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カヤキ41 汽帆船航路と工場製手工業による豆炭製造の件

 さて佐賀藩側の思惑おもわくは思惑として、僕たちが目下遂行中の『薬味で大儲け』計画の進行状況はというと、ナナイロのコピーは簡単に完了していた。


 絶対音感みたいに絶対味覚なんてモノが有るのかどうかは知らないけど、味覚の達人である珠さんは、必要な材料さえ揃えば難無く再現をやってのけたのである。

 味の構成成分である甘味や苦味などとは違って、カプサイシンによる辛味は「熱さ」や「痛み」のような”刺激”だから、実を言うと再現は結構難航するのではないかと予想していたのだけどね。


 けれど彼女は単なる薄い塩水をスープ代わりにして、それに試作のトウガラシ混合物を微量添加することによって、購入品と同じ組成を舌先で探り出したのだ。


 更に彼女は完コピ品を土台に据えて、干しアゴと昆布との併せウドン出汁に適合する新作ナナイロを模索中だ。

「出汁本来の香りを生かしとうございますからね。山椒や花鰹は控えたいんでございますよ。膨らみがあるのは良いのですが、麦の匂いの邪魔になるんじゃあ本末転倒。」

 山椒はそれ自体が香りの主張が強い薬味だし、鰹節を混ぜるとトビウオを使う事で折角せっかく避けた出汁の燻製臭を薬味で付与してしまうことになるからだ。


 ……などとわかったふうを装ってみても、僕のバカ舌にはそこまでの感知・分析能力は無い。

 だから「頼りにしてますよ。シェフ!」と、余計なことは言わずに珠さんを応援するにとどめた。

 ちなみに”シェフ”という呼び名は「特に秀出ひいでた料理人は、畏敬の念をもって料理長殿シェフと称えられるんですよ。」という説明に、彼女が強く反応したから。


 そこで彼女に話しかける時には、他の場所だと今まで通りに「珠さん」なのだが、庫裏の厨房に立って居る場合に限っては「シェフ」なのである。

 これは僕ばかりではなく、例えばクマさんは「お珠シェフ」だし、御住職は「シェフ殿」なんて呼んでいる。





 さてこの日は朝一番にクマさんが

「今日はちょいとばかし”蚊焼すとあに”まで足を伸ばして、ナナイロを置いてもらってめえりてェと思っていやす。ナニ、長崎で評判が良いのは分かっていゃすが、彼方あちらは舌の肥えた金持ちの買い手がおおござんしょう。市井の者や村の百姓が喜んで食うかどうかは、蚊焼の市で試してもらうのが一番じゃねぇかって考えてみたモンで。」

と膝を着いて神妙な顔で切り出してきた。


 クマさんの着眼は面白いと思ったので、僕は現場に出る支度をしながら

「お寺の仕事に差し支えが無ければ、チャレンジ……ええと試してみてもらえるのは有難いですね。僕も蚊焼市での反応は知りたいですから。御住職にお許しを頂きましょう。」

と頷いた。


 するとクマさんは、へへっと頭を掻いて

「実は和尚おつさんにゃ、既にハナシは通してありやして。」

 そして「ハイ、この通り。」と御住職直筆の紹介状まで用意している。

「竹筒に詰めた10本ばかし、とりあえず持っていく心算でやんして。」


 「なんだ、手回しが良いな。それじゃあ僕に断ること無いでしょうに。結論だけ知らせてくれれば。」

と書状を確かめて僕が笑うと、彼は

「いえいえ。金ヌシは修さんだからね。勝手に売り捌いてるなんて思われたくネエってことで。」

と義理堅くこうべを垂れた。


 「分かりました。宜しくお願いします。……でもクマさんは小太刀の師匠なんだから、まるっと信じているんですよ。水臭いこと言わないでくださいよ。」

と書状を返す。

「村までは『蒸気』で?」


 正確には『アフリカの女王号』を一回り二回り大きくした河川・内海用小型汽帆船なんだけど、汽帆船という呼び名は定着しなくて、長崎では『蒸気船』もしくは『蒸気』という通称になってしまった。

 帆はあるし追い風が絶妙な時など条件によっては帆走メインの方が速かったりするのだけれど、煙突からモクモク煙を吐く蒸気エンジンの威容が余程印象的なんだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・

 石炭運搬船が積んで来たバートル級小型汽帆船2隻は、長崎でのお披露目が済んだあと

〇長崎~高島~蚊焼村間

という航路での試用運用が始まっている。


 圧力釜の操作や計器の見方、操舵方法など九州各藩から研修生が引きも切らない状態なので、オリエンテーション(ゲームで例えるなら蒸気船乗務員希望者のチュートリアルだ)の一環として、2隻はフル回転で頻繁に行きかっているような状況だ。


(ついでに加えておくならば、今は小型汽帆船にはそれぞれイザという時の安全のために、内火艇か小発動艇が随走している。次回、石炭運搬船が交代で来航する時には、20m級漁船クラスの試製焼玉エンジン船が搬入され、内火艇や小発に取って代わる予定。焼玉エンジン操作技術者の育成も急務だからだ。)


