甲武浪人
モニターを前に兼州政府首脳は黙り込んでいた。
「これは明らかに宣戦布告だ!」
そう叫んだのはカグラーヌバ・タキト陸軍中将だった。カグラーヌバ・カバラの嫡子で軍内部でも人望が厚く。多くの首脳達は彼の言葉に頷いた。
「この二週間で央都との州境で拉致事件が7件。すべて被害者は央都領内で惨殺死体で発見されている」
「緊張状態に耐えられなくなった跳ねっ返りですかな」
「武器を持って全能にでもなったつもりの新兵の仕業でしょう……実際検問所で央都軍の新兵3名を射殺している」
幹部達が深く頷く中、一人首を横に振る男がいた。
「甘いですなあ……皆さん。これは敵の策略ですよ。乗せられてどうします」
西園寺孝基はそう言うとセンターモニターの前に進み出た。
「しかし、実際に兼州の民が略取されている」
拳を握り締め顎を引きつらせるカグラーヌバ・カバラの言葉に何度か口元を引き締めた後、孝基は話し始めた。
「恐らくこの手口からして『外憲』の仕業でしょう。アイツ等ならこの程度の工作活動は証拠も残さずやってのける」
「『外憲』……甲武陸軍外事憲兵隊のことか?」
「そう、甲武は名目上遼を宗主国にしている。遼の皇帝はすなわち甲武の皇帝。国力が30分の1でもベルルカンの失敗国家と大して変わらない政治状況でも遼の治安には責任がある。それが甲武軍上層部の認識です」
「しかし、『外憲』は治安維持部隊だったはずだ……」
「そうです、武帝が健在の時代は東モスレムの治安維持、要人警護、戦略的要衝の警備が主任務だった。しかしそれは西園寺重基と言う『外憲』解体すら首相する反軍部の政治勢力が有力だった時代の隠れ蓑に過ぎない。本来、甲武が遼から独立して以来、『外憲』の性格は秘密裏に不安定要素を排除することに特化した部隊だっった。武帝時代の『外憲』の性格が『外憲』にとっては異常な状態だったわけで現在の兼州への浸透工作活動はむしろ『外憲』らしいと言えますね」
「しかし……何が狙いで民間人の拉致などを」
一人の佐官の言葉に孝基は満足気な笑みを浮かべた。
「あなた方を怒らせること……いや、もっと簡単に火が入る連中がこの州には三千人ほどいる」
「甲武浪人……」
カバラのつぶやきに孝基は大きく頷いた。
「この戦いは先に手を出したほうが難しい立場に立たされるでしょう。もともと戦力に限界のあるこちらもそうですが、南都、東海の動向にも左右される央都軍もすぐさま先制攻撃とはいかない状況にあります。拉致事件の目的は胡州浪人の暴走を引き起こすこと。それにより自衛の為の全面攻撃を肯定する状況を作り上げることにあります」
難しい表情の孝基にギャラリーは冷や汗を流しながら彼を見つめていた。
「それでは一番危ないのは西園寺卿の部隊ではないのかね」
暗闇の中からの一言に一瞬怒りの表情を浮かべるが、孝基はすぐに理性を取り戻していた。
「うちを無頼漢と思ってもらっちゃ困りますよ。それなりの場数も踏んでる。空気は読めるつもりだ……と言うか今甲武浪人を抑えてるのはうちの直系の部下達ですよ。なんとか今の状況を維持したいのが本音でね」
「なぜ今の状況の維持を?」
ムジャンタ・カバラの問いにあっけらかんとした表情を浮かべる孝基。
「今の状況が続けば……州境には地球のジャーナリストも潜伏している。彼等から発せられる情報に地球の政府もだんまりを決め込むわけには行かない。必然的に南都に圧力がかかり……央都と南都を分断できる」
「今回の誘拐事件を起こした『外憲』も承知しているはずだ」
今度はカグラーヌバ・タキトの言葉にそれを遮るように手を伸ばす。
「そう……央都は地球の信頼を失う。するとより胡州を頼らざるを得なくなる」
「『外憲』は央都と南都が切り離されることを了解していると?」
カバラの言葉に孝基は首を振った。
「『外憲』はより派手な攻撃に移行するでしょう。ただ……その状況で甲武浪人が暴発しない保証はない。早い段階で暴発すれば南都も央都の出撃要請を断る理由がなくなる」
悩ましげな孝基の表情に一同は俯いてそれぞれ手元の資料に目を通し始めた。
「『外憲』の介入で状況は新たな段階に入った。……遠からず『外憲』は状況を次の段階に移行させる」
「次の段階とは?」
頭に指をやって頭痛をこらえるようにしてカバラが孝基に尋ねた。
「小部隊での越境攻撃……これこそが本来遼南から越境して遼北の反共産政権武装組織を支援していた『外憲』の十八番だ……厳しいですよ」
孝基の言葉に場は一瞬凍りついたような寒気を感じる場と化していた。
「本当にこれで良いのでしょうか?」
遼献の問いに作戦会議の議場で苛立たしげな視線を浴びてうんざりしていたという孝基がのんびりと伸びをする。
「まあ殿下の面子のために死ぬ人間がいる……そのことは忘れてはならないことだな」
「わかっています」
静かに献は応えた。孝基は満足げに頷き静かに窓の方へと向かった。
「王族なんかに生まれなければこんなことにはならなかった。そう思っているんでしょう。まあその通りなんですがね……ただ事実は消せない」
そう言って孝基は窓の外の木々に手を伸ばした。
「こうして手を伸ばしても届くものと届かないものがある。殿下の場合は普通の人並みの生活。そして自分の意思」
「余は自分の意思でここにいる」
「本当ですか?」
孝基に言われて献は自分自身を振り返った。西園寺康子が亡命を勧めたときなぜ自分は断ったのか。それが本当に自分の意志なのか。
「もしかしたら違うのかもしれない」
「そうでしょう。ただ……あなたのために死ぬ人間がいることだけは忘れないでください。それを忘れればゴンザレス将軍と変わらないことになる」
「父上ともでしょ」
わざとらしいラスコーの笑みに孝基は困ったような顔をして応えた。
「この戦い……勝ち目はあるんですか」
「無い……正直そういうしか無いですね。南都を央都から引き剥がせば代わりに胡州が動き出す。地球が央都を見限れば今度は胡州本国が動くでしょう」
「重基卿のお力は……」
「オヤジは完全に政界を引退しました。跡を継いだ義基ですが……まだ若すぎる。地盤のリベラル勢力をまとめることで手一杯でしょう。とても外交までは手がまわらない。まあ元遼南大使館職員ですから情報は掴んでいるでしょうが……動き回るのは無理でしょう」
「そうですか……」
献は力なく窓の外を見つめた。鳥のさえずりが響く離宮。ただ虚しく時間だけが流れていった。




