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ルーティン――。


灰色のコンクリートビル群の狭間に埋もれた、都内にあるごくありふれた高校。そこで繰り返される日常を形容するなら、その言葉がもっとも相応しかった。


あるいは、果てしなく続く惰性。


生徒たちの生活のあらゆる側面に染み付いた、終わりのない周期性と予測可能性。それは、とうの昔に時代遅れとなったカリキュラムのせいばかりでも、個性を塗りつぶす画一的な制服のせいばかりでもない。実のところ、新学期が始まったその瞬間から、この狭小なコミュニティ全体が、あらかじめプログラミングされた退屈極まりないアルゴリズムに従って作動しているのだ。


青森達也は、そのアルゴリズムを完璧に理解していた。


彼は、青臭い学園もののロマンスや、固い友情、正義といったお題目を信じるようなナイーブな理想主義者ではない。統計学的に見れば、このヒエラルキーにおける自分自身の立ち位置など火を見るより明らかだった。達也は運動部に所属しているわけでもなく、異性の目を引くような容姿を持ち合わせているわけでもない。ましてや、クラスの「ムードメーカー」になろうなどという野心も毛頭なかった。


原始的な群れの論理で動くこの閉鎖的な集団において、彼が「安全な標的(サンドバッグ)」の枠に分類されたのは、あまりに自然で予測通りの帰結だった。


いじめというものは、最初からあからさまな物理的暴力として発現することはない。それは非合理的であり、教員という名の監視組織に介入の口実を即座に与えてしまうからだ。主犯格の連中は常に狡猾に、足元を探りながら標的の反応を値踏みして動く。


始まりは、取るに足らない日常の些細な嫌がらせだった。


「あ、わりぃ青森。なんかお前のカバン、落っこちてたみたいだぜ?」


クラスの取り巻きを率いる事実上のリーダー格、伊藤が、白々しい同情をにじませた声で言った。その足先は、床に転がった達也のスクールバッグを無造作に踏みつけるようにして払いのけている。


「気にするな」


達也は、極めて平坦な声で答えた。


感情の揺らぎも、憤りの色も一切見せず、ただ静かにカバンを拾い上げ、埃を払って自席へと向かう。


似たような事象は日常茶飯事だった。大事な小テストの直前に隠されるノート。幼稚極まりない悪口で埋め尽くされた教科書の表紙。休み時間、すれ違いざまに背中へ叩き込まれる肘打ち――もちろん、それは「人混みによる不慮の接触」という体裁を取っていたが。


もし達也の立場に他の同世代の少年が置かれていたなら、間違いなくストレスと恐怖、あるいは無力な怒りに苛まれていただろう。


だが、青森達也はこの現象を、徹底して冷徹な分析のレンズを通してのみ観察していた。いじめの加害者グループが求めているのは、感情的なリアクションだ。彼らは他者の脆弱さを餌にし、弱者を踏みにじることでクラス内での自らの権威を誇示し、序列を固めているにすぎない。


ゆえに、達也が導き出した戦術的解は唯一つだった。


真っ向から反撃を試みれば、事態のエスカレーションを招くだけだ。数において、相手が圧倒的に有利である。連中は原始的な群れの優越感によって結託しているが、こちらは単独。これほど絶望的な戦力差のもとで正面衝突を選ぶなど、損失しか生まない愚行の極みだ。


一方で、このシステムにおける教師陣は、極めて無能な調停者(モデレーター)にすぎなかった。


彼らは組織的ないじめを極力「見ないふり」でやり過ごし、事態を放置することが法的に、あるいは保身の上で危険になった段階でようやく重い腰を上げる。当然ながら、そんな連中に助けを求める行為は己の弱さを晒すだけであり、教師の目が届かない死角でより陰湿な報復を誘発する格好の口実になる。自らの安全すら担保できない無力な機関に、わざわざ時間と労力を割いて直訴する理由などどこにもない。


だからこそ、達也は徹底した不干渉の姿勢を貫いた。


敵にとって最大の報酬である「感情の揺らぎ」を、根こそぎ奪い取ったのだ。


「おい青森、人の話聞いてんのかよ?」


昼休み、机の上に覆いかぶさるようにして、伊藤が苛立ち混じりに見下ろしてきた。


「ああ、聞こえている」


スマートフォンの画面から視線を上げることなく、達也は淡々と答える。


「じゃあなんで黙ってんだよ、ゴミが」


「答えるに値する有意な情報が、君の言葉に含まれていないからだ」


泣き言も言わなければ、己の正当性を主張することもしない。不毛な言い争いにも乗らない。その徹底した無機質さは、やがて主犯たちを苛立たせると同時に、彼らの敷いたシナリオを狂わせていった。声も上げず、抵抗もしないマネキンを殴り続ける行為は、すぐに飽きが来るものだ。


やがていじめは「バックグラウンド処理」の領域へと移行した。達也にとっても、脅威を無視するのに大したリソースを割く必要のない、低負荷かつ緩慢なルーティンワークへと成り下がったのだ。


