カヤキ22 寺男代理の熊蔵さんが隠密かどうかを疑う件
「えーと、熊蔵さん。洋灯の手入れなんですけど、火屋を外してから中を布で拭って、煤を落とすんです。」
火屋というのは、燃焼部分を覆うガラスの筒だ。
本体から取り外さない限り、筒の内側をキレイに磨くのは難しい。
熊蔵さんは「なるほど! 工夫があるもんだ。片山さまの仰ることは、いちいちタメになりやす。」と大仰に合点した。
「どうしたもんかと、頭ァ捻っていたところでして。」
熊蔵さんは、長崎奉行所から寺男の代行として派遣されてきた人物。
調役下役の本所さん付き中間という触れ込みだ。江戸の御屋敷でも殿(本所さん)の奴をしているのだとか。長崎には荷物持ちとしてやってきたらしい。
もっとも、こちら側としては彼の自己申告を額面通りに受け取っているわけではない。
彼の差料である長脇差は、僕のような全くの弩シロウトが見ても『抜けば玉散る氷の刃』とでも言いたくなるような、手入れの行き届いた業物で、何と言うか”やっとう”に嗜みが無い人物が持つ物だとは思えない。
だから僕は彼のことを、奉行所付きの(あるいは奉行所を監視する役割の)”お目付け役”なのだろう、と踏んでいるし、それならばそれも好都合だと考えている。
幕府に『御庭番』が出来たのは八代将軍 吉宗の時だから、今の三代 家光の時代ならば『公儀隠密』ってヤツだね。
頭にあたるのは側用人(御側)の中根壱岐守正盛(中根平十郎)って事になるだろう。
どの道、江戸からは調査団が送られてくるのだから、済ませておくべき『身体検査』は、早めに”やっちゃってもらおう”という気分なんである。
探り合い系の非生産的交渉活動はこの辺でオシマイにして、資源開発や殖産興業に取り掛かる段取りの緒端を付ける仕事にまで早いトコ先に進みたい、というのが本音だ。
別に投げやりになっているとか云うのではなく、島のお寺で熊蔵さん相手に洋灯への油の差し方とか、燐寸の取り扱いとか、缶詰の開け方なんかばかり解説している自分に疲れてきたような、妙な焦燥感が有るって言っても良いのかもしれない。
いや、ホントに熊蔵さんが想像通りに幕府直属の情報将校であるのだとしたら”心置きなく”コッチ側から仕掛けても良いくらいの勢いなのだけど、万が一、全然関係の無い善意の第三者(いやその場合は本所さんの中間職ではあるんだろうけどね)という場合、隠密として遇したら妙チクリンな『勘違いコント』になってしまう訳でしょ?
その辺りのアプローチの匙加減が難しいってワケで……。
これはヤッパリ、岸峰さんが遠く御蔵島にまで行ってしまっているというのが効いて来ているのかも知れない。
何のかんの言っても、恥ずかしながら僕は彼女の前の方が頑張りが利くんだ。
圧倒的に信頼を置ける同志であり、且つ気になる異性でもある彼女が居ないと、カロリーは足りていてもビタミンが不足しているというような気が、ね。
熊蔵さんは「へいっ! これでキレイになりやした。」とピカピカに磨き上げた火屋を日差しに透かして
「片山様、どうかなさいましたんで?」
と僕の顔をジイッと覗き込んだ。
「心、ここに在らずといった、顔をなさっておいでですが。」
僕は「あ、はい。」と我に返ると「熊蔵さんから”片山様”って呼ばれるのが気になりましてね。」と誤魔化した。
「”片山様”は止めて下さいよ。熊蔵さんの方が年長じゃありませんか。僕は部屋住みの書生なんです。長幼の序アリってことで、修一で結構ですよ。」
すると熊蔵さんは
「エエッ! こりゃ困ったな。本来なら片山さまはコチトラなんかとは身分違いってモンで、そんな風なワケにゃいかないんでやすが……」
と大いに当惑した様子を見せて
「そいじゃ行きますよ? ……おうシュウイチ……いやシュウイッツァン……」
と迷いに迷った挙句
「どうにも上手く行きやせん。修さんで御勘弁を。」
と頭を掻いた。
「その代わり、と言っちゃあナンでございますが、アッシの事は『クマ』って呼び捨てで!」
「ここはお互い妥協点が必要ですね。分かりました。」
と僕も頷く。「シュウさん・クマさん、で行きましょう。」
その後、僕は「道路工事に行ってきます!」とクマさんに断わりを入れ、クマさんは
「ヘイ! お気張りなすって。アッシは御住職から言付かった掃除洗濯に薪割なんぞを済ませておきやす。」
と別れた。
僕が工事現場近くの松林の中で、オキモト少尉殿からM1908の射撃レッスンを受けていると、古狸の武富さんが姿を見せた。
「やあシュウイチくん、極小短筒の扱いは、少しは上達しておるのか?」
僕が「まだまだ、ですね。反動は気にならないのですが、銃身が短いから狙いを定め辛くて。」と言うと、古狸氏は「尻腰の鍛え方が足らんのじゃろ。」と笑った。
「腰が定まっていないから、上体がぶれる。」
するとオキモト少尉殿も
「さすが、お武家の目。」
と武富さんの見立てに同意した。
「ベストポケットを持った腕の脇を締めるのに頭が向かい過ぎて、そのぶん腰が揺れてるよ。全身のバランスが崩れるんだな。」
僕としては「なるほど。」と言わざるを得ない。
「どうするのが早道でしょうか?」
武富さんは「鍛錬、あるのみ。」と厳しく纏めたが
「あの熊蔵なる男に、木刀で剣術の稽古をつけてもらうのも良かろうよ。」
とニヤリと笑った。
「剣術を究めれば、身体の動かし方も滑らかになるものであるからな。」
オキモト少尉殿は、へえ、と微笑んで
「出来る人物、ですか。」
と武富さんに訊いた。
武富さんもニンマリと笑って
「薪割するのをチラと眺めてきたが、鉞を剣に持ち替えてもナカナカであろう。」
と評価した。「拙者なぞは、到底及ばぬ腕の持ち主、と見た。今も番所の者に、それとなく見張らせておるよ。」
「じゃ、ほぼ間違いナシ?」
と、僕は確認の質問を入れたが、武富さんは
「十中八九は。だが、まだ分からぬ。」
と”クマさん隠密説”を保留。
「中間、奴と云えども、剣術好きは居る。腕に磨きをかけておれば、思わぬ道が開けんとも分からんからな。」
それを聞いて少尉殿は
「じゃあ片山くんは、彼に剣術の稽古をつけてもらうとしようか。ベストポケットの扱いにも役立ちそうだし。」
と提案してきた。
「それと早い内に、熊蔵さんに無線機の操作を教えてあげて欲しいね。少なくとも、無線電話を受ける事が出来るようになるくらいには。」
そして「是非、電話に出てもらいたいからね!」とウインクした。




