対空防御演習2 友清くんと小郷くん
「あれ? 友清くん一人なの。」
講堂兼食堂の演台で、夜間講習の準備をしていた純子は驚いた。
元オートバイ連絡兵で現在は航空隊の若手訓練生である友清は、いつも同期の小郷と”御神酒徳利”のように二人で行動していたからだ。
本人たちは隠している心算なのかも知れないが、彼ら二人が互いに雪ちゃんを巡って牽制し合っているのは純子の目には明らかだった。
その二人のうちの一人が欠けているものだから、純子にしてみれば「怪我でもしたのか?」と心配したのである。(友清も小郷も、絵に描いたような健康優良児なので、急病に関する懸念は頭に浮かびもしなかった。)
すると友清は「ジャンケン三回勝負に僕が勝ったので。」と満面の笑みで答えた。
「負けた小郷のヤツは、別の用事を言い遣いました。今は隔離病棟か看護婦寮のどちらかに行ってます。」
看護婦寮? と純子は首を傾げたが、そろそろマニラ移民の受講者が集まり始めている。興味は湧くが追及しているヒマは無さそうだった。
講堂では午前(9時~12時)・午後(13時~16時)それに夜間(18時~21時)と三部に分かれて、現国・英語・算数・理科の授業が行われている。
一日の中では三部とも同じ内容の授業だから、受講者はどのコマで聴講しても構わないシステムだ。
おおよそ午前の講義は純子が講師を受け持ち、雪がOHPを操作する。
午後は逆で、雪が午前の講義を参考に講師を担当する。
午前・午後とも主な生徒は、掃除洗濯・繕い物などの家事から自由な年少者と老人。
夜間講習では昼間忙しい家事労働者が主な聴講者となるので、純子か雪のどちらかが演壇に立ち、空いた一方が聴講者の間を巡回しながら細かく質疑応答をしたり、問題解決の手伝いをしたりする。疑問点をその場で確実に潰して、翌日以降に持ち越させないためだ。
そのため夜間の部のOHPの操作は、電算室や放送局、司令部棟の手の空いた者が務めていたのだが、実際のところは皆忙しい。その日に上がって来たデータの集計は有るし、明朝のための(例えば新聞やニュースであれば)記事の用意をしておかなければならないからだ。
そこで『移住者受け入れ時に雪の補助を行った縁』から、友清と小郷とがボランティアを買って出たのだった。
友清や小郷にしたところで、昼間は航空機操縦訓練生としてハードな生活をしているのだから夜間はグッタリなハズなのだが、恋の力というものは無限の気力を生み出すものなのか
「大丈夫か、お前ら?」
という轟中尉の懸念を吹き飛ばすほどの元気いっぱい・気力充実ぶりであった。
現に電算室で雑用を済ませた雪が講堂に姿を見せると、友清は「雪さぁん!」と手を振って存在をアピールし「じゃあ今日も張り切って行こう!」と笑顔で迎えた。
自転車で隔離病棟に向かう途中、小郷は不満タラタラで自分のジャンケンの弱さを悔いていたが、病棟のロビーで出迎えてくれた少女の姿に、雷で撃たれたような衝撃を覚えた。
そこに立っていたのが『天真爛漫な雪ちゃん』とは傾向が異なるが、『少し憂いを帯びた白衣の天使』だったからである。
小郷が「航空隊から伝令に来ました。演習について概要が決まりましたので、その御報告と相談に。」と敬礼すると、白衣の天使(燕のことだ)はナースキャップの頭を下げ、少し訛のある日本語で
「御無理申し上げます。演習参加を申し出た者です。燕といいます。」
と微笑んだ。
「このように早くに反応していただけるとは、思いもよりませんでした。」
模擬戦用の防御陣地構築、と聞いて「それは興味津々ですねぇ。」と身を乗り出したのは鄭隆。
