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弘光帝inマニラ5

 こぼれた金貨を慌てて修道士に拾い集めさせた司教は

「殊勝な心掛けに、神もお喜びになるでしょう。」

と藤左ヱ門を聖堂内にいざなった。「さあ、共に祈りを捧げましょう。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 藤左ヱ門は寧波を出発する時、盟友の雛竜先生(鄭隆)から

『ウチの隊の取り分の、少なくとも丸々半分は小倉勢の戦果ですからね。金も穀物も、存分に使って下さい』

と電文で連絡を受けていた。

『事態が落ち着いたら、呂宋るそんとは交易をすることになるでしょう。彼方あちらが欲しがる物が此方こちらには山ほどあるわけですから、今回いくら持ち出しになっても、じきに回収出来ます。先行投資だと考えて、教会や総督府には手厚くお願いしますよ。』

 ”先行投資”や”回収”といった言い回しに、雛竜先生は病床にあっても休まず学問を続けられているのだな、と藤左ヱ門は微笑んだ。

 ――まるで早良殿が話しておられるかのような!

 そして、そのような言い回しを使ったのは

――我がマニラで気兼ねなく動けるように、という心遣いなのだな。

と感謝した。


 車騎将軍(鄭芝龍)からも、ズシリと金貨が詰まった袋を3つほど渡されて

「ゼーランディア城のオランダ人には、別口でゴムの買い付けに向かわせていますが、呂宋でもゴムは採れていたんではなかったかな? 買えるようであれば、ありったけ買ってきて下さい。お願いしますよ。」

との依頼を受けていた。「ゴムが潤沢に手に入ったら、御蔵勢からパンクしない車輪を履いたリヤカーを融通してもらう約束を結んであるのでね。」

 もちろん革袋3つ分の金といったら、ゴムの買い付けには過大な資金だ。

 鄭芝龍も藤左ヱ門のマニラ行きに、投資――というよりむしろ資金提供――をしてくれたのだ。

 「ゴムが無くても……そうですね、マニラ麻の綱や袋、椰子の実の殻なんぞも使い道が有るそうですよ。御蔵島では椰子殻を焼き上げて、活性炭なる物を作るのだとか。水をしたりするには最高の素材と聞きましたね。」


 当然のことながら高坂中佐からも”お土産”を託されている。

 洋灯に鯨油と燐寸、鯨肉やイワシの缶詰、ソーダ水や焼酎ハイボールの瓶詰めなどである。

 変わったところでは、マラリア蚊対策にキニーネの錠剤や、壊血病の予防と治療のためのビタミンC顆粒なんてものも含まれていた。

 スペイン人はキナの樹皮をマラリア治療に使っていたが、現代医学的に製剤化されたものを見るのは初めとなる。

 またビタミンC顆粒は『鍋磨き砂』などと呼ばれて米軍内では不評だったのだが、ガレオン船貿易でフィリピンと中米を行き来している船乗りには、大きな福音となるに違いない。


 御蔵勢提供の洋灯やハイボールなどは、一部を南竿島で弘光帝に献上しているが、その対価として礼部尚書が南安伯屋敷の蔵から胡椒や絹、茶や陶磁器といった”イスパニア人が喉から手が出るほど欲しがっている物”を提供してくれている。

 高坂中佐の”お土産”と弘光帝からの”下賜品”は、マニラ教会や総督府への『鼻薬』であるばかりでなく、ヨーロッパ社会への見本市の役割を果たすであろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 「……この粒が、キナの皮と同じ力を持つのか……。」

とキノ神父が感心する。

 繰り返し高熱が身体を襲うおこり(=マラリア)は、特に若年層にとっては死病と言ってよく、治療薬であるキナの皮は高値で取引されているのだ。


 「マラリアという熱病は、マラリア原虫という微細な虫が体内で増えることによって引き起こされる病なのです。それが証拠に、鎌形赤血球貧血症という別の病を持つ者は、その者の血の中でマラリア原虫が生きることが叶いませぬゆえ、マラリアにはかかりません。キナの皮に含まれる成分が、そのマラリア原虫を下すことにより、病がえまする。」

