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ことのはじまり その3

この作品はリアルがとてもファンタジーです。

登場する人物、団体は実在の物とは関係ありません。

 すんなりいくとは思っていなかったのだが、私の退職は想像以上に困難を極めた。


 私の所属する会社は派遣業で、職場には自社の先輩はいるものの、上司というものは居ない。基本的に自社との連絡はメールで行う事になる。しかしまず、退職を願い出たメールに対する返事が数日たっても返ってっこない。

 しびれを切らせて直接電話をすると、数分も待ちうけBGMで待たされた後、やっと繋がった所属部署の部長の声は最初からケンカ腰。「ふざけるな」だとか「許せるわけがない」だとか「常識をわきまえろ」なんて言葉を連呼された。


 事前にギルマスやタマが作ってくれた〈会社をやめるときに読む冊子・ミズキ編〉を読んでいなかったら、そこで諦めてしまっていたかもしれない。

 その冊子に書いてあった『上司にとって部下の離職はマイナスポイントです。退職がすんなりと受理されることは稀でしょう。何を言われても辞める以外は口にしないように』 という言葉に従って、たぶん一時間ほどの通話中、罵声を浴びながら同じことばかりを口にするはめになった。全く会話としては成立していなかったと思う。リカちゃん電話の中の人にでもなったような気分だった。


 電話では埒があかないと判断されたのだろう。翌日、秋葉原の外れにある自社のビルに呼び出された。

 初めて入った役員室は、高価そうな黒い革張りのソファーや、妙にでかくて重厚そうな机や、壁に張られた書道の額が、なんだか既視感を感じさせる。あれだ、任侠映画で見た一般企業に偽装したヤクザの事務所だ。

 そんな部屋で待っていたのは、部屋の装いにふさわしい、ストライプのダブルスーツに白髪交じりの髪を短く切りそろえた、ガタイのよい初老の男性。あまりカタギには見えないが人事部長らしい。

 彼は私が差し出した辞表を無造作にぐしゃっと掴むと、その場で二つに破り捨てた。

 そして、一言も言葉を発さず、部屋から出て行けとドアの方を指さした。





「とまあ、現状こんな感じなん」


 私の前に座る二人に対して、私はこれまでの離職活動の経過を説明する。


 いつものようにゲームにログインした途端、私はギルドハウスに拉致られた。

 ギルドハウスというのは名前のとおり、ギルドが保持する家のようなもの。ゲーム内通貨を賃料のように支払い続けることによって使用することのできる、ゲームを進めるにあたって少し便利な機能を提供してくれる何かだ。

 このギルドハウスは、ギルドマスターの許可したプレイヤーのみしか入る事が出来ないため、今回のような他の人に聞かれたくない話をするのには丁度良い。というか前回のもここを使えば良かったのではないだろうか。


 そのギルドハウスの中には、私以外には二人の姿がある。

 一人は中央の椅子に座り、相変わらずの傲慢不遜な態度で行儀悪く足を組むギルマス。

 タマは何かの準備が立て込んでいるとかで、今日は顔を出していない。土曜の昼間ということもあって、半分接客業のドグ姐さんも不在。

 その代わりにというわけではないが、この場に居るもう一人はカーキ色の軍服のような軽装備で身を包む、金髪おかっぱ頭の長身の女性。その女性がギルマスの座る椅子の肘掛けに腰を半分乗せ、首だけをこちらに向け、私をみつめている。

 彼女の名前は大尉殿カピターン。ゲームキャラの職業は〈戦士にして法師(ウーシア)〉。これまた平日であろうと休日であろうとゲーム内で顔を見かける、ニート疑惑もあるギルドの中心メンバーの一人だ。ここに彼女がいるということは、既にギルマスかタマに説明をうけているのだろう。


