カヤキ25 続・クマさんに脇差の稽古を付けてもらう件
クマさんに20本ほど「マイッタ!」を献上したころには、日が暮れて足元が見えにくくなってきていた。
午後も遅くになってから始めた剣術基礎練習だから、日が長い時期だとは言っても夜の帳が降りかかっていたわけだ。
クマさんは「暗くなってきやしたね。」と夕焼けが残った空を見上げたが、今日はここまで、と切り上げるのではなく
「丁度いい頃合いになりました。そろそろ今度は目ン玉剥いて爪先見るばかりに頼らず、相手の影で気配を感ずるよう、気張ってみて頂きやしょう。影で相手を視るにゃあ、お日様が高い頃合いよりも、この黄昏時の方が、かえって見易いモンですからね。」
と言い出した。「修さんは――失礼な物言いかも知れやせんが――アッシが思っていたよりは、余程筋が良いようで。」
僕は転移に巻き込まれるまで、武道とかには(学校の体育の時間を除いては)近寄りもしていなかったのだけど、新兵訓練以降、射撃演習とか陣地構築・強襲演習とか身体を動かす機会が多くなっていたから、少しは『勘』というヤツが知らず知らずの内に身に付き始めていたのかも知れない。
けれどもクマさんの踏み込みに後ろ跳びで対応できたのは、25本くらいの練習試合の内の僅か5本に過ぎず、それもクマさんが相当手を抜いてというか、シロウト相手にかなりアカラサマに爪先で飛び込んで来る気配を発してのモノなわけだから、勘を掴んだと言うには余りに遠い。
まあ達人クマさんとしては、褒めて伸ばすしか無い、って段階にしか僕はいないってことなんだろうけど。
「影で気配を捉えるって、どういう感じなんでしょうか?」
と、半身になって腰を落とし、薪雑把を左手一本で構えたまま問うてみると、クマさんは
「う~ん……、実際に見てもらったら一目瞭然なんで、説明抜きで試して頂きたかったんでございますが」
と笑って「しかし頭デッカチの修さんにゃあ、口で言うほうが、かえって早いかね。」と手にした薪雑把を上段に構えてみせる。
「ね、こっからズイと踏み出そうとするならば、受ける側からすれば、相手の人影は不意に大きく映りやしょう。修さんの場合は、踏み込みを小太刀で受けてから逆に相手を叩ッ切るというんじゃないんですから、影が大きくなったと見たら、直ぐに右か左かの斜め後ろに跳んでしまえば躱せるってワケで。」
続いて彼は、今度は中段に構えると
「こっから短い小太刀で『突き』に出ようと思えば、飛び掛かる前には、脇を締めてやや膝を曲げ、腰を落とすってェ寸法ですから、相手の人影はギュッと締まって、心持ち低く見えやす。」
なるほど、攻撃の前段階で人影の”見た目”に変化が現れるってことか。
「殺気なんてモンはね、よく”空気がピリピリして殺気を感じる”なんて言いやすが、アッシゃあアレは迷信だと思っていやす。ホントの事を言えば『鳥や虫が鳴くのを急に止めた』とか『どこからか誰ぞの身体の臭いが僅かに漂ってきた』とか、あるいは『枯れ葉や小枝が踏み折られて小さな音を出した』とか、神経を研ぎ澄ますことで、どっかに隠れてやがるヒトの気配を感ずる、それを神がかりに祀り上げて”殺気”と称しているんでやしょう。」
クマさんはそう言うと「だから剣捌きがどうこうよりも、五感を高めて目を耳を鼻を最大に活かすことが、”敵”の気配や”動き”の変化を感ずるのには必要なんでやすよ。観察眼、ってェんでしたかね。刃物を手にした輩ァ相手にするにも同じで、神経を澄ませていやぁ『コイツ、来やがるな』てえ瞬間がフッと判るモンなんです。まあ鍛錬次第ってトコは有りましょうがね。」と話を切ると、そのタイミングで急に突きを入れてきた。
