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22 テストフライト

 単座飛翔機の座席は、残念ながら広くない。

 できるだけ、貨物室を広く取りたかったからだ。

 奮発した座席に背中をこすり付けて、座りの具合を確かめる。いいクッションだけあって、体を柔らかく受け止めてくれる。快適に眠れそうだ。

 座席の左右に並ぶ双桿式の操縦桿を、交互に押し引きして動翼を確認した。チゼがまだ窯にいないことを確認して、操縦桿を捻ってみる。左右独立のスロットルは、操縦桿で操作する。計器に目を向ける。高度計、速度計、水平計、方位針、流圧計の全てが基準値に収まっていた。

 足元の棒、足踏桿を踏んだり足の甲で引いたりして具合を確かめる。ぐっと足に抵抗感の返る、動かしやすい重さだ。尾翼はこれで操舵する。

 シートベルトを締めて、体を座席に固定していく。

 電線を付けようとして、穴がない。慌てた。そうだ、複座じゃないのだから、電話は使えない。必要がない。

 ふう、と息をついて、一度手をズボンにこすり付ける。手袋に手汗がにじむ。

 顔を上げた。

 透板が光を吸って、白く輝いている。工房は薄暗く、日の照り返す滑走路は眩しい。

 飛行帽のゴーグルを目に当てて、薄く色のついた抑光膜を下ろす。影を一様に下ろしたように眩しさが和らぐ。

 深呼吸して、操縦桿に手を乗せる。

「チゼ、頼む」

 首の周りに留まっていた煙が応じて、するりと吸い込まれるように機体に消えていった。流圧計が右に跳ねて、ごんっと蹴り上げられたように機体が前に傾く。

「うわっと。待て待て、もう加圧で返事はしないでくれ。小型で質量も少ないし、推進器は専用だから力がそっくり伝わようになってるんだ」

 チゼからの返事はないが、出力が落ち着いている。流圧計も適正値で止まった。

 よし。

 レバーを落とし、降着装置のロックを解除する。ゆっくりと機体が走り始めた。

 滑走路に出て、フェンスの向こうにある宿から、フェンネさんが眺めていることに気付く。彼女は手を振っている。手を振り返して、辺りを見渡す。

 上空に遊礫なし、風向追い風。支障なし。

 操縦桿を握り直す。

 胸の裏側に紙が貼り付いたように、もどかしくうずく。肘が震える。

 緊張していた。

 このフライトが失敗すれば。

 親方もいない、ローレもいない。マロウはきっと商人として大きくなる。妹は高い教養を持って帰ってくる。

 客のいない宿屋を掃除しながら、一生が終わる。

 空の真ん中に取り残されるような切迫感と恐怖が、背後を追い立てるような気がした。

 息を詰める。

「行くぞ!」

 ギアを最軽に落とし、操縦桿を握ってスロットルを開けていく。

 蹴りこまれるように飛翔機は走り出した。がつん、と降着装置に衝撃が伝わる。跳ねている。ばすん、と空気が破裂するような音がする。

 様子がおかしい。

 口を開こうとして、息を呑んだ。

 流圧計がパタリと左に、減圧に倒れる。

 ギリギリとタイヤをこすり付けて飛翔機は走る。

 流圧がないなら、推進器は機能していない。機体が前進力を得るはずがない。

 ばたん。音と小さな揺れ。水のポリボトルが倒れた。

 不自然な加速に振り回されて機体は滑走路を走り、舗装された道路の終わりが迫る。

「ちっくしょ!」

 操縦桿を引く。思いっ切り捻る。

 飛翔板を稼動させ、無理矢理浮かせた飛翔機を離陸させた。

 スロットルが全開になり、窯に気流が流入する。チゼの力で溜め込まれた空気に、さらに圧力を掛ける。窯から出る空気の量を増やすために、噴出する速度が増す。

 推進器に吹き飛ばされて、小さな飛翔機は空を突き刺すように飛び上がった。

「いって!」

 体が座席に叩きつけられる。体がぎりっと加速で軋む。それは一瞬で消えた。

 推進力がなくなっている。

 流圧計を見る。圧力ゼロ。完全に馬鹿になっている。

 放物線を描いて、飛翔機はするすると落ちていく。灯台が高くなっていく。自由落下だけで必要な揚力が得られるほど、翼は大きくない。やはり推進器は止まっている。

 爆発的な加速に驚いたチゼが、加圧をやめてしまったのだろう。

「チゼ! 推進器!」

 叫ぶ。

 村の斜面に沿うように、機体はほぼ水平に落ちていく。翼端から家々が湧き上がる。

 肝は凍り付いて粉々に潰れていた。

 いっぱいに操縦桿を引く。揚力を少しでも稼ぎたい。

 尾翼が崖道の柵をかすめ、摩擦で減速した機体は機首を下げる。

 マヤの店の屋根が透板に見えた。機首は建物の中心を差している。

「あああああああっ!」

 恐怖と焦りと怒りで叫びが喉から噴き出した。ぐん、と機体が加速する。マヤの店が迫る。翼が風を掴む。尻に重い体がのしかかり、透板からマヤの店は消えた。

 じびん、と尾翼。かすめた!