加害者たちの行動を分析するのと並行して、達也の内面には、集団心理に対する冷え切った軽蔑が醸成されていった。


教室という空間は、欠陥だらけの人類社会の完璧な縮図(マイクロコスモス)に他ならない。


クラスメイトの大半は、いじめに直接手を染めているわけではなかった。達也の私物を隠すこともなければ、廊下で突き飛ばすこともしない。しかし、その「不作為」こそが、何よりも雄弁だった。伊藤が達也の筆箱をごみ箱に放り込んだとき、彼らが必死に視線を逸らすのを、達也は見逃さなかった。くだらない嘲笑に、周囲が怯えながら同調して愛想笑いを浮かべる姿も。


彼らはただ、恐怖から加害者のナラティブに従っているにすぎない。「次の標的」にされるという本能的な恐怖が、彼らを背景と同化させ、攻撃的な少数派が押し付ける歪んだルールに屈服させているのだ。


だが、達也は彼らに対して憎しみすら抱いていなかった。


憎悪という感情を抱くには、それ相応のエネルギーとリソースを割く必要があるが、連中にはその価値すらない。あるのはただ、潔癖なまでの冷徹な無関心だ。教室内の儚い安全と引き換えに、自らの意志をあっさりと放棄するような連中の意見など、最初から何の価値も持たない。彼らはただのエキストラ、モブにすぎないのだ。卒業すれば東京の雑踏の中に霧散し、永遠に忘却されるだけの存在。そんな連中と言葉を交わしたり、その臆病さを啓蒙しようとしたりすること自体、無為の極みだった。


家庭環境もまた、学校の日常と大差はなかった。


父親である青森賢治(けんじ)は、大手企業の管理職を務める男だった。冷徹で、プラグマティックで、感傷などという無駄な感情を一切持ち合わせていない。


父親は学校での息子の状況を完全に把握していた。頬にできた「不自然な」青痣や、破れた制服のシャツに気づかないはずがない。だが、その反応は、男の人生訓の枠組みを一歩も出ることはなかった。


「男なら、自分の問題くらい自分で片付けろ、達也」


夕食の席、息子の顔にある擦り傷を一瞥し、賢治は無機質に言い放った。


「わかっています、父さん」


達也もまた、抑揚のない声で返す。


「校長に抗議を入れたり、担任に直談判するつもりはない。自分の力で切り抜けろ。だが、みっともない無様な姿だけは見せるな。それと、学業の成績を落とすことは絶対に許さん。有象無象のバカどもに足を引っ張られ、キャリアのスタートラインに立つ前に脱落するようなら、お前に投資する価値はないということだ」


「成績は維持します」


「ならいい」


この姿勢に対して、達也は極めてアンビバレントな感情を抱いていた。


一方では、その妥協なき冷酷さに一理あると認めざるを得なかった。賢治の言葉には、現実世界の冷徹な真理が宿っている。誰も助けになど来ない。生き残るのは、環境に適応した者だけだ。


だがもう一方では、合理的思考の底深くに押し殺した、冷え切った失望と憤りが澱のように沈んでいた。


本来、家庭というものは個体にとっての基礎的な防衛機構であり、リソースを回復するためのセーフティネットとして機能すべきはずだ。しかし父親は支援という機能を自ら放棄し、家庭を単なる「企業的業績評価の出先機関」へと変質させた。敵対的な環境の中に息子を放置し、解決のためのツールも与えずに結果だけを要求する。


達也はそのゲームのルールを受け入れたが、同時に、家族の絆というものの実質的な無価値さについて、しかるべき結論を下していた。


社会的な孤立を選んだ結果、学校における達也には友人と呼べる存在が皆無だった。


もっとも、達也自身、友人の必要性を微塵も感じていなかった。同年代との接触はすべて、新たな嘲笑の的を晒すリスク要因にしかならない。距離を縮めるということは、脆弱性を晒すことと同義だ。もし友人がいれば、いじめグループにとっては格好の脅迫材料になる。友人を脅し、自分たちの側に引き込み、そこを経由して個人的な情報を抜き取られるリスクすら生じる。


被弾面積を最小限に抑えること。それがもっとも効率的だ。達也は学校での会話を、必要不可欠な事務連絡の数言のみに絞り込んだ。


父親から突きつけられた「成績を落とすな」という命題を、達也は狂気的なまでの精密さ、ほとんど嘲笑めいた正確さで実行していた。


彼は学年トップを目指すような真似はしなかった。首席というステータスは無用な注目を集め、凡庸な連中の嫉妬を買うばかりか、模試の推薦や文化祭の実行委員といった厄介な雑務を押し付けようとする教師たちの標的になる。トップに君臨し続けることは、その地位を維持するために無駄なリソースを消耗し続けることを意味する。


かといって、成績下位の底辺に沈むことも許されない。赤点を取れば父親の怒りを買い、補習や三者面談といった形で教師たちに自身のプライベート領域へ土足で踏み込む口実を与えることになる。


ゆえに達也が選んだのは、もっとも洗練された戦略だった。


テストの点数は、常に「80点から82点」のレンジに収まるよう緻密にコントロールされた。答案用紙に向き合いながら必要最小限の正解数を逆算し、記述問題や難問の計算式にあえて些細なミスを紛れ込ませることで、上位層の端に紛れ込みつつも決して目立たないスコアを維持する。


