人情とは、苦悩を知る者が持ち得るもの。――7
それからも俺は、辺りを警戒し、遭遇したモンスターを倒しながら、ダンジョンを進んでいった。
異変を感じたのは、探索開始から五〇分ほどが過ぎた頃だった。
「急に暑くなったような……」
いままでよりも、明らかに気温が上がったのだ。
まるでサウナのなかにいるよう。全身の汗腺から汗が噴き出し、血流が速くなるのがわかる。
なにが起きたんだろう?
顔に浮かぶ汗を拭い、俺は眉をひそめる。
そのときだった。
ゴオォオオオンッ!!
ダンジョンの奥から、鉄板をハンマーで叩くような衝撃音が聞こえてきた。
「誰かがモンスターと戦っているのか? そういえば柳さんが、俺以外にもCランクダンジョンの探索を申請しているパーティーがあるって言ってたっけ。そのパーティーのひとたちかな?」
俺が思い出したとき、ひときわ大きな衝撃音が響き――
「きゃあぁああああああああああああああああああああっ!!」
女性の悲鳴が木霊した。
俺はハッとする。
まさか! モンスターとの戦闘に敗れたのか!?
モンスターとの戦闘において、敗北は死を意味する。このままでは、悲鳴の主は殺されてしまう。
最悪のケースが頭に浮かんだその瞬間、俺は駆けだしていた。
辺りを警戒するのも忘れ、悲鳴が聞こえたほうへと急ぐ。
俺が走っているあいだにも、ゴインッ! ゴインッ! と衝撃音が鳴り続けていた。どうやらまだ持ちこたえているらしい。
間に合ってくれよ!
願いながら、俺はひたすら走る。
息を切らしながら走り、現れた角を右に曲がったとき、俺はモンスターと交戦しているひとりの女性を発見した。
白銀の長髪。純白の肌。サファイアの瞳。
髪色と同じ、白銀の鎧に身を包み、天使の意匠が施された大盾と、金色のレイピアを手にしたその女性は、俺の同級生にしてSランク探索者である天原白姫さんだ。
「くぅ……っ」
天原さんは女神のように整った美貌を苦しげに歪め、振るわれるモンスターの拳を必死に防いでいる。
天原さんを襲っているモンスターは、一〇メートルを超える巨体を持っていた。
体を覆う真紅の鱗。両腕は丸太より遙かに太く、爪は一本一本が剣のようだ。
背中から翼を生やし、王冠のような六本角を持つそのモンスターを目にして、俺は絶句する。
「ド、ドラゴンエンペラー!?」
炎と風を操り、すべてのステータスが軒並み驚異的。文字通りバケモノなモンスター『ドラゴンエンペラー』。
Sランク探索者である天原さんをも圧倒するそのモンスターは、しかし、ここにいるはずがなかった。
なにしろドラゴンエンペラーは、最高難度のダンジョン――SSランクダンジョンに生息しているモンスターなのだから。
あり得ない光景に俺が呆然と立ち尽くすなか、ドラゴンエンペラーによる蹂躙はなおも続く。
至る所に裂傷を刻まれ、頬を煤で汚されながら、それでも天原さんは歯を食いしばり、ドラゴンエンペラーの猛攻に耐えていた。
天原さんが死力を尽くしている理由は彼女の背後にあった。全身傷だらけになった四名の女性が、天原さんの背後に倒れていたのだ。
四名の女性は、いずれも一目で上等とわかる装備品を身につけている。それもそのはず。彼女たちこそ、天原さんが所属しているSランクパーティー『ヴァルキュリア』のメンバーなのだから。
だが、いや、だからこそ、目の前の光景が衝撃的だった。
Sランクパーティーですらも、為す術なくなぶられているという状況が。
俺が立ち尽くしているあいだも、天原さんは必死で仲間を守り続ける。
しかし、ついに限界が訪れた。
「く……ぅ……」
天原さんがよろめき、片膝をつく。極度の疲労からかその目はうつろで、呼吸は喘息の発作のように荒い。
ドラゴンエンペラーは容赦しなかった。天原さんにトドメを刺すべく、右の拳を引き絞る。
このままでは天原さんも倒されてしまう。そうなれば、ヴァルキュリアのメンバーを待っているのは死だ。
ドラゴンエンペラーはSランクパーティーでも歯が立たない怪物。カードという武器を手に入れたけど、俺では相手にすらならないだろう。
怖い。怖くて怖くてたまらない。
けれど、ここで天原さんたちを見捨てるわけにはいかなかった。
五年前の記憶が蘇る。母さんが倒れたときの光景が蘇る。
あのとき俺は、パニックに陥った優衣を宥めながら、救急車を待つことしかできなかった。
もう、あんな思いはごめんだ。
目の前で誰かが倒れるのを見るのは、ごめんなんだ!




