弘光帝inマニラ7
「こちらは総督さまに。そしてこちらは長官さまへ。」
兵から革袋を受け取った藤左ヱ門が、ズシッ、ズシッとテーブルの上にそれを並べると、総督と長官との表情が一変した。
懐疑と警戒が消え、驚愕と賞賛へと取って代わったのである。
続けて藤左ヱ門は、床に置かせた木箱を開ける。
「こちらは胡椒に山椒でございます。胡椒や山椒なら、明でも日本でも豊富に産しますので。」
おおう! と長官が驚きを漏らす。「次のガレオン船に載せ本国に持ち帰れば、これまた高値が付く品物だな。」
次に開いた箱は、胡椒が詰められていた箱よりは小さいが、中身を確かめた総督は
「クローブとナツメグか……。」
と、ゴクリと喉を鳴らした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで少し、香辛料と当時の世界情勢について触れてみたい。
ナツメグはニクズクの木の種子で、香辛料の中でも特に高価なものの一つである。
それというのも、モルッカ諸島の中のバンダ諸島でしか収穫できないと思われていたからだ。
バンダ諸島の回教徒とは1512年からポルトガル人が交易を始め、ポルトガル人はモルッカ諸島のテルナテ島に要塞まで築いていた(1522年)が、1598年ころからオランダーポルトガル間で世界中の植民地争奪抗争が激化する。
オランダは徳川家康に派兵を要請し、日本人傭兵を尖兵としてモルッカのポルトガルの要塞を攻略した。
オランダ東インド会社は1612年までにはバンダ人の90%を”討伐”してこれを占領、ナツメグの貿易を独占した。
またクローブもナツメグ同様、バンダ諸島が主な産地であった。
クローブは丁子の木の花蕾を乾燥させたもので、中国では紀元前から用いられていたがヨーロッパにもローマ時代にはもたらされていたという。ただし商用作物として栽培はされてはいなかったから、とんでもない高値で取引されていたという。
ところでお立合い。筆者は『ポルトガル』『オランダ』と”国名”を記述したが、歴史はもうちょっと複雑だ。
ポルトガルは1581年にスペインのフェリペ2世がポルトガル国王を兼ねることになったので、1581年以降実質は独立性が高いとはいえスペインの属国のようなものである。
この状態は1640年にポルトガルのジョアン4世がスペインからの再独立を果たすまで続く。
だから1598年からのモルッカ争奪戦は、実質はオランダーポルトガル間の戦争なのだが、名目的にはオランダースペイン間の戦争とも言える。
またフェリペ2世は、神聖ローマ皇帝である父のカール5世から1555年にネーデルランド諸州を、そして1556年にスペイン国王を譲られたのだが、ネーデルランド諸州ではプロテスタントの反乱が相次ぎ、1596年にはネーデルランド連邦共和国として独立を果たす。
当然フェリペ2世はオランダの独立を認めず、戦争は続く。
しかしオランダは1602年に東インド会社を設立し、アジアのポルトガル(スペイン)領をガンガン占領。1612年のバンダ諸島占領で香辛料貿易を完全奪取することによって富強国となる。
1621年にはオランダースペイン間の対立はヨーロッパ全土を巻き込む『30年戦争』へと拡大し、終結したのは1648年のこと。
ヴェストファーレン条約の締結で、スペインがオランダに屈する形で決着した。
オランダとスペインの間の80年に及ぶ争乱は”30年戦争”を含んで『80年戦争(1568~1648年)』と呼ばれるが、その行方を左右したのはリスボン(ポルトガル)からアムステルダム(オランダ)へと中心を移した香辛料貿易がもたらす財力の影響が大きいだろう。
そう考えると、家康がモルッカ諸島に派遣を許可した”オランダ東インド会社日本軍傭兵隊”が、80年戦争で大きな役割を果たしたとも言えるかもしれない。
ただし、それは1648年に決着するのだから、今から4年後の『未来』の話である。
また終戦(ヴェストファーレン条約の締結)の前年(1647年)には、1640年にスペインからの再独立を果たしたプラガンサ朝ポルトガルのジョアン4世が、長崎に船団を差し向けてくる『予定』も待っている。
戦争は明清の間だけでなく、世界中で起きていたのだ。
閑話休題――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「クローブとナツメグか」という総督の呟きに、藤左ヱ門は大きく頷くと
「交易船にてお運びなさるも良うございましょうが、植えてみるのも一興かと。丁子の種もご用意致しておりますゆえ。」
と提言した。「年中暖かで雨多き土地であれば、芽吹けば8年ほどで収穫出来申す。」
「バ・バンダでなくとも?!」
長官がゼイゼイと息を切らす。驚きのあまり、呼吸するのを忘れていたらしい。
本国からは地球半周分離れており、中南米の主要植民地からも太平洋を挿む遠大な航海を経なければならないフィリピンは、常に競争相手と比べて兵力が不足していた。
だからむざむざと”宝島”であるモルッカ諸島(バンダ諸島含む)をオランダに奪われても奪回が叶わなかったのである。
それが”植えれば生える”となれば、モルッカ再攻略を考えなくても再びスペインが香辛料貿易で重要な位置に返り咲く道が生まれる。
興奮するな、と言う方が無理があるだろう。
「年中気温が高くて雨が多い土地ならば、ここには幾らでも有りますな。」
司教が囁くように、総督に向かって告げる。
「むしろ、そうでない土地を探す方が難しいでしょう。」