それは単なる丸暗記による満点よりも、はるかに高度な知性を要する作業だった。評価システムに対して完全にステルス状態を保ちながら結果を支配する――それはある種の芸術でさえあった。


だが、例外が一つだけあった。


この陰鬱な校舎の中で、達也が唯一その仮面を脱ぎ捨て、真の意味で生きていると実感できる場所――それが「情報」の授業だった。


旧校舎の三階にあるPC教室。埃の匂い、二十台あまりの型落ちしたデスクトップPC、唸りを上げるけたたましい冷却ファン。


年老いた教師がワープロソフトの基礎を単調に読み上げる間、大半の生徒にとってその時間は、居眠りをするか、ブラウザでくだらないフラッシュゲームに興じるための暇つぶしにすぎなかった。


しかし達也にとって、この教室は唯一の聖域だった。


キーボードに指先を乗せた瞬間、原始的な序列や攻撃的な不良、臆病な大衆が蠢く現実世界は綺麗さっぱり消失する。


デジタルの世界は、厳格で、合理的で、揺るぎないルールによって支配されている。コードに感情はない。アルゴリズムが自己顕示欲のために人間を貶めることなどない。プログラムが動かないとすれば、それは人間が構文(シンタックス)に論理的なエラーを犯したからに他ならない。すべてが公平で、極めて透明だ。


達也のITに関する知見は、高校のカリキュラムなど数桁レベルで凌駕していた。他の生徒が教師の指示通りに表計算ソフトの基本的なセル入力に四苦八苦している傍らで、達也は退屈そうに、自ら書き上げたスクリプトのコードを眺めていた。


学校のローカルネットワークは、無能な管理者によって放置されたセキュリティホールだらけだった。だが達也は、教員のパスワードを書き換えたりテストの解答を盗み見たりするような、陳腐なヴァンダリズムには手を出さなかった。そんなものは己の矜持に反する。彼の興味は、システムのアーキテクチャそのものにあった。ネットワークトポロジーを解析し、隠蔽されたディレクトリを特定する。それはただ、巨大な機構がどのように組み上がっているかを理解するという、純粋な知的好奇心と美学を満たすための遊戯だった。


「青森、また課題を進めていないのか」


背後から、担当の佐藤教諭の咎めるような声が降ってきた。


「表の作成なら、十五分前に終了しています。佐藤先生」


振り返りもせず、達也は答える。


佐藤は訝しげに画面を覗き込み、次いで、理解不能なコードの実行ログが流れるターミナルのウィンドウに眉をひそめた。


「……なんだこれは。授業の内容とは違うようだが」


「先生が説明されていたデータ整形の工程を自動化しました。このスクリプトを使えば、手動で入力せずともデータアレイを一括処理できます」


微かな、だが隠しようのない冷ややかさを込めて達也が言った。


佐藤は苦虫を噛み潰したような顔で文字列を睨みつけたが、すぐに理解を放棄した。生徒の前で己の無知を認めるわけにはいかない。教諭は形式主義という盾に逃げ込み、威厳を取り繕うことを選んだ。


「学校のカリキュラムは、基礎的な原理を理解するために組まれているんだ、青森。勝手な真似は感心しないな。それを閉じて、規定通りの課題に戻りなさい」


「わかりました、先生」


達也は素直にターミナルを閉じた。


視野の狭いエンドユーザーにデータ自動処理の優位性を説いたところで無意味だ。佐藤という男は、教育課程というレールをなぞるだけの狭小なパーツにすぎない。


軋む椅子の背もたれに身を預け、達也は目を閉じてPCケースから響くファンの唸りに耳を澄ませた。


ゼロとイチだけで構成されたこのデジタル空間のほうが、現実などよりもよほど心地よかった。


***


達也にとっての真の社交界は、学校の塀の外側にあった。


週に三度、義務的な授業が終わると、達也は電車に飛び乗って秋葉原へと向かった。ネオン煌めく中央通りから外れた路地裏の雑居ビル。そこに、中古パーツとジャンク品を扱う薄暗い電子部品店『電器丸』があった。


達也はそこで、PCのキッティングや軽微な修理を請け負うアルバイトをしていた。店主を務める五十嵐という初老の男は、生粋のアマチュア無線狂で、寡黙で手先の器用なこの高校生を高く買っていた。同僚は自作PCとMMOに狂信的な二人の男子大学生で、達也よりいくつか年上だった。


彼らとの関係性は、学校のそれとはまるで異なる、明確で快適な原則の上に成り立っていた。すなわち――相互の利害の一致と、純粋な共通言語である。


「達也、あのマザーボードの診断終わったか?」


バックヤードの奥から、大学生の松田が声を張り上げた。


「CPUの電源回路(VRM)が焼けてます。チップの交換に二十分ほどいただきます」


ハンダごてを握ったまま、達也は手元から視線を逸らさずに答えた。


「助かる! 終わったらサーバーのチェックも手伝ってくれよ。あのクソ鉄屑、高負荷かけるとすぐブルスク(BSOD)吐きやがるんだ」


「了解です」


ここには、学校のような不毛なスクールカーストもなければ、自らの存在価値を証明するために取り繕う必要もなかった。敬意の基準はただ一つ、技術的なコンピテンシー(能力)の有無のみ。死にかけたHDDからデータをサルベージできるか、誰よりも精確にコンデンサを打ち直せるか。それができれば、年齢も容姿も何の意味も持たない。


