富春江第二次渡河作戦5
日暮れを迎えて、百道中尉は大発と装甲艇による渡河支援の一時中止を決めた。
交代要員無しの状況で朝から夕暮れまで作業を続けたのだから、兵に疲労の色が濃くなってきたからである。
また、紹興仮設滑走路の94式偵察機2機の搭乗員にも待機状態を解き、休息するよう命令を下した。
台州城包囲戦の時とは違って、滑走路に充分な照明を割くことが出来ないため夜間の離着陸は危険と判断したからだ。
その決断を福松将軍の伝令兵に告げたところ、伝令は『承知した。本日の協力に感謝する』との伝言を持ち帰ってきた。
「で、大将軍閣下は夜を徹して渡河を続けられるのかな?」
そう百道が伝令兵に訊ねると、伝令兵は
「福州・温州の水夫上がりの兵卒が多ございますから、艀の往来は一晩中行っても大丈夫でございます。」
と胸を張った。「寧波以降に我が軍に馳せ参じた者も、小舟を操るのには慣れておりますし。」
それに、と伝令兵は続けて「杭州側にあった舟も接収致しましたから、艀は今や200を超える数になりまして。」と艀群部隊の現状を述べた。
艀の数が倍増したとすると、一波あたりの輸送兵員数は3,000人。
――これは渡河が捗るな!
と百道は思ったが、同時に奇妙な感じもした。「どうして敵将は、杭州側の艀を焼き払ってしまわなかったのかな? 残しておけば、我らが使うのは目に見えているだろうに。」
百道が首を捻っているのを見て、伝令兵は僅かに笑うと
「水を吸った艀は、油でもかけない限り簡単には炭に出来ません。爆裂弾で簡単に木っ端微塵にしてしまえる御蔵様とは違うのです。」
と百道の”この時代の破壊技術に対する”認識不足を指摘した。「震天雷でも投げ込めば良うございましょうが、一個一個が手榴弾より重うございますし、導火線が湿ってしまえば立ち消えになってしまいましょう。鳥銃弾の穴くらいなら、楔を打ち込むなり板を当てがうなりして修理してしまえます。水夫どもは、そのような簡単な修繕には精通しておりまして。」
なるほど応急処置を施して使っているのか、と百道にも合点が行った。
「それでは自分も、今夜はシッカリ寝させてもらうとしようか。」
ここしばらくゲリラ砲撃の指揮を執っていたから、毎日短時間の仮眠ばかりで済ませている。「まる一晩、タップリとね。」
兵の補充と再編を終えた関仁は、配下のスコップ兵団に訓練の仕上げとして、紹興城外で集団戦闘の模擬戦を行わせた。
仮想敵として相手をしてくれたのは、張孟衡の白襷兵団。
共に渡河の順番が後回しだったから、関仁が張孟衡に頼み込んで実現した運びである。
塹壕とタコツボに潜り込んだスコップ兵に、突進してきた白襷兵は戸惑いを見せたが、白兵による乱戦状態に移行すると、長兵器と短兵器の長所を併せ持つ倭刀を多く携えた白襷兵が、重い上にリーチの短い剣を装備したスコップ兵を圧倒した。
スコップ兵団の中で白兵戦を比較的有効に戦えたのは、下級指揮官の判断で『鳥銃を棍棒として扱った班』『剣を捨てスコップを手に相手を迎え撃った班』、それに『銃が行きわたらずに手槍装備の班』という――関仁や張孟衡にしてみれば――少々意表を突かれる結果であった。
「良い演習でありましたな。穴に潜っておった貴公の兵が、銃に弾を込めておったなら、正面から攻めた我が方は撃ちすくめられて負けていたでありましょう。」
と張孟衡が評した。「土壁や土塁を築いて砦と化すに比べて、穴を地に穿つは、設営こそ簡単なれども堅さは勝るとも劣らず。これは良い勉強となった。鳥銃を多く集めたなら、野戦のやり方も変わって行くわけですな。」
対して関仁は「白襷兵の剽悍さ、流れるような戦運びに圧倒されました。」とスコップ兵団の負けを素直に認めた。
「それにまた、乱戦になれば剣は倭刀に及ばず、というのもハッキリしたように思います。聞けば御蔵では銃の先に銃剣というモノを取り付け、銃と手槍とを一体化させる技がある由。この先は、その工夫を取り入れねばなりますまい。」
「ふむ。直ぐに工夫を取り入れる姿勢こそ優れた将の証。関将軍の他に秀でた所です。」
と張孟衡は頷いた。「我が隊にも、その銃剣とやらを取り入れたいものだ。」
「出来るか出来ないか、顧炎武殿に持ち掛けてみましょう。」
と関仁は張孟衡に提案した。
「杭州攻めには間に合いますまいが、この先も戦は続くものなれば。」
「乗りますぞ。」と張孟衡は同意したが「されど軍師将軍の”頭越し”というわけには行きますまい。」と逸る関仁を窘めるのも忘れなかった。
この辺り、正規軍の軍人としてのキャリアが長い張孟衡と、匪賊あがりで新進の将である関仁との差であろう。
組織を動かすには――それがどれほど良い工夫であっても――独裁権を持つ絶対的なトップででもない限り順を踏まねば”要らぬ”軋轢を生むのである。
顧炎武は優秀だが大将軍とは距離を置く形となっている現在、福松の了承を得ずにそれを行なえば、唐王に対する福松の立場が悪くなる可能性が有る。
関仁は張孟衡の的確な忠告に礼を述べると
「それでは兵たちには食事と休息とを命じ、その後に軍師将軍のもとに向かいましょう。」
と、夕焼けの空を見上げた。
杭州城を望む馬得功軍の陣では、陣の周囲を警戒する兵以外は夕飯をかき込んでいる最中だった。
気付いたのは、城に最も近い場所に位置する部隊の警戒兵である。
彼は城の上に薄く棚引く霞のような物を見た。
その白が、赤い夕焼け空にどんどんと存在感を増してゆく。
「燃えておるぞ!」と彼は大声を上げた。
「清賊めは、杭州に火を放った!」
『李成棟が杭州城に火を放った』という噂は、直ぐに馬得功の元に伝わった。
かつて『嘉定屠城』をやってのけた李成棟である。
杭州の民の事など打ち捨てて、”退き際の駄賃”に杭州城を焼いても不思議は無い、と馬得功は確信した。
――何もせず黙って退去すれば、杭州の軍事物資は南明の手に陥ちる。
――杭州城に集積した糧秣や矢弾を焼き払ってしまえば、南明軍は紹興から”それら”を河を跨いで移動させざるを得ず、彼奴めが湖州で戦支度を進める時間が稼げると踏んだに違いなし!
紹興→杭州→湖州というルートなら、京杭大運河の水運で結ばれていると言っても、非動力船を使う場合は風向きなどの影響を大きく受ける。
物資集積地間の距離は、当然ながら短い方が良いのである。
杭州城の様子を調べさせたいが、まとめて送り出した騎馬偵察隊は城のぐるりを一回りでもしているものか、まだ戻らない。
「者ども、休息は終いだ!」
と馬得功は焦った。
李成棟に城を『焼き逃げ』でもされようものなら、杭州城攻めの大功は彼の指をすり抜け、大将軍から「なにをモタモタしておったのだ!」と責任を追及されるであろう。
「李成棟めは城に火を放って逃げた! 急ぎ城を抑えて火を消すぞ!」
この時、彼の頭からは『修理すれば使用可能な艀が杭州側に多数放置してあった』ことなど、すっかり抜け落ちていた。




