付き合う人間は選べないもの
あたしは神様の存在を信じてない。
だって、
「存在しているのに助けてくれない」
ってのより、
「もともと存在していなかった」
っていう方が、あたしは救われる気がするから。
あたしだって、助けてほしかった時はあったんだから。
**************
あたしはマユのカレシが住んでるアパートの階段を上がっていた。
階段と言ってもあの音のする金属の階段じゃなくて、ちゃんとコンクリでできてる階段だ。だからスニーカーを履いていたあたしの足音は、たぶん奴らには聞こえてなかったと思う。
「え~でもぉ、カノジョいたよね?」
「違うって、あれはカノジョじゃないよ。ただの知り合い」
「そう? そうだったかなぁ?」
「そうなんだよ~」
聞いたことのあるチャラい男の声と、聞いたことのない鼻にかかったような女の声が聞こえて、あたしは階段の上の小さいスペースで足を止めた。
なんとなくスパイ映画のように壁に身体を張り付かせて、そっと奴の部屋の方をのぞいてみる。
***************
「最近カレシが浮気してるような気がする」
友達のマユがそんなことを言い出したのは、昨日の昼休憩の時のことだ。
あたしは前々から、マユのカレシはチャラくて良くないって言ってたから、ほらねって思った。
「最近っていつからよ」
「少し前くらい。なんかー、ウチが話しかけても上の空でスマホいじってたり、約束してた日に『ゴメン予定ある』って突然言ってきたり」
「あー、決まりじゃん」
あたしは冷たく切り捨てた。マユはぼーっとしてるタイプだからわからないのかもしれないけど、あの「女を値踏みしてくる視線」を向けてくる男はだいたい浮気するんだ。
「え、マジで? 嘘だあ」
「わかる人にはわかるって。あたしにはわかる。さっさと次探しなよ。あんなのにこだわってもいいことないよ」
「えー、なんかー、ショックっていうか」
マユは弁当を食べる手を止めてうつむいた。
「理由が知りたいかも……」
その様子は未練たっぷりで、マユはなぜか悩んでいるみたいだった。
こいつのウジウジは長引くからイヤなんだ。
理由なんか聞かなくてもわかるじゃん、あんたに飽きたんだよ。チャラ男ってのは、自分に一番都合のいい女を探して、乗り換え続けるもんなの。
「あー、でも、ウチはちょっと無理だー、ね、ハルカ、ちょっと聞いてきてよー」
「ああん?」
マユが上目遣いでしなだれかかってくる。あたしはそれを突き飛ばして、しっしっと手を振った。
なんであたしがそんなことしなくちゃいけないんだ。あたし関係ないし。
「知らねー」
「お願いー」
「知らねーって」
「お願いだからー。駅前にできたスイーツ屋の高いやつおごるからー」
**************
……別にスイーツに負けたわけじゃないけど、そんな感じであたしはこのアパートに来たわけよ。
マユからの情報では、カレシの母親はシングルマザーでアル中か何かで昼間もずっと家にいるらしい。だからカレシは親に知られたくないことを玄関先でしてるんだって。スマホとか電話とか、ああやって女と抱き合ったりとか。
まあ、マユの男を見る目のなさは折り紙つきだからこうなることはわかっていた。だからあたしはショックを受けたりしない。
それでも玄関ドアの前で絡み合うように見知らぬ女と抱き合ってるマユのカレシの姿を見た時には、何ともいえない気持ちになった。
こんなのあたしにどうしろってんだと。
ホント言うと鈍器的な何かでぶん殴ってやりたいとは思った。でもあたしもう18歳だから、そんなことしたら普通に捕まる。
それにこういう男はそんなんじゃ懲りないんだ。
あれこれ考えてたら、あたしは気が付かないうちに後ろに下がっていたみたいで、階段から片足が外れてしまった。
重力で身体が後ろに引っ張られるのを感じて、あたしはうわっとなって左手で手すりをつかんだ。でもすでに勢いが付いていたから、身体がぐるっと90度回転して、そのまま壁に頭をぶつけてしまった。
「…………」
目から火花が出るっていう感覚はこのことなんだ。
あたしは声を出さなかった自分を褒めてあげたい。正直メチャクチャ痛かった。血が出てるかもと思って壁を見たけど何も付いてなかった。ぶつけた頭を恐る恐る触ってみると、ちょっと違和感があるくらいだったから、あたしはとりあえず胸を撫で下ろして階段を降りた。
タンコブくらいはできるかもしれない……。そう考えると気分が沈んでいく。