彼らは達也の内面に土足で踏み込もうとせず、学校生活などにも興味を示さない。ただ己の仕事を行い、対価を得る。極めて理想的で、均整の取れた共同体だった。


当初、達也に与えられた名目上の業務は、持ち込まれた中古パーツの仕分けや簡易な動作確認、埃をかぶった棚への陳列といった下積みの雑用だった。


だが、現実は瞬く間に塗り替えられた。これほど豊富なリソースが転がる場所で、ただの倉庫番に甘んじるつもりなど彼には毛頭なかった。


わずか一ヶ月で、達也のハードウェア診断速度は大人の店員たちを追い越した。雇われの修理工たちが回路のテスター当てに何時間も費やすような障害でも、達也は論理的な推論と電源設計への深い理解から、ショートしたMOSFETや微小な短絡をわずか数分で特定してみせた。


やがて彼は事実上、店主の右腕のようなポジションに収まり、五十嵐のルーティンワークを肩代わりして、店主が難度の高い特殊修理や帳簿付けに専念できる環境を作り上げた。


持ち込まれるパーツを「電子ゴミ」と見下す同僚たちとは異なり、達也はそれらを無価値だと切り捨てることはできなかった。彼の世界観において、すべてのハードウェアは固有の演算能力という価値を秘めているか、あるいはその演算を支えるためのエネルギー供給路だった。


一般客が持ち込むジャンク品は多岐にわたった。最新のゲームについていけなくなった骨董品のようなグラフィックボードから、無茶なノースブリッジのオーバークロックや粗悪な電源ユニットによって焼き切れたマザーボードまで。修理コストが見合わず、廃棄処分(ジャンク)として棚の隅に追いやられた死骸たち。


だが、達也の手にかかれば、その死せるシリコンは再び息を吹き返す。基板の断線パターンを見つけ出し、チップをリボールし、膨張した電解コンデンサをハンダごてで打ち直す――完璧なコントロールとミリ単位の精度を要するその作業は、彼にとって至上の充足感をもたらした。


五十嵐は、廃棄予定のジャンクパーツを達也が無償で持ち帰ることを黙認していた。少年が欠片を拾い集めるようにして自分用のPCを組み上げようとしているのを、老店主は知っていたのだ。そこに憐憫の色はなく、同じ領域に足を踏み入れた同業者への敬意と、筋のいい若手に対する職人気質な承認が込められていた。


『電器丸』には、日々実にさまざまな人間がやってきた。作業台から客を観察するうちに、達也は持ち込まれるパーツの種類やカウンターでの質問内容から、その人物の気質や社会的ステータスを正確に読み取れるようになっていた。


無知な初心者を割り出すのは容易だった。派手なLEDライティングに目を奪われ、大仰なキャッチコピーに踊らされ、液体窒素による極冷OCでもやらなければ使いこなせないような最上位チップセットのマザーボードに、定価の四倍近い金を惜しげもなく払っていく連中。


にわかゲーマーたちはそれより少しマシだったが、雑誌で聞きかじった単語を並べるだけで、会話のベクトルが少しでもマニアックな方へ逸れると途端に言葉に詰まった。


一方、一目置くべきカーストとして存在したのが、本物のハードウェア・エンスージアストやオーバークロッカーたちだ。彼らは大容量の高品質電源や特定のステッピング(製造リビジョン)のCPUを指名買いし、シビアなメモリタイミングを追い求め、自作の本格水冷ループの冷却効率について何時間でも語り合えた。


時には、明らかに堅気ではない怪しげな客が迷い込んでくることもあった。


「おいボウズ、あの型落ちのグラボ全部寄越しな。十枚まとめてだ」


首元に禍々しいタトゥーを覗かせたジャージ姿の男が、低い声で言った。


「こちらの製品は最新のグラフィックスAPIには対応していません。現行のゲームを動かすには力不足ですが」


レジを打ちながら、達也は平然と念を押した。


「ネットカフェ用だよ。3Dなんざ動かしゃしねえ。一日中落ちずに回り続けりゃそれでいいんだ」


男はニヤリと下卑た笑みを浮かべ、カウンターに無造作に札束を投げ出した。


達也は何も言わずにレシートを切り、商品を箱に詰めた。天才的な演繹法を用いるまでもなく、その用途など想像がつく。タトゥーを入れた男たちが、型落ちのGPUを大量に買い集め、24時間連続で稼働させる非ゲーム用途――裏カジノの端末か何かの類だろう。誰に売ろうが達也の知ったことではなかったが、念のため、後日警察が聞き込みに来た際のテンプレートな受け答えだけは脳内でシミュレートしておいた。


この店での労働は、単なる高校生では決して手に入らないリソースへのアクセスを達也にもたらした。ハンダごてやマルチメーターといった機材だけではない。何よりも「情報」だ。


