富春江第二次渡河作戦16
「信号弾!」
城の監視を続けていた兵が大声で報告。
内藤伍長は「総員、耳塞げ!」と命令を出した。
新規合流した趙士超の部下7人には何事か分からないだろうから、実際に掌で両耳を押さえる仕草を実演してみせる。
7人のライフル兵は、分かった、というように頷き、輸送隊長の仕草を真似た。
ちなみに彼らの馬は、趙が替え馬と一緒に引いて行っているから、発射音に驚いてそこいらを暴走する心配は無い。
砲手が一度後方を見て、噴進弾発射ガスの効果範囲に誰も居ないのを確認すると「オール・クリア!」と叫んだ。
騎馬銃兵の頭上を”死の金切り声”が通過して行くと、対峙している清国弓兵の横陣は大きく乱れた。
明石掃部の「用意!」の声に、騎馬銃兵は馬上で火皿に着火薬を注ぐと、火縄銃を構えた。
目の前で横隊を組んでいた味方槍兵がサッと左右に分かれ、道を開ける。
「進め!」の号令で、騎馬銃兵は一斉にギャロップに移った。
煙幕放出機が次々に発射する6発のロケット弾が杭州城の上を通過すると、回廊は白煙に覆われた。
「行くぞ!」と大声で、関仁が『胸壁』を越える。
153人のスコップ兵がそれに続いた。
手にしているのは、柳葉刀を鳥銃に縛り付けた”即席剣付鉄砲”である。
スコップ兵は吶喊を上げて、回廊を駆けた。
「こりゃあ確かにトンデモナイ!」
初めて耳にするロケット弾の飛翔音に、馬上の趙士超は快哉を叫んだ。
「音だけで相手が竦み上がるのも無理はない。」
「放つ音も激しいですが、落ちた所での爆発は更に凄まじいのです。」
並走する内藤監物も僅かに顔を綻ばせる。
「見物でございますよ。天空高く何もかもを吹き飛ばしてしまうのは!」
「しかし今回は、弾が爆ぜない工夫を施してあるのだろう?」
趙が疑問を口にする。「馬総軍監殿は城外まで兵を退かせて、城の中に噴進弾とやらを撃ち込んでもらった方が手っ取り早く勝ちを拾えたんじゃないのかね?」
「大将軍さまが縛りを掛けておられるので。」
と内藤が事情を説明する。「御蔵勢の力をアテにするな、と。」
「無駄な縛りだな。」と趙が切って捨てる。「唐王の――いや大将軍閣下の――意地や見栄のために、死なんでも済んだ味方の兵が命を落とす。」
そして「それでいて結局、力を借りる事になったのだから、後々厄介なことが起きねば良いが……。」と口をきつく結んだ。
騎馬銃兵はギャロップのまま、乱れが収まらない敵弓兵陣に次々と鳥銃を発砲する。
銃弾を放ちながら迫り来る騎兵を前に、被害続出の弓兵は統制された一斉射を放つことが叶わず、また弓兵陣の前に展開して槍衾を張るべき槍兵も呆然とした状態で、有効的な妨害を行なえないまま明石隊の接近を許した。
騎馬銃兵は発砲を終えた銃を鞍に戻し、ギラリと腰の刀を抜く。
そしてギャロップから襲歩へと一層馬速を速め、刃を煌めかせて斬り掛かった。
圧倒的な運動エネルギーに加え、硬質な倭刀の切れ味。血しぶきを上げて、弓兵の腕が、首が飛ぶ。
突入してひとしきり荒れ狂った騎兵がサッと左右に割れると、後に続いていた南明槍兵が敵を完膚なきまでに突き崩す。
この大路で清国弓兵陣(と、それをサポートする槍兵隊と)が殲滅された頃には、他の大路でも南明梯団の平押しが進行していた。
ロケット弾の推進音で空を見上げ、虚が来た清国兵は受け一方となり、前列が突き崩されると堪え切れずに隊ごと押されるままになっていたのだが……
更に6発の『死の女神の金切り声』が頭上をかすめたことで、最前線の清国兵全体が一切の秩序を失い、算を乱した本格的な逃走へと移行した。
城内が濛々とした白煙に包まれる中、後詰の清国兵は崩壊した前衛の集団暴走を凌ぐことも支えることも出来ず、津波に巻き込まれたように翻弄される。
清国兵の中にも、踏み止まって戦おうとした勇者は多くいたのだが、それはかえって事態を悪化させることに繋がった。
平静さを失った津波にも似た人流に、無理に竿を挿そうとするわけだから、”勇者”の周りには滞留が起き、マスとしてのエネルギーを制御出来ないままに人口密度が爆発的に上がる。
超過密状況で――なおも後ろからの圧力は増すばかりだから――始めは一人ふたりに起きた転倒に過ぎなくても、すぐに転倒が次の転倒者を誘発し、次から次へと圧死者が続出する『群衆雪崩』と呼ばれる惨事に拡大するのだ。
当然、群衆事故の主因となった”勇者”も雪崩からは逃げ切ることが出来ず、清国兵の退路にはあちらこちらで圧死者の塊が積み上がっていったのだった。
清国兵の中で『群衆雪崩』の惨事に巻き込まれずに済んだのは、腹を括って覚悟を決めるか、あるいは単に心底疲れ切ってしまっていて、武器を手放し戦場で座り込んだり寝転んでいた兵であった。
中には不幸にも槍で刺されてしまう者もいたが、大半はそのままに捨て置かれた。
攻める南明兵の方も疲れていないわけではなかったし、何より先を急いでいたからだ。
全力で駆け続けた関仁だったが、交戦するどころか敵の姿を見ることも無く、歩を緩めた。
「敵が居らん。」
「逃げちゃったんじゃないですかね。」
剣付鉄砲を構えた第一班長も同じく歩速を落とす。
「まあ、やる気が無くなってきているのは、分かってたし。」
なおも先に進むと、地上階へと降りる階段が有った。
しかし慌てた清国兵が転倒事故を起こしたのか、階段は死傷者で埋まっている。詰まっているのが死者ばかりでないのは、聞こえてくる呻き声からも明らかだった。
「ここからは、降りることも登って来ることも出来ませんね。」
と第一班長が言い、関仁は「先へ行こう。」と前進を促した。
銃を構えて歩き出すと、しばらくして『ぼふっ』という手榴弾の炸裂音が聞こえた。
配下の誰かが、階段の敵重傷者を痛みから救ってやったものらしい。
――城攻めの最中に、貴重な手榴弾ではあるのだが……。
関仁は手榴弾を使った者を咎める気分にはなれなかった。




