Administrator -管理者-(後)
「ソナリア」
暗闇に向かって、掠れた声を投げる。
天井に張り付く蝙蝠の数羽が羽ばたいた。
「ソナリア!」
「……うるさいわねえ」
声は、耳元ではなく頭の内側で鳴った。ぶれて何重にも響く音に、小さく奥歯を噛む。
見上げると暗闇から青白い肌が浮かび上がる。遅れて、黒髪が流れた。シルクのようなドレスが闇と繋がっている。
顔を見てしまった。切れ長の瞳に、血のように赤い唇。目が外れない。
「何事なの? 勝手にやってって言ったでしょ」
ソナリアの視線が落ちる。瞬間、指一本、動かない。血だけが巡る。もはやこの現象に驚きはなく、心拍に異常はない。
眠っている時に起こすと、いつもこれだ。しかも一日二〇時間近くは不定期に眠っているから、話しかけないのが本来正しい。
ただ、そうはいかない事情があった。彼女は、嘘と隠し事を最も嫌う。
口はほとんど動かないが、腹話術のように喉で声を作る。
「報、告と、相談があって」
すう、と寄ったソナリアは、顔を五センチの距離に置く。観察の瞳だ。この腹の内には何もない。そう思ってはいても、自分の価値観の上の虚像である可能性は否定できない。
そもそも、これだけの美女が至近にいるだけで邪だ。目も閉じられないこの状況は、紛れもなく詰んでいる。
容疑も知らずに始まった裁判の判決を待つ。
「ふうん、まあいいわ」
拘束を解かれ、膝からくず折れる。この瞬間はいまだに慣れない。立ち上がりながら言う。
「入口まで来てほしい」
率直に話を進めなければ、どこで虎の尾を踏むか分からない。踵を返して一歩目を踏み出すと、足は地面を掴まなかった。浮かされている。
「さっさと行くわよ。まだ寝たいの」
ソナリアに連れられるまま、空中を行く。
様々なモンスターの棲むダンジョンを躊躇なく横切っていくが、気配もなく静まり返っていた。それは上位者たる彼女への畏れであり、本能だった。
調べ尽くしたダンジョンだ。改めて見るものはない。だから前を飛ぶお尻を眺めていると、入り口に着いた。空気が、生々しい。
壁際では盾剣士、狩人、神官の亡骸が並び、その横に魔法使いが加わろうとしている。
死体の足を掴んで引きずっているのは、獣人のミラ。後ろ姿で目を惹くのが、獣の尻尾と丸い耳だ。それ以外は一〇代後半の背の低い女性にしか見えないが、死体を横に放る膂力に、種族の壁を感じる。
ミラは四人を揃えてから、魔法使いの遺留品を手に取った。
「この杖だめだー……攻撃を受けた時に芯が折れちゃってる。あーあ、結構いい値がついたのに」
背中越しに投げて寄越された杖を両手で受ける。確かに杖の真ん中で、ゴブリンに受けたナイフの跡があった。
ミラは遅れて、ソナリアの存在に気づく。
「あ、ソナリア様。いらっしゃったんですね」
ソナリアは無視して、冒険者たちを眺めていた。
「へえ……そう。殺したのね」
ソナリアの横顔には、口角が浮いていた。愉しんでいるようだったが、なぜなのか見当もつかない。
焦燥が、口を突いて出る。
「あと一カ月、どうすればいい?」
このダンジョン管理の契約期間は一年間。ただ座って、動植物の世話をすればいいわけじゃない。踏破させない、最奥に触れさせないことが仕事だった。
息を潜めて十一ヶ月。ほとんどの冒険者を生きて帰して来たが、ついにこのレベルのパーティが来るまでになった。
次はもっと――そこで思考を切る。
「契約通り、管理すればいいんじゃない? 成功でも失敗でも、わたしはどっちでもいいわ」
暗に助けを、ダメなら助言を求めていたが、やはり無駄だった。
ソナリアはあくびし、元いた場所に戻っていく。「死ぬんじゃなく君が殺すんだろ」と背中に投げる勇気はない。
「タカハシさん、そろそろいいです?」
