第28話 選択、そして、別れ
重々しい音を立てて、『力の扉』がゆっくりと開いていく。
その向こうには、試練へと続く、深く、暗い道が口を開けていた。
アリアは、その道をフレアに示すと、静かに息を吸い込んだ。
一度だけ強く目を閉じる。
そして、再び目を開けた時、その瞳には澄んだ覚悟の色が宿っていた。
「さあ、お行きなさい、魔王様。あなたの力を、信じます」
彼女の唇に、ふっと、ごく自然な笑みが浮かんだ。
「わたくしは、ここであなたが戻られるのを、お待ちしておりますから」
コメント欄は、アリアの自己犠牲的な決断に、感動と賞賛、そして一抹の不安が入り混じった言葉で溢れかえっていた。
『アリア様…なんて気高いんだ…』
『自分の得意な道じゃなくて、相手を立てることを選んだのか…』
『でも、魔王一人で大丈夫なのかよ…』
『これは…伝説になるか、地獄になるか、どっちかだ…』
しかし、フレアは、開かれた扉を一瞥しただけで、全く動こうとしない。
そればかりか、心底呆れたような、そして不愉快そうな顔で、アリアを睨みつけていた。
「……貴様、何を言っておるのだ?」
地を這うような低い声。
その場にいた誰もが予想しなかった、あまりにも冷ややかな反応に、アリアは「え…?」と戸惑いの声を漏らす。
コメント欄の空気も、一瞬で凍りついた。
『え、なんでキレてんの?』
『アリア様が譲ってくれたのに…』
『魔王様、意味わかんない…』
フレアは、アリアの善意も、自己犠牲も、全く意に介していない。
彼女は、アリアに向かって、静かに、しかし絶対的な威圧感を込めて言い放った。
「誰が決めた?」
「この二つの扉しか、道がないと、一体誰が決めたのだ?」
「誰に許しを乞うておる? 我が前に道がないのならば、新たな道を創るまで。それが、王というものだ」
アリアは言葉を失った。
フレアの瞳には、ゲームのルールや、二つの扉など、最初から映っていないかのようだった。
「そもそもだ!」と、フレアは胸を張って続ける。
「なぜ『知』と『力』、どちらか一つしか選べんのだ!」
「王たるもの、知力も武力も、両方兼ね備えていて当然であろうが! このような二者択一を迫ること自体、我への侮辱ぞ!」
『出たwww魔王様の究極理論www』
『どっちも選べるのが王様、とwww』
『その自信、どこから来るんだ…』
あまりにも尊大な理論に、場の緊張感が一瞬だけ、シュールな笑いに包まれる。
アリアは(確かに、この方は、知性はともかく、両方持っていると本気で信じている…!)と、その揺るぎない自己評価に、感心を通り越してただただ圧倒されるばかりだった。。
フレアは、もはやアリアを見ていない。
彼女は、右の「力の扉」でも、左の「知の扉」でもない、二つの扉のちょうど真ん中にある、ただの「壁」の前に、ゆっくりと歩みを進めた。
『え、嘘だろ…』
『まさか…まさか、やる気か!?』
『いやいや、ゲームの壁だぞ!? 絶対壊れないって!』
視聴者の困惑を背に、フレアは、その壁の前に仁王立ちする。
そして、特別なオーラを放つでもなく、ただ、本当に、淡々と、手に持った武器で壁を攻撃し始めた。
ガィン!
ガィン!
ガィン!
単調で、無機質で、しかし決して止まることのない、狂気的な攻撃音だけが、広間に響き渡る。
アリアは、そのあまりにも無意味に見える行為に、最初は呆然とし、やがて、何かを悟ったかのように、息をのんでその光景を見守り始めた。
数分が経過しただろうか。
フレアが無数の攻撃を叩き込んだ、まさにその瞬間。
ピシッ、と。
壁に、一本の、本当に小さなヒビが入った。
『!?』
『え、いま、ヒビ入った!?』
『バグか!? 仕様か!?』
『いや、まさか…本当に…?』
コメント欄が、信じられないものを見た衝撃で、急速にざわつき始める。
フレアは、そのヒビに気づいたのか気づかないのか、表情を変えずに攻撃を続ける。
熱狂、恐怖、分析、そして新たな信仰。
多様な感情が渦巻く中、フレアは攻撃を続ける。
ガィン! ガィン!