いや気分が沈む原因はケガだけじゃなかった。マユに何て言おう。
なんか頭がぼーっとして一瞬忘れてた。こっわ。
こんなささくれた気分の時には後輩の家に行って茶でも出させるしかない。
あたしはこのアパートの近くに部屋を借りている後輩に会いに行くことにした。
**************
長い髪を無造作に一本にくくり、赤い縁のメガネをかけた女が、こっちのほうを一瞬だけ向いてすぐに顔の位置を戻す。
「パイセンじゃないっすか」
薄暗い部屋でモニターの光を顔に浴びている後輩の姿を見たあたしは、「うぃっーす」と挨拶をする。
後輩の実家は金持ちだ。
勉強のために必要だとねだって一人暮らしを手に入れた後輩は、その借りた部屋を見事なゲーム部屋にしてしまっていた。本棚に入りきらなくなったゲームソフトの山がその辺に積み上げられ、モニター画面とゲーム機の前には高そうな座椅子。その周りには袋菓子の残骸が10以上転がっている。
ゲームに没頭すると細かいことが一切気にならなくなる後輩のゲーム部屋は、ある意味であたしにとってはいい休憩場所になっていた。
「今いいところなんすよ」
後輩のいつものセリフだ。これを言う時はだいたいそのゲームのピークというか一番盛り上がるところらしく、余計な事を言うとキレ出すことがあるから要注意でもある。
あたしは勝手に冷蔵庫を開けてお茶のペットボトルを出した。
「お茶もらうぜー」
「あ、アチシも入れて欲しいっす」
後輩が空のコップを掲げる。返事ができるってことはゲームがある程度落ち着いているってことなんだろう。
あたしは後輩のコップにお茶を注ぎながら画面をチラッと見た。漫画のような絵柄で、目を伏せた青い髪の男が画面いっぱいになっている。なんか文字で「婚約は破棄したよ」って下の方に書いてあった。
「これちょっと前に出た乙女ゲーなんすよ」
後輩はあたしが画面を見ているのを確認したのか、説明を始める。
彼女は無類のゲーム好きでよくそのゲームの魅力などをこうして語ってくれるんだ。あたしはあんまりゲームをしないから、いつも意味不明な言葉がどんどん出てきて困ってるけど。
「乙女ゲー?」
「女の子向け恋愛ゲーム、みたいな意味っす。ゲームに出てくる好みの男の子とくっ付くために、あれこれするゲームなんす」
やっぱ後輩の言葉はよくわからん。なんだろうこの、日本語を聞いているのに内容が入ってこない感覚。
「そんで、今この男の子をこうりゃく……アチシの動かしてるキャラクターを好きになるようにしてるんすけど、ようやく婚約破棄してくれたんすよ。はぁー時間かかったぁ」
「婚約破棄?」
あんま聞かない言葉に首をかしげながら、あたしは冷たいお茶をぐびぐび飲んだ。冷たくてのどごしが気持ちいい。後は何か甘いものでもあればいいんだけどな。
後輩は画面の青い髪の男を指差す。
「この男の子、お貴族サマっすから、決められた結婚相手がいるんすよ。その相手との婚約を破棄させないと、アチシのヒロインとくっ付けないんす」
「ほーん」
要するに親とかが決めた結婚相手をフって、このゲームのヒロインと結婚しますみたいな? まあ元々好みじゃない相手だったんなら仕方がないのかもしれないけど。
でも、友達がフラれたのを確認した直後だったせいか、あたしは少し気になった。
「その結婚相手の子って、納得するんかな」
「え、わかんないっす」
後輩の答えはドライだった。
「だって、顔も名前も設定ないし、ゲーム的にはフラれるためだけの存在っすよ」
「えー……」
あたしは胸がムカムカしてきた。吐き気を感じる。なんだこれ。
「その立場で、文句言わねーのはおかしくね?」
「まあ、それは仕方ないっす。身分制度ある設定なんで、この男の子のほうが身分が高いと文句も言えないんすよ。でも言われてみれば、同じ学校にいるのにフラれるのは、ちょっとカンベンっすね」
後輩のまともな言葉にあたしも満足してうなずいた。
それは嫌だろ。将来のダンナだと思っていた人に理由もなくフラれて、その人が他の人とイチャイチャしているのを見せつけられるんだから。惨めにも程があるじゃん。
後輩が言うには、これは「中世風の世界観」で、「魔法学院に通う煌びやかな貴族の子息との恋愛」のためのゲームらしい。魔法を学ぶための学校だから、平民でも能力があれば行くことができると。でも女性の幸せは高貴な人と結婚して子供を産んで家を継がせて……みたいな。
ふーん。確かに昔っぽい。
ん? あれ? 魔法?
