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断絶の儀式と最初の脱落者

第二部「白神救世教儀式編」スタートです。

 一九九九年、七月。


 歴史的な予言者が「空から恐怖の大王が降ってくる」と指し示したその月は、大気を歪めるほどの酷暑と共に幕を開けた。アスファルトからは陽炎が立ち昇り、街全体が巨大な温室に閉じ込められたかのような、逃げ場のない熱気が人々を蝕んでいる。


 だが、その狂気じみた熱気とは裏腹に、一部の高校生たちの周囲には、耳が痛くなるほどの「静寂」が漂っていた。


 彼ら――〈神〉から異能の断片を譲り受け、血塗られた選別を生き延びてきた「神候補」たちの元へ、一通の招待状が届けられたからだ。


 送り主の名はない。郵便ポストに投函された形跡も、宅配業者が訪れた記録も、住まいや勤務先に不審な人影もなかった。ただ、ある朝目覚めると、それは枕元や学習机の上に、あるいは鏡の隙間に、不可解な必然性を持って「そこ」にあったのだ。


 重厚な白地に、繊細な金の縁取りが施された簡素なカード。そこに記されていたのは、仰々しい祝辞でも世界救済の教義でもない。ただ、冷徹な事実だけが印字されていた。


 『七月XX日、正午。定められし神域にて。儀式を執行する』


 招待状を受け取った候補者たちは、これを悪質な悪戯、あるいはカルト教団による虚勢だと断じ、本気にする者などほとんどいなかった。


 だが、白神救世教という巨大な影と対峙し、人知を超えた異能の戦いに身を投じてきた者たちは違った。彼らは、そのカードに宿る「絶対的な拘束力」と、心臓を直接掴まれるような不気味な気配を、本能で悟っていたのだから。


◇◇◇


 執行が予告された時間前。


 蝉時雨が豪雨のように降り注ぐ、県立高校の北側裏庭。夏休みの静まり返った校舎の陰に隠れるように建つ、錆びついた園芸倉庫の前。そこには、運命を共にすると誓い合った五人の男女が集結していた。


「あと五分だ。……全員、装備の確認は済んでいるな?」


 鋭い声を上げたのは、上沢(うえさわ) 緋女(ひめ)だ。


 赤茶色の長い髪を高い位置で一つに束ね、スレンダーな肢体をアウトドア用のタフな衣装に包んでいる。背負った巨大なリュックには、医療キットから野営道具まで、蝶野から調達した生存に必要なあらゆる物資が詰め込まれていた。その瞳には、六年前の雨の日に兄を消し去った「白い怪物」への、消えることのない復讐の炎が、青白く静かに燃えている。


「ああ、問題ない。私の『蜂』たちも、周囲の警戒を終えて戻ってきた……どんな不測の事態も想定の内だよ」


 冷静に応じたのは生徒会長、西宮(にしのみや) 恵梨香(えりか)だ。カルト教団に囚われた母を、如人たちの助けによって間一髪で救い出した彼女は、今は、以前の冷徹な「鉄の女」ではない。友を信じ、自らの運命に立ち向かう一人の戦士として、凛とした立ち姿を見せていた。


「俺もたっぷり休んで体調万全や! どっからでもかかってこんかい、あの白い連中!」


 重永(しげなが) 翔吾(しょうご)が、日に焼けた自慢の筋肉を叩いて豪快に笑う。水泳部で培った強靭な肺活量と、空間を歪める能力『空泳』は、たとえ異世界の極限状態であろうと、彼を最強の遊撃手へと変えるだろう。


 その隣で、小柄な美少女、播磨(はりま) 結衣(ゆい)は不安を押し殺すように、隣に立つ少年の半袖の袖をきつく握りしめていた。


「如人(なおと)君……少し、怖いな。手を……繋いでいても良い?」


 震える声で頼む結衣に、七篠(しちじょう) 如人は吸い込まれるような穏やかな微笑みを向けた。


「もちろん。僕がずっと、結衣ちゃんの隣にいるからね。約束するよ」


 如人はその小さな手を優しく包み込んだ。だが彼の胸中には、自らの身体に潜む「もう一人の自分(安全装置)」に対する一抹の不安が、黒い澱のように沈んでいる。

 彼にとっての異能『植物化』は、愛でるべき花々と同じように、誰かを守るための「優しき楯」であってほしい。その願いが、この戦いの中で保てるのか、確信は持てなかった。


「おい、そこ。不純異性交遊は校則違反だと言ったはずだが?」


 呆れ顔で上沢が割って入る。その言葉に、西宮がふと重永と視線を合わせ、気まずそうに指先を絡めた。


「……お前ら、本当に緊張感がないな」


 上沢がジト目で全員を見回す。その視線の端には、今日ここに集えなかった仲間の姿もあった。


「まあ更石(さらいし)のおっさんも浜口(はまぐち)も、仕事で来られないってんだから、呆れるぜ。神様の儀式より、現場のホシ上げと就職先での研修の方が大事かよ」

「更石さんは『人手不足が深刻で、休めるかどうかわからない』って言ってたし、浜口さんは『ようやく手に入れた真っ当な人生を一日も欠勤したくない』って笑ってたよ。二人らしいじゃないか」


 如人の言葉に、場が少しだけ和んだ。蝶野を通じて用意させた特注の装備一式を全員が締め直す。未知の孤島であれ、異界の神域であれ、彼らは「人として」帰還する準備を、この二ヶ月間で完璧に整えていた。