攻撃のたびに、ヒビが蜘蛛の巣のように、ミシミシと広がっていく!
そして、フレアは、最後に大きく武器を振りかぶり、叫んだ。
「終わりだ!」
渾身の一撃が、壁に叩き込まれる。
世界の法則が、その一点だけ書き換えられたかのように、壁としての存在意義を失い、ただの瓦礫へと還った。
その奥から、光り輝く、どの道とも違う、全く新しい通路が現れる!
『うわあああああああああああああああああああああああ!!!!!』
『本当に道を創りやがった!!!!!!』
『隠し通路?』
『こんなんありかよ』
コメント欄が、熱狂と畏怖の坩堝と化す中、フレアは勝ち誇ったように、ふん、と鼻を鳴らした。
アリアは、ただ、崩れ落ちた壁の残骸と、その向こうに広がる未知の光を見つめていた。
握りしめた拳が、かすかに震えている。
唇から、乾いた息が漏れた。
(私の…信じてきた世界が…壊されていく…)
それは、絶望ではなかった。
むしろ、その逆。
目の前で起きている、あまりにも理不尽で、あまりにも美しい破壊。
その光景から、目が離せない。
胸の奥で、今まで感じたことのない熱い何かが、音を立てて燃え上がるのを感じていた。
フレアが、アリアに向かって不敵に笑いかける。
「何を呆けておる、聖女よ」
「貴様は、この光景を見て、なお『知』と『力』、どちらかを選ぶという、矮小な思考に囚われるか?」
「――それとも、貴様もまた、自らの道を創る覚悟ができたか?」
「答えを聞こう。この、我が創りし道を、貴様は『何者』として歩む?」
王からの器を試すかのような問い。
その言葉に、アリアは、一瞬の沈黙の後、これまでの彼女からは想像もつかないような、挑戦的な笑みを浮かべた。
それは、聖女の慈愛の笑みではない。
好敵手を見つけた、戦士の笑みだ。
そして、彼女はこう答えた。
「――面白い問いかけですね、魔王様」
「確かに、あなたのやり方は、まるで世界の理を書き換える『神』の御業。わたくしの信じてきた『秩序』など、児戯に等しいのかもしれません」
彼女は一度、フレアの力を完全に認め、肯定する。
しかし、続けた言葉は、心酔ではなかった。
「ですが、魔王様。あなたは、時にあまりにも気まぐれで、その御業は、全ての人を救うとは限らない」
「そして、創ったその道は、あまりにも眩しすぎて、ある者は目を焼かれ、ある者はその輝きにひれ伏すことしかできない」
「それは、本当の意味での『救済』なのでしょうか?」
彼女は、その力の輝きと、それが落とす濃い影の両方を、冷静に見据えていた。
その上で、アリアは、フレアが創った「第三の道」ではなく、元々そこにあった「知の扉」を、静かに、しかし力強く指さした。
「私は、あなたの道は歩みません」
「この『知の道』を進みます。そして、あなたの『力』とは違う、人の心に寄り添い、共に歩む『知恵』の力で、あなたよりも先に、この塔の頂へとたどり着いてみせましょう」
「気まぐれな救済と、理性が紡ぐ救済。どちらが真に世界を照らす光となるか――」
「――今、ここからが、本当の競争です、魔王様!」
その、あまりにも鮮烈なライバル宣言。
コメント欄は、三度、爆発的な興奮に包まれた。
『うおおおおおおおおおおお!?』
『アリア様、かっけえええええええ!』
『魔王様に喧嘩売ったぞこの聖女!』
『神話に挑む人間…最高の展開じゃねえか!』
フレアは、アリアからの予想外の、しかし最高に面白い『返答』に、一瞬だけ目を丸くした後、腹の底から、実に愉快そうに、こう笑った。
「――くくっ…くくく…、はははは! ふはははははははは!」
「面白い! 実に面白い女だ、聖告のアリア!」
「よかろう! その挑戦、受けて立つ!どちらが先に頂に着くか勝負といこうではないか! 負けた方が、勝った方の軍門に下る! それでよいな!」
二人の魂が、今、最高潮に燃え上がる。
それぞれの道を選んだ、魔王と聖女。
彼女たちの、本当の戦いが、今、始まった。