店のバックヤードには海外の技術誌が山積みされ、大学生たちの助言を頼りに、達也は海外の専門掲示板やクローズドな技術フォーラムへと辿り着いた。そこでは最新CPUのマイクロアーキテクチャや、BIOSの詳細設定、極限のオーバークロック手法が英語で激論されていた。


専門用語だらけの英文を読み解きながら、彼は同年代の誰も持ち得ない深淵な知識をスポンジのように吸収していった。いつしか『電器丸』は、達也が自らの意志で選んだ「第二の我が家」となっていた。


ここには敬意があった。クラスメイトの愚か者たちに嘲笑される恐怖を感じることなく、レイテンシや電圧、メモリ帯域幅について対等に語り合うことができた。ジャンクパーツが所狭しと並ぶ薄暗い店内で、達也の胸中に一つの揺るぎない信念が完成した。それは、彼が人間社会に対峙する上での絶対的な行動原理だった。


――真の有能さは、他者による承認を必要としない。


学校のいじめっ子たちを相手に、拳を振り上げたり成績を見せびらかしたりして己の優位を示す必要など微塵もない。彼の優越は、連中の矮小な脳髄では到底理解し得ない次元にあった。


その優越性は、店の片隅にある作業台の上で、具体的な物理的形態を帯びつつあった。


達也の新しい自作PCは、数ヶ月にわたる試行錯誤を経て、ほぼすべて店に廃棄されたジャンクパーツから組み上げられた。傍から見れば、電子の死骸をつなぎ合わせたフランケンシュタインの怪物にも見えただろうが、達也自身にとっては日常の延長にすぎない。これより悲惨な状態のマシンなど、いくらでも触ってきた。


筐体となったのは、不要品として引き取られた古いオフィス用PCの、重厚なアイボリー色(ベージュ)のスチールケースだ。厚みのある鋼板は優れた防音性と制振性を発揮した。巷で流行りのアクリルサイドパネルや無駄なイルミネーションなどより、達也にとってはよほど価値があった。


マシンの心臓部である電源ユニットは、「通電不可」のジャンク品だ。殻割りしてみれば、高圧側の一次電解コンデンサが妊娠(パンク)しているという典型的な故障だった。交換用部品代などタダ同然。ハンダごてを少し走らせるだけで、重量感のある600W電源は全ラインで極めて安定した電圧を再び出力し始めた。


RAM(メインメモリ)の調達はさらに呆気なかった。「二年ほど放置していて起動しなくなった」と情弱な客が持ち込んできたPCをバラした際、酸化して黒ずんだメモリモジュールの端子を消しゴムで擦って埃を飛ばしただけで、あっさりと正常動作したのだ。さらに五十嵐が同規格のモジュールを二本恵んでくれたおかげで、低レイテンシ設定に耐えうる潤沢なメモリ容量が確保できた。


中古のマザーボードは、店に転がっていたソケット75規格の代物を格安で購入。メーカーがコストカットで省略したVRM周りには、ジャンクのアルミ片から削り出した自作ヒートシンクを増設した。


グラフィックボードは、GPUコアもVRAM容量も悪くないものの、ファンが脱落して放熱フィンだけが剥き出しの哀れな代物だった。「無駄骨の狂気の実験」と笑う店主の許可を得て、達也はヤスリと電動ドリルで荒々しくブラケットを加工し、ペリフェラル4ピンから給電する汎用ファンを無理やりマウントした。商品として売るにはあまりに無様で醜悪な外見だったが、実用機としては十二分に機能した。


構成するすべてのコンポーネントが達也の手を経て、清掃され、検証され、ベンチ台の上でBIOSを極限までチューニングされた。


唯一、達也が新品で購入したのはハードディスク(HDD)だけだった。論理的帰結として、ハードウェアは修復できても、不良セクタを抱えたポンコツのディスクに自らのデータを託すのは致命的な愚行だ。情報こそが最大の資産であり、その保全は何よりも優先されるべきだった。


それ以外のパーツ――エントリークラスのCPUを含め――は、日頃の働きへの報酬として五十嵐が譲ってくれたものだ。


そして、運命の瞬間が訪れた。組み上げは完了した。結束バンドで配線は整然と束ねられ、コネクタの嵌合も完璧だ。


電源ユニット背面のロッカースイッチを倒し、通電させる。続いて、マザーボードのピンヘッダに繋いだフロントパネルの電源ボタンを押し込んだ。


カチリ、と小さなリレー音が響く。


ファンがピクリと身震いし、回転数を上げながら重厚で安定した低音を奏で始めた。基板上のインジケータLEDが点灯する。数秒の息詰まる静寂の後――。


ピピッ。


マザーボードの圧電ブザーから放たれた短く鋭いビープ音が、薄暗いバックヤードの空気を切り裂いた。


POST(起動時自己診断)通過。


接続されたテスト用ディスプレイに、白文字のシステムインフォメーションが次々とスクロールしていく。


その瞬間、達也の胸に奇妙で、これまで味わったことのない感情が去来した。それは、親の金で買ってもらった既製品を自慢し合う同級生たちの安っぽい虚栄心とは、根本から異なる誇りだった。