 持ち上がりかけた機首が下がる。港が見える。島の終わり。空の始まり。

 マロウの家の貨物飛翔機が、停泊していた。

 叫びは声にならない。

 操縦桿を引いても、チゼに最適化された飛翔板を使っても、上昇が鈍い。機体後部に引っ張られる感覚。貨物室――水。

 ずんぐりした大きな飛翔機が、透板から消える。

 高度計がくるくると回る。水平計がばたばたと揺れる。

 特大の衝撃が、座席の体を突き上げた。

 胴腹をこすりつけるように、貨物飛翔機の上を滑っている。

 仕舞う暇のなかった降着装置が、貨物飛翔機の翼を蹴り飛ばした。

 機体はつんのめって、平衡を失って落ちていく。

 バランスを失って傾いでいく機体が、気流に沿って旋回する。

 頭上の港では、倒れた貨物飛翔機が地面に翼を突き刺して、へし折っていた。太い機体が横倒れになるねじれで、べりべりと外装が割れていく。

 前が見えなくなってきた。

 機体は墜落していく。

 高度計がみるみる数字を減らしていく。

 透板の向こうが、キラキラと輝いて揺れていた。

 ゴーグルの抑光膜を引き上げる。海が光を反射して、輝いているのだ。

 この海に浮くものは、何一つとして存在しない。

 全てを沈める無限の底として、海は世界に広がっている。

 不思議なものだ。同じ水で出来ているはずの湖には船が浮くのに、海になれば、船は容易く沈んでしまう。細波の世界は空に似て、空より等しく優しかった。

 ふ、と息をつく。

 操縦桿を握り絞める。引いて、少しずつ機体の平衡を取り戻す。

 目の前に、無人島ほど大きな遊礫が落ちてきていた。

 ファンネさんが墜落した衝撃が、この岩塊を押したのだ。その小さな慣性力が、ゆっくりゆっくり島を押して、ここまで落としてしまっていた。

 重量の大きい浮遊島は、遊礫となって、世界を流れながら落ちていく。やがては海に滑落して水没する。

 専用の窯は、チゼの力をしっかりと受け止めてくれる。慣れないチゼは力みすぎて、その窯を安定稼動させられなかった。ここで推進器を使って上空まで戻るのは危険だ。窯に負担を掛け、途中で割れるかもしれない。

 それなら、同じくチゼ用に調整したために出力の大きい、飛翔板を使う。

 減速しながらあの遊礫に緊急着陸したほうが、まだしも安全だ。

「チゼ。あの島に着陸する。おいで」

 風の玉が、俺の前に現れた。

 動揺しているのか、その玉さえゆらゆらと揺れて安定しない。

「さあ、大丈夫。飛翔板を稼動させてくれ。あの遊礫に着陸して、そしたら島に行って、ローレを呼んできて欲しい。一緒に親方に怒られような」

 操縦桿から手を離し、指先で風の玉に触れる。感触はないが、風の玉はくすぐったそうに揺れる。

 チゼはするりとほどけて、翼の飛翔板に取り付いた。ぐん、と体の重みが増し、高度計の下降が急に緩まる。

 目の前の遊礫は、墜落の跡も生々しく、こすれた岩の跡を残している。

 思わず笑った。

 突入角、滑走の仕方、接触速度。

 そこには、胴体着陸のガイドラインが刻まれている。

 速度計は見ない。

 対気速度計なので、気流に乗らずに空を滑っている今の数字は、頼りにならない。

 目測で速度を計り、機体の突入角度を調整する。機首を上げ、飛翔板の上昇力を減速に用いる。もはや翼は風受けにしか使えない。

 あとは、そう。

 鞭打ちにならないよう、歯を食いしばり、頭を座席に押し付ける。

 地表が迫る。

 ごろごろした黒岩が見え、えぐられた線が見え、それらはすぐに機体の陰に消えた。

 目をつぶって、接触のタイミングを図る。

 五、四、三、二

 機体が割れるような衝撃が座席ごと体を貫いて、意識は体から突き飛ばされた。

 朦朧とした視界の中で、火を噴く飛翔機が、島から降ってくるのが見えた……気がする。


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