後輩はゲームを再開しながら菓子をバリバリ食べている。手づかみで食べるのでコントローラーはベタベタになっていたけど、たぶん彼女は気にしてない。マジすげえ。
「もしかしてその魔法だったら、男に勝てるとかある?」
「まあそうっすね」
あたしの熱の入った質問に対して後輩の返事は軽い。
「ヒロインの成績いいっすからね。女より魔法の成績悪い男子生徒ばっかりっすよ」
魔法なんて使ったことないから完全にあたしのイメージだけど、やっぱり腕力が関係なければ勝てるんだ。前に見た魔法使いの映画でも、オバサンが最強だったし。
それならその悲しい役割の女の子にだって自由に生きる道がありそうじゃん。
魔法があるファンタジー世界で薄情な男に振られたからって、泣き寝入りするなんて。
「う~ん……」
さっきからの吐き気がまだ続いてる。変なものを食べた覚えはないけど……お茶だって同じものを飲んでる後輩がなんともないのに、どうしてだろ……。
そういえば前に「頭を殴られた後に吐いたら危ねえんだ」って、ガチヤンキーだった先輩が話していたような気がする。
まさかさっき壁で頭を打ったのが原因じゃ……。
「パイセン、……、……っすよね、…………」
気が付いたら、後輩の声がなぜか遠くに聞こえている。
あたしの視界は灰色の砂嵐に飲み込まれて、だんだん何も見えなくなっていった。
「…………」
冷や汗をかくくらい焦っていても声は出ず、急速に意識が薄れていく。
壁にもたれている背中の感触だけがあたしの体をかろうじて支えていた。でも徐々に自分の体が壁からずり落ちていくのがわかる。後輩は、気付いてくれただろうか。
救急車を……呼んで……。
あたしの意識はそこで途切れた。
**************
目を開けたら、まぶたの周りがネチャっとしていた。
小さい頃に泣きながら寝入った時のあの感じがする。もしかしてあたしは泣いてたのかな。
我慢しながら目を開けると、薄いカーテンがベッドの周りに掛かっているのが見えた。
そのまま何気なく上に目をやる。なんと天蓋付きのベッドだ。あたしの家にこんな豪華なベッドはない。
今日は誰の家に転がり込んでいたんだっけ……。
いやいや、中学時代じゃあるまいし、あたしは高校に入ってからは家出を繰り返したりしてない。意外だとよく言われるけど。
じゃあここはどこなんだ。
ベッドから出てちょっとふらついて手をついたら、サイドテーブルにあったベルがチリリンという儚い音を立てて床に落ちて転がっていった。
それを目で追った瞬間に「マズい」という思いが頭の中を駆け巡った。なぜなのかよくわからないけど、あたしは急に心臓をドキドキさせて焦り始めた。
このベルは誰かを呼ぶためにここにあったみたいだ。何でそんなことを自分が知っているのかもあたしにはよくわからない。
「おじょうさまあぁぁぁ!」
いきなりドアが開いて、男の子が1人駆け込んできた。白いシャツと黒いズボンを着て、癖のある明るめの茶色い髪をしている。背が高かったけど、おめめぱっちりカワイイ系の顔立ちだったから、あたしは一瞬ボーイッシュな女の子かと思った。
「お、お嬢、さま……生きてた……」
男の子はあたしの姿を見て涙をぽろぽろと流している。まるで少女漫画の登場人物だ。目を見開いたままで涙を流す人間がこの世にいるとは思ってなかった。
なんか嘘泣きっぽいな、なんて思っていたあたしは、けっこうきつい口調で言ってしまった。
「生きてちゃ悪いのかよ」
男の子はポカーンとしか言いようのない顔であたしを見つめていた。一瞬の内に魂を抜かれた哀れな蝋人形と化した。
