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マニラ派遣船団帰港ス1

 久しぶりに司令部棟へ顔を出した加山少佐を

「御苦労さまです。首を長くして帰還されるのを待っておりました。」

と司令部付きの江藤大尉が最敬礼で出迎えた。「これでようやく自分も航空隊に復隊出来ます。」


 「生憎あいにくだが、貴様きさまにはもう少しばかり司令部詰めの雑務をこなして貰わんとな!」

 加山が笑って敬礼を返す。

「日本人街から移民を募ってきた。彼らが”こっち側”の生活に少しばかり慣れるまで、世話役を務めねばならん。」

 そして「彼らの住居を用意してくれていて、助かる。」と付け加えた。


 「カマボコ兵舎を二階建ての個室長屋に建て替えるのが進んでおりましたから、移民の皆さんには空いた兵舎へ取りあえず入居していただきます。空き兵舎を潰して更地にしていなかったのが幸いしました。」

 江藤が仮の住居割り案をタイプした書類を示しながら説明する。

「まだ転居の済んでいない者は、工場地区の寮と新町地区の宿に、とりあえず押し込ませてもらいました。病院の寮や航空隊の兵舎に入ってもらった者も居ります。」


 「迷惑をかける。」と加山は会議室内の誰へともなく会釈する。「急な事だし、不満も出ただろうな。」


 しかし江藤は「とんでもない。」と否定した。

「御存じなのは承知の上で申しますが、御蔵を離れて舟山本島を始め舟山群島の各所に赴任している者も多いですから、兵舎は空き気味だったんですよ。北門島の城に詰めている者や、温州・台州・寧波へ行っている者だって、若干名ずつとはいえ員数を合計すれば決して少なくはないですし。御蔵はちょっと寂しくなったな、なんて話が出ていたくらいで。」


 「そうだったな!」と加山は自分の頭を叩いた。「端島・長崎派遣隊員だって居るわけだし。」


 「ええ。ですから」と江藤が笑顔を返す。

「ルソンから同胞がやって来ることに、不満を持つ者はらんのです。むしろ新しい血の導入には皆が歓迎でしてね。」


 「ただし忘れて欲しくないのは」と加山が少し表情を引き締める。

「彼らは”着の身着のままの避難民”というわけではない。マニラではちゃんと生計を立てていた市民なんだ。誇り高い豊臣方の末裔や信仰を守って海外にきょを移した者たちであるわけでね。近代化生活に慣れたら、本格的に住居問題や新規耕作地の開拓などにも取り組まねばならないだろうね。家畜や家禽を連れてきた者も居るし。」


 「それに関しては、高坂中佐殿も考えておられましてね。」と江藤が受ける。

明朝みんちょうが海禁策を採用していましたから、島嶼部には無人の地が広がっております。舟山群島でマトモに住民が居るのは舟山本島と付随する普陀山くらいなもので。他には部分的に海賊が根城を築いていたくらいなものです。金塘島なんかは寧波の直ぐそばなのに、ガラ空きです。大発でドーザーとトラクタを送れば、簡単に耕作地を広げられるでしょう。」


 金塘島は甬江河口の巨大な島である。

 かつて寧波砲撃の折に、155㎜カノン砲『ロング・トム』か野砲群を進出させる案が有ったために、小規模な調査隊を進出させたことがあった。

 結局、実際の砲戦には155㎜砲を舟山島高地で運用したために島は手付かずになっているが、場所的には寧波と舟山島を結ぶ位置という便の良い場所である。前線が遠ざかって安全圏となった今では、放っておくのが勿体ない土地であるのだ。


 「なるほど、金塘島か。」加山が唸った。

「確かに妙案だな。ルソンから持って来たトマトなら、直ぐに作付けが出来るな。飼料を供与すれば家畜を飼うことも出来るだろう。しかし、御蔵でもマンパワーが不足しているわけだしなァ。」


 「ええ、ですから」と江藤も頷く。

「御蔵島で基礎教育が終わってから、改めて入植希望者を募るということになるでしょう。ここで働きたいと考えてくれる者には、ぜひ働いてもらうとして。……教育の一環として仕事場見学を行なう時に、各工場や漁労部門が、どれだけ魅力的なプレゼンを行なえるかに掛っているとも言えますな。」

 そして「教育期間中は、彼らの家畜はア島とイ島駐在の畜産班に”一時預かり”してもらうこととなります。」と別の書類を広げた。






 「はい、陛下。ちょっとだけチクッとしますよぉ。」

 注射器を手にした中谷医師が言うと、脇に立つ白衣姿の鄭隆(雛竜先生)がそれを明国語に翻訳する。

 弘光帝は隔離病棟でツベルクリン注射を受けているところだった。

・・・・・・・・・・

 当初の予定では、弘光帝の座乗艦である朝潮は、日系移民を乗せた大津丸・時津丸とは馬祖群島沖で別行動を採り、皇帝一行を南竿島の南安伯屋敷へと送り届ける予定であった。

 けれども弘光帝が「チャコン総督に約束しておるからな。民の旅路の安全は朕が保証すると。」と南竿島へ帰るのに異を唱えた。

「で、あるがゆえ、見届けなければならぬ。……なに、鎮南将軍(仮)が民に非道を働くとは露ほどにも考えてはおらぬが、民に対する責任というものが有るのだ。」

 皇帝の突然の翻意ほんいを、老練な礼部尚書は「南洋のイスパニア領の風景を堪能した陛下は、今度は驚愕の御蔵の地を巡ってみたいだけであろう……」と読んだが、おのれもまた知的好奇心を押さえることが出来ず、老獪ろうかいな政治家の顔を発揮して