スクールカーストの最底辺に沈みながら、見捨てられた鉄屑を拾い集め、自らの知性と技術だけで組み上げたマシン。他者が「ゴミ」と切り捨てたものに命を吹き込み、最強の道具へと昇華させたのだ。


このマシンには名が必要だった。名無しの自作PCのままでも実用上は何の問題もないが、達也は少しばかりのアイロニーを自分に許すことにした。


店で毎日目にするメーカー製ゲーミングPCのカタログは、大仰で滑稽なネーミングのオンパレードだった。『大刀(ダイカタナ)』『プレデター』『ヘビーウェイト』『最終兵器』――マーケティング屋どもは攻撃的な意匠と陳腐な美辞麗句で十代の少年たちを煽り、中身の貧弱なパーツを高値で売りつける。


極限までオーバークロックされ、最適化された中身を隠し持つ、傷だらけの重厚なアイボリーケースを見下ろしながら、達也は自嘲気味に口角を上げた。


「――『蹂躙機』」


あるいは英語圏のスラングで呼ぶなら、『The Pwn-Machine』。


最高に馬鹿げていて、痛烈な皮肉に満ちた名だった。ゲーマーたちの肥大化した自尊心をあざ笑うその響きが、たまらなく気に入った。海外のフォーラムでベンチマークのスコア比較のためにスペックを尋ねられた際、達也は躊躇なくその名を名乗った。ネットの猛者たちも、その悪趣味なジョークを大いに面白がった。


OSのセットアップとドライバの適用にさらに数時間を費やした。ストレステストを完走させ、熱暴走の兆候がないことを確認すると、達也はいよいよ本題へと移行した。


彼が昔から強い関心を抱いていた領域――それは、MMORPGだった。厳密な数学的アルゴリズムと経済モデルによって稼働する、広大で複雑な仮想社会。実家の旧態然としたPC環境ではその門を叩くことすら叶わなかったが、今や状況は一変した。


『The Pwn-Machine』は、達也に初めて最新の高負荷タイトルへのアクセス権をもたらした。


当然、型落ちのCPUとGPUでは最高画質での描画など望むべくもない。グラフィック設定のスライダーはすべて最低値まで引き下げ、アンチエイリアス、動的シャドウ、複雑なポストエフェクトはことごとく無効化された。


テクスチャはぼやけ、描画距離もお世辞にも広いとは言えない。だが、負荷の高い市街地や激戦区であっても、フレームレートは安定して60FPSに張り付き、入力遅延は極限まで削ぎ落とされていた。ゲームプレイにおいて効率のみを追求するならば、グラフィックの美麗さなど無用の長物だ。勝敗を分けるのは、いつだって安定したフレームレートと低Ping値に尽きる。


休み時間に交わされる同級生たちの会話を思い出し、達也は密かに鼻で笑った。


自分たちを特権階級だと信じ込んでいるあの不良どもは、家電量販店で親に買わせた大手ブランド製PCをこれ見よがしに自慢し合っていた。中身がコスト削減の極みである低機能なマザーボードと、お粗末なリテールクーラーによるサーマルスロットリングでクロック低下を起こすオンボードグラフィックのCPUだとも知らず、外側のピカピカしたケースの意匠ばかりを熱心に語り合う阿呆ども。


彼らの高価な「なんちゃってゲーミングPC」なら熱暴走でフリーズするような過酷な負荷を、達也のゴミ溜めから生まれた怪物はバックグラウンドで平然と処理していた。


***


達也が最初に没入した仮想世界は、二〇〇〇年代半ばに全盛期を誇っていた、とある韓国産ダークファンタジーMMORPGだった。


そのゲームは徹底して過酷な仕様で知られていた。途方もないレベリングの労力、そして全域で解放された容赦のないフリーPvP(対人戦)。高レベル狩り場で一歩判断を誤れば、心血を注いで手に入れた装備品をドロップし、莫大な経験値をロストする。


大半のライト層にとってそれは理不尽極まりないマゾヒスティックなシステムに映ったが、達也はその徹底した「公平さ」を即座に気に入った。


アカウントを作成し、アバターを生成する工程は極めて淡々としたものだった。


現実世界のコンプレックスや学生気分のノリをそのまま仮想空間に持ち込むプレイヤーを、達也は軽蔑していた。『新宿BOY2007』『TOKYO-BLADE』『NINJA-STRONG』といった、承認欲求に塗れた恥ずかしいネーミングを見るたびに失笑を禁じ得ない。それは無個性な凡庸さを覆い隠すための安っぽい看板にすぎなかった。自己顕示欲を満たすための陳腐なパトスなど不要だし、完全なるデジタルの世界に現実のノイズを持ち込む必要性も皆無だ。


ゆえに、キャラクターネームの入力欄に達也が打ち込んだのは、徹底して無機質な文字列だった。


――『V-73』。


簡潔で、何の意味も持たない記号の羅列。年齢も、居住地も、現実の社会的属性も一切推し量ることはできない。姿なき匿名者(インコグニート)として振る舞うには、完璧なステルスネームだった。