 また蒸気釜用に高島で石炭、蚊焼村では真水の補給作業も実習するから、両桟橋には”それなりの”時間停泊するわけで、技術者育成がメインの目的ではあるのだけれど、汽帆船や内火艇の空きスペースには――量的には限られるけれども――”物見遊山”の旅客や荷物を担いだ商売人の乗降も許可されている。


 だから長崎・高島・蚊焼村の住民にとっては、水上に移動ルートが一つ増えたようなもの。

 なにしろ歩く必要が無く楽チンなんだから「同じぜにを払うんなら、馬方うまかたに払うんより、”蒸気”に乗ってみよう。」と考える者も少なくなかった。

 商業都市である長崎は勿論だが、石炭作業の現金収入がある高島や工場制手工業が急速発展する蚊焼村には、それぞれ船旅を試してみようという『現金収入がある層』が出現し、増殖していく最中であったわけ。


 小金を貯め込んだ高島の石炭作業者の中には「遊郭でパアッと散財!」というツワモノも居て、汽帆船航路が開通するまでは漁舟を仕立てて長崎まで繰り出していたようなのだけど、今では高島~長崎間の上客なんだとか。

 だから汽帆船の”客”は、高島~蚊焼村間に比べて高島~長崎間の方が圧倒的に希望者が多い。

 乗船切符チケットは――番所が窓口なんだけど――奪い合いで、転売なんかもあるのだそうだ。


 一方、高島~蚊焼村間は貨物輸送が主流。

 蚊焼村からはたわらかますなど石炭の梱包材、生鮮野菜や真水といった食料品が。

 高島からは肥料や塩の他、石炭粉・石炭屑などが積み出されている。


 ここで注目なのが高島から搬出される石炭粉・石炭屑。

 何に使うのかと言うと、豆炭まめたんに加工するわけ。

 

 端島や高島の炭田で採掘された瀝青炭は、石炭運搬船や五百石船(弁財船)に積み込まれる前に、主に高島港脇の作業場で金網の目を通す”粒度仕分け(サイズ調整)”をされるわけだが、当然のように塊が崩れて粉末・砂状になった屑が出る。

 屑をそのままにしておけば、風が吹けば埃っぽいし、なにより炭塵爆発たんじんばくはつが怖い。

 だから作業中にはマメに散水して埃が立たないようにするし、その日の作業の終わりにはほうきなぞで丁寧に集めてかます詰めにされる。

 その叺詰めになった屑炭を、大人の足の親指大の豆状に練り固めて乾燥させ、加工炭とするのだ。

 豆炭製造場は、瞬く間に俵工場に次ぐ蚊焼村の花形工場に成長した。


 本来『豆炭』は、石炭粉に消石灰・タール・粘土を混ぜ、乾燥炉で焼成乾燥して製造する。(発明されたのは1920年。)

 けれども蚊焼豆炭は、石炭屑に増粘剤としてフノリ・テングサ・カジメなどの蚊焼村海岸で採取できる海藻を混ぜて天日で乾固させたもの。焼成はしていない。

 だから豆炭というよりは”炭団たどん”なのだが、球状ではなく豆状に作られているから、豆炭という名称になったのである。


 まあこれは多分、今後九州で耐火煉瓦の製造やそれを使用した溶鉱炉の築炉が進むと、当然コークス炉も造られるようになるわけで、コークス生産の副産物として石炭タールが出てくるならば、将来的には『石炭粉+石灰+タール+粘土』の、炭団ではない本格豆炭・練炭の製造を見越した遠大なネーミングなのだと思う。(で、なければフツーに石炭炭団で良いわけだからね。)

・・・・・・・・・・・・・・・

 蒸気で? と問われて、クマさんは「へい! 一っ走り。」と胸を張り、次いで「いえなに、アッシがツッ走るてぇわけではネエんですが。」とニヤリと笑った。

「ここは”気は心”ってヤツで。」


 「それじゃ、船賃を。」と僕は雑嚢から財布を取り出す。

 財布には一分金や豆板銀などの金貨・銀貨や銅銭が入っているわけではないが、ナナイロ販売の”代金”として特別支給された御蔵司令部発行の軍票が入っている。

 軍票は銭と違って嵩張らないし重くもないから、希少性や御蔵の里の信用とも相まって、長崎周辺ではその利便性から額面以上の価値で取引されているというシロモノ。当然、高島や蚊焼村でも通用する。


 するとクマさんは「滅相めっそうえ!」と断って来た。

和尚おつさんの所用だという書付があれば、番所で『てけつ(チケット)』はタダで貰えるんでさぁ。それに『てけつ』は、時に銭金ぜにかねでは手に入らねェってこともあるんで。」


 ……なるほど。

 座席は限られているんだから、喫緊きっきんの用でない場合には乗船拒否されることもあるんだ。

 「状況も知らないまま、失礼な振舞でした。」と僕はクマさんに頭を下げた。

「それでは市の件、宜しくお願いします。」


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