第3話 出会い ③
「うーん……こう、かな……………」
萌絵子は眉間にしわを作ったり、片眉をつり上げたりしながらスケッチブックを睨み、拙い手つきで鉛筆を動かしていた。
部屋のドアがノックされる。ちょうど手を止めたところだった。
「誰? 何?」
八つ当たりのような短い言葉で尋ねる。
「もーちゃん、――うわ、暗いっ」
妹が部屋の中に入ってすぐに電気をつけた。LEDの白い光の中現れたのは妹のアキだった。
「おかーさんカンカンだよ?」
「え? なんで。今日は真っすぐに帰ってるのに!……え、てかお母さん帰ってきてるの!?」
二度驚いた萌絵子はスマホの画面を確認する。
気が付いたら18時を回っていた。家に帰ったのが16時だったのでかれこれ2時間も経っていたのだ。
「全然気づかなかった……」
まだ夏の気配が残る窓の向こうでは、夕陽がようやく沈み始めていた。
そんな彼女の手元にはルーズリーフ1枚と鉛筆が転がっている。
何度も消しては描いてを繰り返しているのだろう、紙の表面は毛羽立っていて、端っこは黒ずんでいた。
「おふろってよんでるのにおへんじしないからだよ。あと5びょーいないにおりてこないと明日からばんごはんブロッコリーとささみだけにするって」
「あと5秒っていつから始まってんのそれ!? そんなマッスルクリエーターみたいなの嫌! 待って待って」
あれから2日経ったが、萌絵子は家にいる時間のほとんどを絵を描くことに費やしていた。
いったいどれほどの大作を手掛けているのだろうか……。もし彼女のことを観察している者が居たとしたらそう勘ぐられるかもしれない。
だが、実際は初日からほとんど進んでいない。
描いては消して、描いては消してを繰り返す日々。
あまりにも紙が汚くなったものだから紙の消費だけはしている。その枚数ははや十枚目となっている。丸められたルーズリーフたちが机の周りに散らかっていた。
頭の中には完成形がある。
笑っているモル太の姿が。
その通りに紙に線を引けばいいだけ。
なのに――それができない。
「えー!? 目が大きすぎなんですけど!」
「なんで? 耳ちっさ! バランス悪っ!」
「え、後ろ脚ってどんな感じだったっけ……ちょ、資料しりょ……………きゃわあああああああああおえっげほっ!!」
資料を確認する度に、つい1話……3話……とアニメを観てしまうのも時間がかかっている理由でもあった。
「私下手過ぎる! もおおおおおお! 指か!? 私の手がでかくて不器用過ぎるのか!? あーもうネイル邪魔。取っちゃおうかな……つーかえんぴつってこんな細かった!? ネイルのことも考えろっつーの。優しくあれ! もう取っちゃうか? あー! でもこの前買った——」
ドン!!
萌絵子の部屋は勉強机に向かうと、弟の部屋と接する壁に向かうことになる。
「ひいいっ! 思春期の弟の壁ドン怖いっ!」
被害者然とした物言いだが、夜中の1時に叫ばれては壁ドンのひとつもしたくなるのだろう。
――ちなみに弟の寿人の方はというと……。
「何が怖いだよ。夜中に叫んでる姉の方がよっぽど怖いっての……」
……ということだそうだ。世間一般のいわゆる弟という立場にある人たちなら共感するのかもしれない。
もちろん、母にも目をつけられているが、母は勉強していると思っているので、怒ってくることはそうなかった。
そうした数多の困難(?)を乗り越えて、さらに数日後——。
「で、できた!」
1週間ほどで萌絵子の絵はようやく1枚だけ、完成した。
「……た、多分」
自分としては、多分結構上手に描けてる方。と、思う。
最初に描いた時より全然、良い感じ。
SNSの神様たちとは全然、比べ物になんないけど、でも……まぁ、満足できたかな。
ていうか、描いてる時、なんかめちゃくちゃ楽しかったし。
だから……。うん。描いてよかったし。
描き終えたのは深夜2時。
BGMとして流していた邦楽はもう1時間以上も前に終わりを迎えていた。
「と……投稿、してみよっか……」
——え……いやでも待って。
は?え、結構怖いこと言ってる、私?
じ、自分の描いた絵を、SNSで発信……? 全世界に?
