすれば、その様はとても頼りないものに見えただろう。
一方で、O-disに対抗する組織が必要だと訴えたのも彼だった。
古来よりこの国を護ってきたという誇りと、一族が持つ繋がりにより次元境界線防衛機構の結成に一役買った。
高位次元力精製炉こそ扱えないが、彼も未だO-disと向き合っている。
尤も、それはあくまで全ての経緯を知っている者の視点となる。
何も知らない。後から組織に加入した者からすれば、謙吾は「情けないオヤジ」に見えてしまう。
結果、彼を理由に組織の加入を断る適合者まで現れる始末だ。
この状況を受けて、次元境界線防衛機構はひとつの決断を下す。
創立者の一人である安達謙吾を、初根市第三支部の支部長へと任命。
実質的には左遷だが、謙吾は恨み言のひとつも言わずに受け入れた。
以後、次元境界線防衛機構の本部や他の支部では着実に適合者が加入している。
いつまで経っても人が増えないのは、この初根市第三支部だけだった。
「紗香。無事でよかった」
「はい、私は負けません。お父様の分まで、O-disを討伐してみせます」
(支部長は、本当に紗香ちゃんが大切ね)
人数的には足りないが、佐和は今の状況を気に入っている。
労うより先に、娘の安否を気に掛ける姿は父親のそれだ。
今の紗香が凛に向けてあげるべきものを、彼は実践してくれている。
(紗香ちゃんも、嬉しそうに)
何より、紗香は嬉しいのだ。父の力になれている事が。
こういう少女らしい一面を凛が見れば、もっと仲良くなれるのに。
色々と噛み合わない二人だなと、佐和は苦笑をした。
「ところで、音無君はまだ――」
「り、凛は……」
部屋を見渡す謙吾だが、凛の姿が確認できない。
言い淀む紗香を気遣ってか、佐和が代わりに答える。
「そうですね、一年前の事件を引き摺っているようです」
「そうか。あの事件は、次元境界線防衛機構も大きな痛手を負った。
彼女の気持ちは、察するところがある」
事実、次元境界線防衛機構も六名の適合者を喪っている。
現場に居た凛の心の傷は、相当に深いだろうと察するものがある。
「ウチに来てからも、ずっとあかりちゃんを探していますよ」
「そうか……」
顎に手を当て、謙吾は深く考え込む。
一通りの整理を済ませ、謙吾は二人へと尋ねた。
「それで、天間君の手掛かりは掴めたのか?」
「いいえ、全くのゼロです」
佐和は首を横に振る。
「音無君は、相変わらずか?」
「そうですね。凛自身、何も分からないまま走り回っていると思います」
痛々しそうな表情を浮かべながら、紗香が首を横に振る。
「音無君は唯一の生存者だ。何か、その時の状況を思い出したりは?」
「そっちも変化なしですよ」
再度首を振る佐和に、謙吾は頭を悩ませる。
あの事件は、色々と腑に落ちない事が多い。
「凛は二度目の裂空現象が起きる直前、天間さんの手によって視界を隠されていました。
突然視界を奪われた影響で、記憶が混乱してしまっているのかと」
「そうだな……」
天間あかりが姿を消す直前に、二度目の裂空現象が起きた。
その際、凛はあかりの高位次元力精製炉である《天掏》によって視界を奪われている。
凛に凄惨な光景を見せたくなかったのか。他の理由があったのか。真相は誰にも分からない。
「そもそも。あの裂空現象は何だったの?」
佐和の疑問は、O-disと対峙する者にとっては至極当然なものだった。
二度目の裂空現象で、O-disが観測されていないのだ。
いや、されていないだけなら構わない。むしろ、減っている。
六名の適合者を殺したO-disが、姿を消しているのだ。
「O-disが帰った……。のでしょうか?」
一番あり得そうだと感じた可能性を、紗香は口にする。
彼女とて、何の根拠もなくそう言っている訳ではない。
命を落とした六名の適合者。彼らの持つ高位次元力精製炉が、全て消えているのだ。
例外はひとつだけ。唯一、行方不明扱いになっているあかりの《天掏》だけは半分に割れた状態で転がっていた。
自分達の天敵と成り得る存在、高位次元力精製炉。
それを次元の向こう側へ返す為に、裂空現象を引き起こしたのではないか。紗香は、そう考えている。
「その話、前もしたことがあるけど……」
頭をボリボリと掻きながら、佐和が眉間に皺を寄せる。
紗香の想像通りであるのならば、凛にとっては残酷な現実でしかない。
「はい、裂空現象に巻き込まれた天間さんは……」
O-disの帰還に巻き込まれ、あかりは次元の向こう側へと消えてしまった。
そう結論せざるを得ない。
だから、紗香も佐和もこの話題を凛の元でした事はない。
今の彼女には、ひとかけらでもいいから希望が必要だから。
視界が消え、記憶が曖昧なのは不幸中の幸いなのかもしれない。
「本部でもその可能性は示唆されているが……。
まだ結論は出せていない。何より、解らないことが多すぎる」
「そう、ですね……」
紗香は言い表しようのない不安に、奥歯を噛みしめる。
あの一度きりしか起きていない現象を、解明する事は出来るのだろうか。
何より、解明した暁にはあかりの安否がはっきりしてしまうのではないか。
凛の気持ちを思うと、どちらが正解なのか紗香には判らない。
「唯一の生き残りである音無君の記憶が頼りだ。
どんな些細なことでもいい。彼女の記憶を取り戻す、手助けをしてあげられないか?」
「はい、お父様……」
とても残酷な願いだと思いつつも、紗香は首を縦に振る。
友を大切に想う気持ちと、O-disという驚異からこの国を護るという使命。
自分の本心は、どちらにあるのだろうか。
紗香の天秤はまだ、釣りあいがとれている。故に、彼女は悩み続けていた。
せめて、凛とあかりのように心が通じ合っていれば。
そう思わずにはいられなかった。




