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フィットネス・ハンター  作者: 迎ラミン
第二章  クロキ・スポーツクラブ
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第15話  色眼鏡なしに

 文句を言いつつ、ご機嫌なおっさん二人(腹立たしいので、深身先生もおっさんのカテゴリーに入れておく)につき合って食事を済ませた私は、「もえも手伝ってくれ」という父に従い、先生のガレージ見学にもそのまま同行することとなった。


「なるほど。ここで三嶽選手がトレーニングされていたわけですね」

「ああ。ご覧の通り、なんにもない本当に普通のガレージだけどな。さすがにプラットフォームは傷んじまったからもう撤去したけど、バーベルはまだあるよ。もえ、ちょっと出すの手伝ってくれ」


 嬉しそうな深身先生に頷いた父は、そう言ってガレージの片隅にある大きなコンテナへと向かった。

 引き戸を開けると、なかには古びたバーベルシャフトが二本と、きちんと重量別に分けたプレートが何枚も置かれている。重たいプレートはあまりつけたことはないが、シャフトや十キロ程度までのプレートは私も高校生のときによく使ったものだ。


「もえ、シャフトを出してくれるか?」

「うん」


 久しぶりに手にするマイ・バーベルシャフトだ。古びてはいるものの錆びなど浮いておらず、ひんやりした感触も変わらない。二十キロあるシャフトを慣れた手つきで持ってくると、後ろから父も何枚かのプレートを軽々と抱えてきた。


「おお! これが?」

「ああ。東京、メキシコと二大会連続のオリンピック銅メダリスト、〝東洋の力業師〟こと三嶽英二(えいじ)選手愛用の練習用バーベルだ」

「凄い! 触ってもいいですか?」

「もちろん。写真も好きなだけ撮ってくれ」

「ありがとうございます!」


 完全にスイッチが入ってしまったらしい深身先生は、シャフトを撫でたりプレートを引っくり返したりしつつ、取り出したスマートフォンで様々な角度から写真を撮っている。嬉々とした表情は、下手をすればよだれでも出ているんじゃないかと思わせるほどだ。


 なかば呆れながらそれを見ていた私は、ふと大切なことに気がついた。


「あれ? お父さん、このバーベルがその、三嶽選手が使ってたっていうバーベル?」

「ん? ああ、そうだ。プラットフォームはもうないけどな。知ってるだろうが、プラットフォームってのは正式にウエイトリフティングをするための床で、バーベルを落っことしてもいいように木材やラバーでできて――」

「いや、それはいいんだけど」


 そうじゃない。私が気づいてしまったのは、そんなことではなかった。


「三嶽選手が使ってたって……。だってこれ、あたしが高校の部活で筋トレ教わったときに、お父さんがこれで練習しろって出してくれたバーベルだよね?」

「ああ、そうだ」

「……つまり、あたしがなんにも考えないでスクワットだのデッドリフトだのやって、ついでにお父さんが面白がってクリーンやスナッチまで教えてくれたこのバーベルこそが、その〝東洋の魔術師〟さんが――」

「東洋の力業師、な」

「そ、それはどうでもいいけど、ようするにあたしは、オリンピックメダリストが使ってた貴重なバーベルでトレーニングしてたってわけ!?」

「そういうことになるな」

「そういうことになるな、じゃないわよ! 何よ、その他人事みたいな言い方!?」

「俺、言わなかったっけ」

「聞いてない! 全っ然聞いてない!」

「すまんすまん。まあいいんじゃないか? 三嶽さんも別に、他人に使わせるな、なんて言ってないみたいだし」

「よくないわよ! 最初に言ってよ、そんなこと! だからあたしが、こんなにスクワット上手くなっちゃったんじゃない!」


 最後のひとことは我ながら完全に言いがかりだが、抗議せずにはいられなかった。自分の父親ながら、なんといい加減なのだろう。深身先生を見るまでもなく、好きな人にとってみればお宝以外の何物でもないし、日本のスポーツ史上においても大切なバーベルと言っていいだろう。それを初心者の女子高生が、無造作にトレーニングで使っていたとは。


