ヤワタ4 鈴さんの正体は……な件
鈴さんの行為に宿直さんたちはちょっと引いて、久兵衛くんが
「ええっと……むしろ私の方がイレギュラーなのですから、私が汁抜きで頂きます。」
なんて言い出した。
イレギュラーなんて単語がサラリと出てくるあたり、いかにも伊能先生が見込んだ長崎での一番弟子っぽい。たぶん語学とか現代科学の知識に加えて、医学的な腕前の方もメキメキ上達しているのに違いなく、僕なんか太刀打ちできない地頭の良さだ。
(まあ将来は、膨大な著作をものにして碩学の大家として名を後世に残す人物なのだから、当然と言えば当然だけどね。)
でも一連の遣り取りで、楽しいはずの夕餉の席がビミョウな空気に包まれてしまったから、僕は慌てて
「久兵衛くん、大丈夫だよ。僕はトロロ昆布で即席吸い物を作るから。」
と座を保つ。トロロ昆布を湯に入れて、ちょびっと醤油を垂らせば”それなり”の椀になるからね。
「オカズには、鈴さんが言うように常備菜が色々あるし、イワシ缶も開けちゃうからさ。」
するとクマさんが「イワシ缶でごぜェやすか? いいねェ。なんならアッシもそれを頂戴しとうごぜぇやすね!」と上手く合わせてくれたので、どうにかその場は収まった。
急いで夕食をかき込んだころ、お給仕を終えた珠さんが戻り
「おや何ですか、缶詰開けちゃったのかい? 食べ盛りとはいえ、オカズが足んなかったかねぇ。」
なんて訊いてくるものだから、無駄なことは言わずに
「どれもこれも美味しかったですよぅ。」
と笑って誤魔化した。
続いて彼女に「これから、ちょっと番屋に行ってきますね。新しい注文が来てるかも知れないし、そろそろ頼んでいた高菜漬けやなんかの材料が届いているころなんで。」と断ってから、「すいませんけど、御一緒に宜しくお願いします。」とクマさんを促す。
「ついでにナナイロと柚子胡椒、辛味噌とニンニク漬けの出来上がり分を卸してきてしましましょう。また武富さんに『足らん、足らん。売れ過ぎて蚊焼ストアに卸す在庫が足らん!』なんてヤイノヤイノと急かされるのはイヤだから。長崎の商店からの受注分以外は、持って行っちゃいますよ。」
そして久兵衛くんには
「じゃあ今夜は僕は臨席出来ないんで、久兵衛くんにお任せします。」
と夜学の座長を頼んでおく。
久兵衛くんは「分かりました。今宵は『北部九州における真砂土の形成とその分布』ですね。私は座って聴講しているだけですから、分かりましたというのも変ですけど。」と快く請け合ってくれた。
リヤカーを曳いて門を出ると、スッとクマさんが斜め後ろの警戒位置に付いてくれた。
気配や殺気というモノを察知するのが鈍な僕には、仮に刺客のようなのが襲ってくる場合があるとすれば、その時には目玉が付いていない背後を剣の上手が固めてくれるのは心強い。
(さすがに前から敵が来たらば拳銃で対処することが出来るから。これでもオキモト少尉殿のおかげで、抜き撃ちの腕は上がっているんだよ。実際のところ人体に向けて引金を引けるかどうかは”?”だけれど、連発銃を前にして一瞬でも躊躇しない人物は、この島にはいないだろう。)
お寺で客人格の僕が車引きで、寺男格のクマさんが護衛位置なのは――一般的に言えば妙な位置取りに見えるかも知れないけれど――寺に出入りしている聴講生や遠見番所の警備員さんたちなら、僕がクマさんから小太刀の稽古をつけてもらっているのを見知っているから、道中で行き会っても不思議には感じないらしく
「センセーしっかり!」とか「もっと腰を入れなされ! 車引きも立派な鍛錬ですぞ。」といった半笑いの声援が飛んでくる。
僕は「外野は黙ってて!」と応戦する。
「荷崩れ起こしたら、後で料理長殿や鈴さんから、どんだけ怒られるか判ってます?!」
番屋の門をくぐると、門番さんたちが
