カヤキ36 珠さんと舌先勝負! な件
「うわ! 柚子胡椒、出来たんですか。……って事は」
「そ!」と珠さんは頷いて「此間の面々が勢ぞろい。」
急いで坂を駆け上がると「これ! 修さん。置いてけ堀かい!」という怪猫娘の声が後ろから追っかけてきた。
「おう。帰って来たな。」
襷掛けで腕まくりの黒田藩士さんがニヤリと笑う。
「饂飩は既に切っておるゆえ、今からジックリと茹でる。左様、小半時は要しようから、水浴びしてくる間はたんと有るぞ。」
おお! 30分も茹でるんだ。出来上がりは博多風のふにゃ麺だな。
熱くして食べる分には美味しいけれど、笊饂飩や釜揚げには五島風の椿油で練った細麺が好きなんだけどね。
「薬種屋には橙子と橙子皮の両方があったから、両方とも買うてきた。」
と嬉しそうに大村剣士さんが言う。
「他にナナイロ(七味唐辛子)なる薬味も有ったゆえ、それも一緒にじゃ。なんでも江戸表では評判の薬味らしくての。」
さて珠さん謹製のスープには、柚子胡椒と七味のどっちが合うか楽しみだ。
「じゃあ修さんは、早いとこ水浴みと洗濯を済ませてお終エなせぇ。アッシらは庫裏で仕上げを片付けてきやすんで。」
とクマさん。
「さっき一寸だけ出汁の味見をさして貰いやしたが、珠さんの腕は確かだね。アレならば長崎は元より、江戸でも評判になろうってェ出来でしたぜ。」
洗濯と行水を済ませて庫裏に入ると
「オッ! おいでなすったね。」
とクマさんが2枚の小皿を差し出してくる。
別種の出汁がよそおわれているようだ。
「修さん、なんの出汁か当ててごらん。」
ちょっと得意気に珠さんが小鼻をピクつかせる。
「当たったら、御褒美に何でも言う事を聞いてあげようじゃないか。」
「珠さん、大きく出たな。」と大村剣士さんが笑う。
「拙者、片方は当てたが、もう片方は外した。片山殿、なかなかの難問だぞ?」
「面白い趣向だな。」と黒田藩士もニヤリとする。
「饂飩に合う出汁に仕上がっているが、”あんなもの”が使えるとは思いもよらなかったな。」
……ナルホド。
2種類の出汁のうち、一方は『ある意味標準的』で、もう一方は『特殊か異質』なわけだ。
と、すると、標準な出汁の方は煮干し(イリコ)か鰹節のような魚系。
もう一方は……貝類かな? 島の磯には馬蹄螺やトコブシみたいな巻貝がイッパイいるし。
「ええっ、何だろ? ドキドキしますね。」
僕はまず、少し黄金色がかった出汁の方を口に含む。
木っ端グロ(メジナの幼魚)やアラカブ(カサゴ)など生魚系ではなく、干し魚系であるのは間違いない。けれど燻製臭がしないから鰹節ではない。また焦げた香ばしさも無いからハゼの焼き干しでもなさそうだ。
野趣とは縁遠い上品な旨味で僅かに甘みを感じさせる。グルタミン酸とイノシン酸だ。
けれど魚介系ラーメンスープとは異なり、魚臭さは少な目。
カタクチイワシの煮干しだとすれば、丸のまま使ったのではなく、頭と腸を一々取り除いてから取った出汁なんだろうけど、料亭の椀にでもするのなら別だが単価の安い饂飩用には手間がかかり過ぎのような……。
大村剣士さんが一発正解を出したのを考えれば、九州北部で珍重されているトビウオの干物――通称「アゴ出汁」――である可能性が高い。
ただし大村剣士さんが正解だった方が、もう一方の出汁であった、というパターンも有り得る。
僕は「なるほど。」と一旦判断を保留して、もう一方の出汁の味をみる。
前の出汁を黄金系とするなら、こちらの出汁は白銀系……というか透明系。
しかも磯の香が強い。
