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カヤキ47 幕府から長崎征伐軍がやって来る?「来るのは誰だ」な件

 「はい、お二人とも気を付けて行ってらっしゃいまし。お弁当は高菜漬けのオムスビですよ。」


 珠さんから竹の皮包みのオニギリを受け取って、クマさんと二人して「行ってまいります。」と頭を下げる。

 僕は普段通りの定時出勤だが、角隈喜十郎さんは遠見番所に寄ってから篠原艇長殿の乙型高速艇で長崎に向かう予定。

 珠さんにも”板前の追加募集”という重要任務があるのだが、クマさんと珠さんが両者一度に寺を空けてしまうと本来の業務である寺の仕事がとどこおってしまうため、先ずは豆板醤の購入が優先された格好だ。


 番所に着くとオキモト少尉殿が待っていて

「お早うございます、角隈さん。」

会釈えしゃくした。

「僕はアッチに着いたら、煉瓦れんが工場と幽霊井戸とを回って来なくちゃならないから、別行動でお願いします。角隈さまは豆板醤を買われた後は、申し訳ないですけど戻り船が出る時間まで奉行所で待っていて貰えませんか? お迎えに上がりますので。」


 麴屋こうじや町の新掘削手押しポンプ井戸は『飴買い幽霊』の伝説が生まれる前にも関わらず、通称『幽霊井戸』の綽名あだなが定着してしまった。

 因果関係が逆になってしまうのだけれど、手押しポンプ井戸は釣瓶つるべを上げ下げする面倒が無く”幽霊(か何か超自然的な力)が手助けでもしてくれているかのように水汲みが楽チン”という理由だと付近住民には理解されているようだ。

 今日は利用者への利便性向上と衛生のために、土が剝き出しになったままの井戸の周囲に煉瓦を敷き、三和土たたきで固める舗装作業があるらしい。


 「へい、合点がってん承知しょうちすけでさぁ!」

 クマさんはそう返答してから「いえね、フザケているわけじゃエんで。」と頭を掻く。

が出ねェようにするにゃ、日頃から……こう……振舞に気を付けておかにゃあ、いけませんで。」


 「アハハ、職業病ですねぇ。」と少尉殿が理解を示す。

「そうでなくては務まらないでしょう。大変なお仕事だ。」


 「じゃ、僕は高島坑口に行きます。遅れたら曹長殿からカミナリを落とされちゃいますから。」

 微妙に牽制し合っている感がある二人に断って、先を急いだ。





 現場に着くと、ゴンドウ曹長殿に

「特殊任務!」

と申告。


  特殊ではなく特別任務と言うべきだったのかな? とかフッと頭をよぎったが、曹長殿は些細ささいな単語遣いにはこだわらず、答礼して「よし、行け!」と即座に了承してくれた。

「下の船着き場に高速艇が待っている。」


 坂を下ると工事中の護岸に甲型高速艇が接岸しており、小林艇長殿が手を振っていた。

「早瀬に着くまで、頭、引っ込めてろよ。どこに目が有るか分からんから。」


 甲型艇は全速力で飛ばし、長崎湾口沖に停泊した早瀬にはアッという間に到着した。

 速度を落として早瀬の周りを周回しているのは、漁船などから監視している不審者が居ないかの確認作業のようだ。

 その間に略帽の上から大きめの米軍水兵型ヘルメットを被り、救命胴衣を二重に身に着ける。


 「異常なしだ。上がって。」

と艇長殿から指示が出る。


 甲型艇は既に早瀬に横付けされており、僕は降ろされていたタラップを駆け上がった。

 鉄兜と救命胴衣でシルエットが変わっているから、性能の良い双眼鏡ででも監視されていない限り、遠目には早瀬に乗り込んだのが僕だとは気付かれないだろう。


 船内に入るとヘルメットと救命胴衣を脱ぎ、脇目も振らず通信室へ向かう。

 通信室には早良中尉殿と石田さんとが待っていた。

 「やあ、お疲れ。チーズサンドでもどうだい?」


 敬礼してサンドウィッチを受け取ると、口に運ぶより先に

「アッチでは、クマさんに尾行は付けているんですか?」

と確認した。


 「こちらでは用意していない。どうせ御蔵の人間だと、立ち居振る舞いが違い過ぎて目立って気付かれちゃうだろうからね。」

というのが中尉殿からの返答だった。

「他藩のエージェントの動きは判らないけどね。たとえば佐賀藩とか、あるいは龍造寺カルトとかさ? まあキミが心配しなくても、角隈氏なら――仮にカルトの急襲があったとしても――難無く返り討ちにしちゃうだろうから護衛も不要だろう。」

