春に降る雪
「柴田さ~ん」
久しぶりに聞く元気で大きな声に看護師の柴田さんは振り向いた。
「久しぶりね、大樹君♪この頃全然来なかったから風邪でもひいたかと思って心配してたのよ」
向かい合うために柴田さんが膝を折ってしゃがむと少年は息を切らして、その場で駆け足をしていた。ランドセルを背負う少年の手には何か白いビニール袋を持っていた。
「オレは元気!そんなのいいからさ、春日に伝えてほしいことがあるんだ」
「春日ちゃんの所に行かないの?」
「後で行く!だからさぁ春日に“今から雪降らせるから窓見とけ”って、伝えてよ!」
それだけ言うと少年は全速力で柴田さんの前を通り過ぎていった。
「…春に雪?」
不思議そうに呟いた柴田さんだったがとりあえず少女の病室に向かった。クリーム色の扉を開けると、ベッドに座った少女が退屈そうに唇をへの字に曲げていた。
「…柴田さん」
「気分はどう?今ね、そこのナースステーションに大樹君が来てたの」
その言葉に少女は目を見開き、柴田さんに駆け寄った。
「大ちゃんが来てたの?まだ近くにいる?あたし、大ちゃんにあやまらなきゃ!」
目に涙を溜めながら必死に柴田さんを見つめる少女に、柴田さんは静かに言った。
「その大樹君がね、春日ちゃんに“雪を降らせるから窓を見ていてほしい”って。私に言いにきたわ」
その言葉に、少女は凍りついたように固まった。柴田さんはティッシュペーパーを手に取り、涙で濡れた頬を優しく拭いた。震える肩にそっと手を置き、少女を窓の近くまで連れて行った。
「…春ちゃん、ちゃんと見てよう。大樹君きっと春ちゃんのために雪を降らせてくれるんでしょ?」
窓を見つめた少女の肩が再び震えだした。そうして少女は、小さな声で、ポロポロと話し出した。
「…雪、大好きなの。いつも雪が降ると嬉しくて外に出て、入院しちゃうんだけど…大ちゃんがね、雪だるま見せに来てくれるの」
その話を聞いた柴田さんは、とても優しい気持ちで、少女を後ろから抱きすくめた。その時、二人の目の前にある窓から、チラチラと白いものが見えた。
「…雪だ!柴田さん雪が降ってる!」
小さな手が、柴田さんの服を引っ張る。その顔は今まで見たこともない花が咲いたような笑顔だった。
「春ちゃん、雪だ!雪が降ってる!大樹君が降らせてくれたんだ」
嬉しさのあまり抱き合う二人の目の前の窓からは、小さな三角形の白い紙がヒラヒラと舞い踊っていた。光の角度によって、キラキラと輝くそれは春に降る雪だった。
雪が全て降り終わっても、二人の興奮は収まらなかった。そうしている間に少女の病室のクリーム色の扉が開いた。
「…大ちゃん、ごめんね、ごめんねあたし、ワガママ言って」
涙を頬に伝わせながら少年に近づく少女の肩を掴み、少年は今までで一番頼もしい笑顔を見せて言った。
「雪、見ただろう?オレちゃんと約束守ったから、春日もちゃんと守れ」
未だに涙を止められないでいる少女に、少年はもう一度強く、少女の肩をつかんで続ける。
「いいか春日、ワガママだったらいくらでも聞いてやる!だから春日はしっかり病気治せ!それは春日にしか出来ないから」
何度も何度も、大きく首を縦に振ってうなづく少女を小さな体で抱きしめた少年が、柴田さんにはとても頼もしく見えて、笑った。
「…大ちゃんったら、カッコいいんだから」
少年の後からそっとクリーム色の扉を開けて中に入ってきた西田先生と桜田先生は二人揃って少年と同じビニール袋を持って、少年たちの姿を見ながら優しく微笑んでいた。
「…っとゆーわけで、明日から冬休みに入るんだけど、皆夜更かしなんかしないように」
十二月。三年一組の教室では、担任の西田先生が寒さにも負けず、白い歯と明るい笑顔で生徒達に話していた。生徒達は楽しい冬休み、これから始まる数々のイベントに胸を躍らせ、興奮しながら話を聞いていた。
冬休みという期間を経て、この子達にはどんな楽しいイベントが待っているのかしら。どんな成長を見せてくれるのかしら。次に会うときはどんな顔をみせてくれるのかしら。期待に胸を膨らませていた西田先生だったが、次の瞬間、先生の楽しい思考はまたもやこの生徒によって一時停止された。
「あ、ヤベェオレ行かなきゃ!」
ガタッという音と共に立ち上がると、少年はランドセルをひっつかんで立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと大樹君、まだ先生の話が終わってないでしょ?」
少年が扉に立ったところで西田先生は少年のランドセルをつかみ、先生の方を向かせて言った。子供と話すとき彼等と同じ目線でものを見ようとする先生は今でもちゃんと膝を曲げ、少年と目を合わせて言い聞かせる。
「センセ、オレどうしても急いでるんだ!ちゃんと後で掃除するからさ」
西田先生の目をしっかり見据えて言った少年は次の瞬間するりと先生をすり抜けた、と思ったが先生はもう一度少年の肩をつかんだ。
「お願いだよ先生。オレを信じて」
そう言う少年の真剣な目を見て、先生はため息をついてしまった。そうして優しい顔をしてゆっくり言った。
「…全く、大樹君にはかなわないわね。行ってらっしゃい」
その言葉を聞くと少年は大急ぎで廊下を走り、校舎を出た。外を出ると、辺りは真っ白な雪で覆われていた。少年は嬉しそうに雪を見ると、飛び掛った。
「よし、みてろよ春日…」
少年は小さな手で、雪をすくいあげた。
「春日ー!」
クリーム色の扉を開けると呼びなれた名前を呼んだ。その声に応えて奥の白いベッドから明るい声がする。
「大ちゃん!」
「…ほら見ろ春日!雪だるま♪」
嬉しそうに言う少年の手には小さな雪だるまがチョコンと置かれていた。よく見ると少年の手は真っ赤になっていた。
「ありがとう、大ちゃん」
「全くさ、退院したかと思ったら雪にまみれてゼンソクひきおこすなんて」
「…ごめんね、でもあたし大ちゃんが来てくれて嬉しいよ♪」
そう言うと少女は頬を桜色に染めて微笑んだ。少女の手に渡された、溶けかけの小さな雪だるまがニッコリと微笑んで二人を見上げていた。
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これで「春に降る雪」完結になります。
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