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通信傍受――海津丸通信室にて――

 「そろそろ始まりそうです。」

 オキモトはヘッドホンを外して首にかけ、音声出力をスピーカーへと切り替えた。」

「熊蔵が、声を潜めて本所に呼びかけました。」


 『……もぅし、もぅし。熊蔵でございます……』


 「ふむ、少佐殿と片山くんとが充分に距離を取ったと、熊蔵さんが判断したんだろうね。」

 早良は立ったまま通信室の壁に背を預けていたのだが、椅子を引くとオキモトの隣に座った。

「ずいぶんと慎重に間を空けたね。レコーダーは回してる?」


 『本所、でございます。ツノクマさま。』


 「なるほど、熊蔵さんの本姓はツノクマなのか。」

と早良が頷く。「周囲に”クマさん”と呼ばせているのは、咄嗟とっさの時でも対応に間違いが無いためだね。」


 『周囲に耳は?』とツノクマが問う。

 慇懃いんぎんさは消えて、上の者が下の者に対する口調だ。


 それに対して本所が『ございませぬ。』と応じた。

『御奉行や牛込らは別室にて審議を行っております。所内の小物らには、騒々しいと無線のさわりになる、と人払いを。』


 『よかろう。わしも無線機の前に一人きりじゃ。壁に耳ありなどと言うが、ここにはその壁すら無いからの。』

 ツノクマが満足そうな声を出す。

『その方とつなぎを付けるのには、千載一遇せんざいいちぐうの好機よな。』


 「まあ、聞いていないわけだから、無線が傍受可能とは知るよしも無いってところですね。」

 オキモトがヒュウと口笛を吹く。「海津丸が中継しなきゃ、直進性が高くて範囲が狭い無線電話じゃ、端島通信所と奉行所の間では通話が繋がらないんですけどね。」


 長崎湾は地形が複雑で、しかも周囲は山である。

 これが端島の高地と、奉行所から湾をまたいで稲佐山いなさやま山頂とを繋ぐというのであれば、大アンテナを伸ばすだけでも出力を上げれば通信可能なのかも知れないが、ともに高地に設営していない臨時通信施設同士の通話を可能にするためには、湾口に遊弋ゆうよくさせている海津丸(もしくは早瀬)を中継に噛ませないと電波が届かないのである。

 ツノクマも本所も、”無線電話とは遠くの者と会話が出来る便利な道具ツール”という認識でしか”教育”を受けていないので、内容が露見ろけんすることなど微塵みじんも疑わずに暗号や符号など用いることもなく、いわば『平文ひらぶん』での通話を続けているのだった。


 『それでは申し付ける。』

とツノクマが声を改める。

壱岐守いきのかみ様に、至急、御出馬を乞う、とふみしたためよ。』


 「ほう、やはり熊蔵さんの上司は中根平十郎なかねへいじゅうろうさんか!」

 早良が含み笑いを漏らす。「辣腕らつわん側用人そばようにんだ。当初の任務は、奉行所の監査だったんだろうけどね。」


 海外貿易・情報収集の窓口である長崎には、いろいろと誘惑も多い。

 密航や密貿易を警戒して幕府の直轄領となっているわけだが、木乃伊みいら取りが木乃伊にならぬよう、奉行所に対しても警戒を怠っていないのは当初から予想されていた事だ。


 『長崎に姿を見せたる御蔵勢のかしらは、奥村ていとくと申すものなり。性、豪気ごうきにして目端めはしは鋭きも、人を信じ容易に慣れさしむるを見れば、ぎょやすし。』


 「これ聴いたら、少佐殿はオカンムリになりゃしませんか? いや喜ぶのかな。」

 オキモトは込み上げてくる笑いを抑えきれない様子だ。

「少佐殿が狙った通りの”設定”ではあるんですけどね。」


 「まあ、それでも熊蔵さんが隠密であることが確定したんだから、一つ安心材料は増えたよ。」

 早良がポケットから取り出したハンカチで眼鏡のレンズを拭く。


 早良のいう安心材料とは”熊蔵は隠密である可能性が高いが、カルト側の密偵である可能性もゼロではない”という懸念のうち”カルト化した旧龍造寺派”の人間ではないのがハッキリしたからだ。

 だから”熊蔵=ツノクマ氏”への対応は『江戸幕府・側用人派閥』への工作そのもである、とだけ考えておけばよい。

 三代将軍 家光の周りでは、『老中派閥』の知恵伊豆(松平伊豆守信綱)と『側用人派閥』の中根平十郎(中根壱岐守正盛)とがしのぎを削っている。

 この二大派閥の内の『側用人派』には、取っ掛かり(もしくは足掛かり)が出来たというわけである。

 それだけに、”熊蔵”に誰を対応させるか、という事が大きな問題であったのだが、”トッポイ書生の片山くん”が期待にたがわず見事に”やってのけた”ということになる。


 本所が書き留めるのを待って、熊蔵の報告は続く。

 『御蔵勢の持ちたる船・鉄砲・医術は、南蛮をも遥かに凌ぐ凄まじさで、また飛行機と呼ぶ空を駆ける小早こばやを有し、その飛行機なる小早からは、焙烙ほうろくを投げ落とすことも可也。』

 『仮に御蔵の勢と事を構えること有らば、旗本八万騎にて十重二十重とえはたえに江戸城を守らんとすれども、すべも無く落城の憂き目のあやうき事、疑うべくもなし。』

 『されど御蔵の勢は、天朝の臣であると称しおり、御公儀と敵対する気配は微塵みじんも見せず。民のためにと市井しせいに井戸など掘りおる様子にて。』

 『かくなる上は、上様に言上ごんじょうして、伊豆守より先に京と長崎へと然るべき者を使わし、御蔵勢とのよしみを結ぶが上策なりと考える次第にて。』


 「手練てだれの隠密相手に、よくもまあ! 思ったより早く、事態が動きそうですね。」

とオキモトがつぶやく。「片山君の大殊勲だ。」

 そしてニヤリとすると「彼って、見た目以上に詐欺漢さぎかんの才が横溢おういつしてるんじゃないですか?」と早良に振る。


 「無能な善人でないことは、断言するよ。」と早良も微笑む。

「我々と合流した当日に既に、電算室が盗聴されている可能性を勘付いていたんだからね。……しかもその上で、大胆な発言をわざと平気てノホホンとしゃべる度胸もあるわけだし。」


 スピーカーからは『言うまでもないことだが、江戸へ使いする者の人選には慎重を期するよう。……人が来る。通信終わり。』と熊蔵の声が流れた後、あちらのマイクは

『おおい熊蔵さぁん! 長崎からの通信は有ったかね?!』

という奥村少佐の遠くからの呼び声を拾った。

 それに対して『いいえェ! まだ、ございませぬ!』と熊蔵が叫び返す。


 「『ごぜェやせん』ではなくて『ございませぬ』と言ってしまいましたね。焦ったのかな?」

とオキモトが首を振る。「自分の部下なら減点対象です。」

 

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