 それに、と中尉殿は眼鏡の弦を押し上げて

「彼にも自由行動の時間を与えてあげないと、中根さん(側用人/大目付 中根壱岐守)への報告が溜まっちゃってるだろう? 市中に居るつなぎを使うのか、奉行所に居る誰かを使うのかは判らないけれど。」と笑った。


 「ああ……それはそうですね。愚問ぐもんでした。」僕はそう応えて「でも、それだと僕が早瀬に呼ばれた理由が分からなくなりました。」と頭をひねる。

「ここの通信室で、角隈さんの動向に関する情報が入って来るのを、逐一チェックするものだとばかり考えていましたから。」


 「角隈喜十郎氏に関しては、特に心配してはいません。」

 どうぞ、と石田さんがコーヒーを渡してくれる。

「彼のパーソナリティは――これまでの言動や片山さんとオキモト少尉殿からの報告を参照する限り――隠密という背景であるのを踏まえても、先見の明があり有能かつ誠実な人物であるのは間違いないですから。江戸幕府への忠誠心が高い事までを含めて。」


 「僕も同意見だ。」と中尉殿が頷く。

「僕だけじゃなく、奥村少佐殿とミッチェル大尉殿もね。」

 そして眼鏡のレンズ越しに目を細め

「しかし片山くんは対外交渉において、実に良い仕事をしてくれる。天性のものなのか努力の賜物たまものなのかは知らないけれど、魔性的ましょうてき人誑ひとたらしだね。黒田一任さましかり、鍋島安芸守さましかり。ああ、遠見番所の武富さんもそうだ。さんざん『ヒト』というモノを見て来て、警戒心が飛び抜けて発達しているに違いない人のふところに、するりと潜り込む能力が、ズバ抜けている。」


 中尉殿の話の持って行き先が判らないから、僕は

人誑ひとたらしって言われても……対象がオジサンばかりじゃないですか? それに信用してもらえているのは、未来知識を基にした事実ばかりをしゃべっているからでしょう。積極的に嘘はつかないようにしてますし、単に話す内容に――それが突飛とっぴなことであっても――嘘が無いからだけだと思いますけど。」

と探りながらの受け流しを試みる。

「それ以外では……例えばとし若い美人である石田さん、僕にたぶらかされた記憶って有ります? 残念ながら僕は石田さんから『これはモテたなっ!』みたいな手応てごたえを感じたことが無いんですけど。だいたいボクって基本『ごく平凡なその他大勢』ってモブキャラで、学校で目立つこともなく女の子にモテることもなく、ただ流されるままに中学・高校生活を送ってきていたものなので。」


 長く続くだけの僕の動揺から来る時間稼ぎの発言を

「片山さんには岸峰さんが居るじゃないですか。」

と石田さんが一刀両断した。

おのが実力を知る者は、敢えて負けると解っている戦いは回避するもの、です。」


 「これは一本取られたね、片山くん。」と中尉殿がクスクス笑う。

「しかし今の発言を石田君から引き出した以上、見方によっては片山くんの方が一本を取ったのだと考えることも出来る。……そんな所だよ、キミの人誑ひとたらしという部分は。」


 そして中尉殿は「じゃ、話を戻そうか。」と笑いを引っ込め

「どうも江戸から人が来るよう決まったようでね。」

と僕が手にしたまま口を付けていなかったマグカップを引き取り

「今の長崎では貴重品のコーヒーだ。口を付けないままに冷めてしまうのは勿体もったいない。」

と一口すすった。


「黒田家大老様からのリークだ。黒田家は藩祖如水以来、瀬戸内海に優秀な早船連絡網を保持しているみたいで情報が早い。もちろん『だからくれぐれも面倒事めんどうごとは起こしてくれるな』という釘刺くぎさしの意味合い含みなんだけど、三左衛門様はキミや貝原久兵衛(益軒)くんに対する信任が厚いようでね。水偵で和白わじろの砂鉄鉱脈開発現場に視察に出向いた奥村少佐殿が、大老様直々に聞いてこられたんだ。」


 話が見えてきたようで……今一つ、掴み切れない。

 幕府視察団への対応を、僕や久兵衛くんに『任せる』という事なんだろうか?

