弘光帝の南征?(13)
凪を待つ間、藤左ヱ門の一行は南竿島に分宿することとなった。
藤左ヱ門ら幹部は皇帝が居住する南安伯館に招かれ、それ以外の水夫は施琅の館や海賊屋敷に泊めてもらう。
藤左ヱ門は手土産として、それぞれに鯨ベーコン・イワシ缶詰・ソーダ割焼酎・洋ローソクとカンテラ・燐寸などを持たせた。
それ以外に、南安伯館へは洋灯とCレーションの箱も持参する。
どれもこれも呂宋のイスパニア総督や修道会への工作用の土産として船に積んでいたものの一部だが、弘光帝への貢物として用いても”珍宝・珍味”として明国に産する物品に見劣りしないだろうという思いからである。
ある意味、真の値打ちが判らない人物に贈るのであれば見た目の地味さから単なる雑品扱いを受けそうな品であるが、弘光帝や礼部尚書ならば真価を見抜くと踏んだのだ。
藤左ヱ門が洋灯に火を灯すと、広間で寛いでいた皇帝が
「オオ!」
と驚きの声を上げた。
蝋燭や灯明の発する光に比べて、遥かに明るく、かつ広い範囲を照らしたからだ。
折りしも外では強い風が吹き荒れている。
豪奢な造りの南安伯館であっても、どこからか吹き込む隙間風によって、裸火は揺らいだり吹き消されたりしがちであった。
この時、弘光帝は例によって木綿の単衣というラフな恰好であったから、ひょいと席を立ってスタスタと洋灯の近くに歩み寄り
「これが御蔵の明かりか。」
と唸った。「御蔵の里は、文字通りの不夜城であるのだな。なんと明るく美しいことよ。」
藤左ヱ門は「畏れ多いことでございます。」と慌てて跪いた。
「これはランプという器具でございます。舟山には早、民の家々にも広まっており申す。」
「民の家にもか!」と皇帝は驚きを隠せなかった。
「明では応天府の宮殿の中ですら、裸火を灯して明かりとするより他ないというのに。」
「それに加えて」と跪いたまま藤左ヱ門は続ける。
「御蔵の里にては、このランプですら旧式の照明。明かりを灯すのに、火は使いませぬ。」
「火を使わぬ?」
横から口を挿んだのは礼部尚書の黄道周だった。
「いかようにして、光を得るのか?」
「雷の気によりて。」
と藤左ヱ門は懐から懐中電灯を取り出して、思わす思い出し笑いを漏らした。
――ああ、この遣り取りは、初めて北門島で片山少年と交わしたものであったな!
そしてスイッチをオンに入れると
「お触り下さいませ。手が焼けるようなことはございません。」
と礼部尚書に手渡す。
黄道周は眩い光にたじろいだが、勇を鼓して懐中電灯を握った。
「なるほど。少しも熱くない。この世には、かような光もあるというのか。」
興味深々なのは皇帝で
「これ、我にも持たせよ!」
と黄尚書から懐中電灯を奪い、広間のあちこちに向けた。「マコト不可思議ナル技ナランヤ!」
嵐は一晩で通り過ぎたが、藤左ヱ門の船団は直ぐに出航することは叶わなかった。
船に多少の損傷があって、修理する時間が必要だったのもあるが、それ以上に皇帝が御蔵の里の不思議さに魅せられて、藤左ヱ門を手放したがらなかったからだ。
そのため藤左ヱ門は、修理を部下や施琅の船大工に託して、自分は皇帝の御伽衆のように『電気とは何か』『潮の満ち引き・大潮小潮はなぜ生じるのか』『台風は天地の怒りではなく、気圧の差によって起きる』などの物理や化学の理を講義する破目に陥った。
内容的には片山少年や加山少佐、それに早良中尉から手ほどきを受けたことのある知識ばかりであったので、多少戸惑うことはあっても無難に役割をこなすことが出来た。
それに『分からぬ事は分からぬと言ったほうがよい、いや半可通せず、分からぬとハッキリ言い切ってよい』という片山流を踏襲することによって、切れ者の礼部尚書からも厚い信用を勝ち得ることとなった。
その様にして数日が過ぎた頃、島の山頂の見張り台から
「巨船が近づきつつあり。」
と伝令が息せき切って駆け下りてきたのだった。




