011
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「…助かった。すまない。」
「こっちこそ、ごめん。勝手に決めて。」
「いや。もう、どうしようもなかった。グインの判断は正しい。」
「…うん。ありがとう。」
突発的に発生した戦いは、見るも無残なものに終わった。助けを求めた男は怪物に成り変わり、正気を失ったまま血と命を落とした。
「驚異的なのは、あの鞭みたいな刃だけじゃない。段違いに、全身が固く強化されていた。手加減したままだったら、刃が通らなかったよ。」
「ああ。共通するのは、血か。体外に噴出する血液と、全身を巡る血液…。」
床に散らばった切断死体。
グインの苛烈な意志と力によって解体されたもの。
それはあの廃墟で目撃した遺体とよく似ていた。
それでも、切断された部位の数はあれらの半分にも満たない。
ファットは努めて冷静に推理する。
もし、この男のように暴走した人間が手や頭の血の刃で手当たり次第に人間を切り刻めば、丁度あのくらいの数の肉片が撒き散らされることになるだろう。
「カンクナットは、この人に腕を切られたのかな。」
「そうだろう。こうなる前に、手首にあの血の刃が噴き出した痕があった。だから、残る問題は…。」
「原因と、動機。」
「…デイル、あの赤い塊か?」
ファットは内臓の零れた胴体を一瞥し、指さした。半分に断ち切られた楕円形の赤い塊が血に塗れて転がっている。
「うん。本当に心臓そっくり。でも、血液のポンプの機能だけじゃなくて…、この人をああいうふうにしたのはこれが原因だと思う。」
「全く未知の物体。魔導器?」
「そうだな。手応えから、あの管や刃は血液の形象魔法によるものだったと断言していいだろう。しかし前提として、この男は魔法使いではない。」
「…うん。戦う力を持っていない、楽園の一般人だ。」
「つまり、違法魔導器と断定。破壊により、機能停止。良い判断。」
「ああ。これを壊さなかったら、いつまでも止まらなかったかもしれない。」
違法の魔導器による、人間の魔物化。過去、同様の事件は楽園の長い歴史で何度もあった。
ファットは追跡者になってから閲覧した、幾つかの歴史的事件の資料を思い返す。
非正規に魔導器が研究され、製造される経緯は主に三つ。
金銭や名誉といった外的要因。自己満足や知的好奇心といった内的要因。そして、意図しないまま偶然造られてしまうという、偶発的要因。魔導器以外の魔法研究中に偶発的に出来上がることも、日常の中で、何千万分の一の確率で手元の杯や杖が魔導器になることもある。
魔導器とは、魔法という奇跡から派生した小奇跡に該当する。
第六奇跡――魔法の誕生。
その一端。魔法使いが数え切れない程の試行錯誤の末に辿り着く、極めて厳密な法則と条件を満たさなければ発生しない、魔法の保存。もしくは、固定化。
よって魔法と同様、理法から乖離している。道理から外れている。
第五奇跡――人間の誕生。
そして人間もまた、魔法と並び立つ六大奇跡の一つ。人間と魔法は干渉し合う。物理的にも、精神的にも、あまりにも簡単に。よほど厳重な調整と制限を施さない限り、魔法に適正がない人間が魔導器を乱用する道理から外れ、人間ではないものに変じてしまう。つまり、魔物になる。
…そういう理解でいいのだろう。誰もがそう理解している。そういうふうに納得している。それ以上は未知の領域であるが故に。
「元は、血液を操る形象魔法だろう。その現象を保存したか、固定化した魔導器なら、確かに時空痕はできない。魔法の先払いをしているから、時空痕はその魔導器を作成した場所で発生する。」
「魔導器は消費型、充填型、永続型の三種。この場では鑑定不能。」
「…使い捨ての消費型ではないと思う。あれだけの力が何度も暴走していて、まるで尽きる様子がなかった。事実上製造不可能の永続型は除外するとして、一体どれだけの魔法が充填されていたのか…。」
「発動条件は、感情の激発…。いや、条件というより、あの様子を見ると誤作動と言った方が正しいかもしれない。」