 運命の正午。


 太陽が天頂に達し、あらゆる影が足元に収束した瞬間。


 五人の立つ地面が、幾何学的な紋様を描き、突如として眩い超常の光を放ち始めた。


「さあ始まるぞ! 離れるな! 絶対に手を離すなよ!」


 上沢の叫びも虚しく、重力さえも消失した光の奔流が、彼らの視界を白一色に塗りつぶしていく。


◇◇◇


 一人、また一人。光の粒子に溶けるようにして仲間たちの気配が遠ざかっていく。


 七篠如人もまた、意識を奪われるような加速の渦中にいた。だがその時――逆巻く光の端から、一枚の「紙」が、物理的な法則を無視して如人の目の前で静止した。


 白神救世教のロゴが透かし彫りにされた、一通の手紙。

 如人は無意識に、吸い寄せられるようにその文面に目を向けた。


 『忘却こそが、汝を真の日常へ還す慈悲なり』


 活字を視認した瞬間、如人の脳裏を不気味なタイプライターの打鍵音が駆け抜けていった。


 カタカタカタ……


 教団との約束は儀式が始まるまでの休戦。だから儀式が開始された今、その攻撃は始まったのだ。


 如人の目にした手紙の正体、それは教団幹部の一人であり、情報収集の専門家である『タイピスト』が放った、因果を断ち切る能力のトリガーだったのである。


「……あ」


 如人の脳内から、ここ数ヶ月の記憶が急速に「インク」となって吸い出されていく。


 上沢緋女と出会い、共に共闘を誓った夕暮れ。

 重永と拳を交わし、プールサイドで笑い合った記憶。

 西宮の母親を救うため、社の圧倒的な暴力に立ち向かった恐怖。


 そして――今この瞬間に繋いでいる恋人・播磨結衣の、愛おしい手のひらの温もりさえも。


 光の勢いが衰え、静寂が裏庭に戻ってきたのは、それから一分後のことだった。


◇◇◇


 蝉の声が、再び暴力的なまでにうるさく響き始める。


 そこには、ただ一人。七篠如人だけが立ち尽くしていた。


「……え? あれ、僕は……ここで何をしていたんだっけ?」


 如人は不思議そうに首を捻り、周囲を見渡した。


 目の前には錆びた園芸倉庫。手入れの行き届いた花壇。


 背負っているのは、場違いなほど大きな、パンパンに膨らんだキャンプ用リュックである。


「おかしいな。まだ家にいたはずなんだけど……まあ、良いか。園芸同好会の活動は夏休みでも真面目にみんなのお世話をしないと」


 などと呟きながら、如人は自分の服装の異様さに気づいた。


「何だこれ。制服でもないし、まるでサバイバルにでも行くみたいな格好だ。誰かと約束でもしていたのかな? ……まあ、いいや。それよりも早く花壇に水をあげないと。この暑さじゃ、みんな枯れちゃうよ」


 如人は、つい先ほどまで死線を共に潜り抜けてきた戦友たちのことを、綺麗さっぱり忘れていた。


 結衣という名の最愛の恋人が、自分の名前を呼びながら光の彼方へ消えたことも。


 上沢という少女が、自分を信じて命を預けていたことも。


 彼の中に残されたのは、ただ「植物を愛でる平凡で心優しい高校生」としての、色褪せた日常の断片だけだった。


 如人は鼻歌交じりに、重たいリュックを「なぜか持っていた」不思議な荷物として傍らに降ろすと、ポケットの中を探った。

 そこには、先ほど視認したはずの「印刷された手紙」が、不可解な遺留品として残されていた。


 だが、今の彼にはそれが何を意味するのかを理解する力は、もはや残っていなかったのである。


◇◇◇


 如人の様子を、校外にある雑居ビルの一室から、高性能の双眼鏡で見下ろす影があった。


 ヨレヨレの白衣を纏い、吸いかけの煙草を指先で弄んでいる男。この惨劇の仕掛け人の一人、プロフェッサーである。


「よしよし、実験は成功だ。想定通りだよ。今回の儀式に『神になりたくない人間』は、不純物でしかないからな」


 プロフェッサーは、如人の手元にある「手紙」を思い描き、邪悪に唇を歪めた。


「『タイピスト』の能力は素晴らしいな。記憶を奪うだけじゃない。それを冊子にしてコレクションする彼女の悪趣味のおかげで、お前の積み上げてきた『絆』は物理的な原稿に閉じ込められた」


 プロフェッサーは如人が屈託のない様子で植物にじょうろで水をやり始めるのを確認し、踵を返した。


「邪魔ができないように全部忘れてもらったぜ。仲間も、使命も、愛する女の感触も。……まあ、儀式が全て終わり、島に行った連中が全員『白い灰』になった頃に、その原稿を返して思い出させてやるさ」


 彼は独り言を続けながら、手元の地図に記載された「儀式の地」の座標を見つめる。


「恋人も、友達も、誰もいなくなった世界で、大好きな植物に囲まれて一人、穏やかな絶望の中で暮らすといい。それがお前への意趣返しだ。あの夜、俺に能力を渡さなかった代償さ」


 プロフェッサーの低く濁った嗤い声が、冷房の効いた室内に反響する。


 「神」という名の椅子を目指し、絶海の孤島へと転移させられた者たち。


 そして、記憶と牙を奪われ、温かな偽りの日常に取り残された一人の少年。


 仲間たちとの揺るぎない信頼を無残に踏みにじりながら、教団による血塗られた「次代の神降臨の儀式」は、最悪の形で幕を開けたのである。


 七篠如人――儀式開始直後に、リタイア。



お読みいただきありがとうございました。


もし第一部を読んでみたい方は下記のリンクから、お読みいただけます。

※植物を愛でて平穏に生きたい僕の身体が、勝手に神候補をなぎ倒す最強の『安全装置』に変化する。〜復讐を誓う格闘少女の相棒として、理不尽な神様選抜を万能スキルで生き残る〜

https://ncode.syosetu.com/n4956fy/

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