21 家守様
「……計り」
「え?」
小さく呟いたローレは体を返して、飛翔機に背をつける。弱く笑みを浮かべていた。
ものが散らかった工房を見渡して、頭をかく。
「質量計りって、どこに、やったっけな?」
荷物を計って、巡航時の想定質量を改めて求める。
あくまで空を目指すローレの姿に、胸が締め付けられる。それを圧縮して苦笑に飲み込み、俺はローレに言い返した。
「荷物ならマロウの店に置いたままだよ」
「ああ、そうか。しまったな。よし、取りに行くか」
ローレは飛翔機から背を離し、工房を横切っていく。その背中は、いずれ無人になるこの工房を、省みるつもりはないようだった。
ルディック商店まで荷物を取りに行ったついでに、マロウに結果を報告した。
彼女は何かを飲み込んだふうに、微笑を浮かべて祝ってくれる。よかったね、と。
それは人柱を立てた豊穣のようなものだ。その素晴らしい成果物を享受しながら、誰も喜びはしなかった。
帰る道すがら、俺は荷物から魔導石を抜き出してローレに見せる。
「うちの家守様にお願いして、火精霊を呼んでもらっておくよ」
「ああ、そうだな、それがいい。頼むわ」
「それと、質量計りは棚の一番下だと思うよ」
「あー、分かった」
記憶をたどるように視線を空にさ迷わせるローレを尻目に、宿に戻る。
両親ともまだ地下書斎にいるようだ。無人のカウンターを抜けて、つるつるした親指大の魔導石二つを手の中で転がしながら、バックヤードに入っていく。
油の染みた厨房は、奇妙にしんと静まり返っていた。おそらく調理器具の金物が多く並んでいるからだろう。
竃を覗き込む。灰色でいっぱいになっていた。
火掻き棒で煤や灰を取り除き、種火用に炭を一本放り込む。火はもそもそと燃え移り、炭のなかにもぐり込むように赤く輝いた。
「家守様、おはようございます」
種火は鎌首をもたげるようににわかに火勢を強めて、その頭を上らせる。まじまじと見るように炎は揺れて、笑うように震えた。
「リアン坊か、久しぶりじゃのう」
「つい先日お借りしましたよ」
「そうじゃったか。覚えておらなんだ」
ほほほ、と老獪な声をあげる。
家守様が竃に居着いたのは、俺の両親が生まれるより前らしい。家守は先祖代々お世話になる有難い精霊だ。
「家守様、お願いがあります。魔導石憑きの火精霊を紹介していただけませんか?」
竃の前に二つの魔導石を並べる。竃の中の赤をちらちらと照らして、魔導石を検分するように火の手が上がった。
「んー? 構わぬが、何に遣うのじゃ?」
「ランタンです。あと火種にも」
「ふむ、それくらいなら、おるじゃろう。しかしまた、なぜ必要になったのか、教えてくれんかのう?」
家守様に嘘と隠し事は厳禁だ。実直明大を好む火精霊の機嫌を損ねれば、後がどうなるか分からない。
というか、大恩ある家守様を謀るなんて、バチが当たりそうだ。
小さく息をついて、台所の床に座り込む。
「近いうちに、島を出ようと考えています。その旅にランタンが必要なんです」
「なんと!」
家守様は火を揺らして引っ込んだ。炭から少しずつまた首を伸ばす。
「リアン坊も島を出るとは、家も寂しくなるのう。何をしにいくのじゃ?」
「ローレと、ファンネさんと一緒に、遊民として放浪するつもりです」
「遊民とな。あいやこれは、嘘臭い。リアン坊や、わしに嘘はつくまいな?」
下からうかがい見るように、火は炭を舐めるように這い寄った。思いがけない反応だ。焦って前のめりになり、口調を早めてまくし立てる。
「信じられない話かもしれませんが、本当なんです」
「むうん」
炎は炭の中に引っ込んでいく。一応の納得はしてもらえたらしい。
焦った。濡れ衣で嘘つきの烙印を押されるかと思った。火に当たる肌が、照りつくような独特の熱を帯びている。手で顔を拭い、熱感をこすり落とした。
家守様は穏やかな声で、諭すような調子で言葉を継ぐ。
「確かに、リアン坊は昔から遊民に憧れておったしのう。じゃがそれは、あまりにも」
「反対ですか?」
「んん、いや違う」
しわがれた声にもきっぱりと、家守様は否定した。
その後の言葉が続かず、考えるような唸り声をあげてしまう。人ならば確実に息の続かないほど時間を掛けて、その唸りは割られた。
「お主の両親は、なんと?」
書斎の薄暗いなかにいた両親の姿を思い出す。
マロウと同じだ。俺が言うならと、背中を押してくれている。
二人の言葉、要旨は、一言だ。
「やりたいことを、やれと」
ほほほ、と家守様は喜悦のにじむ笑声を震わせる。
「そうじゃろう、そうじゃろう。わしも同じ気持ちじゃ。じゃが、のう……」
