弘光帝inマニラ9
発砲したのが一発であったなら、氷で冷やした焼酎ソーダにありついていた屋外の衛兵や野次馬たちの間に緊張が走ったに違いない。
けれども機関短銃の連射音が一定のリズムを持った断続音だったため、屋外に居た者たちは「これも祭(fiesta)の趣向の一つであろうか。」と、ウッカリ見過ごしてしまったのだ。
マスケット銃なら連射など出来ない。一発撃てば、再装填には時間がかかる。
だから「規則正しく綺麗に連続した音」であれば、「銃の発射音などではあり得ない」という正常化バイアスが働いたのである。
野次馬の誤認を助長するために、機関短銃の発砲音に呼応して、敷地外に縦列駐車してあるトラックの荷台から陸軍自慢の”打ち上げ筒”がポンポンと発射された。(台州夜戦花火大会でも活躍したアレだ。)
昼間のことだから夜間ほどの華麗さは無いが、ドォンと空に広がった光の華に、一杯機嫌の野次馬も衛兵も驚きをもって盛大な拍手を送った。
――と、云うような事が外では行われていたわけだが、謁見室では
「その銃は、弾を連続して放つことが出来るのか?!」
とスペイン人たちが大騒ぎになっていた。
「買おう。いや売っていただきたい! 8レアル銀貨100枚ではどうだ!」
総督の提案を、藤左ヱ門は自分が持ち込んだ手土産の金貨入り革袋を指で突いて
「金貨や銀貨でお売りすることは出来ません。」
と断った。
「それにお譲りしたとしても、とても扱いきれる品物でもございません。」
そして弾倉を抜いて薬室の弾も取り出し、安全になったサブマシンガンを総督に手渡す。
「ご覧くださいませ。非常に複雑玄妙な造りでございます。御蔵人にしか作ることも手入れすることも出来ぬのです。拙者の隊とて、マニラ行きの折に身の安全を保つためにと、特に一時借り受けを許されたばかりの逸品でございまして。」
長官と総督とは、手渡されたト式を念入りに検分していたが
「小倉家当主殿の言う通りだ。」
とタメ息を吐いた。
「複雑過ぎて何がどうなっているのやら、さっぱり分からぬ。……これでも射撃には自信が有った心算であったのだがな。」
「ま、それは兎も角」と藤左ヱ門は連射可能な銃の話題をサラリと流して「ゴムが玩具以外に役立つこと、御承知いただけたか、と存じます。」と機関短銃を取り返した。
そして「御蔵人はゴムを欲しておりますからなぁ。斯様な品と、喜んで交換してくれましょう。」と別の木箱から燐寸と洋灯を取り出す。
藤左ヱ門が燐寸を擦ると、たちどころにポッと火が灯った。
そして用意の洋灯に火を入れる。
ツマミで灯心を操作すると、火皿に油を注いだだけの灯火とは、比べ物にならないほどの明かりが広がる。
「これで夜間でも書物を読むのに、苦労知らずでございます。また裸火とは違って火屋と呼ばれるガラスで火が覆われておりますから、近くの紙などに燃え移る心配も少なきか、と。」
「小倉の当主よ。その点け木を見せてくれ!」
キノ神父が興奮して手を差し出す。「軽く小箱を擦っただけであるのに、簡単に火を起こしたな。それも工夫の賜物か?」
「安全マッチ、と呼ばれる点火具でございます。どうぞお検め下さいませ。」
歴史上、燐寸が開発されるのは1822年のイギリスだが、様々な改良を経て『安全マッチ』となるのに至るのは1845年のスウェーデン。一口にマッチと言っても、プロトタイプから最終形態に至るまでには20年以上の日数を要したのである。
だから神父の手に渡された燐寸は、丁度200年後の製品”サンプル”ということになる。
神父は燐寸の頭薬部分と箱の側面の側薬部分の感触を手で確かめ
「双方に何かしら炎を発しやすい薬が塗ってあるのだな。……ふむ、工夫はあるが、ここには何事の魔法も存在しない。間違い無くこの世の理に適ったものだ。」
と息を吐いた。
「御慧眼。御蔵人の持ち物・売り物は、精緻に工夫を凝らした品々でございますが、理詰めにて作成されたものばかり。如何に不思議に見えようとも、そこには何一つ”不思議”が含まれてはおらぬのです。」
藤左ヱ門の口から気負いなく発せられる言葉は、静かで、淡々としていた。
それは差し詰め、学者が学生に対して講義を行っているような口ぶりにも見えた。
「燐寸とその照明具、是非とも欲しい。こちらなら、カカオやゴム汁と交換できるのだな?」
総督が魅入られたように洋灯を指差す。
「カカオは取り寄せるにしても栽培するにしても少し時を要しようが、ゴムの樹液であれば直ぐにでも集めさせるぞ。」
「有難き御言葉。」と藤左ヱ門は総督に頭を垂れた。「総督のお力で上手く交易が成り立てば、不詳私めも、この大恩あるマニラの地を富ますのに一役買ったことで、ようやく恩返しが叶い、またスペイン皇帝陛下と御蔵人の双方に、面目を保つことが出来ましょう。」
「殊勝な心掛けですぞ、小倉・トマス・藤左ヱ門。」
と司教が十字を切る。
「クローブとナツメグの種子を用意し、またカカオとゴムでマカオを富ます工夫を編み出すとは。それに聞くところによると、甘薯と柑橘で船乗りの命を守る秘策も持ち帰ったとか。非凡な者にしか成し得ぬ功績である。」
司教の言葉にキノ神父も頷く。
そして「交易の秘策はそれで終わりか?」と悪戯っぽい目を向けて、続けた。
「そればかりではあるまい。他にも何か”持っている”なら明かしてみせよ。……木箱がまだ、残っているようだからな。」
「お見通し、でございますな神父さま。」
藤左ヱ門も諧謔味を含んだ声で返答し、別の木箱の蓋を開けた。
「これに詰まっておりますのは、コーヒーの実でございます。場所を選ぶやも知れませぬが、植えれば育つ土地もございましょう。御蔵人はコーヒーを殊の外好んで喫する習慣があるようで。コーヒー豆を用意すれば、先ほどの氷を包んでおりました水の漏れない袋、ビニール袋なる逸品などと交換することが叶いましょう。」