と藤左ヱ門が頷く。

 顕微鏡は1590年にオランダの眼鏡屋であるヤンセン親子が開発したが、1645年ころはまだ趣味の道具でしかなかった。レーウェンフックが『微生物を発見』するのは、1674年のことである。

 だから藤左ヱ門としては原虫の説明を”微細な虫”と表現するしかなかったのである。

「キナの皮より力が強うございますから、ご使用の際は、用量を固くお守り下さい。多く飲めば早く効くというものではございませぬゆえ。」

 御蔵側としては、米軍備蓄品のクロロキンも抗マラリア薬として使えるのだが、そちらの方はマニラ教会に提供する心算がない。キナを原料とした薬剤がキニーネ、と説明出来ればよく「化学合成したものが~」などと付け加えれば、相手が混乱するばかりだからだ。


 「このビタミンCなる薬は、壊血病の妙薬と伺いましたが」

と司祭が喰い付き気味に説明を求める。「いかなる薬草に含まれている物なのですかな?」

 言葉使いこそ丁寧なのだが、問い質す表情には有無を言わせぬ迫力がある。

 スペインに富と栄光とをもたらす原動力である交易船で、船乗りの死者を減らすことが出来るとなれば、皇帝フェリペ4世の覚えも目出度めでたくなるわけだから、必死になるのも無理はない。


 けれども修羅場を潜った経験が豊富な藤左ヱ門は、司祭の追及にも落ち着いたものだ。

「新鮮な食い物であれば、すべからく含まれている、と申し上げても過言ではないか、と。」


 「すべての食べ物に?!」

 司祭は訳が分からないという風に頭を振る。

「それでは、壊血病などという病は起こらないはずではありませんか!」


 「落ち着いて下さいませ、司教様。」と藤左ヱ門は続ける。「新鮮な食べ物に、と申し上げたはず。」


 「そうか、分かった!」と察しの良いところを見せたのはキノ神父だ。

「保存して、時を経ると失われてゆくのだな?」


 「左様さようでございます。」と藤左ヱ門が頷く。

「ビタミンCは、空気に触れると酸化という変質を起こし壊れてゆきます。また熱に弱く、煮炊きすることで激しく痛んでしまうのです。更にはこのビタミンCなる滋養分、水に溶けてしまい易い。水洗いをしたり水に晒したりすれば、流れ落ちてしまい申そう。」

 ですから、と続けて

「長い航海で、塩漬け肉と燻製肉、乾燥野菜と焼いたパンなどばかりを食べておれば、それまで身体の中に貯めてあったビタミンCを使い果たして壊血病になるのでございます。」


 なるほどなるほど、とキノ神父は興奮した。

「こまめに新鮮な果物や野菜、云わば”生きた食材”を食せば良いんだな。そう教えることで、船乗りが無駄に死ぬのを防げるのか。……神よ、小倉家当主の見聞を通じて、船乗りの身をお守り下さったことに感謝いたします。」


 その様子を見て、藤左ヱ門は

――上々に目が向いている司教様と違って、神父様は『物の道理』を追求するのが楽しいのだな、と感じ取った。

 そこで「柑橘のたぐいであれば、皮ごと丸のまま活かして長く船積み出来ますゆえ、太平洋を渡るような長期の航海に於いてもビタミンC補給の助けとなりましょう。また甘薯かんしょ(サツマイモ)は多くビタミンCを含みおる上、甘薯のビタミンCは澱粉でんぷんなる物に包まれているゆえ、熱にも強うございます。パンに替えて甘薯を食し、柑橘を副食となせば病を防ぐことが出来ましょう。」と壊血病予防のきもを説いた。

「それに加えて、この顆粒の備えがあれば、鬼に金棒でございます。」


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