「ほほう、圧迫面接に交渉拒否とは。随分と強引な手段を取ったものだ」


 その大尉殿が、指をそえた顎を引きつつ、にやりと笑う。

 ドグ姐さんとは違ってこの大尉殿はキャラの設定だけでなく中の人も女性。しかしその声色は女性にしては低く、口調も女性っぽくないというか、どこか演技じみた不思議な敬語を使う。わかりやすく言うと、ヅカの男役っぽい。


「さてギルマス、どうするのだ? 手をこまねいて傍観などというのは君の趣味ではなかろう?」

「チッ。オレに逆らうとは、いい根性してるじゃねえか。おい、ミズキ。お前の所属部署名を教えろ」


 ギルマスを挑発するような大尉殿の芝居がかった手ぶりと言葉に、ギルマスが舌うちで答える。

 大尉殿は無軌道なギルマスの行動を抑止することのできる非常に貴重な人材だ。だが大尉殿がそんな事をするのは非常に稀で、このようにギルマスの行動を面白がって煽ることの方が多い。無軌道加速装置になって被害が拡大する場合が殆どだ。

 いやしかし、うちの会社の人事部長はギルマスに逆らってる訳ではないと思うのだが。


「それじゃあ、ひとつふたつを打つか。カピターン、お前にも依頼したい仕事がある」

「うむ、内容次第だが、前向きに検討しよう」


 なにかを考えるかのように黙っていたギルマスが、伏せていた顔を上げる。その顔に浮かんでいるのは、何か面白いいたずらを考え付いた時の中学生男子のようなものだ。

 そして今回は大尉殿もノリノリで共犯者をつとめるらしい。これはきっと碌な事にならない。


「ええと、私はどうすればいいん?」


 悪の首領と女幹部といった感じで黒い笑い顔を浮かべる二人に怯えつつ、私はお伺いをたてる。

 正直言ってヤクザもどきの弊社の人事部長より怖い。


「おう、ミズキは何もしなくていいぞ。というかこれからカピターンと打ち合わせるから、お前はカエレ」


 しかしギルマスから返ってきたのは、そんな言葉。

 そしてその直後、私はギルドハウスから放り出される。多分ギルマスが私のギルドハウス入場許可を取り消したのだ。


「おかしい。確かこれ、私が当事者だった筈では……」


 ギルドハウスの無意味に豪華な門の前で、私は呆然と立ちつくすしかなかったのだ。





 それは休みが明け、今週も来てしまった月曜日の昼休みが始まるちょっと前といった時間にやってきた。


「すみません、第七開発部所属の鈴木すずき 水樹みずきさんはこちらにいらっしゃるでしょうか」


 私の名前を呼ぶ声にパソコンのディスプレイに向けていた顔を上げると、そこには見た事のない女性がいた。

 百七十センチくらいはありそうな長身に、チャコールグレイのパンツスーツ。手足が長いためすらっとして見えるが、細身にしつらえられたスーツの下にはアスリートのように鍛えられた身体があることが想像できる。