あたしはわけがわからなくて、その男の子に近寄るために、大きな鏡の前を通り過ぎ……ようとした。
「!!?」
あたしは思わず鏡の前に立ち止まってしまった。だってそこに映っているのは慣れ親しんだヤンキーくさい自分の顔ではなかったのだ。
背中まである長くて濃い茶色の髪に、青い瞳の女の子だった。頬は少しコケて目が落ち窪み、ぱっと見には病み上がりか病み真っ最中みたいな雰囲気。でも色白でそこそこかわいいとあたしは思った。
こういうおとなしそうな顔の子は本音喋らせたら凄かったりする。なんでそういう顔の女の子にあたしがなっているのかは分からんけど。
「レ、レフラお嬢様……薬の影響で、顔色が酷いことになっています。お医者様をお呼びしましょう」
再起動した天然パーマの男の子に遠慮がちに声を掛けられて、あたしは我に返った。……ていうか、この身体の本来の記憶が一気に戻ってきたような感覚だった。
そうだ、あたしはレフラ・エルっていう貴族のお嬢様の身体になってしまっているのだ。
この身体の記憶によると、レフラは昨日の夕方に婚約者のエンリオという男に婚約を解消され、その日の夜に遺書を書き、怪しげな薬をあおって自殺を図ったらしい。
思い切り良すぎだろ。
この天パくんはレフラお嬢様付きの従僕で、お嬢様の荷物を持ったり護衛したりする役目がある。薬を飲んだ彼女を発見したのはたぶん彼だ。名前は確か、ジェールだった。
見た感じ天使っぽいし、「エンジェル」からとってジェールみたいな?
だとしたらスゲェ安易だけど。
じゃあレフラ・エルってのは何から……。
あたしはブホッと吹き出した。
レフラ・エルって「フラれる」っていう言葉を組み替えただけじゃん。誰だこんな名前つけた奴は。
『ゲーム的にはフラれるためだけの存在っすよ』
後輩の言葉が脳内にリフレインする。
そういえばレフラの記憶にある婚約者エンリオの顔は、あのゲームの画面でみた青い髪の男に似ているような……。
あれ、じゃあこれって、ゲーム作った人がつけた名前ってこと?
……え、マジか。
てことは何? あたしあの恋愛ゲームの中に入ってんの?
あたしゲームをあんましない人なんだけど。
だからゲームの中に入りたいですとか、子供じゃあるまいし、願ったりしてないのに。
そりゃ今まで神様から罰を受けるようなことはしてませんって、言えるような人生じゃなかったよ。
いっぱい人を殴ったし蹴ったし恨みも買ったよ。
でも売られた喧嘩を買っただけで自分から売ってはいないんだよ。それなのにあたしは何でこんなわけわからん所に来なきゃいけないんだ。
あたしはバカバカしくなって笑ってしまった。こんなの笑わなきゃやってらんない。
何がゲームだよ。
「あはははははは、はははははは、ははははは……」
「お嬢様、お気を確かに!」
慌てたみたいに叫びながら、ジェールがあたしの肩をつかんで揺さぶってきた。
「ええい、うっとうしい!」
なんか急にムカついて、思わず彼の顔面へ右ストレートを打ち込んだ。
あたしの肩をつかんでいた手が離れていった。でも全然気分は晴れなかった。あたしは気が抜けてしまって、そのまま床に倒れるように横になった。
床って言ってもフカフカのカーペットが敷いてあるから、そんなに汚くはない。
ていうか、きれいとか汚いとかもうどうでもいい。
やったことのないゲームの世界なんて、どうすりゃいいのか全くわからん。
フカフカの床に寝そべって高い天井を見上げながら、あたしはこれからどうしようと一瞬だけ考えて、再び眠りに落ちていった。