「なるほど。もえさんがトレーニング上手なのは、やはり一流の道具を使っていたからでもあるんですねえ」


 その「好きな人」は、お宝のぞんざいな扱いを悲しむでもなく、むしろますます嬉しそうな顔をしている。


「先生まで、なんで普通の顔してんですか! 貴重なバーベルなんでしょ? あたしなんかが使っちゃってよかったんですか!?」


 あたふたしている私に対し、けれども深身先生は嬉しそうな笑顔のままだ。しかもこちらの目をいつも以上に真っ直ぐ見つめてくるので、思わず顔が赤くなりかけた。

 ただ、よく見るとその瞳は強い光を放っている。たしか、トレーニングを〝見る〟ほうが好きなのだと教えてくれたときも同じような目をしていたっけ。


 優しくて強い瞳のまま、『フィットネス・ハンター』が笑顔で告げてくる。


「たしかに貴重な物ですが、だからこそ、もえさんが使ってくれてよかったんじゃないでしょうか。道具はあくまでも道具です。ご神体でもなんでもありません。正しい使い方、愛情を持った取り扱いをしてくれる人に触れてもらうことこそが、その道具、その物にとってもきっと幸せなことなんだと僕は信じています。そしてそれは、人と道具に限った話ではありません。人間同士だってそうです。名前や世間体ばかりにとらわれて相手に変な先入観を抱いてしまうことほど、失礼な話はありませんよね。色眼鏡なしに心を開き合ってこそ本当の信頼関係を築ける。人と道具はもちろん、人と人の一番シンプルで一番大切な共生、共感のしかた。そんなことを思い出させてくれるから、スポーツはきっと素晴らしいんですよ」


 その言葉は、私の心にすとんと響いた。


 道具は、あくまでも道具。人は、あくまでも人。変な先入観など持たずストレートに、思う存分触れ合えばいい。愛情が湧くとか友情が芽生えるとかっていうのは、結局そういう過程を経なければ生まれない感覚、感情なのだろう。


 そういえば先生は、ライター稼業のおまけとして骨董屋まがいのこともやっていると言っていた。「相応しい持ち主が希望してくれたときには、相談に応じる」とも。きっと道具や人を大切にするということに関して、なにがしかのこだわりがあるのかもしれない。


 ということは、いつもの冴えない縁なし眼鏡やよれよれのジャケット、さらには独特のキャラクターもそうした強い想いの表れかも…………って、いや、それはないか。


 呆れたり見直したりと、何かとこちらの気持ちを振り回してくれる我が雇い主だけど、いずれにせよ変人なりに(?)しっかりとしたポリシーのようなものは持っているらしい。

 いつの間にか私も、「そうですね」と笑みを浮かべて頷き返していた。

 



 その後なぜか、件のバーベルを使って実際にスクワットやウエイトリフティングのポーズを要求された私だったが、深身先生の嬉しそうな表情と、


「うん、いいですよ」

「OK、凄く綺麗です!」

「グッド! その素敵な姿勢のまま、もうちょっと深くしゃがんで」


 などというグラビア撮影まがいのヨイショに乗せられて、気付けば何枚もの写真を取られてしまっていた。しかもカメラ目線で笑顔までつくってしまったのは、一生の不覚である。


 しまった……これだから天然イケメンは……。


「いい画が撮れました」と満足そうにスマートフォンを見せられてから後悔したものの、時すでに遅し。


「もえさん、モデルもいけそうですね。今度そういう問い合わせがあったら、ぜひ紹介させてください」


 どういう問い合わせだ。そもそも深身事務所は一体、何が本業なのだ。


 何はともあれ、完全に個人的趣味の取材を終えた深身先生が、「では、僕はそろそろ」と上機嫌なまま辞そうとしたとき、同じくすこぶる上機嫌の父がなぜか、


「じゃあ、もえに駅まで送らせましょう」


 などと、ふたたび意味不明なことを言い出した。

 お陰で女性の私が逆に先生を送っていくという、最後まで不本意な夜になってしまった。

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