 髪は襟元あたりで切りそろえられたアッシュグレイ。西洋人の血が混じっているのだろうか。目鼻の造形がくっきりした顔は、どこか冷たい印象を受けるくらいに整っている。


「あ、はい。私ですけど」


 私の返事に振り向いたその女性は、腰をかがめるとデスクに座ったままの私の顔を覗き見る。


「ふうむ、これがミズキか。なるほど。ちびっこいのはゲームのときと変わらんのだな」

「えっ? もしかして、大尉殿カピターン?」

「御名答だ。ミズキにしては察しがいいな」


 そう言ってスーツ姿の女性が両腕を腰に当てて笑う。

 そのなんだか男らしい笑顔がいかにも彼女らしい雰囲気で、私の中でゲーム内の大尉殿と、この長身の美人が同一人物であるという事がすとんと腑に落ちる。


「おっといかん。作戦ミッションの開始時刻が迫っている。ミズキ、行こうか」


 しかしこちらの気分が落ち着く間もなく、すこし大げさな仕草で腕時計を確認した大尉殿は私の腕をつかむ。


「ちょ、ちょいまち。ミッションってなん? どこいくん?」

「ああ、ミズキは居るだけで良いぞ。とりあえず付いてきてくれ」


 大尉殿は私の手をつかんだまま、こちらを振り向きもせず、ヒールが五センチ以上はありそうなパンプスで、大股に歩きだす。

 引きずられるようにして付いていく背の低い私は、足のコンパスの差がありすぎて小走りをするような状況。


 その行軍がやっと止まったのは、職場の近くにあるファミリーレストランの前に到着した時のことだった。

 大尉殿は、席の案内のために寄ってきた店員を手のしぐさで不要と抑止しながら、店内を見渡す。そして、目的の人物ターゲットを見つけたのだろう。満足するように小さく頷くと私を振り返る。


「さて、ではミッションスタートといこうか」


 大尉殿は小さな声でそれだけを言うと、ターゲットした人物が座る席に向かってヒールの音を軍靴の響きのように奏でて進軍する。

 進軍先には、四人掛けのテーブルに一人座る初老の男性。この席に座ってからそれなりに時間が経っているのだろう。テーブルの上には半分ほど中身の残るアイスコーヒー。灰皿には乱暴に火を消された数本の煙草の吸殻も見える。


「約束の時間にはまだ少しあるが、どうやら待たせてしまったようだ。私がジェバンニだ。まあ偽名だが」

「チッ、どこまでも人をおちょくりやがって……」


 大尉殿の声に反応した男性を見下ろしながら、大尉殿はかすかな冷笑に似た笑みを唇の端に浮かべる。

 その男性の顔には見覚えがある。例の弊社のヤクザモドキな人事部長様だ。

 そして大尉殿は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた人事部長から視線を外す事なく、向かいの席へと座る。

 私は突然の事態に立ったまま硬直してしまったのだが、大尉殿が横に座れと手ぶりで指示を出しているのに数秒たってから気付き、慌ててテーブルの端に膝をぶつけながら、半分倒れ込むように転がり込む。


「約束の物は用意した。それで、お前らの目的は何だ?」


 そんな私を視線だけで人を殺せそうな目つきで睨んだ後、人事部長がテーブルの上に大小ふたつの飾り気のない封筒を取り出す。

 ひとつは書類を入れるようなA4サイズ。そしてもう一つは手紙に使う長4サイズのもの。小さい方の封筒は何か大量の紙が入っているのだろう。暑さが数センチほどに膨らんでいる。


「いやいや、事前に連絡させてもらった通り、私たちの目的はこのミズキが御社から円満に退職できることだけだよ」


 大尉殿はその封筒を受け取り、素早く中身に目を通しながら、人事部長とは対照的な飄々とした態度で答える。

 そして確認し終わった封筒を私にと手渡す。

 受け取ってその中身を確認すると、大きな封筒の中身は数枚の書類。表題だけを確認すると、どうやらそれは私の離職を証明する書類らしい。そして小さな封筒の中身を見て、私は息をのむ。

 その数センチはありそうな封筒の中身は札束。普段大金など手にした事のない私では、一見では幾らになるか想像もつかない一万円札の束がその中には入っていた。


「いままで未払いだった残業代だ。あとちょっとばかりの心付けくらいは付いているとは思うがね」


 驚いて振り向く私に、大尉殿は小さな声でささやく。

 そして人事部長を振り返ると、仰々しい仕草で一礼する。


「鈴木瑞樹の離職票、確かに頂戴した。いやスムーズに事が進んで私としては大変に満足だ。今後の御社の発展を心からお祈りするよ」

「くそっ。最初から最後までふざけた奴らめ!」


 人事部長は吐き捨てるようにそう言うと、一秒たりとももうここには居たくないと言った風に席を立つ。


「おっと、ここの伝票は持って行ってくれたまえよ?」

「チッ」


 そして、テーブルの伝票を乱暴に掴み、速足で去っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、私は突然の事態に思考が追い付かず呆然としてしまう。