「その民を思いやる心こそが皇帝の採るべき姿であり、君子への道!」

と、ゴリ押しで加山へ行先変更を納得させたのだった。


 船団が御蔵島沖に到達すると、皇帝と礼部尚書は船窓から目にする工場群の異様な光景に圧倒され、言葉も無かった。

 また御蔵港に入港した時には、舟艇母船をも凌駕する巨大な外洋貨物船群が湾内を埋め尽くすように停泊している姿に心を奪われ

「これは、”この世”か? 間違って”あの世”まで来てしまったのではあるまいな?」

と唇を震わせた。

 岸壁では明国皇帝を、高坂中佐が司令部詰めの当番兵を臨時儀仗兵として率い、更に召集したM3軽戦車隊と供に出迎えた。

 皇帝は”捧げ銃”は既に経験済みだったから、滞り無く港での歓迎式典は終わった。

 式典は――皇帝を出迎えるにしては――略式といえば略式なのであるが、弘光帝や黄尚書としては無理を通しての訪問ということもあり、また島の『異質さ』が際立っていたこともあって、不満は無かった。

 式典が終わると、島の最高責任者は

「お恥ずかしことに、この地には城と呼べる施設は無く、また陛下に御滞在頂くに相応しい貴賓室のようなものも無いのです。」

と深々と頭を下げた。


 謁見の場として選ばれたのは、元は講堂であった大食堂である。

 皇帝は一段高くなった演台に据えられた、機能一点張りの皮張りの椅子を臨時の玉座として座った。

 「陛下をお迎えするには相応しくない粗末な場所で申し訳ありませんが。」と中佐は再度詫びたが、礼部尚書は電灯で明るく照らされた実用性重視の内装を好ましく感じた。

「戦の場に在る者や民の為に政務を執り行う者に、贅を尽くした装飾などは本来無用でございましょう。これぞ『かくあるべき』姿であると愚考致しますぞ。いや違う……虚飾きょしょくを排したしつらえに感服かんぷくつかまつった。」


 歓迎の辞を述べた高坂中佐に、弘光帝は抗清援明の礼を言うと

「卿ヲ驃騎将軍ひょうきしょうぐんニ任ズル。」

と厳かに告げた。

 驃騎将軍は大将軍に次ぐ将軍位で、名目上は同じ二品官でも車騎将軍や衛将軍の上位にあたる。

 中佐は礼儀通りに3度固辞し、4度目にそれを『(仮)』とする条件で受けた。

 一度の会見で”それ全部”を行なうのは乱暴なハナシであるのだが、皇帝以外は皆が忙しいのを――皇帝自身も含めて――皆が承知していたため、虚礼廃止の意味を含めて戦時特例として『合理化』されたのであった。 

 この遣り取りは皇帝が御蔵訪問を決めた時点で、朝潮と御蔵司令部間で電信の頻繁な往復によって既に詰めてあったし、車騎将軍(鄭芝龍)にも早瀬を派遣して電信で相談済みだったのである。

 儀礼としての謁見が終わると、皇帝と礼部尚書は

「ここから先は戦場いくさばの習いとして、卿は我らに気を遣う必要なし。それは卿の配下にも等しく及ぶものとする。」

と中佐(にして驃騎将軍(仮))に告げた。

 二人とも窮屈な礼に縛られること無く、気楽に御蔵ライフを堪能する心算であったからだ。皇帝に至っては壇上から降りると直ぐに絹衣を脱ぎ、半袖・半ズボンの船内着に着替えているところだった。

 驃騎将軍(仮)は「御意、陛下。」と応じたが

「しかし玉体をお守りするため、陛下には労咳と天然痘との予防接種を受けて頂かなくてはなりません。」

と穏やかに言上した。

「この地の探索に出向かれるのは、それを済まされた後で、という事でお願い申し上げます。」

・・・・・・・・・・

 「刺すのか? 刺すのだな。痛くないわけなかろう!」

 駄々をねる皇帝に、黄尚書は

「痛くはありません。日ノ本の地では、僧侶が炎に包まれながら『心頭滅却しんとうめっきゃくすれば火もまた涼し』と喝破かっぱしたそうでございますぞ。」

と中谷に注射をうながした。「ささ、玉体は我が押さえておきます故、はよう。」


 「それでは失礼して。」と中谷が針を刺す。「ハイ、終わりました。」


 「もう終わりか?」

 皇帝は拍子抜けしたようだった。

「これだけで、労咳にっているかどうかが分かるのか?」


 「明日になって、赤い腫れの大きさで判断します。」

と鄭隆が説明を加える。

「全く腫れが出なければ、玉体をお守りするためにBCGという物をもう一度打たせていただくことになりますが。」


 「もう一度打つのか……」

 弘光帝が意気消沈したように言い、それから鄭隆の顔をマジマジと覗き込む。

「はて? 貴殿とは何処かでうたような?」


 「御意。」と鄭隆がひざまづく。

「陛下が応天府(南京)を後にされる折に、お供させて頂きました。」


 「おお!」

と弘光帝は驚愕。

「髪は短くしておるし、すっかり御蔵人の姿になっておるから見違えたわ。」

 そして「これだから我は駄目なのだな。命の恩人の顔を、一目で思い出せぬとは。」と頭を叩いた。


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