燕は小郷からの提案を受けると、これは自分の手に余る、と考え、直ぐに雛竜先生を呼びに向かった。
そして鄭隆を交えた三人でブレインストーミングをすることになったのだ。
「武装強化した地上襲撃機に、水陸両用車と噴進弾か! どんなに堅固な砦を築こうとしても、守る側の武器が鳥銃と火箭では勝敗は明らかですね。空から見えないよう、山林に木立を活かした塹壕でも張り巡らせなければ。」
鄭隆は以前、片山修一と交わした『北門島城攻略を仮定した図上演習』を思い出した。
――修一君は「砲撃で無力化させるか機械化戦力で力押しすれば落とせるが、面倒ならば孤立した島一つくらい無視してしまえば良い」と結論していたな。
彼の意見を参考に
「砦に拠って戦うのは特に無理筋ですね。秩序立って後退しつつ内陸深くに上陸部隊を誘い込む算段をしないと。味方の出血を押さえ、敵が戦いに厭くのを待つしか勝つ方法が見当たらない。いや、勝ち切るというのは、それでも無理かな? 何とか痛み分けに持ち込める、という処が最上の”勝ち”でしょう。しかしまあ後退できる余地が無かったり、攻撃側の動員兵力が防御側に遥かに勝っていれば、それも到底無理ですが。」
と防御側の採るべき戦術を想定する。
「はい。ですから陣の浜に造る模擬陣地には、実際に壕を掘り土塁を築くというのではなく、石灰線で塹壕線と空堀を描き、砦の壁は竹棒に筵か布を張った物を立て回して煉瓦塀の替わりと見立てます。武官の皆さんには、海岸陣地として『砦』の縄張りをして頂いたあと、後背の山にタコツボを掘って頂き、そこで海岸砦が襲撃される様子を観戦するという手順で。」
小郷が鄭隆に披露した案は、轟中尉が米軍工場で打ち合わせをしてきた内容の受け売りであったのだが、聞いているだけの立場である燕としては、陣地後方の山に立て籠ることになる武官たちの安全が気になって仕方がなかった。
何故なら燕はイ島を巡る戦闘で、山に逃げようとした海賊の頭目連中が150㎜榴弾で爆殺されたのを目にしていたからだ。
あのとき重砲で噴き飛ばされたのは憎むべき『敵』に他ならず、同じく虜となっていた朋友の仇を討ってもらったことに溜飲を覚えたのは確かである。
しかし今の燕は看護婦となり、他者の命を守ることに使命感を抱いているし、今回標的となるのは――一時的にとはいえ――燕の指揮下にある者たちなのだ。
「タコツボ壕に潜っていても、沖の船から重砲が撃ち込まれれば無事では済まないでしょう。この演習は危険過ぎます。」
と思わず強い口調で反論を口にしてしまった。
白衣の天使から抗議を受けて、小郷は慌てて「いえ、艦砲は出てきません。」と言い訳をした。
「”羊”と”アヒル”が発進するのは木製大発から、になっていますから。」
木製大発というのは、本来鉄製である大発動艇の船体を合板に変更したディーゼルエンジン船だ。
主に舟山島と寧波を巡る戦いで大量に鹵獲された清朝側の平底船を、そのままでは御蔵勢の渡洋目的に使用し難いことから一旦バラし、使われていた船材を薄板化したあと接着剤で規格品の合板化して、大発の設計通りにエンジン船に組み直したものである。
当然、全部が全部を木製にしたわけではなく、歩板や荷重が集中する骨格部分には鉄材が使われて、ジープやトラックが乗り降りできるように作ってある。
木造船体の大発動艇は、鋼材節約のために”歴史上の事実”としても製造され、木造大発や合板製大発と呼ばれた。通称は”木大発”だ。
「なるほど。木製大発も陣の浜演習が戦場での初舞台になるんだね。」
と鄭隆が嬉しそうに頷く。
「元々の持ち物でなかった新機軸が、いろいろと試されるわけだ。」
「はあ。潮と汐は舟山港を母港として、交代で車騎将軍閣下への補給と支援の任務に忙しいものですから。」