仮想世界での活動は、物理世界における「正常さ」の擬態を維持するため、厳密なタイムテーブルによって管理された。


ログインは夜間。達也は自室の明かりを消し、ディスプレイの放つ蒼白い光の中だけでキーボードを叩いた。父親に怪しまれないよう最初は完全な無音でプレイしていたが、やがて安物のヘッドセットを調達した。


ゲーム内での成長速度は凄まじかった。とりわけ彼が魅了されたのはPvPの奥深さだ。敵プレイヤーのスキル発動モーションや硬直フレームを完璧に見極め、タイミングを合わせて詠唱妨害(キャストストップ)を叩き込む。仮想世界の抗争、効率的な狩り、ゲーム内市場の経済計算――それらは彼を捉えて離さず、ログアウトする頃には午前四時、時には五時を回っていた。


朝が来れば、冷酷な現実が目を覚ます。


達也は毎朝、台所で限界まで濃く淹れたインスタントコーヒーを泥水のように胃袋へ流し込んだ。味覚などどうでもいい。ただ肉体を駆動させるための燃料として摂取し、制服を着て学校へと向かうのだ。


MMOの内部において、『V-73』の序列の上昇は目覚ましかった。


現実のキーボードの前に座っているのが、不良どもに言い返すこともできない惨めな男子高校生であることなど、システムにとっては何の制約にもならない。ここで問われるのは反応速度、ミクロ操作、そしてゲームメカニクスの正確な把握のみだ。


達也の目には、仮想世界は変数の束と数式として映っていた。モンスターの乱入や敵の奇襲に周囲がパニックに陥る中、彼は冷徹にカイト(引き撃ち)の射程を測り、CC(行動妨害スキル)の最適なヒットタイミングとスキルローテーションを完璧に遂行した。


その圧倒的な有能さが、埋もれたままでいるはずがなかった。


野良パーティで参加したワールドレイドボス争奪戦において、達也の神がかり的なポジショニングによって敵対勢力を壊滅させた一戦を機に、彼はサーバー屈指のトップギルドから正式なスカウトを受けた。


ギルドメンバーたちは、彼を傑出したプレイヤースキルを持つ有望株として即座に認めた。


それは達也にとって、これまでの人生で一度も経験したことのない新しい社会的体験だった。ここでは彼のスキルが絶対的な重みを持ち、物資の分配において意見が尊重され、彼がパーティにいること自体が最高効率の狩りとPvP勝利の保証と見なされた。


匿名性という名のベールが、彼を現実のラベルから完全に解放していた。


学校では目立たぬよう息を潜める陰気ないじめられっ子。だがゲーム内の『V-73』は、わずか数週間で九人からなる固定パーティ(コンスタントパーティ/CP)のリーダーを務めるようになっていた。


戦術を立案し、ドロップ装備を統括し、立ち回りをミスした大人のメンバーに対しても一切の容赦なく叱責を飛ばす。達也の指揮方針は、他人の無能さに対する徹底した不寛容によって貫かれていた。


「ボスの正面で棒立ちするな、周囲を旋回しろ。お前の位置取りのミスのせいでヒーラーのMPが枯渇してる」


驚くべきことに、その苛烈な物言いは反発を招くどころか、かえって彼のカリスマを高める結果となった。パーティの生存が規律に直結する世界において、無能な人格者よりも、冷酷で完璧な実力者の方がはるかに求められるのだ。


サーバー政治の中枢へと彼が完全に登り詰める決定打となったのは、秋半ばの夜に行われた大規模攻城戦だった。彼にとって、初めて経験する正真正銘の総力戦。


このゲームにおける大規模PvP(集団戦)は、敗者に一切の情け容赦を与えない。拠点の喪失は、領地から上がる莫大な税収と特権のすべてを失うことを意味する。達也の所属するギルドは攻城側として、城を占拠し続ける長年の宿敵ギルドを排除すべく侵攻を開始した。


激戦は一時間に及んだ。


画面内では数百の魔法エフェクトが乱れ飛び、同一マップに密集したプレイヤーの負荷によってサーバーは処理落ちを繰り返し、戦場はまるでコマ送りのターン制シミュレーションのような様相を呈していた。そんな極限のカオスの中、勝敗を分けたのは個々のパーティの連携だった。


達也は自らの固定部隊を完璧に統率し、狭隘な城門前の橋の上で敵の防衛線を冷徹に押し潰していった。バフの持続時間を秒単位で管理し、射程と火力を精密にコントロールする。その戦術眼は、数多の歴戦の古参兵たちすら凌駕していた。


残り時間わずか、内門を突破したギルドマスターが、玉座の間で長大な詠唱を要する「刻印(城主占有スキル)」を開始する。ギルドマスターの肥大化した自尊心を満足させるための巨大な玉座。