「おやおやセンセーご苦労さま。荷物はこちらへ。」
と後を引き継いでくれた。
納品書を渡して「検品、お願いします。」と頼んでから
「武富様に御面会を。仕入れの件で確認があります。」
と言うと、問題なく奥へ案内された。
座敷には武富さんと江里口さん、そして早良中尉殿とオキモト少尉殿が洋灯を灯して酒宴の最中だった。
ただ酒席は偽装で、ほとんどアルコールには口が付けられていない様子。料理も海鮮の島での肴にしては質素極まりなく、干物が形ばかりに並べてあるばかりだ。
武富さんが例のニヤニヤ笑いで出迎えてくれて、早良中尉殿が「丁度よかった。明日、オキモトくんに高島坑口まで出向いてもらおうか、と思っていたところなんだ。」と眼鏡の弦を押し上げる。
そして「さしもの片山くんも、鈴姫様には手を焼いているみたいだね?」と薄く笑った。
クマさんが「正体、なにか掴めましたかな。」と膝を正す。
「かの者を姫御前と言われるのであれば、ただの鼠ではなかったと云うことで?」
そんなクマさんに、武富さんは盃を渡して「ま、ま、お楽に。」と注意を促す。
「ここでは角隈喜十郎殿ではなく、お寺の熊蔵さんであってもらわねばなりません。」
途端にクマさんは「こりゃあイケねェ。一杯頂戴いたします。」と、クイと盃を干した。
番所に納品に行って、ふるまい酒を飲む機会があったはずなのに、素面で寺に戻ったら――鈴さんはともかく――珠さんは疑問を持つだろう。
酒を飲んだという偽装には、着物に酒を垂らすという方法もあるが、それだと”酒の匂い”しかしない。
料理人の珠さんを欺くのなら、エタノールが代謝されてアセトアルデヒドにまで変化した時に出る熟柿臭いと称される所謂ヨッパライの臭いが必要なのだ。
”かんてき”で干物が炙られているのも同様、着物に干物を焼いた時の臭いを付けるため。
だからアルコールを飲めない僕は、念のために焼き上がったイワシの丸干しを頭からボリボリ齧っておく。肴の臭いを際立たせておく目的だ。
「探索方が調べを進めておりましてな。」
武富さんが、もう一献、とクマさんの盃に酒を注ぐ。
「どうやら、かの女中、主膳の子。密かに御手付きの娘が産んだ者であるようで。」
主膳というのは龍造寺主膳。高房の実弟だ。
高房の落とし種である伯庵と同様、幕府に再三『龍造寺家による佐賀藩支配』を働き掛けていた人物だ。
しかし既に佐賀藩は鍋島直茂・勝茂藩主のラインで安定期に入っていたから、龍造寺宗家からも支持を得られず、伯庵は会津に主膳は大和郡山にお預けとなる。
僕は『化け猫騒動』を、伯庵派残党によるクーデター未遂と読んでいたのだがそれは間違いで、主膳派残党による蠢動であったわけだ。
クマさんは二杯目の盃もグイと干すと
「なるほど。血筋は血筋ということですか。」
と唸った。
「しかし、あの気性では人を束ねられますまい。」
「ええ、片山君が苦労しているのを耳にしますが、かなりの跳ねっ返りのようですね。」
早良中尉殿が僕にウインクする。
「彼は”ひとたらし”の筈なんですけどねェ。その神通力も通じないみたいですね。」
「蚊焼ストアの山本殿(山本・神右衛門・重澄)の調べに拠れば」と江里口さんが口を開く。
「その気性が災いして、従う者は振り回されているばかりだとか。かつて主膳殿に恩を受けた者が、細々と身の回りの世話を続けておるのですが、市井の者として生きるのを肯んじ得ず、世が世であればと憤怒を滾らせて……いるのだとか、いないのだとか。支えてきた人物も一人減り二人減りして、今や両の手で数えられる程度とのこと。」
「それではその一派、数も少なく力も無い?」とクマさんが首を傾げる。
「見ての通りでありましょう。」と武富さんが頷く。
「いまだに世話を続けているお珠さんなどは、かなりの忠義者ということでしょうなぁ。」




