弘光帝inマニラ11
乙型艇が朝潮に接舷し、藤左ヱ門にエスコートされた総督・長官・司教・神父の4人がタラップを登る。
総督府を出発する時には、さすがに衛士隊やアウディエンシア職員が同行を申し出たのだが
「畏れ多くも明国皇帝陛下の御前に向かうのですぞ。招待を受けていない者をお連れ致すのは憚られます。」
と月之進がそれを遮った。
「護衛は私どもが相務めますゆえ、御安心あれ。」
衛士長にしてみれば我が子くらいの歳恰好でしかない月之進だが、少女のように優し気な顔立ちにも関わらず異様なほどのキビキビとした圧迫感があり
「そ・それでは……よろしくお願い致しますぞ。」
と引き下がるしかなかったのである。
スピーカーから荘厳な楽曲が流れる中、総督たちを甲板で出迎えたのは、着剣した銃を”捧げ銃”の礼に構えた船舶砲兵たち。
日本兵だけではなく、アメリカ兵とオーストラリア兵も整列しているわけだから、白人の姿に意表を突かれたスペイン人たちは目を白黒している。
加えて中央ロビーの前には、剣を佩き鎧兜に身を固めたトラディショナルな明国武官も並んで、恭しく頭を垂れていた。
中央ロビーでソファに座って一行を引見した弘光帝は、スペイン人たちが片膝をついて頭を下げると
「大儀デアル。」
と一言だけ言葉を発し、立ち上げると廊下奥へと姿を消した。
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「ん~。乗船から謁見までは『海ゆかば』で良いんですかね? 次はヨハンシュトラウスを流すにしても。」
スピーカーで流すレコードを選びながら、通信士が首を捻る。
「まあ、こっちの世界じゃ陸軍海軍なんて五月蠅く気にしてる人なんて居ないでしょうけど。」
「いいんじゃないかな? 重厚な雰囲気は謁見の儀の間だけ保たせればいいんだから、って黄さんが言っておられるわけだし。」
と答えたのはニ等航海士。「陛下は陽気なデキシーランド・ジャズの方がお好みだけどね。」
二人は、時間があれば直ぐに礼部尚書を出し抜いて「許せよ?」と杜虹隠と共に通信室までレコードを聴きに来る弘光帝のことが大好きなのである。
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謁見が終わると、訪問者一行は食堂室へと案内された。
眺めの良い窓際に、丸テーブル席が用意されている。
「場を改めたここからは、茶の席と見立ててお寛ぎ下さいませ。座の主に対する礼儀は別として、”皇帝”に対する儀礼は不要でございます。」
と藤左ヱ門が告げる。
「それはどう云う意味かね?」と質問したのは長官。
「茶席には身分の上下・敵味方の区別など、この世の一切の蟠りを捨て去り、天地の中でただ客をもてなす主と招きをうけた客という関係が在るのみ。何もかも・誰も彼もが等しく一個の人間となるのです。」
と藤左ヱ門が穏やかに説明を入れる。
「日ノ本で独特の進化を遂げた『侘び茶』の心得でございます。」
「おお! 神の愛の下には皆が平等という、我が会の教えと、どこか通ずるものがある。」
と司教が感嘆した。
「皇帝陛下は、その茶席の思想を取り入れ、畏くも御自らが実践されておるのですな!」
そして「それでは、客としての礼を失しない程度に寛がせていただきましょう。」と十字を切った。
「お待たせしましたかな?」
と気さくな様子で食堂に顔を覗かせた皇帝は、豪奢な絹服を脱ぎ去り、冠も外して質素極まりない木綿の単衣を身につけていた。
南竿島で常用していた、作務衣にも似たアレである。
弘光帝は船内着から着替える時「どうせ直ぐに脱ぐのだからな。」と絹服の下に単衣を着込んでいたので、アッと言う間に早変わりが完了したのであった。
スペイン人訪問者は、愛想の良いにこやかな人物が一瞬誰だか分からず戸惑いを見せたが、直後『皇帝だ!』と気付き、慌ててお辞儀をした。