 偉いさんに対応するのなら、こちら側も威厳に満ちた――例えば少佐殿のような――人選が適切だと思うんだけれど。

 まあ”みってる様”を直にぶつけるよりは、僕や久兵衛くんの方が無難ではあるのかも知れないが……。


 「妙な顔をしているけれど、無理も無い。」

 中尉殿が再びクスクス笑いをする。

「老中派と側用人派が互いに相手の出方をうかがっているから、まだ正式な視察団……になるのか討伐軍になるのやら、送るのを決められないみたいでね。」


 「討伐軍が来る可能性も有るんですか?」

 御蔵勢というか『御蔵の里』の存在が、既存の組織にとって脅威に映るのは理解できないわけではないけれど……。


 「まあ、その可能性は低いと思うけど。懐中電灯や拳銃を見て、幕閣ばっかく会議は技術格差に大騒ぎになったらしいから。」

 中尉殿は残りのコーヒーを一気に飲み干し、空のマグを僕に返すと

「そんな状況だったから、紀州徳川家の大納言だいなごん 頼宣よりのぶ公が、皆を一喝いっかつしたそうだ。『我ガカン』とね。」

と苦笑した。

「だいぶ、マズい状況だったみたいだよ?」


 うへぇ……。

 徳川頼宣といえば、『由井正雪ゆいしょうせつの乱(1651年)』への加担を疑われたり、幕府軍を率いて鄭成功に援軍しようとしたりしたゴリゴリの武闘派じゃないか!

 まあ頼宣公は徳川家康の十男で、直接家康から可愛がっられて教えを受けたという経歴を持ち、後に鄭成功に援軍しようとしたりしたところからもガチガチの鎖国派ではないというけど。


 「ま、そこは角隈さんのボスである中根さんが必死で短慮たんりょを押しとどめ、また老中派の重鎮である知恵伊豆(松平伊豆守)さんが文字通り知恵を絞ってくれたらしくてさ。」


 それは良かったですね、としか相槌あいづちの打ちようがなかった。

 例えば関門海峡あたりで討伐軍を迎え撃つのも、あるいはTF-H1が現在地を放棄して撤収するのも、これまでの努力の全否定だから面白くはない。


 「そうなんだよねぇ。」と中尉殿が軽く頷く。

「仮に幕府と対立する心算なら、初手から舟艇母船群を江戸湾に突っ込ませ、アウトレンジで江戸城を焼いている。無駄に多くの有用な人材を失って、全国は大混乱になっていただろう。群雄割拠の時代にまで戻ってしまえば、収拾が大変だ。」


 そこで知恵伊豆様が捻り出した妙案みょうあんというのが、と中尉殿は言葉を切り、ちょっと面白がっているような調子で

「信頼のおける優れた人物で、徳川家の皆も良く見知っている者を『長崎遊学』と称して送り込み詳細を調査させる、というものだったのさ。まあ松平伊豆守氏にしてみれば――将軍側近No.1の座を争っている中根壱岐守さんはともかく――多くの列席者が自分を押してくれるだろう、と考えたわけだろうけどね。大目付を差し置いて新技術に逸早いちはやくアクセス出来るチャンスだから。」

と続けた。


 「じゃあ、やって来るのは知恵伊豆さま?」


 僕の疑問を「外れです。」と石田さんが即座に否定。

「なるほど流石は知恵伊豆! と頼宣公も即座に賛成されたらしいのですが、そこでもう一暴ひとあばれされたみたいで。あるいは最初から『そういう腹心算はらづもり』をお持ちだったのかも知れませんけど。自分の考えるように会議を誘導するための手段として。」


 「じゃ、誰が?」


 この質問に答えてくれたのは石田さんではなく、中尉殿だった。

「水戸の若様だよ。徳川頼房とくがわよりふさの三男、光圀みつくに氏。」


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