肩を落としていると、ミラが上目で視界に入って来る。
「ああ、すいません」
「大変そうですね。大丈夫ですか?」
「いやあ……」
続く言葉が出ない。
あどけない顔を見て、話題を変える。
「さっさとやっちゃいましょうか」
「そうですね! 時間を金に変えよ、とも言いますし!」
どこかで聞いた言い回しだな、と思いながら杖を置く。
遺留品の仕分けは、重要な業務だ。
「その杖、どうします?」
「売れないんですよね?」
「うーん、修理費込みとなると、利益にはならないですね」
「なら、廃棄かな」
「こっちの弓なら売れますけど」
モンスターの角を加工した弓。弦に毛羽立ちはなく、よく手入れされていて、この狩人の人柄を感じさせた。俯瞰で見ていた死の瞬間が、頭によぎる。
今は人ではなく物に……仕事に集中する。
「ここのモンスターで、誰か使えないかな」
杖を置いてミラから弓を受け取る。手先が器用なゴブリンが候補。弦を触ってみるが、硬い。モンスターを一撃で粉砕する威力だから当然か。筋力的に厳しいかもしれない。
「やっぱりいいや。売っちゃって」
「ありがとうございます。いつもの通り、たかーく売っちゃいますから」
次は、と視線を移す。狩人の隣で横たわっているのは、神官の女性だった。思っていたよりも、若い。髪は血にまみれ、穢れた衣服から神聖が失われている。
ミラは淡々と進めてくれる。
「神官は一旦飛ばして――」
神官の装備品はまとめて廃棄する。それらは教会によって細かく管理されているため、表では流通していない。杖も本人でしか扱えないという厳重ぶり。その原理は分からないが、認証が通らない仕様らしい。
「この人、城下のギルドのベテランですね」
盾剣士は最期まで剣を振り回し、殴って蹴って、毒に沈んだ。死んでなお、負けていないとその威容が語っていた。
「知ってる、方でしたか?」
「いえ、ちょっと有名な人だったんですよ。元騎士で、騎士団の教育とかもやってたみたいで」
そうですか、と話題を打ち切る。名前は聞きたくなかった。知れば、ここで終わらせた理由を探してしまう。
「剣と盾、どうします? 傷ついてますけど、この盾はかなりモノがいいですよ」
簡素な紋様の大盾だった。ミラは軽く持っていたが、受け取るとやはり重い。一度振ったら、そのまま倒れそうだ。誰も使えないなと顔に出ていたのか、ミラが言う。
「売ってもいい値段になりますけど、今は持ってたらどうです?」意外な提案。いい物は仕入れてなんぼのはずなのに。「お得意様に死なれたら困りますから」
気持ちよく先回りされる。
「そんなにいい物なんですか? この盾」
「魔法も物理も正面で受ければ、衝撃が半減する優れものですよ。なかなか買えない物ですし、他に欲しいものがないなら」
「なるほど……」
この世界にある物は、原理の分からないものばかりだ。だから、有識者の言葉を信じる。
「じゃあ、これはいただきます」
防具や所持品も細かく仕分けて、ひと段落となった。
「死体はいつも通り?」
「いや、今回は置いておいて」
いつもなら、ミラがサービスとして片付けてくれている。ただ、今回は契約分を渡す必要があった。
買取となった荷物をまとめて、ミラは出発の準備を整えた。荷車に積んで、出口に向かう。
「じゃあ、行っちゃいますね」
「気をつけて」
石扉を開け、見えなくなるまで見送った。
外の風が脇を抜け、ダンジョンに吹く。その流れに押されて中に戻る。
入った空気を濃く染め上げる、湿気と血の臭い。それを今日の分として受け入れる。べしゃり、べしゃりと、水気を帯びた音が近づく。鼓膜に張り付いて離れない。
尊敬に値する人間を、埋葬すらできず餌にする。それでもまだ終われない。彼らから目を逸らす。
契約は、履行された。