と小郷が不得要領といった顔で相槌を打つ。
小郷にしてみれば合板も大発も枯れた技術のように感じているから、合板で大発を造るといっても水陸両用車輛やスティルツ砲のようには目新しさを感じない。
その点、「あの重宝な揚陸艇を、木を材料にして造ることが出来る」という感慨が鄭隆に比べて低かったのである。
現に戦場での使用こそ未だだが、木製大発は出来上がったそばから焼玉エンジンのポンポン船とともに御蔵島近海で輸送任務他に従事している。
(既にポンポン船は、コークス/石炭ガス製造の副産物として出る石炭由来軽油でも普通に稼働することから、漁労班所属の漁船として小発から置き換わりが進みつつあった。)
現代技術と接してきた時間に差が大きいのだから、感じ方の度合いに差が出るのは無理も無かった。
「重砲が無いにしてもスティルツ砲は使うのでしょう? それに襲撃機は12.7㎜と強化してあるというし……」
燕はまだ心配そうだ。「流れ弾が心配です。」
「スティルツ砲には今回、マーカー弾頭を撃たせます。着弾点では炸裂するのではなく、赤い煙を出すだけのシロモノです。それに無人の”敵陣”に撃ち込むだけで、タコツボ陣地は狙わないから大丈夫でしょう。」
と小郷は、燕が安心するよう補足する。
「加えて、零式は海岸線と平行に飛行し、低空からマーカー弾が煙を上げている地点のみを銃撃します。山側に流れ弾が跳ぶことは無いでしょうね。」
「なるほどねぇ。」と鄭隆は少し興奮した様子で相槌を入れた。
「陸上兵力が襲撃機に、攻撃目標を指示するわけだ。」
そして「そのような運用を行う理由としては……航空機に搭載できる噴進弾の目途が付いたんだろうねぇ。」と続けた。
「機銃掃射しながら接近し、ここぞと云うところで噴進弾を発射するんだな。」
「先生は、ちょっとしたヒントで何かもお見通しになられるんですねぇ!」
と小郷が感心する。
「航空機射出式ロケット弾と呼ぶのだそうですよ。原型となる噴進砲は煙幕放出機(ネ―ベルヴェルファー)やスティルツ砲として出来上がっているのだから、その応用なので開発は難しくなさそうと云う話です。」
「水平爆撃よりも命中率が上がりそうだ。」
という鄭隆の感想に、小郷は「さあ?」と首を傾げた。
「パイロットの技量次第だと思います。発射のタイミングがズレたら、噴進弾は目標の手前か、あるいは目標を飛び越えて着弾してしまうでしょうから。習熟するのに、水平爆撃とどちらが”より”難しいのか、自分にはまだ見当も付かなくて……」
「それはそうだね。」と鄭隆は小郷に向かって微笑んだ。
自分は『新兵器であるのなら当然、攻撃の成果はより上がるだろう』と”頭でっかち”に判断してしまったが、この年若い訓練生が己が技量と真剣に向き合っているのを感じ取り、それを好ましく思ったからである。
ここに来て漸く「安全に配慮した演習であるのが分かりました。」と燕がホッとしたというように微笑んだ。
「ちゃんと考えていただいていたのに、いろいろと文句ばかり言って、ごめんなさい。」
「いえ、看護職の燕さんが心配するのは良く解ります。」
小郷は燕の微笑があまりに可憐だったために、思わぬことを口走ってしまった。
「タコツボに潜っていても目の前に敵部隊が上陸して、そのうえ襲撃機が飛来したら腰が引けるのは当然です。その日は僕も防御側に参戦して、燕さんと同じ壕に潜りますよ。」
鄭隆は、おや? と思ったが、何も言わずに微笑んで成り行きを見守った。
燕の小郷に対する返事は
「ありがとう。そうして貰えたら、とても心強いです!」
という、力強い肯定だった。




