カヤキ46 七輪も豆板醤も原材料入手先に難がある、な件
竈の火は既に落としてあったから、陶器製の”かんてき(卓上火鉢)”に火を熾そうかとも思ったが、手っ取り早くラジウス(携行式灯油ストーブ)を使うことに決めた。
それというのも疑似豆炭(石炭炭団)は蚊焼村で生産が始まっているが、肝心の豆炭・練炭使用に適した七輪が準備不足のままだからだ。当然、この寺には置いていない。
一応、御蔵島の新町地区飲み屋街で使用されていた豆炭七輪は、サンプルとしてハシマ作戦向けに携行してきており、それを基にした形状コピー品が長崎の職人によって生産されつつあるが、明治・大正期に量産されることになる豆炭用・練炭用タイプの七輪には、佐賀や大村で豊富に産する火成岩由来の陶磁器用の粘土ではなく、多孔質で断熱性に優れた珪藻土が必要だ。
何故なら珪藻土製でない他の粘土を原料とした陶磁器製の七輪は、直ぐに手で触れないほど熱くなるし、衝撃に弱く少しぶつけたりすると簡単に欠けてしまう。焼けて熱くなったところに冷水が掛かれば、それだけでパカッと割れてしまうほど瞬時の熱変化にも弱い。
だから現状では石炭や豆炭は釜や竈に投入する分には優れているし問題ないのだけれど、卓上火鉢に使うのなら木炭、と云う具合に使い分けられている。
こんな理由から、珪藻土の調達が遅れれば、北部九州では七輪よりも先に暖房用途込みで達磨ストーブ(鋳鉄製石炭ストーブ)の方が普及することになるのかも知れない。
あるいは達磨ストーブとなると一台あたりの鉄資源の使用量が多くならざるを得ないから、煮炊き用限定で金属資源の使用が少量ですむキャンプ用の焼き台かバーベキューコンロみたいなものが。
ま、それはそれとして――
ラジウスの胴体タンクに灯油を注いでからノズル等を組み立て、余熱皿にアルコールを入れてマッチで着火。
加圧ポンプを押して灯油を霧状に噴出させ、余熱皿の火を移す。
シュウシュウ・ボーボーと音を立て、元気な炎が生まれた。
炒め物をするのには庫裏の雪平を使おうか、と一瞬考えたが、高菜を自分で炒めるのは初めてなので焦げ付かせたら珠さんが怒りそうだと思い直し、フライパンは飯盒の蓋で代用する。
ラジウスの五徳に飯盒の蓋を載せ、ゴマ油を注ぐ。
同時に、ナナイロ用に細かく挽いた鷹の爪をたっぷり投入。
油とトウガラシがピチピチ音を立て始めたところで刻んだ高菜漬けを入れ、菜箸でかき混ぜつつ炒める。
トウガラシ由来の目に染みる湯気が上がって、けっこう辛い。
セルフ”南蛮燻し”状態じゃあ……。
少し離れて眺めていたクマさんが
「目に来るけど、い~い匂いになってきましたぜ?」
と鼻を鳴らした。
「古漬けそのものは、ちょいと癖が強い感じでやしたが。」
「修さん、炒めた半分は小皿に分けて、残りの半分には醤油を垂らしてもう少し火を通しておくれよ。」
と、トウガラシの刺激にも怯まず脇で仁王立ちしたままのシェフから注文が入る。
「醤油の焦げた匂いが加わった方が、より食欲をそそるような気がするよ。」
「了解、シェフ!」
醤油入りと無しの二品を「じゃあ抓んでみて下さい。」と二人の前に差し出す。
「上手く出来ていれば良いんですけど。トウガラシ、入れ過ぎたかも知れません。」
「どれどれ」とオニギリを片手に、二人が箸を伸ばす。
「ウン! 旨めぇ。」
オニギリに山盛りの辛子高菜を載せ、ガブリとかぶりついたクマさんが大きく頷くが、一拍子遅れて顔を顰め、こっこっこ、と空咳をし
「ひぇぇ……来た、来たぁ~」
と湯冷ましに手を伸ばす。
「修さん、唐辛子が利き過ぎ! 口ん中が燃えるようだ。」
一方シェフは目を閉じて慎重に醤油入りと醤油抜きの両方を味わい
「うんうん。油で炒めたぶん、酸っぱみと癖は減るね。でも旨味はちゃんと残ってる。」