「うん。明らかに正気を失っていた。絶望して…、それで、カンクナットに逆襲した…。その時にはもう、手遅れだったんだ。」
「…ああ。」
グインの推測にファットは神妙に頷く。
多くの憶測が入り混じっているが、経緯が少しずつ見えてきた。
名を知ることなく殺してしまった被害者。絶望する理由は、幾つも考えられる。
「病院の廃墟で殺されていた人たちは、あの血の刃で…。」
「あれで出鱈目に切られたら、ああいう殺され方になるだろう。被害者同士で殺し合った可能性もあるが、状況としては…。」
「…ファット、もしかして、もう大体掴めてきたのかい?」
「…情報は揃ってきた。この事件の黒幕は、どうしようもない危険人物のようだ。」
「冷静な判断力と奥深い優しさが君の強みだ。頼りにしてる。」
「一つ目の評価は謙虚に受け取るとして、二つ目は何だ。」
「君の半分は優しさで出来ているからね。」
「どこかで聞いたようなことを言わないでくれ。」
病院廃墟。フェンブレン。回収品と書かれた木箱。カンクナット。秘密工場。連続誘拐事件。五級製造者。魔導心臓。誤作動。ナウン・テス。ギード。
これ見よがしに、壁に大きく描かれた住所。明らかなメッセージ。やや乱暴に書かれているように見える。時間に余裕がなかったのだろうか。
「シャネ。このくらいの長さの黒髪と、水色の髪が落ちていないか調べてくれ。グインはサポートを。」
「了解。…グイン、這い這い。」
「…分かったよ。」
行動を起こす。まず、ファットはハンカチに包んでいて保存していた二本の細い髪の毛を見せ、簡潔に指示を出した。シャネはそれですぐに意図を察し、倉庫内を子細に観測していった。
「俺達は木箱の中を検めるよう。事件に巻き込まれた被害者がいるかもしない。」
「うん。全部調べる?」
「ああ。見つけたら、すぐにもう一度通報しよう。」
先程までの激しい戦闘がなかったかのように、気分を害する悪臭の地下室で地道な捜索が開始された。
斬殺された被害者は放置する。
助けられなかった後悔を脳幹の奥底に押し込める。
総計百五十五個の木箱のほとんどは密造酒を収めていたが、倉庫の隅にまとめて置かれていた八個の箱の蓋に『回収品』の文字。病院廃墟のものと一致。無論、壁に書かれている文字列とは筆跡が全く異なっている。
警戒しながらその内の一つを開封すると、中に瀕死状態の成人女性が乱暴に押し込められていた。蓋に僅かな隙間があったため、窒息はしていない。
デイルが直接肌に触れて健康状態を調べ、命に別状はないことと、今までの被害者同様に生身の心臓が抜き取られ、代替の魔導心臓が埋め込まれていることを告げた。
残る七つの箱の中身も確認し、ファットは警察局に緊急通報を行った。
違法魔導器を用いた犯罪に巻き込まれたと思われる被害者が九名。
現時点で生存者は八名。
魔導器の暴走のせいか、感情が乱れると極めて攻撃性の高い血液の形象魔法が発動される恐れがあること。そして、残る一名は暴走状態への対処でやむなく殺害したことを嘘偽りなく伝えた。
『了解しました。先の通報後、既に現場に向けてバーデイ署内の捜査員が出動していますが、直ちに救急部隊及び特殊部隊を追加派遣します。その場で待機、あるいは近場の安全地帯へ離脱してください。』
局のオペレーターとしては、比較的長い文章での応答だった。
ファットは感情を整理しながら遍話機を切り、待機していた三人に向き直った。
「黒髪と青髪を発見。鑑定?」
「ちょっと待ってね。…うん、ギードとテスさんの髪で間違いないよ。二人とも、ここにいたみたい。」
「原理不明。デイルだから信用。」
「ありがと。第四奇跡の派生なんだ。内緒ね。」
「第四。…生命の誕生。理解。極秘。」
「…結論は出たようだ。警察の特殊部隊が来る。急いで出よう。」
「分かった。その後は?」
「あれだな。」
「…だね。書いたの、ギードだよね。もしかしなくても。」
「ああ。こうまで掌の上で転がされたら癪だが。ここは従っておこう。」
敢えて無視されていた、壁の文字列。
乱暴に書かれているが、口調に似合わず、丸みを帯びた特徴的な筆跡だった。
イルンカ第二層、二百八十四-三、タナー製鉄社員寮三〇六号。
