弘光帝inマニラ10
商談(?)が進んで謁見室の皆が笑顔まみれになった頃
「実は明国皇帝陛下が、援明義勇軍の礼を、とお考えになられておりまして。」
と藤左ヱ門が告げた。
「絹に胡椒に茶葉に金貨。明国皇帝の感謝の意は、充分過ぎるほど判っておりますぞ。」
総督が余裕の表情でそれに応じる。
「小倉家当主殿は、『これを先方に遣わせ。』と書状も託されておるのではないですかな?」
「そうですぞ。」と長官も頷く。「加えて今後、交易の道も広げて頂ける御様子。感謝するのはこちらとしてもも同様。」
そして「そうそう、連名でこちらも返書を認めませんと。」と総督に持ち掛けた。
「イエズス会を忘れてもらっては困りますな。」と司教も乗り気だ。
「援明義勇軍に参加した者は日本人街の信徒で、その企には教会も援助を惜しまなかったのですから。教会からも書状を用意させましょう。」
「えーっと、明国皇帝陛下は、直に会って礼を言いたい、と申されておりまして。」
藤左ヱ門の爆弾発言の意味を理解出来たスペイン人は、総督府の謁見室には居なかった。
総督・長官・司教が三人そろって「はいぃ?」と藤左ヱ門の言葉を訊き返し、キノ神父だけが辛うじて
「明国首府まで御招待いただける、ということですかな?」
とセンテンスになった言葉を返すことが出来た。「明国では戦争が継続中の筈だと、承知していた心算だが?」
神父の疑問に対して
「はい。戦争は続いております。」
と藤左ヱ門は頷いた。
「しかし戦況は大きく改善し、貿易港の寧波や古都 紹興は既に奪還。揚子江の南は全て、早晩の内に回復することが叶いましょう。Chinaで穀類や絹生産が盛んなのは、揚子江の南の地。また景徳鎮など陶磁器生産が秀でている場所も河南にあり申す。」
ですから、と藤左ヱ門は続けて「明国皇帝は、戦争指揮に関して少しばかり余裕が出てこられまして。」と手で屋外――海の方角――を示した。
「お越しになっておられるのです。あの巨船に座乗されまして。今現在、このマニラの地に!」
「皇帝陛下、御自らが?!」
失礼の無いようお迎えする準備をせねば! と謁見室がパニックになったのは、言うまでもない。
朝潮の電信室に、小倉隊からの無線電話が入ってきたのは、この時である。
『もぅしもし、加山少佐殿は御在室なりや?』
「加山です。藤左ヱ門さん、首尾は如何ですか?」
『おお! 加山さんか。……総督府は大騒ぎになっておりますな。皇帝陛下を歓待する用意をせねばと。』
「礼部尚書殿に伺って来ましょう。まあ、総督閣下の方から、朝潮まで足を運んでもらう流れになると思いますが。……ところで、日本語での通話、内容が漏れる心配は……大丈夫ですか?」
『神父さまだけなら若干は解しましょうが、他の者が聞き咎める気遣いはございませぬ。……それより無線電話機を初めて目にし、皆が魂を抜かれたような顔になっております故、問題ござらん。』
打ち合わせのあらましは、藤左ヱ門がパレード中に軽装甲車の車長席に居た時に進めてあったから、この程度の遣り取りで両者”通じる”のである。
「それでは皇帝陛下の御機嫌を窺って来るとします。通信終了。」
鎮南将軍(仮)こと加山少佐が、マニラ総督と会う気はおありですか? と問うと、腰の軽い皇帝は
「無論、会う!」
と満面の笑みで答えた。
「朝潮の船室は快適じゃが、浜辺で波と戯たわむれたり椰子やしの木陰で昼寝したりするのも素晴らしかろう。」
黄尚書が皇帝を窘め、先方を呼びつけよ、と指示を出したのも想定の通りである。
加山は「承知しました。」と皇帝と礼部尚書に会釈し「迎えに乙型艇を海岸へ向かわせます。」と伝えた。
そして「お暑いでしょうが、陛下本来の絹服にお着換え下さいませ。先方も礼服で謁見の場に参るでしょうから。」と続ける。
「さすがに短パンでは、ちょっと。」