一口すすると、ガツンとした濃厚で主張の強い旨味。
グリシンやアラニンといったアミノ酸系……甲殻類系か。
ただしイセエビやズワイガニの雌、ワタリガニに似たイシガニや上海ガニの近縁種であるモクズガニといった甲殻類の味噌汁特有の、カニ味噌・エビ味噌系が発するコッテリ感はない。
そう……御蔵島の大食堂で味わった「アミの塩辛」の澄まし汁に近い感じ。
ただし新鮮な磯の香が強いわけだから、アミの塩辛とはそこが決定的に違っている。
かと言って、ヌマエビ・ヌカエビ・手長エビといった琵琶湖周辺や関東内陸で流通する淡水産エビの乾燥品や、駿河湾の特産品であるサクラエビの干物ではないだろう。
何故ならば高島とは産地が遠く離れており、珠さんが入手するのは困難だろうから。
とすると、その辺りの磯でチョロチョロしているイソガニを、丁寧に甲羅を外してミソ部分を洗い流してから使ったとも考えられるのだけど……。イソガニだったら、そんな手間暇かけずに丸のまま使うだろうし。
「まとまりました。」と皆に頷いてみせる。迷っていたって仕方がない。
「まず一つ目、こちらのやや金色がかった出汁はトビウオ。干しアゴですね?」
「そっちは拙者にも判った。」と大村剣士が珠さんに先駆けて正解判定。
クマさんも「江戸ではチョイとお目にかかれない味でやんすね。しょっぺえだけの蕎麦しか食ったことのねェ江戸っ子にお見舞いしたら、腰ィ抜かすこと間違ェねえ。」と含み笑い。
「お珠さんは寺男の代理なんぞに収まってないで、コッチの道で身を立てるべきだね。」
「おほめに預かり光栄でございますよ!」
と珠さんがクマさんに微笑を返す。「でもクマさんは外したんだから、ちょっと黙ってて下さいナ。」
そして僕に向かって
「修さん。して、もう片方は? 此方は簡単に中てられっこないと思うんだけど。」
と自信満々。
ナルホド。分類学的には甲殻類だけど、甲殻類には”見えない”生き物で間違いなさそうだ。
「カメノテですね。カメノテかフジツボのどちらかを迷ったのですが、採取のしやすさを考えたら、珠さんが磯で集めると考えるなら、カメノテの方が引き剥がしやすいから。」
カメノテもフジツボも、どちらも磯の潮間帯で岩にくっついている生き物だ。
カメノテは岩の割れ目やなんかに張り付いている、イシガメやクサガメの手に似た外見の生物。フジツボは岩の表面にくっついた、ちょうど富士山みたいなコニーデ型火山の恰好をした生物。
どちらも貝に間違えられることが多いけど、れっきとした甲殻類。
だから出汁をとったら、貝の出汁ではなくエビ・カニ系の出汁となる。ただしフジツボを食用とするのは寒流系の海域に住む大型種だったはずだから、珠さんが自力採取したとすればフジツボである可能性は外しても良いだろう。
カメノテだったら、手鉤か鏨でも有れば、採取は容易だ。
案の定、珠さんは目を丸くした。「あ・あたり……」
「凄まじく味わいの強い汁に仕上がってますね。」
僕は珠さんに頷いてみせた。「でも饂飩出汁には、力が強すぎやしませんか?」
すると黒田藩士さんが「強過ぎると思えば、湯を足して伸ばせば良いだけよ。」と反撃。
「拙者は、悪くない、と思うたがな。それに柚子胡椒が強い薬味であろうが。薬味の強さを活かそうと思えば、出汁も自ずと強さを持たねばなるまいて。」
言われてみれば、その通り。
「それでは皆々さま、一杯の饂飩としての出来上がりを、食してみようじゃあありやせんか!」
クマさんの号令で、試食会の開始となった。