調書で見た、ナウン・テスの姉の住居を示していた。ほぼ間違いなく、テスはそこにいる。
工場の機械群の隙間を抜け、階段を昇り、血糊がこびり付いた扉を開ける。
地上との中間地点の詰所内は、直方体の赤い臓腑と化していた。
人間大の血の心臓。
狭い赤色の地獄の中央に、複数の管を生やした巨大な心臓が鎮座している。まるで、人一人分がそのまま心臓に作り直されたかのような。
一つ、大きく拍動する。
血に濡れる心臓の側面に、ギョロリ、と黒い眼球が一つ露わになった。
「ッ――」
あまりの光景に、ファットですら言葉を失った。
心臓から垂れ下がる管の一つが伸長し、地獄の闖入者達に向かって大きく振るわれた。
致死。
この一撃だけで全滅するだろう。
油断。
意識から外れた、最悪のタイミング。
カンクナット。
死んでいたはず――いや、死んだからこその変貌か。しかし、なぜ――
「――――!」
――【色彩・白月・呑・轟・撥・烈・烈・烈・烈・烈】
――彩る・虚空の龍の白き月よ・呑み・轟き・撥ねろ・烈しく・烈しく・烈しく・烈しく・烈しく
切り札の一枚目を切る。
万が一に備えて、右腕の魔導義手に充填していた魔法を半ば無意識で発動した――
それこそが、この世界でただ一つの人類都市、『楽園』を目指していた理由の一つ。かつて失った右腕を再び手に入れるために、俺達は果てしない旅を続けてきた。
その永い旅路の中で手に入れた、第二はおろか第一の外環に豪邸が建つほどの金銀財宝の山を対価に、第六奇跡時代――魔法誕生期に最高位の製造者によって造られた奇跡の具現を手に入れたのは、つい十数日前のことだった。
名を、『精霊骸』。かつては全身分が存在していたとされる近代における至宝の右腕は、何の問題もなく太い右腕の断面に接続され、自身の肉体の一部として融合した。
身体機能以外の主な付随能力は、魔法の充填。精霊骸は生体義手である同時に魔導器の一種でもある。完全に体に馴染み、完璧に同調すれば腕一本にありとあらゆる魔法を一つだけ保存し、即時発動を行うことを可能にするという単純かつ明快な能力を有していた。
――体に馴染みつつある精霊骸の右腕に充填していた、八乖位の白光衝撃波を即時発動。不意を突かれたため、タイミングはシビア。威力は同等か。僅かに遅れ、分厚い腕の肉が切られる。しかし、骨には届かない。ならばいい。
「ご主人様!」
デイルの焦った叫び声が聞こえる。
はは、そんな声を聞くのはいつぶりだろうか。
心の片隅でそんなことを笑っている内に、拒絶の輻射光が人間心臓の魔物に届き、衝撃で大きく傾げさせていた。感覚を持っているのなら、あわよくば数秒でも前後不覚になればいいが。
「脱出する! 強引に駆け上がれ!!」
「シャネ!」
ファットがデイルを、グインがシャネを強引に抱き上げ、粘性の高い血液に塗れた床を蹴る。地上への階段に繋がっていた簡素な扉も赤い粘液に塗りたくられ、継ぎ目が分からなくなっていた。
心臓の魔物の血に直接触れることに対して、脳内の危険信号が激しく点滅する。
――【色彩・火球・弐・翔・狙・煌・朱・紅】!
――彩る・赫々たる火の天球よ・弐つ・翔け・狙い・煌け・朱く・紅く
であればと、左手から爆発範囲を絞った高熱の火球を放ち、無理矢理出口をこじ開ける。ついでに心臓の魔物の方にも一発撃ちこんだが、黒い目の瞼が閉じられ、肥大した心筋を覆う血液が僅かに蒸発しただけで、まるで効いている様子がなかった。
血も細胞も、明らかに魔法的に増殖され、増強されている。
間一髪、四人が人間心臓の真横を通り過ぎると同時に、太い管の刃が出鱈目に暴れ回った。
運悪く一度だけ、背中に深い刃傷を負う。
熱い血が噴き出すのを感じるが、治癒魔法を使う暇もない。
有無を言わさずに庇われているデイルが何やら喚いていたが、大人しくしていろ、と囁くとそうなった。いい子だ。
捻じれた階段を駆け上がる。
ここまでは赤い地獄が染み出していない。生存へと天秤が傾く。最悪の状況ではない。
全力疾走を維持して地上の路地へと駆け抜ける。
その瞬間、直下からの爆発によって地面ごと体が吹き飛ばされた。