09 情報の違い、その島の名前
その後、私はシャツを交換し、他の待機組と一緒に夕食を作っていた。
燈子が典型的な料理下手だった一方で、千鶴はいかにも大和撫子といった風で手際が良く、出汁を味見する動作が非常に様になっていた。なので燈子は途中から洗い物や炊飯などに専念するようになり、千鶴の作る料理を味見と称してつまみ食いしては苦言を呈されていた。もうすっかり仲良くなっているのが、なんだか羨ましい。
なお一人だけ探索に行かなかった翼はと言うと、千鶴の隣でメインディッシュである鯖の味噌煮をせっせと作っている。彼も彼で手際がいいので、料理は慣れている方なのだろう。スペックを盛りすぎなので少し削って分けて欲しいところだ、料理をしている立ち姿はやたらキラキラしていたし、そこもなんとも言えない気持ちになる。
……私はと言うと、料理は燈子ほど苦手ではないけど千鶴ほど得意でもない、という微妙なラインなので、もやしと小松菜の胡麻和えを作っていた。汁物や煮物、主菜といった肝心なものは千鶴や翼に任せた方がいいだろうから、私には胡麻和えが似合っている。あと好物だし。
そして千鶴が肉じゃがの落し蓋を取ろうとした頃、扉が開く音がした。広いとはいえ食堂や談話室ほどの余裕はないキッチンの中に、帰ってきた桜と祥が入って来る。
「桜おっかえりー……って、どしたの桜。顔赤いよ?」
洗い物を終えた燈子が不思議そうに言う。
桜は肩をびくりと震わせて、可愛らしく桜色に染まった頬を両手で覆い、ぶんぶんと首を横に振る。
「なんでもないの! わあ、これ今日の夕飯? 燈子ちゃんが作ったの?」
それからぱたぱたと燈子の元へ小走りで向かい、カウンターに並べられた料理を指さして露骨に話題を逸らす。そんな桜の様子に何かを察したのか、燈子は茶化すようにニヤニヤ笑った。
「あっれぇ~? 桜ってば小食なのに、今日はご飯に興味津々なわけぇ~?」
「も、もう……! 燈子ちゃんの意地悪!」
ちらりと入り口近くに立っている祥を見やれば、照れくさそうに頬を掻いているではないか。こんなの考えるまでもない、確実に何かしらのイベントが発生したな。そうに決まっている。
ひとつの不穏分子を除いて、いっそ気味が悪いほどに何もかもが上手くいっている。これを喜ぶべきなのか、それとも、より一層気を引き締めていくべきなのか。答えは恐らく後者だ、翼の存在がある限り私は気を抜いちゃいけない。
そんな風に翼のことばかり考えていると、つい視線をそちらへ向けてしまう。あの軽薄そうで悪戯っぽい表情と当然のように目が合って、彼はそんな私を見て笑った。また最初の時のように世界が途切れるのではないかと身構えたが、そんなことはない。画角から外れていたのだろう。
「夕飯はできているのだけど……あの二人、いつになったら帰ってくるのよ」
両腕を組んで千鶴が言う。確かに、もう日も暮れてきているので、男二人とは言えそろそろ戻ってきた方が良いだろう。おひたしを小鉢に盛り付けながら「もう先に食べちゃうー?」なんて翼が言うものだから、ああ見えてお調子者のきらいがあるらしい祥は「妙案!」と言って目を輝かせる。
当然、本当に先に食べてしまうわけにはいかないので、その場は千鶴がてきぱきと取り纏め、探索に行ってきた桜と祥から島内の様子について聞くことになった。
「広さはそんなになくて、外周が5キロないくらい。草原と果樹園、花畑や小川、ちょっとした森林なんかもあって、自然公園……って表現が一番しっくり来るな」
なるほど、自然公園か。景観もいいだろうし、草原に寝そべって一緒に星空を眺めるイベントなんかもありそうだ。あとは花畑も何かしらあるだろうし、浜辺あたりも間違いない。
そういう乙女ゲーム的な思考で話を聞いていると、はっきり言ってあまり興味のない島の様子だって面白くなるというものだ。だって私、待機組だから屋敷の外に出ることなんてあまりないだろうし。
「で、ここからが重要なんだけど……早乙女さんが、南の海岸で桟橋を見付けたんだ。多分、そこに船が着けられるんだと思う」
……つまりは、脱出の条件をクリアすればそこに船が来るということか。そしてその場面までどうにか漕ぎ付け、視聴者に不快感を与えないまま、この物語がハッピーエンドを迎えれば、私は無事に生き返ることが出来るのだろう。都合のいい話だと一瞬思いかけたが、死因を考えればご都合主義を極めたってお釣りが来る。第一、ハッピーエンドどころかラストシーンに至ることさえ難しいのだ。
「つっても、俺らスマホとかみんな没収されてるし、船なんて呼びようがなくない?」
後ろ手に頭を掻きながら、わずかに困ったような顔をして翼が言った。確かに脱出の方法については、私含め未だに誰も分かっていない。もっとちゃんとプレイしておけばよかったな、と何度目かの後悔をして、今度こそ翼の方を見ないようにしながら、なんとなく燈子の方へと目をやった。理由はないが、すっかり困り果てた様子で唸っている燈子本人に気付かれそうな様子もないので問題はないだろう。
「……そう言えば」
不意に、大人しく話を聞いていた千鶴がぼやく。何かを思い出したようで、彼女は顔を上げた。みんなが一斉に彼女へと注目する。
「書斎の本棚の中に、千世ヶ島ってメモしてある写真があったのよ。もしかすると、この島の名前なのかもしれないわ」
千世ヶ島。まるで聞き覚えのないその名前に、どこか引っかかるものを感じた。
……そうだ、メビウスの言っていた島の名前と違うのだ。だって彼は、確か――そう、夕凪島と言っていた。
「この島の名前、確か夕凪島ですよ」
黙っているのも悪いので、すかさず彼女の発言を訂正する。
すると一斉に、八つの瞳がこちらを向いた。
「藤吉さん、どうしてこの島の名前を知ってるんだ? 手紙にも書いてなかったと思うけど」
「あ」
……まずい。桜を除いた全員が、驚いた様子で私に注目している。
そうか、みんなは島の名前を知らないのか。完全に知っているとばかり思いこんでいたけれど、ここに来た経緯を誰も覚えていない以上そんな筈はない。持ってる情報が違うってことを、もっとしっかり意識しておくべきだった。
「えっ、と……」
駄目だ、焦って頭が回らない。なんかもう、駄目な気がしてきた。
「ついさっき頭の中に声が聞こえて、島の名前を教えてくれました! 私いろんな声が聞こえるんで! 妖精とか動物とか幽霊とか」
プツン。