38.エピソード・エンペラー:落日の雨音
「…このことは全員に秘密にしておいてくれ」
世紀は暗の拠点に戻った。
「世紀! お前、また無世界劫河ってとこに行ってたのか!?」
「…ああ。ネロに、メレートは見つかったかと言われた」
すると世紀は早歩きでムーに向かっていった。
「今度は何…」
「ムー。時と無が尽きた果てには、何があると思う?」
「…新しい世界? それとも…」
「…天国?」
すると、ルベリウスが帰ってきた。
「なんか楽しそうにババ抜きしてたからちょっとやって来たぞ」
だから時間がかかったのかと、翠が頭を抱えて呟いた。
「…暗にまともな人は居ないのか?」
「僕はまともでは無かったのか?」
エンペラーが久しぶりに口を開いた。腕を組んだまま見下すように翠の目を見つめている。
「…まだまともな方か」
するとルベリウスは何かを思い出したように喋りだした。
「そういえば、クータスタに薬を渡しに行く時には途中黒い傘が見えてた気がするんだが、さっきは無かったな」
それに連なり、ムーがルベリウスに歩み寄った。
「それって黒傘の情報屋さんじゃない?」
「あー、言われてみれば確かに、そんな気はするな。その黒傘の情報屋って奴、なんか他に言ってたか?」
ローグは記憶の混在により忘却されたが、ムーは(やや)はっきり覚えていた。
「なんだか…天気予報って言ってた。確か『怪雨』って…」
『怪雨』と聞いたエンペラーはすぐに反応し、突然叫んだ。
「何故それを今まで言わなかった!!」
「わ!!!」
ムーは驚いて尻もちをつきながらエンペラーより大きい声を上げた。
「…すまない、声が大きすぎた。だが、どうしてその黒傘の情報屋が『怪雨』の事を…それに、もうすぐ来る、と?」
すると彼は真剣な面持ちでこう言った。
「…全員、逃げよう」
───しばらくして。
「なあ、本当にここでいいのか?」
「事態は焦眉の急。平坦な場所であれば、撤退も容易だろう」
エンペラーは腕を組んで佇んだまま、一歩も動かない。ルベリウスとローグ、ムーは状況が飲み込めないまま、リズとクータスタを連れて一箇所にまとまった。
「何が起きるってんだよ…」
「…『灰融の怪雨』。知っているか?」
すると、足音がした。大きい六角形の影が現れた。黒い傘が視界に入り、長い黒髪が靡く。
「僕の国を一瞬にして滅ぼした、歴史上最も謎に包まれた現象だ」
目の前の女性は皆を見下しニヤリと笑った。
「みんな、忘れ物、傘は?」
「…僕の眼が見紛っていなければ、あの雨の範囲はギルウィスト全域より少し広い程度。ルベリウスの速さとリズの時操魔法を併せれば、逃避は容易なはずだ」
黒傘の情報屋は傘を閉じ、体の前に立てた。杖のように傘をつき、ゆっくりとお辞儀をした。
「ワタシも、忘れてた、自己紹介」
彼女は前かがみの姿勢のまま皆を見上げ、顔に不気味な笑顔を浮かべながら言った。
「ワタシ、メレート・ノクス。ネロ、探してる、女の子、ワタシ。分かってた、だろうけど」
「それで、ただの情報屋が何故『怪雨』の事を?」
エンペラーの表情は変わらず、鋭い眼差しでメレートを見つめる。
「ワタシ、情報屋、表向き。ワタシ、裏向き、『光』の神瞥者、無世界河下り、だから」
世紀はそれを聞いてネロを思い浮かべる。ネロがいた場所は『無世界劫河』。
「お前も約10⁸⁰⁰⁰⁰⁰年後の世界の住民で、潺災で逝った無世界河下りということか?」
「合ってる、だよ。そういえば、ワタシ、言った、天気予報、傘、無い? 酷い、無視された」
メレートは表情を暗め、目を細める。
「贖い、讎い、濯い、浄め」
彼女は淡々と言葉を吐きながら空を見上げる。いつの間にか、黒く曇っていた。
「ピピーッ。雨が、降るよ」
その数多の雫は音も無く振ってきた。リズは停止を試みるが、全く効かない。まるで、別世界のものであるかのようだ。驚愕で目を見開いたエンペラーの頭上に雨粒が来た。
「…愚鈍だな」
突如聞こえたその声はエンペラーの声では無かった。男性でも女性でも無いような、曖昧な音。刹那、全員の手に黒い傘が握られた。
「忘れ物をネロより届けに来た。では」
その影は姿を見る前に去って行き、跡も残さなかった。世紀が瞬時に情報を読み取ると、
「…ジュヴィア・エンドゥラ」
ルベリウスが言っていたあの諜報員の名前がヒットした。一瞬にして傘が配られた様子を見たメレートは、
「あら、残念」
とだけ言い、エンペラーを見つめた。雫が地面を灰にし、雨音が地面を抉っている。
「あの頃の光景と、一緒だな」
彼はふと、昔のことを思い出す。
───世歴541年、ギルウィスト。
「君主様。ご報告に参りました、ジーラです」
「入れ」
「我らがギルウィストに、一通の手紙が届きました」
「他国からのか?」
「いえ、分かりません。手紙には…」
“天気予報
明日、とても危ない雨、ネロが、配る、傘、持って”
「としか、書かれていません」
「この国にネロという人物は?」
「探しましたが、見つかりませんでした。恐らく、異邦人かと」
「そうか。入国審査官に知らせろ、ネロを探せと」
「はっ」
その時にはもう、ネロはギルウィストを後にしていた。
「ボクは悪くない…」
翌日の夜、黒い雲が月を遮った。
「ワタシ、警告、したのに」
メレートは黒い傘を差したまま王城の頂点に佇み、王国を見下ろしている。
「【雨雲の開闔】」
万物が灰に溶け、建物の中も逃げ場ではない。時間という嵐に巻き上げられた悲嘆は、恐ろしいファフロツキーズと成って降り注いだ。
「君主様はこちらへ!」
───エンペラーの思考は現実に戻った。
「何故僕は生きてしまったんだ…」
「何故僕はあの時皆と死ななかった…」
「僕も、溶けてしまえば良かった…」
エンペラーは傘を投げ捨てた。
メレート・ノクスについて
黒傘の情報屋であり、無世界河下りであり、ギルウィストを滅ぼした者である。いつも傘を差し、不気味な笑顔を浮かべる。