と頷く。
「茎のシャキシャキした歯応えが心地よいね。白米には良く合うし、饂飩に乗っけても美味しそうだ。」
「低分子性の有機酸が加熱によって揮発するから、酸味が減るんでしょう。それに比べて旨味成分は蒸発し難くて残るからだろうと思います。定量的に分析したデータは知らないから憶測ですけど。」
と”酸っぱみ”の件について説明する。
けれど珠さんの頭の中は既に次の段階へと進んでいるらしくて
「醤油だけじゃなくて、味醂で甘味を増したらもっと美味しいかも知れない。あるいは醤油じゃなくて味噌を入れてみるとか……。」
と、僕の説明なんか聞いちゃいない。
ま、それでこそ料理長殿なんだろうけど。
湯呑一杯の湯冷ましをゴクゴク飲み干して、人心地ついたらしいクマさんが
「味噌ですかい。そう云やぁ唐人街では明国渡りの豆板醬なんて辛味噌を商っておりやしたね。アレなんかも試してみたいねェ。」
と、一息ついた。
僕の説明には”心ここに在らず”だったシェフだが、クマさんの豆板醤には耳聡く反応して
「長崎では、そんな物も売ってるのかぃ!」
とクマさんの腕をガッと掴んだ。
無警戒だったところで片腕を封じられ、剣豪 角隈喜十郎氏のもう一方の手の指が一瞬ピクっと反応した。
が、クマさんらしい気楽な調子で
「へえ。なんでもね、唐人料理が呼び物の料理屋が、炒め物や汁物なんかに使うってェ話で。」
と珠さんに応じた。
「辛いモノ好き・珍しモノ好きには堪らない、てェ噂を聞きやす。銭がある限り通い詰めるてェ物好きも居るらしいが、明国渡りで安いモンじゃねえからねェ。」
それを聞いて珠さんが「う~ん……」と唸った。
「明国の辛味噌、使ってみたいけれどねぇ。コッチは料亭ってわけじゃなく、饂飩で勝負しようてんだから……そこまで御足はかけられない、か。」
そして「まあ、味醂や味噌なんかで色々試してみるとしよう。」と頷いた。
「ちょびっとで良ければ、買ってきやすが。」とクマさんが提案する。
「樽で買おうってのは無理でやしょうが、ちっちゃな瓶くらいなら何とかなりやしょう。なに、お珠シェフが味見できる量さえ有れば良いんでやしょ?」
「頼んでいいのかい?」
と珠さん。
「知らないままだったら、気にも留めなかっただろうけれど、聞いてしまっちゃ味見をせずにはいられない気分だよ。」
「じゃ、僕からもお願いします。」と、クマさんに1両ぶんの軍票を手渡す。
「申し訳ありませんけど、明日か明後日にでも、行って来てもらえませんか? 急な話で恐縮ですけど、売れ筋商品に育ちそうな気配がプンプンします。長崎までの船は、無線でオキモトさんにでも頼んでみますから。」
「しかとお引き受けいたしやしょう!」
クマさんは力強く頷いた。
「しかしアレだね。ナナイロとフリカケに加えて、高菜漬けの唐辛子和えが加わるとなると、この先、量を作るのが大変になるね。」
「それだけじゃないです。『ナナイロのニンニク醪漬けゴマ油仕立て』も有りますから。」
と指摘しておく。
「クマさんはまだ味見してませんけど、あれも凄く良い出来でしたから。」
すると遂に、珠さんが鈎に掛かった。
「腕の確かな板前に、ちょいとばかり心当たりがあるんだけど。」
「それは有難い。」
興奮して少し声が上ずってしまったかも知れないが、儲け話の最中だから、不自然ではなかったはずだ。
「手を貸してくれる人が居たら、願ったり叶ったり、です。」
そして「ただし、住み込みの人を増やすことに御住職がウンと言って頂けたら、という事になりますけどね。その方の手間賃は僕が払うとして。」と付け加える。
「あるいは港の漁村部に住んでいただくとして、ここには通いで来ていただくとしても。」




