子を憎む父
「いつになれば余は玉座に付けるのじゃ!」
遼霊はそう叫ぶと手にしていた扇子をでっぷりと太ったガルシア・ゴンザレス将軍に投げつけていた。
「殿下……お急ぎめさるな」
「急ぐな急ぐなと言って……もう五年だぞ?五年」
先帝遼武の死から五年。霊は未だ玉座につくことも無く帝の間に入ることもできずにいた。
「簒奪と後ろ指差されるのはお嫌でしょう」
「一言言えば簒奪、簒奪と……母上を殺しておいてよく言うわい!」
不摂生と運動不足から青ざめた顔に青筋を浮かべながら霊が叫ぶ。その様子にゴンザレス将軍は脇に控えている文官に目をやった。
「殿下。もうこれ以上待てないと?」
ひ弱そうな文官、浅野英次はそう言うと静かに霊の前に進み、書類を手渡した。
「これは?」
霊の問いにゴンザレス将軍は満面の笑みを浮かべた。
「任命書の下書きでございます」
「任命書?」
不思議そうにそうつぶやくと霊は書類に目を通した。すぐにその額に汗が浮き、口元がワナワナと震え始めた。
「ゴンザレス……貴様を全権元帥にしろと?」
霊の表情には怒りが浮かんでいた。ゴンザレス将軍は霊の表情などまるで構わないというように余裕すら感じられるような笑みを浮かべていた。
「あくまで下書きでございます。全てお任せいただければ……南都のブルゴーニュ家や東海の花山院を御前に跪かせてご覧に入れます。ただすぐにお決めになることはできないでしょうから……」
「五年できなかったことが今できるとは……」
諦めたようにつぶやくと霊は手を挙げる。背後に控えていた女官が肩を差し出す。まだ三十代だというのに自力で立ち上がることもできず、なんとか女官に抱えられるようにして席を立つ。
「殿下……」
「考えさせろ……しばらくはかかる」
霊は少しばかり口元を緩めるとそのまま王の間の控えの間から出て行った。
「子作り以外に能のない暗君を掲げるのはどうも」
そう言うと浅野は霊の去っていった戸を眺めているゴンザレス将軍に視線をやった。ゴンザレス将軍はゆっくりと立ち上がると口ひげに手をやった。
「なに、担ぐ神輿は軽い方がやりやすい。それにワシが実権を握るにはあの青瓢箪に帝位についてもらわんと困る。東宮がすんなりと即位すればカグラーヌバの爺の世になるし、他の庶子を担げば南都や東海がでかい顔をすることになる。なんとしても霊殿下に帝位についてもらわねば……」
ゴンザレス将軍はそう言うと入口に立っていた下士官を呼び止めた。
「吉田少佐に連絡を取れるか」
ゴンザレス将軍の言葉に下士官は顔色を変えて走り去った。
「あの守銭奴を使うのですか?」
そう言うと浅野は気難しい顔をして笑みを浮かべているゴンザレス将軍を見つめた。
「ただ一撃で兼州は討たれなければならん。ただの一撃でだ。さもなければ南都や東海、東モスレムは言うことをきかんだろう?」
「ただの一撃で兼州を?」
「そうだ一撃でだ。当然東宮殿下には退場していただく」
「吉田少佐に同情してきましたよ。皇帝の次は東宮……悪逆もここに極まれりですね」
「そう言うな。東宮……ラスコー様の首を所望しているのは霊殿下だ……」
「実の親が子の命を?」
浅野はそう言うと相変わらず笑顔を浮かべているゴンザレス将軍を眺めた。
「そうだ。殿下は東宮を憎んでおられる」
「子を憎む親ですか……東宮の位を奪われたからといって……」
「それだけではないよ。そもそもカグラーヌバのライン様を妻に迎えた時から殿下はカグラーヌバの血を嫌っていらっしゃる。事実ライン様腹の弟君遼弁王ともお会いになることを避けていらっしゃる」
「王侯貴族というものはわからないですな」
「浅野……貴殿も甲武貴族の出ではないか」
ゴンザレス将軍に痛いところを突かれて浅野は苦笑いを浮かべた。
「うちは先々代が功績を立てて引き立てられた身ですから。まあ殿下を見ていると息子をそれ程憎むのも分からないでは無いですが。もうすでに子を百人も作っておいて誰ともお会いになろうとしない」
「そういうお方なのだ。まあワシの言うことしか聞かないところが良いところではあるがな」
「将軍も人が悪い……」
ひどく悪い笑みを浮かべるゴンザレス将軍に浅野も引き込まれるようにして笑っていた。
「しかし吉田少佐は来てもらえるでしょうか?」
「なあに来てくれるさ……この五年間あの御仁のハマるピース以外は全て埋めてきたワシだ。南都と東海を跪かせ、東モスレムを屈服させて、兼州を一撃で沈める。その間に東宮はお亡くなりになる」
「あまりに出来過ぎた話ですな……」
「人生待つことも必要だということだ。得る利益を考えれば時間を有効に使うことができるようになる」
「北天のアカを放置したのもそのためですかな……」
「兼州が遼北と結べば全てが水泡に帰すからな。北天の人民ゲリラに好きに動いてもらえば兼州はいやでも遼北と対立せざるを得ない」
ゴンザレス将軍の読みに浅野は感服していた。
「すべては仕組まれたこと……」
冷や汗を流しながら浅野はでっぷりと太った姦雄を見つめていた。