「さて、これでミッションの山場は越えた。次は職場に戻って荷物の整理などすると良いと思うぞ。引き継ぎ等も不要だ。君が職場の情報共有をこまめにしていたのは調査で知っているからね」

「あっはい」


 少し柔らかな表情に戻った大尉殿が何かを言っているが、まるで頭に入ってこない。私は未だ状況が理解できないまま、とりあえず頷いてしまう。

 それからの事は、正直あまりちゃんとは覚えていない。

 上の空のまま大尉殿に誘導されるまま職場に戻り、数少ないデスク周りの私物をバッグに押し込み、周りの人たちに軽く挨拶をした後に職場を後にした。


 そんな幽体離脱のような状況から、やっと意識が現世に戻ってきたのは太陽が西に傾き、空に浮かぶ雲をオレンジ色に染める頃。

 職場に置いていた私物で少しいつもよりも膨らんだバッグを持った私は、パンツスーツ姿の長身の女性、大尉殿と並んで、オフィス街の路上に立っていた。


「おめでとうミズキ。これで君も晴れて無職の仲間入りというわけだ」


 あれからずっと私の横についていてくれた大尉殿が、私に対して片手を差し出す。


「あ、ありがとう」


 一瞬考えた後に、それが握手の為だと気づいた私は、その大尉殿の手を握る。

 その手は女性らしく指の長い綺麗ではあったけれど、握った感触は肌の内側に何か力を感じさせるような強いものだった。

 その力強さに私は今日の大尉殿の常人離れした落ち着いた態度や、まるで芝居のような現実味のないやりとりを思い出す。

 そしてごくりと唾をのんだ。


「……えっと、大尉殿って普段何やってる人なん? 今日のこれとか、その体つきとか、ものすごく正体不明なんだけれど」

「ん? 私はただのネット中毒の自宅警備員だぞ。この身体はあれだ。安価で腹筋とかそういうやつだ」

「なにそれこわい」


 しかし、少しの緊張とともに投げた質問に対して返ってきた言葉は、なんとも拍子抜けする内容。


 ぐ~う


 おまけになんとも力の抜ける大きなお腹の音が鳴る。

 その音の主は大尉殿だったらしい。、大尉殿は握手するのとは反対の手を自分のお腹に当てて少し恥ずかしそうに笑う。


「うむ、この身体を維持するには食事量が必要でね。どうにも私は腹が空きやすい。そこで提案なんだが、ミズキ」


 その大尉殿は握手していた手を離すと、何かを誤魔化すかのように顔の表情をひきしめる。

 そして仰々しく顔の横で片手の指を一本立てると、腰をかがませてずいっと私に詰め寄った。


「これから戦勝祝いに焼肉屋というのはどうだろう。錦糸町に良い店を知っているんだ。今回の私の頑張りに対して、その封筒の中身を少しばかり提供してくれる意志が君にはあるだろうか」


 大尉殿の表情はものすごく真剣なもので、なんだか今日一番の迫力も感じる。

 その圧力に私は一歩二歩と後ずさりながら、無言で頷くしかなかった。


「よし、よし! だったら行こう。すぐ行こう。正直さっきから腹が空いてしょうがなかったんだ。ああ、熟成されたロース肉が私を待っている! あぶらのとろけるようなカルビも外せないな。それにハチノス。私はあれが滅法気に行っていてね!」


 その私の仕草を了承の合図と判断したのだろう。一転、とても眩しい笑顔になった大尉殿カピターンはくるりと反転し、大股でかつかつと地下鉄の入口へと歩きだす。


 そのまるで走るかのようなスピードで遠ざかっていくその背中を追いかけて、私はバッグを抱え直し、慌てて走りだしたのだ。

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