一方で側近の黄道周は、皇帝に倣って同じく単衣――というわけではなく、船長から士官服を借りてそれを着込んでいた。
恰幅の良い船長の服は、痩せぎすの礼部尚書には大き過ぎてダブダブだったが、スペイン人の中に”現代の洋装”を知る者が一人も居なかったから妙に思われることはなかった。
皇帝は丸テーブルに着くと
「船中にて、満足な”おもて成し”をする事が能わず心苦しい限りではありますが、常在戦場の心得と汲んで御容赦下さりませ。僅かではありますが、座持ちに粗食などご用意させて頂きました。」
と挨拶し、給仕を呼ぶ。
皇帝の挨拶は藤左ヱ門によってスペイン語に翻訳され、客に伝えられた。
給仕役は帝国陸軍婦人部隊のスーツを着用した女官の杜虹隠で、先ずは食前酒にシェリーに似せたアルコール強化ワイン(米国産)をサーブする。
物は米軍の補給品在庫で、製造年月日は”時代が違う”ため、ラベルを客に見せることは出来ない。だからワイングラスに注いでから各人に渡されたのだけれども、スペイン人たちは食事会始めに自国産(に似た)酒が出て来たことに驚いた。
オードブルはオイルサーディンと鯨大和煮の盛り合わせ。
スープはマッシュポテトとコンデンスミルクをコンソメで溶いた即席ポタージュ。
魚料理は水煮缶サバの缶入りバターソテー。
肉料理は牛缶。
どれもこれも缶詰そのものか、あるいはそれに一手間加えただけの品なのだが、瀟洒な白磁の皿に盛り付けてサーブされると――そもそも缶詰そのもの味が万人ウケするように工夫されている物であるため――客も満足気で高評価であった。
(Cレーションの”豆と挽き肉と野菜”缶を出したりしなかった、朝潮コックの選択の妙でもあったりするわけではあるが。)
また食中酒として供された日本酒と焼酎ソーダも、きっちりと氷で冷やしてあったこともあり、喜ばれた。
シメの炭水化物として出されたのは『たっぷりトマトジュース入りサフラン抜きのパエリア』で、トマトを食べたことがなかったスペイン人たちも爽やかな酸味とグルタミン酸の旨味に舌鼓を打った。
「この鮮やかな赤は、いかなる食材から生じたる物なのでしょう?」
キノ神父が好奇心を押さえられずに質問する。「いや何とも深い味わいがある。」
「毒リンゴ(poison apple)でございます。」
と藤左ヱ門が答える。「が、毒とは名ばかりで、旨味を多く含んだ実でありまして。」
「何とっ!」と総督が席を立ち、しかし皇帝の前である事を思い出して「失礼しました。」と座り直す。
「私は、この実を食べると毒にあたると、確かに聞いていましたが。」
「それは誤解……濡れ衣というものです。」
礼部尚書が冷静に反論する。
「毒にあたるのは、質の劣った錫を食器に用いるからなのですぞ。」
藤左ヱ門は黄尚書の発言をスペイン語に訳し、続けて
「錫合金には鉛が含まれております。酸味のある食物を錫合金の器に盛れば、酸味が鉛を僅かに溶かします。長い間それが続けば、人は鉛でやられるわけでございます。酸味のある食材であればtomateに限らず全て同じこと。古のローマ人は、普段から食器に鉛を用いて鉛毒に苦しめられましたが、錫合金を食器に使う事で同じ苦しみを味わった者がいた、というだけの事にございます。食器を銀器にするか陶磁器を用いさえすれば問題はないのでございますぞ。」
「それは良いことを聞いた。」
とキノ神父が更にパエリアを口に運ぶ。
「tomateならば、新大陸でもここマニラでも普通に生える。食材に使わない手はありませぬな。貧しき者にも福音となる。」
「磁器の器であれば鉛毒は気にする必要が無い。」
長官もパエリアを噛みしめ「なぜ今まで、それに気付けなかったのであろうか。」と息を吐いた。
「明の陶磁器は美術品・贅沢品だと考えていたが、錫合金に取って代わるともなれば、今まで以上に欲しがる者が増えましょうな。」




