富春江第二次渡河作戦2
富春江 紹興側河岸に仮設した望楼の上で、大将軍(唐王)は満足気に眼下の軍団を見渡した。
南明兵は渡河順ごとに集結し、その列が遠く紹興の街にまで続いていた。
一方で第一波は万端に兵装チェックを済ませ、既に乗船を完了して出発の合図を待っている。
河岸のあちこちに見える騎馬の小部隊は、明石掃部の騎馬銃兵であろう。渡河作戦に邪魔が入らぬよう、敵挺身隊の浸透を警戒しているのだ。
白昼堂々の渡河である。こちらの攻勢意図を、さすがに清国側でも無視しきれないようで、杭州側にも軍旗が並びつつあるが、士気が低いのか動きは鈍い。
梯子を登ってきた伝令が
「用意、整いましてございます。」
と大将軍に告げた。
大将軍は鷹揚に頷くと、旗持ちに「掛かれ。」と命じた。
旗手はすかさず大旗を眼下に向けて打ち振った。
と、同時に鼓手が銅鑼を打ち鳴らす。
望楼に注目していた百道中尉は、旗が振られたのを確認して、信号弾ピストルで青弾を撃ち上げた。
装甲艇と大発とが、アイドリング状態からエンジン出力を上げる。
そして――150㎜6連装噴進弾砲『煙幕放出機(ネ―ベルヴェルファー)』が”バンシーの金切り声”を発した。
6連装×2基 計12発のロケット弾は噴出物を、直後黒煙、その後白煙に変えて河上を飛び越すと、集結しつつある清国兵団の上に殺到した。
爆炎と爆風、降り注ぐ土砂とか敵兵団を覆う。
次いで貨車山砲が75㎜榴弾の釣瓶撃ちを開始。装填手は排莢されると同時に直ぐに次弾を装填する。
ロケット弾着弾の爆煙が収まりきれない敵陣に、更に火柱が連続する。
百道は煙幕放出機に対して「再装填急げ!」を命じて、第一波渡河の成り行きを注視した。
突進する装甲艇の銃塔で、対岸に狙いを定めた機銃手は、覗視孔からの眺めに悪態を吐いた。「クソッ! 噴進弾の煙と爆発の土煙とで、何も見えやしねェ。」
「慌てるな。」と艇長が応じる。「敵さんからも、こちらは見えない。」
そして艇長は前部砲塔に対して「砲撃開始。探り撃ちで良い。」と命令を下した。
大発に乗船した南明兵は、頭上を飛翔するロケット弾の異音にすくみ上った。
第一波に選出されたくらいだから、肝の据わった命知らずの剽悍な兵ばかりで弱卒は弾かれていたのにも関わらず、御蔵勢の使う奇妙な大筒の異様さに怖気をふるったのだ。
これが、ここ数日のあいだ前線で御蔵勢と行動共にした明石隊や張孟衡の白襷兵であったのならば、『嘆きのミニー』の絶叫はむしろ心強く感じたのかも知れない。
けれど両隊は哨戒活動で体力を消耗してもいたわけだから、休養充分な馬得功指揮下の本軍の兵が最前線に出たのを不適切なチョイスであると非難するのも不当であろう。
彼らは上虞戦で粘り強い奮闘を見せた熟練であったし、その時に戦死を遂げた田雄の配下も編入されて雪辱を誓っていたのだから。
煙幕放出機の暴威に耳を塞いだのは大発の南明兵ばかりではなく、望楼上の大将軍も同様だった。
彼は信じられぬ思いで目を剥き、清国兵の上に立ち昇った巨大な土煙の壁に魅入って言葉も無かった。
大発が歩板下ろす時には、75㎜砲は射程を3㎞ほど先に延ばしていて河岸の土煙は治まっていた。
懸念された清国兵の抵抗は無く、槍兵や鳥銃兵は落ち着きを取り戻して続々と杭州側の地を踏んだ。
5隻の大発は、第二波を搭乗させるために岸を後にする。
ただし装甲艇は敵の逆襲に備えて、杭州側での遊弋を続けた。
この時までには艀から下船した兵も隊伍を整え、内陸に向けての前進を開始した。
『上陸第一波、内陸に向けて前進。敵の抵抗は皆無。』
装甲艇からの通信に、百道は「了解。引き続き警戒を。」と返答した。
――準備砲撃が功を奏したようだ。
ただし”皆無”というのに、何か引っかかりを覚えた。
相手の李成棟は智将だ。
百道中尉は、このまま杭州城が素直に白旗を掲げるとは考え辛い、と腕組みせざるを得なかった。
百道は伝令に「軍師将軍に伝言!」と命令した。直に今回の現場指揮官である馬得功に伝えることが出来ればよいのだが、言葉が通じないし面識もない。また明国語が出来る兵なり通辞を探す手間も惜しい。
日本語が通じる福松に託すしかなかった。
「敵に何らかの策あり。前進には警戒を要す。兵数がまとまるまでは橋頭保にて止まるのが良と考慮す。」
伝令が福松に要件を伝えた時には、既に馬得功は大発の上に居た。
準備砲撃の効果大とみて、直ぐに第二波の先頭へと割り込んでいたからである。
馬得功は「海塩既に陥落し、御蔵の砲にて杭州の兵の士気は地に落ちている。今一揉みすれば、杭州は熟柿のごとく落ちよう。」と、半ば手に入れたも同然の大功に逸っていたからだ。
福松は第三波での渡河を待つ騎兵に、馬将軍へとこれを伝えよ、と翻訳した百道からの忠告を託したが、百道の懸念は同様の物を福松も有していた。
ただ、今回の渡河作戦から先鋒軍が外されていたこともあって、自分の言葉として馬得功に言うのが、嫉妬から出たものであると馬得功に嗤われるのを憚り、口を重くしていたのである。
御蔵勢からの意見である、と名分が立つならば、妬心と疑われる心配は必要なくなる。
そのことが福松の腰を軽くしたのだ。
騎兵に伝言を託した後、福松は大将軍の望楼へと登った。
「申し上げます。御蔵勢の大将から、敵の動きに関する意見具申がございました。」
大将軍は上機嫌で「聴こう。」と応じた。
「李成棟めが音を上げた折、その処遇を如何せんという話ででもあろうか。御蔵の大筒、確かに凄まじき力よ。……まあ、苦しませずに首を落とすとでも伝えよ。それから杭州の富は応分に渡すと、な。」
「違いまする。」
大将軍とは付き合いが長い福松は、率直に出た。
「李成棟めは、何か策を弄しているという懸念にございます。」