だが僕は、クマさんの不意打ちを、難無く躱す事に成功した。
左手の薪雑把を前に突き出したまま、身体ごと左斜め後ろに跳ね、同時に右手で94式拳銃を抜いていたのだ。
「お見事。」
とクマさんは笑い「その呼吸です。」と”剣”を収めた。
「クマさんの誘導に乗せられました。」
と僕も拳銃をホルスターに戻す。
「説明の言葉に集中していましたからね。『目を耳を鼻を』という部分で、自然にその部位を”解放”出来ていたんです。『頭デッカチの修さんにゃあ、口で言う方が』という御見立ての通りでした。やはりクマさんは、御師匠としても抜群の腕をお持ちだ、と感服しました。」
「買いかぶりってヤツですよ。」とクマさんは言うと
「それでも短筒を突き付けられた時にゃあ、ヒヤッとしやした。鉄砲ってえのは、やはり剣呑なモンですな。」
「あ?! ああ……これですか。」
と僕は94式拳銃の遊底を引いて撃鉄を起こすと、空に向けて引金を引いた。
カチッという空撃ちの音がして、弾が装填されていなかった事を示す。
「弾は込めていないんですよ。空砲でも有れば別なんですが、書生が持ってるには実弾入りはアブナイですから。竹光と同じで、見掛け倒しなんです。」
するとクマさんは、うーむ、と唸って
「空鉄砲なんですかぃ?」
と心配そうな声を出した。
「寺に得体の知れねェ助っ人が呼ばれて来るって耳にしてますぜ。修さんは身に寸鉄も帯びていねぇし、短筒にゃあ弾くらい込めておきなせェ。」
「宿直のお侍さんも詰めていてくれるんで大丈夫でしょう。」
と僕は答える。「実弾入りの拳銃を、僕が手にしている方が、他の皆さんに対して危険でしょうからね。」
「暢気なモンだね、修さんは。」
とクマさんは、さも呆れたという声を出した。
「寺に一人でポツネンとしている修さんの身に、仮に何か遭って御覧なせェ。怒り狂った”みってる様”が、長崎を丸焼きにしてしまわねぇとも限らねェじゃありやせんか。」
「ちょっと刺されたり切られたりしたくらいなら、大丈夫ですよ。医者の伊能先生が『心ノ臓を抉られるか、首を落とされるかしない限り、なんとかしてやる』って太鼓判を押してくれてますからね。先生は深手を負った怪我人が出ないので退屈しているみたいなんです。ミッテル様も、僕が死にでもしない限り、笑って済ませちゃうでしょう。……ああ、僕は『この未熟者が!』って怒られるのは間違い無いでしょうけどね。」
こんな風に練習後の感想戦をやっていたら、山門をくぐって久兵衛くんが顔を出した。
今日の医師見習い実習は終わったらしい。
彼は伊能先生の付き人をやっていて、宿は早瀬の船室に移しているのだけど、夜学の時間には律儀に顔を出しに来る。
「おや? まだ洋灯に火も入れてないじゃないですか。そろそろ皆さん集まって来る時分ですよ。」
「いけない」と僕は足を洗うために井戸端に向かった。「久兵衛くんゴメン。本堂に明かりを入れておいて!」
「じゃあアッシは、夜食の握り飯でもこさえましょうかね。」
とクマさんも庫裏に走る。
今夜はアラビア数字を使った一次方程式を講義する予定だ。
黒板が来たから聴衆には、グラフをプロットして、目に見える形で理解してもらうことが可能になった。
単位も、町・里とメートル・キロメートル併記、刻と分・時の併記、匁とグラムの併記をして、計算方法だけでなく『度量衡の単位』にも新基準に慣れてもらう必要がある。
こっちはこっちで、手を抜けない仕事ではあるのだ。