彼は俺の顔を見つめているようだった。目に赤い光が焼き付き、目が乾いてしばたたく。青い残像が視界に残っていた。
再び目を開けると、炎は埋め火のように炭の中に収まっている。
「お主に、決意の火が見えんのじゃ。わしは不安じゃ。リアン坊、それがお主の願い、意志なのか? やりたいことなのか?」
「も、もちろん」
動揺した。自分の意志さえ疑われるとは、思わなかった。
答えた後になって、自分の気持ちをたぐって確かめる。
そう、確かに、俺は出て行こうと思う。二度と帰らなくてもいいと思う。
「残ったって、惰性だけで生きて、退屈と疑問で倦んでいくだけですよ」
変えなければ、変わらなければ、これでいいのかという疑問が付きまとう。
それだけは確信していた。ローレも親方もいなくなるのだ。俺の暮らしも、変わらずにはいられない。
家守様は長く息をつくような間を置いて、静かに揺れる。
「そうかのぅ。まあ、お主がそう言うのなら、わしはもう何も言わんよ」
ひっかかる言い方だった。
しかし彼はこれ以上、この話をする気はないようだ。火の明かりは弱まっていく。
灰の中で、赤熱する鉄のような火種が、まどろむように揺れる。
「ちゃあんと精霊を見繕ってやるから、心配せんで良いぞ」
「分かりました。ありがとうございます」
それきり家守様は口を閉ざした。
俺は立ち上がり、尻を払って厨房を後にする。
心のどこかに、家守様の言葉が刺さって離れなかった。
それは俺のやりたいことか?
そのはずだ。そうでなければならない。
工房の中では、ローレが荷物をくくってまとめている。彼のそばには、台形の本体に円の目盛りを貼り付けた、質量計りがあった。
ローレは荷物を台に乗せて、ネジを巻いて、飛んでいかないよう上を押さえてペダル式のスイッチを踏む。キィと金属がこすれ、針がぴよんと右に振れる。荷物の動きが止まったことを確認し、ローレは体を曲げて目盛りを読む。
「質量十八キログラムってところか。食料や水を含めて七十は考えてるけど、まずは錘二十くらいで飛んでみたほうがいいな」
つぶやいて、俺を振り返って眉をひそめた。
「リアン? 聞いてるのか?」
「……あ、え? ごめん」
自分では聞いているつもりだった。しかし言葉は記憶に残らず、水捌けのよすぎる土に水を撒くように、どこかに消えてしまっていた。
ローレは呆れたように口角を緩めた。
「大丈夫かよ。せっかく認めてもらったってのに、シャキッとしろ」
「そうだね。なんか、思ったよりずっと簡単に話が進んじゃって、気が抜けてさ」
「ああ。はは、確かにな。でもな、考えてもみろよ。これでやっと、後腐れなく、誰憚ることもなく、遊民を目指せるってなもんだ」
ローレは指振り語る。確かにその通りだ。へばってなどいられない。
膝に手をついて、力を入れて立ち上がる。
「錘は、水錘でいいよね」
「おう。二十キログラム重な」
「分かってるよ」
水の五キロボトルを棚からまず二つ引っ張り出し、蛇口から水を注ぐ。どどどぼ、という重たい液体が迸る音と衝撃が、ボトルを叩く。
水は、質量と重量が等価なもののひとつだ。だから海は、世界の底に広がっている。
汲んだ水をローレのところに運ぶ。四つ飛翔機に積み込んで、小型飛翔機の貨物室は半分ほど埋まった。
「ま、こんなもんだな。お前のも積んでおくか」
一瞬疑問を抱いてローレを見た。その楽しそうな微笑で、彼の意図を悟る。
つまり、どうせテストフライトするなら、一緒に空を行こうというのだ。
無邪気なちょっとした計らいに、笑みが浮かぶ。
確かに、並んで空を飛ぶのは初めてだ。今まではその手段がなかったから。
「分かった、そうしよう」
俺の飛翔機にも水錘を積む。
重くなった飛翔機を点検し、各部に異常がないことを確認する。
ふわりとチゼが俺の肩の上に乗った。風の玉でなくても、チゼの神出鬼没に変わりはないような気がする。
肩から垂れていく煙を乗せたまま、窯に歪みも傷もないことを確かめる。揺らしてみて、固定も甘くない。
チゼの力をきちんと測って誂えた空圧窯は、親方の汎用特化型の窯よりも、遥かにのびのびと飛べるはずだ。
「ほら」
ローレが俺の飛行装備一式を持ってきてくれた。
礼を言って、フライトジャケットを羽織る。飛行帽を被り、襟を閉め、裾を絞り、ブーツを絞め直して、手袋を絞める。
ふう、と息をついた。何と言うか、気が引き締まる。
「それじゃあ行こうか、ローレ」
「おう。じゃあ……あちゃ。お前が出ないと滑走路に出れないな、こりゃ。お前が先行してくれ、俺が後追いで飛ぶ」
「了解」
搭乗口に登り、飛翔機に乗り込む。