いや、ちょっ、それはさすがに勘違いだわ。
クソコメみたいなのばっかきちゃうかもだし。
私の絵なんて所詮…………。
…………いや。自分で自分の描いた絵をけなしてどうすんのさ。
そりゃあもちろん、神絵師さんとかに比べたら全然だと思うって言うか全然地獄の一丁目だけど。
私の描いた絵を見てさ、誰か一人くらいでも喜んでくれたら私も嬉しいし。
ていうか、この『モエ門(サブ垢名)』だったら全然フォロワーもいないんだから、まぁ誰にも気づかれないっしょ。お気楽お気楽。なははは……。
……………………。
と、指先を震わせ、心臓がバクバクなっているのが胸の内側から頭の中に聞こえていながらも、イラストを写真に収めた。
タグをつけると、簡素なキャプションを一文したためる。その辺りは普段のSNSと変らない。
『初めてかいた』
気の利いた文言を考えられない。誰に急き立てられているわけでもないのに頭が真っ白になる。
以前SNS上で偶然見かけたものを流用しただけ。その人のアカウントはそれ以来見ていない。
世界が刹那であることを思い出し、萌絵子は一つ息を吐いた。
そして今、小刻みに揺れる指先で画面上のボタンをタップする。
情けを知らないアプリソフトはすぐにも処理をし、『投稿しました』と告げた。
賽は投げられた。いくら素早く画面を閉じ、スリープにしたところで、もう手遅れだ。
暗くなった画面に映った萌絵子の顔には引きつった笑みが張り付いていた。
「へ、へへ……や、やっちゃった……私。やっちゃったよ……」
まるで人でも●してしまったかのような言葉を、のどを震わせながらつぶやく。
オーロラオレンジのネイルが輝く両手でスマホを包み、ベッドの上で背中を丸くし正座をしたまま、それからしばらく動けなかった。
エアコンが冷風を吐き出す音だけが部屋の中に聞こえている。
今自分の描いた絵が、世界に向けて発信されたという状況が少しずつ理解できて手が震えてきた。
理論上はそうだが、もちろん世界中の人が観るわけではない。地下鉄や空港の通路にでかでかと張り出されるわけでもないので、縁のない人は一生観ることはない。
だが、それでも萌絵子の鼓動は止まらない。一日の投稿数は億単位になると言われているが、それでも偶然観てしまう人もいるだろう。
その中で、まして興味を抱いてくれる人は果たしているのだろうか。
そんなことを考えている間に、エアコンの風は一時停止していた。
「…………ぅしっ」
ぺちりと自分の両頬をはたく。
「寝よう」
今からでも投稿したものは削除できる。すでに誰かに見られている可能性もあるにはあるが。
だけどそれはしたくない。そのつもりで最初から描いてきたのだ。誰にも見せないつもりならそもそも描いていなかったのかもしれない。
普段の生活では妹くらいしか話ができないアニメのこと。
みんなと一緒に盛り上がりたいという気持ちが強かったのかもしれない。
いや、なんかもうわかんない。直感だし。描きたくなったから描いた! それだけ!
萌絵子はスマホのロックを解除することなく枕元に置くと、わき目もふらず電気を消して布団に潜り込んだ。
——このまま朝起きたら、すんごい通知来てたりして……アハハハ、まさかね、まさかね。でへへ……すやぁ~~~…………。
連日の徹夜作業で疲れていた萌絵子はすぐにも眠りについたのだった。
そして翌朝――萌絵子はアラームを止めるやいなや、一つ大きな息を吐くとSNSを開いた。寝起きの頭が却って行動を大胆にさせた。
「くっ…………————!!!?」
通知を示すベルのマーク、その端に1という数字が添えられていた。
そうなれば迷うことなくそこをタップする。
「……いいねされてるうううううううう!?」
それは、たった1つのいいねだった。
相手からすれば、偶然目に留まったのであいさつ代わりにいいねをタップしただけかもしれない。
だけど、まぎれもなく世界で一つのいいねだった。
「…………………………………………………………うぅぅぅわっほおおおおおおおい! やったやったぁ! 喜んでくれたぁ!」
「もーちゃん! おかーさんがおきなさいって…………」
廊下からアキが声をかけてくる。「あ、おきてた」
「嬉しい! やったやったわああああああああああん!」
萌絵子は涙を流しながら、笑っていたのだった。
「おかーさーん! もーちゃんがおかしく…………」
「……てかこの人誰だろ…………うわっ!?」
通学路の途中にあるコンビニに立ち寄る。そこはヒサメとのいつもの待ち合わせ場所だった。今日はまだヒサメが来ていない。
というより、興奮した萌絵子は朝の行動がいつもよりきびきびしていたので家を出る時間が10分も早くなっていたのだ。
時間を持て余し、つい覗いてしまったそのアカウントの主のページに向かった萌絵子は再び驚かされることになる。
彼女が今夢中になっているアニメのキャラこそなかったが、他の作品のキャラのイラストや、風景画なども沢山投稿されていて、1ページ程度のマンガも描いていた方だった。
ただ、最後の投稿からは一年近く何も活動されてはいなかった。
「え? はっ!? 何この人すごっ…………」
しばらく呆然としていた萌絵子だったが、やがて、一つの結論に至った。
「……もしかして間違えて押したのかな?」
難しい顔を浮かべて腕を組む。そこはコンビニの中の電子マネーの棚の前だった。
朝から特殊詐欺にでも引っ掛かったのか? と店員の男は首を傾げているのだが萌絵子は知る由もない。
知らなければよかったものを自分から見に行って、喜びを半減させてしまった。もちろん、間違えてなどということは萌絵子の勝手な推測でしかない。裏を返せば本当に偶然目に留まって、気持ちの程度はわからないが良いと思ってくれたのかもしれないのだ。
考えれば考えるほどこんがらがってしまう。
「はぁ……」
一つため息をつくとぶんぶんと頭を振った。
今日は体育があるので、朝からポニーテールにまとめた後ろ髪がぴょこぴょこ揺れる。店員はその様子を見て詐欺に気付いたのかなと一人勝手にほっと息を吐いていた。
「あっ……」
萌絵子はコンビニ特有の硝子壁面の向こう、道路を挟んで向こうの歩道を行く学ラン姿の男子を捉えた。
同じ学校の制服だ。短く整った髪に、浅黒く焼けた肌。運動部に所属しているのがすぐに分かるエナメルバッグを肩から提げていた。
当たり前だが向こうは全く気づいていない。
「……ふん」
威嚇と言うには弱く、ため息と言うには強い鼻息を届きもしないのに鳴らして、萌絵子は硝子越しにすれ違うとミルクティーを取りに冷蔵庫の方へと向かうのだった。
ここまでお読み下さった皆様ありがとうございました!
ひとまずお試しで投稿させて頂きました今作、一旦ここでおしまいにします。
反省の多い結果となりましたw 作品を見直して、この後の展開を修正するか、一旦全部吐き出して、別の作品に取り掛かるか、また考えます!