猶予はほとんど残されていなかった。V-73率いる部隊は玉座へと続く狭い回廊を封鎖し、押し寄せる敵の増援を長距離範囲魔法でことごとく消滅させていく。


玉座の間の紋章旗が自ギルドのカラーへと塗り替えられ、攻め手と守り手の立場が反転した。


それから三十秒後――制限時間の終了を告げるシステムアラートが、全サーバーのアナウンス欄を覆い尽くした。


【――城の占有権が変更されました】


その瞬間。


暗闇の中、凝り固まった背中と充血した瞳の奥で、達也はかつてない原始的な昂揚感を覚えていた。


テストで満点を取ることなどでは決して得られない、純粋なアドレナリンとドーパミンの奔流。画面の向こうで歓喜に沸くギルドメンバーたちのチャットログを見つめながら、達也の唇に自然と笑みがこぼれていた。


それは、他者を踏みつける理不尽な暴力ではなく、純粋な知性と戦術的優位性のみによって勝ち取った、完全なる勝利だった。


当然ながら、そうした過密極まる夜の生活が物理世界の肉体に影響を及ぼさないはずがなかった。どれほど生体活動を最適化しようとも、生物学的な限界はどうしても訪れる。


教室の机の上で、達也の意識は時折ぷつりとブラックアウトした。江戸時代の歴史について単調な講釈を垂れ流す教師の声を聞くよりも、脳に休息を与える方が生命維持として圧倒的に効率的だと、肉体が判断を下すのだ。


「――青森! 授業中の居眠りもいい加減にしなさい。私の授業を聞く価値がないというなら、保護者の方と面談を設けることになりますが?」


鋭い怒号に、達也はゆっくりと瞼を持ち上げた。教壇の向こうから、日本史の教師が眼鏡の奥の目を吊り上げて睨みつけている。


「……申し訳ありません、先生。二度といたしません」


感情の波を完全に消し去った平坦な声音で、達也は謝罪の言葉を口にした。


教員たちは達也の態度を、典型的な思春期の無気力と意欲の欠如として片付けた。彼らの目に映るのは、平均点スレスレを漂うだけの影の薄い、主体性のない落ちこぼれ予備軍にすぎない。


目の前で叱責しているこの無気力な少年が、昨夜サーバー全体の相場を揺るがす経済的ディスラプションを主導し、数百人を統率していた大立者だなどとは、夢にも思い至らないのだ。


達也の肉体はやがて、慢性的な睡眠不足に適応し始めた。日中の時間帯を徹底した「省電力モード」でやり過ごし、深夜の活動のためにリソースを温存する生体リズムを確立したのだ。


学校の廊下、クラスメイトの嘲るような視線、退屈極まりない授業――そのすべては、取るに足らない背景ノイズへと退行していった。真の現実へとログインする前の、ただの長いロード画面にすぎない。


そして、その仮想現実の中でこそ、達也は生まれて初めて「真の友人」と呼べる存在に出会うことになった。


ネームは『GUARD14』。


少なくともゲーム内ではそう名乗っていた。同じギルドに所属する支援職(バッファー/ヒーラー)で、一般的なプレイヤーが就寝しているか勤務しているようなオフピークの時間帯にのみ現れる、奇妙な活動サイクルの持ち主だった。


二人の邂逅はまったくの偶然だった。深夜三時、過疎エリアでの希少素材狩り。余計な言葉は一切交わされなかった。世間話も素性の探り合いもなく、ただ無言でパーティ申請を送り、承認した。


『V-73』が的確な魔法火力でヘイトを取り、一撃のダメージも受けることなくモンスターを完璧に誘導する。その背後で『GUARD14』が即座にMPを補充し、不意に湧いたリンクモンスターをミリ秒単位の睡眠スキルで眠らせる。


派手さのない淡々とした連携だったが、パーティプレイ特有の「もたつき」がミリ秒単位で存在しない、驚くほど滑らかな狩りが成立していた。


やがてその深夜のセッションは日常と化した。


モンスターのリポップ(再出現)を待つわずかな合間に、二人はささやき(プライベートチャット)で短い言葉を交わすようになった。会話の端々に出る勤務シフトの話題から、『GUARD14』が大阪の工場に勤める社会人であることが何となく判明した。


現実世界で顔を合わせたことは一度もない。写真を送り合うこともなければ、互いの本名すら知らない。


それにもかかわらず、東京で陰湿ないじめに晒されている高校生と、大阪の工場で働く一人の労働者との間には、現実のどんなクラスメイトとも築き得なかった強固な信頼関係が結ばれていた。


その体験は、達也にとって一つの決定的な確信(エピファニー)をもたらした。


自らがずっと直感していた真理の証明。――真に強固で揺るぎない絆を結ぶために、現実のアイデンティティなど何一つ必要ないのだ。


年齢、社会的地位、容姿、所属する学校や肩書。人間がお互いを値踏みする際に縋り付くそうした社会的汚物(ゴミ)は、この領域においては一片の価値も持たない。


意味を持つのは、ただその行動のみ。能力の有無。危機の際に見せる信頼性と、同じ戦術的文脈を共有できる思考の同期性。


無機質な英数字の羅列に己の輪郭を隠し、数百キロも離れた唯一無二の戦友と、ディスプレイのテキストログ越しに繋がるその瞬間――。


青森達也は皮肉にも、生まれて初めて自らが「生きて」おり、「本物」であるという確かな実感を抱いていた。

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